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第19話「峡谷」

底が見えなかった。


 岩窪みを出て、俺たちの前に広がっていたのは——夜の国を縦に裂く、巨大な峡谷だった。


 両側の崖は垂直に近く、どこまでも下へ下へと沈んでいく。火穴の光が遠く下方で赤く揺れているが、その光ですら谷底を照らすには足りない。漆黒の裂け目が、永遠に続いているように見えた。


「……これを、降りるのか」


 茜が唸るように言った。


 普段の虚勢がない。夜の国を独りで生き延びてきた狩人ですら、この光景には息を呑んでいる。


「迂回路は」


 椿が訊いた。


 茜は首を振った。


「ない。地図の記憶だと、この峡谷は何百里も東西に続いてる。迂回してたら、半月以上かかる」


 半月。

 その時間は、俺たちにはない。


 護符はゼロ。怪物は常に徘徊している。食料も水も限りがある。何より——俺の身体が、あと何日持つか分からなかった。


 背中の傷が、熱を持って疼いている。椿が処置してくれたおかげで化膿は止まったが、深く抉られた傷口は塞がりきっていない。折れかけた肋骨が息をするたびに軋む。脇腹の浅傷も、動くたびに痛みを訴えてくる。


 それでも——


「降りるぞ」


 迷う余地など、最初からなかった。



       ◇



 峡谷の縁に立って、俺は降下の段取りを考えた。


 七人の生存者。そのうち四人は歩行可能だが、残る三人——老兵と、中年の女と、十歳ほどの子供——は疲弊が激しく、自力での降下は困難だった。


「俺が先行する。足場を確認して、安全なルートを探す」


「待て」


 茜が口を挟んだ。


「あんたが先頭は駄目だ。怪物が出たらどうする。刃を振るえるのはあんただけだろ」


「だったら——」


「あたしが先行する」


 茜は腰の短弓を確かめながら、峡谷の縁に足をかけた。


「この手の地形は慣れてる。夜の国で十年以上生き延びてきたんだ。崖降りなんざ、数え切れないくらいやってきた」


 俺は一瞬、反論しかけた。けれど——茜の目を見て、やめた。


 あの目には、意地ではなく、経験に裏打ちされた自信があった。こういう時、素人が口を出すべきではない。


「分かった。頼む」


「任せな」


 茜は軽く顎を引くと、岩肌に手をかけて降り始めた。猫のように滑らかな動きで、危なげなく崖を下っていく。


 俺は奈々の手を握った。


「大丈夫か」


「……はい」


 奈々は頷いたが、顔が青白かった。

 昨夜はぐっすり眠れたはずだ。それでも、彼女の身体はまだ回復しきっていない。灯ノ塔で地脈を一人で支え続けた代償は、そう簡単には癒えない。


「無理はするな。危なくなったら、俺が抱えて降りる」


「……まだ自分の足で歩けなくて。でも——」


 奈々の瞳が、俺を真っ直ぐ見た。


「——諦めません。わたしも、一緒に行きます」


 その目には、昨夜語った覚悟があった。足手まといじゃなくて、一緒に歩きたいと言った——あの言葉が、今ここにある。


「ああ」


 俺は奈々の頬に触れた。


「一緒に行こう」



       ◇



 降下が始まった。


 茜が先頭で道を切り開き、俺が殿を務める。椿は生存者たちの中央で補助に回った。


 崖肌は予想以上に険しかった。


 湿った苔が岩を覆い、足を滑らせれば一瞬で奈落の底だ。得体の知れない粘液が岩壁に張り付いていて、掴むと指がずるりと滑る。地脈の熱が岩を温めているせいか、ところどころで蒸気が噴き出し、視界を遮った。


 最初の一時間で、俺たちは三百尺ほど降りた。


 それでも底は見えない。


「休憩だ」


 茜が声をかけた。


 ちょうど岩棚が突き出ている場所があった。十人ほどが座れる程度の広さ。俺たちは身体を寄せ合うように腰を下ろした。


 生存者たちの顔は、疲労で灰色に沈んでいた。老兵は膝を抱えて荒い息をつき、中年の女は壁にもたれて目を閉じている。子供は——母親らしき女の腕にしがみつきながら、小さく身体を震わせていた。


「水を」


 椿が水筒を回した。


 貴重な水だ。けれどここで節約しても意味がない。脱水で倒れれば、それこそ全員が終わる。


「あとどれくらいだ」


 俺は茜に訊いた。


「分からん。下からの光を見る限り、まだ半分も降りてない」


 半分。

 この調子では、底に着くまでに何時間かかるか分からなかった。


「怪物の気配は」


「今のところ、ない」


 茜は言いよどんだ。


「ただ……この峡谷、何か嫌な感じがする」


「嫌な感じ?」


「うまく言えない。けど、夜の国で長く生きてると、勘が働くようになるんだ。この場所は、普通の崖じゃない。何かが、棲んでる」


 俺は峡谷の闇を見下ろした。


 遠くで火穴が赤く燃えている。その光に照らされて、崖肌がぼんやりと浮かび上がっている。


 何も見えない。

 なのに——茜の言葉が、妙に胸に引っかかった。



       ◇



 休憩を終え、俺たちは再び降下を始めた。


 二時間目に入った頃だった。


 先頭の茜が、突然動きを止めた。


「……止まれ」


 低く鋭い声。


 俺たちは息を殺した。


 茜は崖肌に張り付いたまま、微動だにしない。その視線が、斜め下方——岩壁の窪みに固定されている。


「何か——」


「黙れ」


 これまで聞いたことのない緊張が、茜の声に滲んでいた。


 俺は奈々を背後に庇いながら、茜の視線を追った。


 最初は、何も分からなかった。

 闇と岩と、蒸気の靄。


 やがて——気づいた。


 岩壁の窪みに、何かがいる。


 最初は岩の模様だと思った。違う。それは動いていた。ゆっくりと、蠕動するように。


 巨大な、白い塊。


 直径は優に二十尺を超えていた。崖肌に張り付いて、まるで岩と一体化しているかのように見える。表面が波打っている。呼吸するように、膨らんだり縮んだりしている。


「……這うもの」


 茜が呟いた。


 俺の背筋に、冷たいものが走った。


 這うもの。

 茜の口からその名を聞いた瞬間、全身の毛が逆立った。暗き塔で戦った「巣の主」とは比較にならない。甲殻を持つ人型の怪物と、この蛞蝓のような白い塊。姿も大きさも桁が違う。


 これは——別種の恐怖だ。


「動くな」


 茜が囁いた。


「這うものは視力がない。音と振動で獲物を探る。このまま静かにしてれば、やり過ごせる」


 俺たちは息を殺した。


 時間が止まったように感じた。


 這うものは、俺たちのすぐ斜め下で、のっそりと蠕動を続けている。時折、頭部らしき部分から、白い触角のようなものが伸び出て、空気を探っている。


 あれに見つかれば——終わりだ。


 俺の右手が、無意識に刃を握りしめていた。


 あれを殺せるか?

 分からない。あの巨体を前に、俺の力がどこまで通用するか。


 戦うしかないなら、戦う。

 それしか、ない。



       ◇



 どれほどの時間が過ぎただろう。


 這うものは、やがてゆっくりと動き始めた。崖肌を這うように、俺たちとは反対方向へ——上へと登っていく。


 巨体が岩壁を擦る音が、かすかに響いた。


 俺たちは、呼吸を止めたまま、その姿が闇に消えるのを待った。


 やがて——完全に、見えなくなった。


「……行くぞ」


 茜の声が、わずかに掠れていた。


 俺たちは、声を出すことさえ恐れながら、再び降下を始めた。



       ◇



 三時間目。


 崖肌の傾斜が、少しだけ緩やかになった。

 俺たちは何とか、中腹まで降りてきたようだった。


 ここからが、地獄だった。


 最初の異変は、中年の女が足を滑らせた時だった。


 彼女は悲鳴を上げる間もなく、崖から落ちかけた。椿が反射的に手を伸ばし、かろうじて腕を掴んだ。その反動で、椿自身もバランスを崩した。


「椿!」


 叫んだ。

 けれど俺は殿にいた。すぐには届かない。


 椿は、歯を食いしばりながら、崖肌にしがみついた。片手で中年の女を引き上げながら、もう片方の手で岩を掴む。信じられない膂力だった。


 その時——


 老兵が、崩れた。


 疲労の限界を超えていたのだろう。彼は意識を失うように膝から崩れ、そのまま——岩棚から滑り落ちた。


「駄目だ——!」


 俺は手を伸ばした。

 届かなかった。


 老兵の身体は、スローモーションのように落ちていった。彼の目が、最後の瞬間、俺を見た気がした。


 諦めと——申し訳なさが、その目にあった。


 次の瞬間、彼は闇に呑まれた。


 悲鳴も、断末魔も、聞こえなかった。ただ——沈黙だけが、残った。



       ◇



 俺は、その場に立ち尽くした。


 また——


 前世の記憶が、閃いた。

 手を伸ばして、指先がすり抜ける感覚。届きそうで届かなかった、あの瞬間。

 守ろうとして、守れなくて。目の前で人が消えていく。


「動け」


 茜の声が、耳に届いた。


「今は動け。止まったら、全員死ぬ」


 分かっている。

 分かっているのに——足が、動かない。


 前世でも、こうだった。

 何度目だ。何度、こうして——


「真さん」


 奈々の声が、聞こえた。


 俺は振り向いた。


 奈々が、俺の手を握っていた。


「……行きましょう」


 彼女の声は細かった。彼女も、老兵の死を見ていた。怖くないはずがない。


 なのに——彼女は、俺を引っ張ろうとしていた。


「わたしたちは、まだ生きています。だから——」


 奈々の瞳が、俺を見つめていた。

 強い光があった。怯えているのに、俺を引き戻そうとしている。


「——進みましょう」


 その言葉が、俺の足を溶かした。


 そうだ。

 死んだ人は、戻らない。

 けれど——生きている人は、まだ守れる。


「……ああ」


 俺は奈々の手を握り返した。


「行こう」



       ◇



 降下は続いた。


 残る生存者は六人。俺たちを含めれば、十人。


 危機は、続いた。


 四時間目。


 崖肌から、突然、蛇が現れた。


 腕ほどの太さの、黒い蛇。岩の隙間から頭を出し、俺たちの前にいた子供に向かって、牙を剥いた。


 俺は反射的に刃を振るった。


 蛇の首が、宙を舞った。


 次の瞬間、別の場所から、また蛇が現れた。二匹、三匹。岩壁の至る所から、黒い鎌首がもたげる。


「この崖、蛇の巣だ……!」


 茜が叫んだ。


 俺は無我夢中で刃を振るった。一匹、二匹。椿も脇差を抜いて応戦する。茜は弓で蛇の頭を射抜いた。


 キリがない。


 岩壁の至る所から、蛇が這い出てくる。まるで、俺たちの存在を嗅ぎつけたかのように。


「早く降りろ!」


 茜が先導した。


 俺たちは半ば転がるように崖を降りた。安全確認など、している余裕はなかった。蛇から逃げることだけを考えて、ひたすら下へ、下へ。


 中年の女が悲鳴を上げた。足首に蛇が巻きついている。俺は手を伸ばし、刃で蛇を断ち切った。


 子供が泣いていた。母親が必死に子供を抱えて、崖を降りている。


 俺の背中の傷が、裂けた。熱い液体が背中を流れ落ちるのが分かった。止まれない。


「もう少しだ!」


 茜の声が聞こえた。


 下方に、広い岩棚が見えた。そこまで降りれば——少なくとも、蛇の巣穴からは離れられる。


 俺は最後の力を振り絞って、崖を降りた。



       ◇



 岩棚に辿り着いた時、俺は膝から崩れ落ちた。


 視界がぼやけていた。背中の傷からの出血が、予想以上に酷かったらしい。


「真!」


 椿の声が聞こえた。


 彼女は俺のそばに駆け寄り、素早く背中を確認した。


「傷が開いている。すぐに処置を——」


「後でいい」


「後じゃない、今だ」


 椿の声に、有無を言わせぬ力があった。


「全員、無事か」


「……老兵を除いて、全員」


 椿の声は、低かった。


 俺は頷いた。


 老兵の死は、俺の責任だ。もっと早く動いていれば。もっと注意していれば。


 今は、そのことを考えている場合ではなかった。


「あとどれくらいだ」


「半分は降りた」


 茜が答えた。


「ここからは傾斜が緩くなる。さっきみたいな蛇の巣はないはずだ」


「根拠は」


「勘だ」


 茜は疲れた顔で、かすかに笑った。


「でも、あたしの勘は外れたことがない」


 俺は茜を見た。


 彼女も、身体がもたないはずだった。先頭で道を切り開き、危険を真っ先に察知し、俺たちを導いてきた。その消耗は、俺以上かもしれない。


「……ありがとう」


 茜は一瞬、目を見開いた。それから——ぷいと顔を背けた。


「礼なんていらない。あんたに倒れられたら道を斬れる奴がいない。生き延びてもらわないと困る」


 言葉には棘があった。けれど、声色が柔らかかった。



       ◇



 椿が俺の傷を処置している間、茜は見張りに立った。


 奈々は俺のそばにいた。何も言わず、ただ俺の手を握っていた。


「……痛い?」


「大丈夫だ」


 嘘だった。背中が焼けるように痛い。けれど、奈々を心配させたくなかった。


「嘘」


 奈々は小さく呟いた。


「真さんは、いつも嘘をつく。痛くても、辛くても、大丈夫だって言う」


「……」


「でも——」


 奈々は俺の手を、両手で包み込んだ。


「わたしには、分かるんです。あなたが、どれだけ辛いか」


 喉の奥が詰まった。


「……お前こそ」


 声を絞り出した。


「お前こそ、辛いだろ。こんな状況で、無理して歩いて」


「無理なんか、していません」


 奈々は首を振った。


「だって、わたしは——」


 彼女の声が、わずかに震えた。


「——あなたと一緒に、歩いていられるから。だから、平気なんです」


 俺は奈々を見た。


 彼女の目は、澄んでいた。恐怖を抑え込んでいるのではなく——本当に、俺を信じているのだと分かった。


 その信頼が、重かった。

 同時に——その重さが、俺を支えていた。


 俺は奈々の手を、強く握り返した。


 言葉はいらなかった。



       ◇



 処置が終わり、俺たちは再び降下を始めた。


 茜の言った通り、そこからは傾斜が緩やかになった。蛇の気配もない。火穴の光が近づいてきて、視界も少しずつ明るくなっていった。


 五時間目。六時間目。


 俺たちは、黙々と降り続けた。


 会話はほとんどなかった。誰もが疲労の底にあり、余計な言葉を発する余裕がなかった。


 ただ——一歩、また一歩。


 それだけを、繰り返した。



       ◇



 七時間目の終わり頃だった。


 茜が、声を上げた。


「見えた」


 俺は顔を上げた。


 遠く下方に——地面が見えた。


 峡谷の底ではなかった。崖の途中から、横に伸びる道が続いている。岸辺の道だ。夜の国を横断する、数少ない通行可能なルート。


「あそこまで降りれば——」


 茜の声に、明らかな安堵があった。


「——一旦は安全だ」


 俺たちは最後の力を振り絞って、岸辺の道を目指した。



       ◇



 岸辺の道に降り立った時、全員がその場に崩れ落ちた。


 俺も例外ではなかった。膝をついて、荒い息をつく。背中の傷が、ずきずきと脈打っていた。


 生きている。


 全員ではない。老兵は失った。それでも——残る者は、全員生きている。


「……やった」


 茜が呟いた。


「降りた。本当に、降りた」


 椿は何も言わず、壁にもたれて目を閉じていた。彼女の隊服は汗と泥で汚れ、髪が乱れている。それでも——その姿は、どこか凛としていた。


 奈々は俺のそばに座り込んでいた。彼女も疲労の色が濃かったが——その目には、まだ光があった。


「真さん」


「ん」


「わたしたち——生き延びましたね」


 俺は頷いた。


「ああ。生き延びた」


 奈々は小さく微笑んだ。



       ◇



 しばらく休息を取った後、俺たちは周囲を確認した。


 岸辺の道は、思っていたより広かった。十人が並んで歩けるほどの幅がある。片側は峡谷の崖、もう片側は——川が流れていた。


 黒い水が、ゆっくりと流れている。地脈の熱で温められているのか、かすかに湯気が立っていた。


「この川、飲めるか」


 俺は茜に訊いた。


「試すな」


 茜は即答した。


「夜の国の水は、ほとんどが毒だ。見た目で分からない。飲んだ瞬間は何ともなくても、数時間後に内臓が溶ける」


 俺は水筒を確認した。まだ半分ほど残っている。節約すれば、もう一日は持つだろう。


「それより——」


 茜が言いかけた時だった。


 椿が、声を上げた。


「真。これを見ろ」


 俺は椿のところへ行った。


 彼女は崖肌を指さしていた。


 最初は、何のことか分からなかった。

 目を凝らすと、見えた。


 崖肌に、何かが刻まれている。


 風化して、ほとんど読めない。けれど——確かに、文字だった。


「これは——」


 俺は息を呑んだ。


 古い文字。終ノ塔の古文書で見たことがある書体。


 栞が言っていた——「旧き記録」と同じ文字だ。


「何が書いてある」


 茜が訊いた。


 俺は文字を追った。風化が激しく、半分以上は読めない。いくつかの単語だけが、辛うじて判別できた。


『——閉ざし——封じ——』


『——沈黙の——守護者——』


『——扉を——開く者——』


 断片的な言葉。それだけで、背筋が凍った。


「この峡谷は——」


 呟いた。


「——誰かが、意図的に造った」


 大斜面と同じだ。

 人工の痕跡。世界が閉じられた痕跡。


 けれど——この文字は、それ以上のことを示唆していた。


『沈黙の守護者』『扉を開く者』


 その言葉の意味を、俺はまだ理解できない。いずれ、理解しなければならない時が来る。


 それが、俺たちの運命だから。



       ◇



 俺は崖肌の文字から目を離し、仲間たちを見渡した。


 疲れ果てた顔が、並んでいた。

 それでも——誰一人、諦めてはいなかった。


 椿は腕を組み、静かに俺を見ていた。何も言わないが——その目は、「次はどうする」と問うていた。


 茜は短弓を確かめながら、周囲を警戒していた。狩人の本能が、休息中でも彼女を緊張させている。


 奈々は俺のそばにいた。小さな手が、俺の手を握っている。彼女は疲労で今にも倒れそうだったが——それでも、立っていた。


 生存者たちも、まだ生きていた。恐怖と疲労で顔が歪んでいるが——足は、まだ動いた。


 俺は深呼吸した。


 背中が痛い。肋骨が軋む。身体中が悲鳴を上げている。


 それでも——まだ、終わりじゃない。


「立て」


 声を出した。


「終ノ塔まで、あと何日かかるか分からない。けど——歩ける奴から歩け。俺が道を斬る」


 誰も、反論しなかった。


 俺たちは岸辺の道を歩き始めた。


 背後には、降りてきた峡谷が聳え立っている。その崖肌には、世界の真実の断片が刻まれている。


 俺はまだ、その意味を知らない。


 いつか、知る日が来る。


 その時まで——俺は、歩き続ける。



 奈々の手が、俺の手を握っている。


 その体温を感じながら、俺は前を向いた。


 峡谷を抜けた先には、さらなる闘いが待っている。


 それでも——俺たちは、まだ生きている。


 それだけで、十分だった。



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(第十九話 了)

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