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第26話「帰還、そして」



 目が覚めた時、俺は動くことができなかった。


 視線を天へ向ける。黒かったはずの空に、仄かな明かりが差している。見たことのない色だ。夜でも、昼でもない。永遠の闇の果てに、世界が初めて見せた色。


 奈々の指が、俺の指に絡んでいた。


 「真さん……」


 彼女の声はかすれていた。這うようにして俺の傍にいる。顔色は蒼白で、涙の跡が頬に残っている。でも——目には、光が宿っていた。


 「終わったのか……」


 俺の声も、ろくに出ない。喉が渇いている。体のどこが痛いのかも、もう分からない。ただ、奈々の指先の温度だけが確かだった。


 「はい……」


 彼女が、小さく頷いた。


 「夜は——終わりに向かっています」



                   ◇



 どれだけ横たわっていたか分からない。


 気づくと、俺は誰かに支えられて歩いていた。椿が右側、茜が左側。二人とも足を引きずっている。それでも、俺の体を支えてくれていた。


 「……すまない」


 「黙れ」


 茜が、ぶっきらぼうに言った。


 「あんたは歩くな。運ぶのはあたしたちの仕事だ」


 「口を動かす暇があるなら、前を向け」


 椿の声も、普段より荒い。疲弊している。でも、足は止めない。


 振り返る。


 奈々が、生存者たちに支えられながら歩いている。老人が杖で自分の体を支えながら、奈々の腕を引いている。若い男たちが、子供を抱えた女を囲んでいる。


 六人。


 外征で出会った生存者たち。誰一人、欠けていない。


 「……全員、いる」


 「当たり前だ」


 茜が、前を向いたまま言った。


 「あんたが『帰る』って言ったんだろ。全員で、って」


 沈黙の国を越え、沈黙の領域を抜け、夜の国を逆行する。


 帰還行が、始まった。



                   ◇



 夜の国は——変わっていた。


 沈黙王の秩序が崩れたことで、怪物たちの動きが鈍くなっている。視るものは相変わらず遠くで人類を見つめているものの、その圧力が弱まっている。夜の住人たちの群れは散り散りになり、這うものたちは地面に潜ったまま出てこない。


 完全な安全ではない。けれど、往路とは比べものにならないほど、通れる道が増えていた。


 「なんだ、これ……」


 茜が、周囲を見回しながら呟いた。


 「怪物が、逃げてる。あたしたちから、じゃない。何かを——恐れてる」


 「夜が終わることを、だろう」


 椿が、声を落として答えた。


 「彼らは夜の存在だ。夜が明けるなら——居場所がなくなる」


 俺は頭上を仰いだ。


 薄明が、ゆるやかに広がっている。まだ夜は明けていない。けれど、夜明けの気配が、確かに忍び寄っている。


 世代を超えて——沈黙王はそう言った。


 俺たちが放った一撃は、世界を即座には変えない。けれど、変化の最初の楔にはなった。


 あとは、俺たちの子孫が引き継ぐ。


 「……行けるか」


 俺は、奈々を振り返った。


 彼女は、老人に支えられながら、それでも前を向いていた。


 「行けます」


 その声には、疲弊の中に——希望があった。


 「あなたが前を向いているなら、わたしも」



                   ◇



 帰路は、長かった。


 けれど、俺たちは歩き続けた。


 茜が先頭で道を切り開き、椿が後ろを守り、俺は中央で奈々と生存者たちを守った。往路で学んだ連携が、帰路でも機能した。


 三日目の夜——いや、この世界に夜の終わりはない。仮眠を取る時、それが何度目かで日を数えた——茜が低い声で警告を発した。


 「左。夜の住人、三体」


 俺は反射的に刃を構えた。地脈の力が掌で脈動する。


 「下がっていろ」


 沈黙王を傷つけた刃だ。眷属たち相手なら、迷う必要はない。


 怪物は、俺たちを見て——逃げた。


 戦う気力すらない。沈黙王の秩序を失い、怪物たちは統制を欠いていた。夜の終わりを察して、本能的に怯えている。


 「……戦わなくていい、のか」


 生存者の若い男が、呆然と呟いた。


 「信じられない。今まで、一体殺すのにどれだけの仲間が死んだか——」


 俺は、刃を下ろした。


 怪物と遭遇することは他にもあった。けれど、統制を失った群れは烏合の衆に近く、数は往路と比べて格段に少なかった。


 そして——


 「見えた」


 茜が、声を上げた。


 「壁だ。終ノ塔の——壁が見える」



                   ◇



 壁が見えた時、俺は膝をついた。


 崩れたわけではない。安堵で、力が抜けたのだ。


 「帰って……きた」


 奈々が、俺の隣で呟いた。


 彼女の瞳が、潤んでいた。けれど、笑っている。


 「帰って、きたんですね……」


 終ノ塔。人類最後の要塞。俺が転生した場所。奈々を迎えに行くために、俺が出発した場所。


 壁は、変わっていなかった。灰色の巨大な壁が、夜の国と人類の世界を隔てている。


 だが——


 壁の向こうの空が、少し明るく見えた。


 気のせいかもしれない。けれど、俺にはそう見えた。



                   ◇



 門が開いた。


 俺たちが近づくと、門番たちが騒ぎ始めた。伝令が走り、人が集まり——やがて、門が開いた。


 「生きて……帰ってきやがった」


 門番の一人が、呆然と呟いた。


 「外征で全滅した隊の生き残りか? いや、違う——あれは」


 「異端の少年だ。救世主と呼ばれていた——」


 「外から帰ってきた? 生きて?」


 声が広がる。人が集まる。


 俺たちは、門をくぐった。



                   ◇



 塔の中は、騒然としていた。


 外征で出発した者が帰還すること自体が稀だ。ましてや、壁の外から人を連れて帰ってくることなど——誰も、聞いたことがない。


 俺たちが門をくぐると、人々が道を開けた。畏怖と驚きの目が、俺たちを見ている。


 奈々が、俺の腕にしがみついた。


 「大丈夫」


 俺は、彼女の肩に触れた。


 「ここは、俺の故郷だ。……お前を迎える場所だ」


 人垣の中を進む。声が飛び交う。


 「生き残りが——九人?」


 「違う、外征隊は全滅したはずだ。あの中に、知らない顔がいる」


 「外の人間? 壁の外に人がいたのか?」


 「嘘だ、そんなはずがない——」


 声が重なり、人波が押し寄せようとした瞬間——


 「道を開けろ」


 低い声が、人波を裂いた。



                   ◇



 黒藩が、人垣を押し分けて現れた。


 統制官の威圧が、周囲を静まらせた。黒い正装に、胸元の徽章。恐怖で塔を統べてきた男が、俺の前に立った。


 「……帰ってきたか」


 黒藩の目が、俺を見ていた。


 「外征の禁を破り、壁の外へ出て——生きて帰ってきた」


 「ああ」


 俺は、真っ直ぐに黒藩を見返した。


 「帰ってきた。外から——人を連れて」


 黒藩の視線が、奈々と生存者たちを見た。


 「灯ノ塔の生き残りか」


 「そうだ」


 「……灯ノ塔は滅んだと聞いた」


 「滅んだ。地脈が尽きて。けれど、生き残りはいた。俺は、彼女たちを連れて帰ってきた」


 黒藩の目が、細まった。


 「秩序を乱す行為だ」


 「知ってる」


 俺は、一歩も退かなかった。


 「けれど、俺は帰ってきた。全員を連れて。壁の外で、誰も成し得なかったことを——成し遂げた」


 周囲がざわめいた。


 黒藩は、しばらく俺を睨んでいた。それから——視線を空へ向けた。


 壁の外の空。夜の国の空。


 そこに、微かな輝きが差していた。


 「……本当に、光が」


 黒藩の声が、かすかに震えた。


 俺が見たことのない表情だった。恐怖で塔を統べてきた男の顔が、一瞬だけ——子供のように揺れた。


 「……変わったな」


 黒藩が、低く言った。


 「何が」


 「お前の目だ。出発した時とは——違う」


 俺は答えなかった。ただ、黒藩を見つめ返した。


 「……壁の外で、何があった」


 「夜の国を越えた。沈黙の館を通過し、沈黙の国に至り——沈黙王と対峙した」


 人々が、息を呑んだ。


 「沈黙王の秩序を——崩した。夜は、終わりに向かっている」


 黒藩の顔から、表情が消えた。


 「……何を言っている」


 「見ればわかる。空を見ろ。夜の国の空に——光が差し始めている」


 誰も口を開かなかった。


 黒藩は、俺を見つめたまま、動かなかった。



                   ◇



 黒藩が、道を開けた。


 「……通れ」


 その声には、俺が知らない響きがあった。敗北でも、怒りでもない。何か——もっと深いものが、滲んでいた。


 「後で、詳しく聞く。今は——休め」


 俺は、黒藩の傍を通り過ぎた。


 彼の目は、俺を追っていた。けれど、手を出しては来なかった。



                   ◇



 人垣が、割れていく。


 俺たちが進むと、人々が道を開ける。畏怖の目。驚きの目。——そして、希望の目。


 「外から……帰ってきた」


 「壁の外で、生き延びた人間がいる」


 「沈黙王と戦った? 嘘だろ」


 「けれど——あの目を見ろ。嘘じゃない」


 声が、変わり始めていた。


 恐怖の秩序で縛られてきた人々が——外から帰ってきた俺たちを見て、何かを感じ始めている。


 「夜が——終わる?」


 誰かが、呟いた。


 「壁の外が——変わる?」


 声が広がる。期待が、伝染していく。


 俺は、それを背に受けながら歩いた。


 まだ何も終わっていない。夜が完全に明けるには、途方もない年月がかかる。俺の生きている間には、終わらないかもしれない。


 けれど——俺たちは、最初の一撃を放った。


 あとは、この塔の人々が引き継ぐ。


 ——全員は……連れ帰れなかった。


 ふと、外征で死んだ隊員たちの顔が浮かんだ。視るものに喰われた者。這うものに引きずり込まれた者。沈黙の館に誘われ、二度と戻らなかった者。


 彼らの顔を、忘れない。


 俺が生きて帰ってきたのは、彼らの死の上に立っているからだ。



                   ◇



 人垣の中に、見知った顔があった。


 「真さん——!」


 栞が、人波を押し分けて走ってきた。


 彼女の目は赤く腫れていた。泣いていたのだ。ずっと——俺たちの帰りを待ちながら。


 「帰って……きた……!」


 栞が、俺の前で立ち止まった。息を切らしている。普段の物静かさはどこにもなく、ただ——必死に、俺を見ている。


 「生きて……帰ってきてくれた……」


 「ああ」


 俺は、頷いた。


 「約束しただろう。帰ってくる、って」


 栞の視界が、滲んでいた。


 「記録庫で……待ってました。ずっと……。あなたたちが帰ってきたら、一緒に——記録の続きを読み解こう、って」


 俺は、栞の肩を軽く叩いた。


 「読もう。俺が見てきたことを——お前に、伝える」


 栞が、小さく頷いた。


 その瞳には、涙と——知への渇望が、同居していた。



                   ◇



 椿と茜が、生存者たちを医療班に引き渡した。


 俺と奈々も、医療班に連れていかれそうになったが——俺は断った。


 「先に、やることがある」


 奈々の腕を取る。


 彼女は、俺を見上げた。何も言わない。ただ、俺について来る。


 黙老の庵に向かった。



                   ◇



 黙老は、庵の入口で俺たちを待っていた。


 「……来たか」


 老人の目が、俺と奈々を見た。


 「儂には——見えておった。お主たちが帰ってくることが」


 「予言か」


 「いいや」


 黙老が、かすかに笑った。


 「信じておっただけじゃ。お主の意志を」


 俺は、黙老の前に膝をついた。


 「俺は——沈黙王と対峙した。世界の真実を——知った」


 「うむ」


 黙老の目が、穏やかに俺を見つめていた。


 「真よ——お主は何を選んだ」


 「封印を完成させるでも、破るでもない。第三の道を——選んだ。壁の意味を、書き換えることを」


 黙老は、しばらく黙っていた。


 やがて——深く、頷いた。


 「よく——やった」


 その声には、長い時間を生きた者だけが持つ重みがあった。


 「お主は——予言を超えたのじゃ」


 黙老が、立ち上がった。


 「壁が変わったことで……地脈の護りにも、変化の兆しがある」


 「地脈の護り?」


 「終ノ塔を守ってきた結界じゃ。枯渇が進み、あと百年保たぬと言われておった。……けれど」


 黙老が、空を仰いだ。


 「壁の意味が書き換わったことで、地脈もまた……息を吹き返し始めておる。微かにじゃが」


 俺は、その言葉の意味を噛み締めた。


 俺たちが沈黙王の秩序を崩したことは、夜を終わらせるだけじゃない。終ノ塔の未来も——変えようとしている。



                   ◇



 黙老の庵を出ると、空の色が少し変わっていた。


 ——いや、違う。


 この世界に、日は沈まない。元々、永遠の夜だ。


 けれど——曙光が、少し強く見えた。


 「光が……増えている」


 奈々が、目を細めて上を見ながら呟いた。


 「わたしたちが——変えたんですね」


 「まだ、始まりだ」


 俺は、奈々の掌に自分の掌を重ねた。


 「これから、何十年もかけて——夜は明けていく。俺たちの生きている間には、完全には終わらないかもしれない」


 「けれど」


 奈々が、俺を見上げた。


 「終わりに——向かっている」


 「ああ」


 俺は、頷いた。


 「向かっている」



                   ◇



 その夜——俺と奈々は、塔の片隅にある小さな部屋にいた。


 医療班が用意してくれた部屋だ。簡素だが、清潔なシーツと、温かい毛布がある。外征で過ごした夜々とは、比べものにならない。


 「……やっと」


 奈々が、ベッドの縁に座りながら呟いた。


 「安心して……眠れる場所に」


 俺は、彼女の隣に座った。


 「ああ」


 奈々の指に、自分の指を絡める。まだ冷たい。外征の疲労と、テレパシーの消耗は、完全には癒えていない。


 「……奈々」


 「はい」


 彼女が、俺を見つめた。


 大きな瞳。涙の跡が残る頬。薄い唇。外征で痩せた体。——それでも、彼女は美しかった。滅びの中で希望を灯し続けた、俺の運命の人。


 「俺は——お前を迎えに行くと決めた時から、ずっと考えていたことがある」


 「……なんですか」


 「帰ってきたら——伝えようと思っていた」


 奈々の瞳が、揺れた。


 「わたしも……」


 彼女の声が、震えた。


 「あなたに——伝えたいことが、ありました」


 俺は、奈々の指を強く握った。


 「俺は——お前が好きだ」


 言葉が、ようやく形になった。


 「初めて声を聴いた時から——いや、それより前から。前世から——俺は、お前を探していた」


 奈々の瞳が、潤んだ。


 「わたしも……」


 彼女の声が、震えていた。


 「わたしも——あなたを、ずっと。目を閉じると、いつも同じ人の背中が見えていました。追いかけても、追いかけても、届かなくて……」


 俺は、奈々の頬に手を伸ばした。


 涙を、指で拭う。


 「もう——届いてる」


 「はい……」


 奈々が、俺の手に頬を寄せた。


 「やっと——触れられました」



                   ◇



 俺は、奈々の唇に口づけた。


 柔らかい。温かい。外征で何度も触れた唇。けれど、今夜は——違う。


 安全な場所で。二人きりで。


 もう、怪物は来ない。見張りを立てる必要もない。明日の行軍を考える必要もない。


 ただ——俺と、奈々だけがいる。


 「真さん……」


 奈々の声が、かすれた。


 俺は、彼女を抱き寄せた。


 痩せた体。それでも、温かい。生きている。俺が守り抜いた、運命の人。


 「怖いか」


 「いいえ」


 奈々が、俺の胸に顔を埋めた。


 「怖くないです。……あなたと一緒なら」


 俺の手が、彼女の背中を撫でた。


 外征で何度も抱き締めた体。けれど、今夜ばかりは——違った。


 「……いいのか」


 「はい」


 奈々が、顔を上げた。


 涙に濡れた瞳が、俺を見つめていた。その奥に——覚悟が見えた。


 「わたしは——あなたの、ものです」


 言葉が、俺の胸に落ちた。


 「前世から——ずっと。あなただけの」


 唇が重なる。今度は深く。息が混ざり、体温が溶け合う。


 奈々の呼吸が乱れた。俺の心臓も、痛いほど脈を打っている。


 俺は、彼女の肩に手をかけた。


 生成りの衣の肩紐が、するりと滑り落ちた。


 白い肩。鎖骨。月明かりより薄い光に照らされた肌。


 「……真、さん」


 奈々の声が、甘く震えた。


 もう——止まれなかった。


 シーツの上に彼女を横たえる。覆いかぶさる。重なる体。


 二人の影が重なり——灯りが、消えた。



                   ◇



 朝が来た——と言っていいのか分からない。


 この世界に、朝はなかった。永遠の夜だった。


 けれど——窓から差し込む光が、少しだけ強くなっていた。


 俺は、ベッドの中で目を覚ました。


 隣に、奈々がいた。


 彼女は、俺の腕の中で眠っていた。乱れた髪。上気した肌。床に散らばった衣。首筋に残る、赤い痕。安らかな寝顔。


 昨夜のことを、思い出す。


 俺の顔が熱くなった。


 「……ん」


 奈々が、身じろぎした。


 俺の胸に顔を埋めたまま、目を開ける。


 「……おはようございます」


 「ああ」


 俺は、奈々の髪を撫でた。


 「……眠れたか」


 「はい」


 奈々が、小さく笑った。


 「久しぶりに……安心して眠れました」


 彼女の頬が、赤く染まった。


 「……昨夜は」


 「……ああ」


 俺も、顔が熱い。


 「その……」


 「……はい」


 二人とも、言葉が見つからなかった。


 奈々が体を起こそうとして、小さく顔をしかめた。


 「……どうした」


 「いえ……少し、体が」


 彼女の頬が、さらに赤くなった。


 俺も——昨夜の余韻で、妙な筋肉痛がある。


 「……その」


 「……はい」


 言葉にできない気まずさ。けれど——それでいい気がした。


 俺は、奈々を抱き締めた。彼女も、俺にしがみついた。


 言葉より、体温が伝わる。


 「……愛してる」


 ようやく、言えた。


 「わたしも」


 奈々が、俺の胸に顔を埋めたまま答えた。


 「愛しています。……ずっと」



                   ◇



 その日の午後——俺たちは、塔の最上階に呼び出された。


 黒藩がいた。黙老がいた。塔の長老たちが、円卓を囲んでいた。


 「帰還の報告を、聞く」


 黒藩が、低い声で言った。


 俺は、全てを話した。


 外征の経緯。夜の国で見たもの。灯ノ塔の陥落。沈黙の館。沈黙の国。沈黙王との対峙。世界の真実。——そして、俺が選んだ道。


 長老たちは、黙って聞いていた。


 話し終えた時——静寂が、円卓を覆った。


 「……信じられん」


 長老の一人が、呟いた。


 「沈黙王と——戦ったと?」


 「ああ」


 「勝ったと?」


 「……勝ったかどうかは分からない。けれど、奴の秩序を——崩した」


 黙老が、穏やかに口を開いた。


 「儂は——信じる」


 老人の目が、長老たちを見回した。


 「この者の目を見よ。嘘を言うておる目では、ない」


 長老たちが、俺を見た。


 黒藩が——ゆっくりと、口を開いた。


 「私も——信じる」


 その言葉に、長老たちがざわめいた。


 「統制官——」


 「見ただろう」


 黒藩が、言葉を遮った。


 「この者が帰ってきた時——空が、変わり始めていた。夜の国の空に——光が差し始めていた」


 誰も口を開かなかった。


 「……恐怖の秩序は」


 黒藩が、俺を見た。


 「もう——通用しないのかもしれん」



                   ◇



 会議が終わった後——黒藩が、俺を呼び止めた。


 「……一つ、聞きたいことがある」


 俺は、振り返った。


 「なんだ」


 「お前は——なぜ、帰ってきた」


 「?」


 「沈黙王の秩序を崩したのなら——お前は、外で生き続けることもできたはずだ。壁の中に戻る必要は、なかった」


 俺は、黒藩を見つめた。


 「……俺の故郷は、ここだ」


 「故郷?」


 「転生して——この塔で目覚めた。異端と呼ばれ、救世主と呼ばれ——それでも、ここが俺の居場所だ」


 黒藩は、何も言わなかった。


 「それに——」


 俺は、続けた。


 「壁の中の人々に、伝えなきゃいけないことがあった。夜が永遠じゃないこと。外に希望があること。——恐怖に閉じ籠もる必要がないこと」


 黒藩の目が、揺れた。


 「……私は」


 彼の声が、かすかに震えた。


 「恐怖でしか——人を守れないと思っていた」


 俺は、黒藩を見つめた。


 「外の恐怖から、人々を守るために——内の恐怖で縛る。それが、私のやり方だった」


 「ああ」


 「けれど——」


 黒藩が、目を伏せた。


 「お前は——恐怖ではなく、希望で人を動かした」


 長い沈黙が落ちた。


 「……負けた、ということだ」


 黒藩が、低い声で言った。


 「私の統治は——もう、機能しない。お前が帰ってきた時点で——終わっていた」


 俺は、首を振った。


 「負けじゃない」


 「何?」


 「あんたは——塔を守ってきた。恐怖で縛るやり方は間違っていたかもしれない。けれど——あんたなりに、人々を守ろうとしていた。それは、否定しない」


 黒藩が、俺を見た。


 「これからは——違うやり方で、塔を守ればいい。希望の秩序で。外に向かう意志で。——俺は、あんたの敵じゃない」


 黒藩は、しばらく俺を見つめていた。


 やがて——かすかに、頷いた。


 「……覚えておく」



                   ◇



 塔は、緩やかに変わり始めていた。


 俺たちが帰還してから数日。外征の生き残りの話は、塔中に広まっていた。


 「外から——人が帰ってきた」


 「壁の外に、生きている人がいた」


 「沈黙王を——倒したらしい」


 「夜が——終わるって」


 声が、広がっていく。


 恐怖で閉じ籠もっていた人々が——外を見始めている。


 「次の外征は——俺も行きたい」


 若い兵士が、そう言い始めた。


 「壁の外が変わったなら——俺たちにも、できることがあるはずだ」


 変革の波は、静かに広がっていた。



                   ◇



 ある日——俺は、椿と茜と栞を連れて、塔の外壁に登った。


 夜の国を見渡せる場所。壁の頂上。


 「見ろ」


 俺は、三人に空を指し示した。


 微かな輝きが、夜の空に広がっていた。まだ微かだ。夜明けと呼べるほどではない。けれど——確かに、光が増えている。


 「……綺麗」


 栞が、呟いた。


 「見たことのない色です。夜でも、昼でもない。……これが、夜明けの色?」


 「まだ、夜明けじゃない」


 俺は、首を振った。


 「夜明け前の——最初の光だ。これから、一歩ずつ——夜は明けていく」


 椿が、壁越しの空を見ていた。


 「……長い戦いになる」


 「ああ」


 「けれど——」


 椿が、俺を見た。


 「始まった。お前が——始めた」


 それから、椿は視線を空に戻した。胸元の護符に、そっと手を触れる。


 「私は——守れた」


 小さな声だった。俺にだけ聞こえる声。


 「今度こそ」


 椿の過去。守れなかった妹。その傷が、今、ようやく癒え始めている。


 俺は、何も言わなかった。ただ、彼女の隣に立った。


 茜が、腕を組んで空を見ていた。


 「あたしは——外で生き延びることしか考えてなかった。集団を失って、一人で生き延びて——それが全てだった」


 彼女の目が、俺を見た。


 「けれど、あんたに会って——変わった。生き延びるだけじゃなく、世界を変えることができるって——知った」


 俺は、三人を見回した。


 椿。栞。茜。


 外征で出会い、共に戦い、共に帰還した仲間たち。


 「……俺一人じゃ、何もできなかった」


 俺は、正直に言った。


 「お前たちがいたから——ここまで来れた。沈黙王に届いたのも——全員の力があったからだ」


 椿が、かすかに笑った。


 「分かっている。……だから、これからも一緒に戦う」


 茜が、肩をすくめた。


 「しょうがないな。あんたの背中、あたしが見ないと誰が見る」


 栞が、静かに微笑んだ。


 「わたしは——知識で、あなたを支えます。記録庫の全てを——あなたのために」



                   ◇



 階段を降りようとした時——奈々が、下から登ってきた。


 「あ」


 奈々が、俺たちを見つけて、足を止めた。


 「皆さん、ここにいたんですね」


 俺は、奈々に手を伸ばした。


 「こっちに来い。——見せたいものがある」


 奈々が、俺の腕を取った。


 俺は、彼女を壁の頂上に連れ出した。


 「見ろ」


 夜の国の空を指し示す。


 微かな輝きが、広がっている。


 奈々の目が、大きく見開かれた。


 「……光が」


 「ああ」


 俺は、奈々の掌に自分の掌を重ねた。


 「俺たちが——変えた」


 奈々の視界が、滲んだ。


 「綺麗……」


 彼女は、俺に寄り添った。


 「やっと——見られました。あなたと一緒に——夜明けの光を」


 俺は、奈々を抱き寄せた。


 椿と茜と栞が、俺たちを見守っていた。


 五人で——夜の国の空を見上げた。



                   ◇



 光が、じわじわと広がっていた。


 永遠の夜だったはずの空に、初めて差し込んだ光。


 俺たちが放った一撃の結果。全員の意志が束ねた、希望の楔。


 「ここから——始まる」


 俺は、奈々の掌を握ったまま言った。


 「夜は、もう永遠じゃない。一歩ずつ——世界は変わっていく。俺たちの子孫が、その変化を引き継ぐ」


 奈々が、俺を見上げた。


 「……子孫」


 彼女の頬が、赤く染まった。


 「……その」


 「?」


 「わたしたちの——子供も、ですか」


 俺の顔も、熱くなった。


 「……ああ。そうだ」


 奈々が、俺に寄り添った。


 「……楽しみです」


 小さな声で、彼女が言った。


 「あなたとの——未来が」



                   ◇



 壁の外に、初めて光が差していた。


 俺は奈々の掌を握り、仲間たちと共に、夜明けの空を見上げた。


 「ここから——始まるんだ」


 俺たちの夜は——ここから、明けていく。



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(第26話 了・本編完)

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