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第25話「沈黙王」



 刃が届かない。


 俺は全力で跳躍し、光刃を沈黙王に向けて振り下ろした。地脈の力を纏った刃が空を裂く——はずだった。


 止まった。


 いや、違う。刃は動いている。俺の腕は確かに振り下ろされている。なのに、沈黙王との間に、どうしても埋まらない距離がある。目の前にいるはずなのに、刃だけが別の空間を斬っているような感覚。


 概念としての壁。


 『無駄だ』


 意味が脳裏に直接焼きつく。声ではない。言葉ですらない。沈黙王の意志が、俺の頭蓋の内側に刻まれる。


 『お前は確かに、この世界の法則に属さぬ者。だが、私もまた、法則の外に在る』


 着地の衝撃が膝を打つ。黒い砂が足元で跳ねた。俺は息を荒げながら、沈黙王を睨んだ。


 刃が通じない。


 外征で、俺は何度も怪物を斬ってきた。視るものの触手も、夜の住人の群れも、這うものの鎧も、この刃は確かに斬った。


 ——だが沈黙王は違う。


 格が違いすぎる。


 『お前の刃は、私の眷属を斬ることができる。私が生み出した怪物たちを』


 沈黙王の輪郭が、また揺らいだ。見るたびに形が変わる。人型にも、渦巻く闇にも、無限に重なる眼球の集合体にも見える。


 『だが、私自身は——お前の刃では、斬れぬ』


 俺の手の中で、光刃が震えた。


 悔しさではない。恐怖でもない。


 懐かしさだ。


 またこの感覚。沈黙王の存在に触れるたび、俺の中で何かが共鳴する。前世の記憶が揺さぶられる。なぜだ。こいつは敵だ。倒すべき相手だ。なのに——刃を握る腕が、わずかに鈍る。


 その隙を、沈黙王は見逃さなかった。


 『懐かしいか、鍵よ。お前と私は、一度触れ合ったのだから』



                   ◇



 後ろで、奈々の膝が折れた。


 振り返る前に、椿が動いていた。奈々の体を支え、静かに地面に下ろす。何も言わない。ただ、奈々の肩を押さえて、俺に向き直った。


 「——行け」


 椿の声は短い。凛とした、武人の声。


 「ここは私が見る」


 茜が俺の隣に立った。彼女は沈黙王の影響を嗅覚で読み、本能の壁を張って凌いでいる。それでも、額に汗が浮いている。


 「あんた、さっきの一撃——通じなかったのか」


 「……ああ」


 俺は切っ先を下げた。掌が汗で滑る。握り直す。だが、刃を構えても、さっきと同じことを繰り返すだけだ。


 「距離が縮まらない。あいつは——俺の力だけじゃ、届かない」


 茜の目が一瞬揺れた。だがすぐに引き締まる。


 「じゃあ、どうする」


 どうする。


 俺は沈黙王を見上げた。輪郭のない巨大な存在。声なき声。千年の沈黙を統べてきた、夜の国の王。


 さっき、沈黙王が告げた言葉が蘇る。俺は「鍵」だと。封印を完成させるか、破るか——どちらかを為すために、この世界に呼ばれた存在だと。


 刃が通じないなら——封印を完成させることすら、できないのではないか。


 『そうだ』


 沈黙王の意志が、骨を伝って俺の中に落ちてくる。


 『お前の刃は、私を傷つけることができる——本来ならば。お前は確かに、法則の外から来た者だ。だが、私と対峙するには——まだ、足りない』


 足りない。


 何が足りない。


 『お前は、ただの鍵だ。鍵は、ただ在るだけでは扉を開かぬ』


 沈黙王の存在が、わずかに揺らいだ。


 『鍵を回す意志。鍵を差し込む場所。そして——鍵と扉を繋ぐもの。それらが揃って初めて、鍵は意味を持つ』



                   ◇



 繋ぐもの。


 俺は、外征の中で得たものを思い出した。


 栞が教えてくれた知識。古い記録に残された、世界の真実の欠片。「扉を開く者が来る時、沈黙は破られる」——彼女が見つけてくれた言葉。


 椿と共に戦った日々。背中を預け合い、血を流し、それでも前に立ち続けた戦友。


 茜のサバイバルの知恵。夜の国で生き延びる術。足音を消す歩き方。匂いを消す方法。危険を察知する野生の勘。


 そして、奈々。


 テレパシーで繋がった、魂の半身。前世から続く、運命の絆。


 振り返った。


 奈々が、椿に支えられながら、俺を見ていた。唇の色が失われ、肌が透けるほど白い。でも、瞳だけは強く俺を捉えている。


 「真さん」


 彼女の声が、心に直接響いた。テレパシー。


 「わたしには——分かります。あなたが、何を考えているか」


 視線を外せない。


 「あなたは——ひとりで戦おうとしている」


 奈々の瞳が、強くなった。


 「わたしたちは、ここにいます」



                   ◇



 椿が、奈々から手を離した。


 何も言わない。ただ、腰の刃を抜く。地脈の力は纏っていない。沈黙王に対しては、何の意味もない武器。


 それでも、椿は俺の隣に立った。


 刃を正眼に構える。沈黙王を見据える。口は結んだまま。


 言葉はいらない。


 背中を預けろ——その意志だけが、立ち姿から伝わってくる。


 外征の初日からそうだった。怪物が出れば真っ先に前に立ち、全滅の跡では拳を握って立ち上がり、仲間が傷つけば自分の血を流して庇った。


 それが俺のやり方だと、椿は見てきた。


 ——でも、今は違う。


 椿がここにいる。その事実が、俺の肩から力を抜いた。ひとりで全部背負わなくていい。そう思えた。



                   ◇



 茜が、投擲武器を構えた。


 「あいつを斬ることは、あたしにはできない。あんたの刃がなきゃ、怪物は殺せない」


 ぶっきらぼうな声。でも、目は真っ直ぐ俺を見ている。


 「でも——あんたが戦っている間、足元を守ることはできる。あんたが気づかない敵を、先に潰すことはできる」


 茜が、獣の構えで沈黙王を睨んだ。


 「あんたひとりで全部やるな。あたしたちを、使え」



                   ◇



 六人の生存者たちが、後ろで身を寄せ合っていた。


 老人が杖で黒い砂の地面を叩いた。音は消える。沈黙の国では、音という概念が剥がれている。でも、杖が地面を打つ振動は、確かに俺の足裏に伝わった。


 ここにいる——その意志が。


 子供を抱えた女が、子供の小さな手で十字を切らせた。祈りの形だった。誰に向けた祈りかは分からない。でも、その仕草に込められた願いは、言葉より強く伝わってきた。


 若い男たちが、お互いの肩を組んでいた。支え合っている。倒れないように。


 俺が立ち上がるのを、待っている。


 『足りないもの』


 沈黙王の意志が、俺の中に染み込んできた。


 『理解したか。鍵よ』


 切っ先を上げた。


 『お前がひとりで私を滅ぼすことは——できぬ。だが』


 沈黙王の輪郭が、かすかに歪んだ。


 『お前たちが、ひとつになるなら——話は、変わる』



                   ◇



 ひとつになる。


 俺は、その言葉の意味を考えた。


 外征で得たもの。栞の知識。椿の武。茜のサバイバル術。奈々との魂の繋がり。そして——俺自身が「異なる魂」であるという事実。


 それらを、束ねる。


 ひとつの力として、使う。


 どうやって。


 「真さん」


 奈々の声が、心に響いた。


 「わたしには——できることがあります」


 視線を向ける。


 彼女は、茜の手を借りて立ち上がっていた。足が震えている。顔に血の気がない。でも、歩いてくる。俺に向かって、一歩ずつ。


 「奈々、無理を——」


 「無理じゃありません」


 奈々が、俺の前に立った。


 まっすぐな瞳。


 「わたしのテレパシーは——心と心を繋ぐ力です」


 奈々が、俺の手を取った。冷たい指先。でも、握る力は強い。


 「あなたと、椿さんと、茜さんと、生存者の皆さんと——心を繋げることが、できます」


 俺は、奈々の手を握り返した。


 「繋げて、どうする」


 「ひとつになります」


 奈々の瞳が、俺を射抜いた。


 「あなたが刃を振る時——わたしたちの意志が、あなたの刃に乗る。あなたひとりではない。全員の力が、あなたの一撃になる」



                   ◇



 沈黙王の巨大な存在が、俺たちを見下ろしていた。


 『——千年で、初めて見る光景だ』


 その意志に、嘲りはなかった。


 『千年。私はこの場所で、鍵を待っていた。封印を完成させる者か、封印を破る者か——どちらかが来ることを』


 沈黙王の存在が、膨れ上がった。


 『だが、第三の道を選ぼうとする者は——お前たちが初めてだ』


 第三の道。


 封印を完成させるのでも、破るのでもない。


 俺は、沈黙王を見据えた。


 「封印を完成させれば——お前は消え、夜の国も消える。壁の中の世界だけが残る。それが、世界の摂理が望む結末だ」


 沈黙王の視線を受け止める。


 「でも、それじゃ——壁は残る。人類は、壁の中に閉じ込められたまま。外の世界を知らないまま、地脈が尽きるのを待つだけだ」


 拳に力を込める。刃が光を放つ。


 「封印を破れば——お前が解き放たれる。夜の国が、壁の中に押し寄せる。人類は滅びる」


 沈黙王が、沈黙している。


 「どちらも——俺が望む結末じゃない」


 俺は、奈々の手を握った。


 「俺が選ぶのは——壁の意味を、書き換えることだ」



                   ◇



 壁の意味を書き換える。


 それが何を意味するのか、俺自身にも完全には分からなかった。


 だが、栞の記録が教えてくれたことがある。黙老の予言が示したことがある。


 世界が閉じた時——人類は、壁を築いた。自分たちを壁の中に閉じ込め、名もなき存在を壁の外に残した。


 ——それは、逃げだった。


 名もなき存在を滅ぼすことができなかったから、閉じ込めた。


 問題を解決できなかったから、蓋をした。


 千年の間、人類は壁の中で怯え、地脈が尽きるのを待ちながら、壁の外のことを見ないふりをしてきた。


 「俺は——その壁を、終わらせる」


 俺の言葉が、沈黙の国に響いた。声にはならない。でも、意志は伝わる。


 「壁の内と外を分かつのではなく——夜そのものを、終わらせる。お前を滅ぼすのではなく——お前が統べてきた秩序を、覆す」


 沈黙王の存在が、揺らいだ。


 『それは——封印の完成でも、破壊でもない』


 「ああ」


 刃を正眼に据える。


 「お前がこの世界の法則の外に在るように——俺も、法則の外から来た。だから、俺には——お前の千年を、書き換える資格がある」


 沈黙王の無数の眼が、俺を見つめた。


 『ならば、見せてみろ』


 その意志は、挑戦だった。


 『お前たちの意志が、私の千年を覆せるかどうかを』



                   ◇



 奈々の手が、俺の手を握った。


 そして——彼女のテレパシーが、俺の心に流れ込んできた。


 奈々の意志。


 あなたと共に、生きたい。


 あなたと共に、朝を見たい。


 あなたが切り開く道を、わたしも一緒に歩きたい。


 奈々の意志が、俺の心臓に熱を灯した。胸の奥が痛い。泣きそうになる。泣いている場合じゃない。でも、涙が目の縁に溜まる。


 椿の手が、俺の肩に触れた。


 奈々のテレパシーが、椿を繋いだ。


 椿の意志。


 私は、お前の背中を守る。


 お前が前を向いている間、後ろは私が見る。


 誰も死なせない。今度こそ。


 椿の意志が、俺の肩に重みを乗せた。ひとりで背負うな——その圧力。ありがたくて、同時に悔しい。俺は、ひとりで全部やろうとしていた。


 茜が、俺の隣に立った。


 茜の意志。


 あんたが負けたら、あたしたちも終わりだ。


 だから、勝て。


 あたしの集団は死んだ。でも、あんたたちは——死なせない。


 茜の意志が、俺の腕に力を注いだ。彼女は、全員を失った。沈黙の館で、仲間の全てを奪われた。二度と、同じ思いはさせない——その覚悟が、俺の中に流れ込んでくる。


 そして——生存者たちの意志が、流れ込んできた。


 老人の意志。若い男たちの意志。子供を抱えた女の意志。中年の男の意志。痩せた女の意志。


 言葉にならない。声にならない。


 でも、確かに——俺に届いていた。


 生きたい。


 帰りたい。


 朝の光を、もう一度見たい。


 全員の意志が、俺の中でひとつになった。


 心臓が跳ねた。体の奥から、別の力が湧いてくる。俺だけの力じゃない。全員の力だ。



                   ◇



 刃が、光った。


 地脈の力だけではない。俺たち全員の意志が、刃に宿っていた。


 俺は、沈黙王に向かって跳んだ。


 さっきと同じ一撃。全力の跳躍。光刃を沈黙王に向けて振り下ろす。


 ——今度は違った。


 沈黙王の存在の中に、隙が見えた。千年の秩序の、ほつれ。俺たちの意志が、そこに楔を打ち込もうとしている。


 刃が、沈黙王に触れた。


 『——ッ』


 沈黙王の存在が、揺らいだ。


 刃が、沈黙王の秩序に——届いた。


 斬った感触があった。


 肉を斬るのとは違う。もっと深い、もっと根源的な手応え。概念に刃を入れる感覚。俺の腕が痺れる。折れかけた肋が悲鳴を上げる。背中の傷が開いて、熱い血が流れ落ちる。


 それでも——届いた。



                   ◇



 俺は着地し、片膝をついた。もう、立っていられなかった。


 沈黙王の巨大な存在が、揺れている。輪郭が、さっきより曖昧になっている。


 『なるほど』


 沈黙王の意志が、俺の中に染み込んできた。


 『お前たちの意志が、鍵を回したか』


 柄を握り直す。立ち上がろうとする。膝が笑う。腕が震える。


 「これで終わりじゃない」


 沈黙王を見上げる。まだ、奴は在る。揺らいだだけだ。消えてはいない。


 「まだ——足りない」


 『そうだ』


 沈黙王の無数の眼が、俺を見つめた。


 『お前は確かに、私を傷つけた。だが、私を覆すには——まだ、足りない』


 視線を巡らせた。


 奈々は、茜に支えられて座り込んでいた。テレパシーで全員を繋ぐために、膨大な力を消耗している。顔色は蒼白を通り越して、唇に血が滲んでいる。


 椿は、刃を杖代わりにして立っている。沈黙王の存在に圧されながら、それでも意識を保っている。


 茜は、歯を食いしばって立っている。獣の構えで、周囲を警戒しながら。


 生存者たちは、もう立てない者もいる。老人が、痩せた女にもたれかかっている。


 俺自身も——背中の傷が開いている。折れかけた肋が、呼吸のたびに軋む。視界が霞んでいる。


 『それでも——続けるか』


 沈黙王の問いかけ。


 俺は、刃を杖にして、立ち上がった。


 「当たり前だ」



                   ◇



 二撃目。三撃目。四撃目。


 俺は、沈黙王に向かって刃を振るい続けた。


 全員の意志を束ねた一撃を、何度も、何度も。


 沈黙王は——揺らいだ。


 一撃ごとに、奴の存在が薄くなっていく。輪郭が曖昧になり、巨大さが縮んでいく。


 でも——俺たちの体も、限界を超えていた。


 奈々の手が、俺から離れた。


 繋がりが、途切れた。


 「——っ」


 振り返る。奈々が、完全に倒れていた。茜が抱き起こしている。


 「意識は——ある。でも、もう動けない」


 茜の声がかすれている。彼女も、立っているのがやっとだ。


 椿が、俺の隣によろめきながら歩いてきた。


 「繋がりが——切れかけてる」


 奈々のテレパシーが弱まっている。全員の意志を束ねる力が、失われつつある。


 視線を上げた。


 沈黙王は——まだ在る。


 薄くなった。揺らいだ。でも、消えてはいない。


 あと少し。あと一撃で——覆せるかもしれない。


 でも、その一撃を放つ力が——もう、残っていなかった。



                   ◇



 『諦めるか』


 沈黙王の意志が、俺の頭蓋を震わせた。


 『お前たちは、よく戦った。だが——体が保たぬだろう』


 柄を握り締める。


 膝が笑っている。腕が震えている。視界が霞んでいる。


 でも。


 「——指先が届いたなら」


 俺の声が、沈黙の国に響いた。声にはならない。でも、意志は伝わる。


 「握る。それだけだ」


 沈黙王の無数の眼が、俺を見つめた。


 「前の世界で、俺は諦めた。誰かを助けようとして、手を伸ばして——届かなかった。指先が触れたところで、それで終わりだった」


 刃を、正眼に構える。腕が震える。構えが崩れそうになる。でも、崩さない。


 「今度は——指先じゃない」


 後ろで、奈々が顔を上げた。


 椿が、刃を握り直した。


 茜が、投擲武器を構えた。


 生存者たちが、俺を見た。


 「こいつらの心が、俺の腕を動かしている」


 俺は、沈黙王に向き直った。


 「だから——届く」


 刃が、光った。


 最後の力。最後の意志。


 「——朝を、連れてくる」


 俺は、跳んだ。



                   ◇



 最後の一撃が、沈黙王を貫いた。


 全員の意志が、刃に宿っていた。奈々の心。椿の武。茜の生存本能。生存者たちの生きたいという願い。


 そして——俺自身の、守りたいという渇望。


 全てが、ひとつになった一撃。


 着地の瞬間、膝が折れた。両手を砂についた。視界が真っ白になった。


 それでも——分かった。


 沈黙王の存在が——砕けた。



                   ◇



 完全な勝利ではなかった。


 沈黙王は——消えていない。


 でも、奴の存在は、確かに覆された。


 夜の国を統べていた秩序が、崩れた。沈黙王が座していた玉座が、壊れた。


 『……見事だ』


 沈黙王の意志が、遠くなっていく。


 『お前は——第三の道を、選んだ』


 俺は、仰向けに倒れた。もう、体を支えられなかった。


 黒い砂の上に、背中をつける。冷たい。でも、痛みは遠い。


 『封印は——変わった。壁は——変わる。夜は——終わりを、迎える』


 沈黙王の存在が、薄れていく。


 『だが、すぐにではない。お前たちの意志が、夜を少しずつ——削っていく。何十年、何百年かけて——夜は、明ける』


 目を開けた。


 沈黙の国の上空——永遠の闇だったはずの空に、何かが見えた。


 光。


 見たことのない、淡い光。


 『お前が——最初の一撃を、放った。残りは——お前たちの子孫が、引き継ぐだろう』


 沈黙王の意志が、消えていく。


 『異なる魂よ。お前は——世界を、変えた』



                   ◇



 奈々が、這うようにして俺の傍に来た。


 「真さん……」


 俺は、奈々を見た。


 彼女の顔には涙が流れていた。目が腫れている。でも、口元に、小さな笑みが浮かんでいた。


 「勝った……のですか……」


 俺は、空を見たまま答えた。


 「完全な勝利じゃない」


 声がかすれていた。喉が渇いている。でも、言葉は出た。


 「沈黙王は——消えてない。でも」


 奈々の手が、俺の手に触れた。冷たい指先。でも、生きている温度。


 「夜は——もう、永遠じゃなくなった」


 椿が、俺たちの傍に座り込んだ。


 「本当に……終わったのか」


 茜が、立ったまま空を見ていた。


 「あの光……見たことがない」


 生存者たちが、ゆっくりと動き始めた。老人が、杖を支えにして体を起こした。空を見上げて、目を細めた。


 子供が、小さな口を動かした。沈黙の国では、音は消える。でも——口の形で、何を言っているかは分かった。


 「ひかり」


 俺は、奈々の手を握り返した。


 空には、淡い光が差していた。永遠の闇だったはずの夜の国に、初めて差し込んだ光。


 終わりの兆し。


 夜明けの、始まり。



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(第25話 了)

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