邪馬台編 第三章 継がぬ者の決意
女王が身罷ったという報せは、夜半に届いた。
トヨメは、その報せを聞いた瞬間よりも、その後に訪れた静けさのほうを、長く覚えていることになる。長く神託の言葉を降ろし続けてきた声が、もうどこからも聞こえてこないという静けさだった。
葬礼は盛大に営まれた。大きな塚が築かれ、多くの奴婢が殉じたと、後々まで語り草になるほどだった。だが、塚が築かれている間にも、宮の内では既に、次を誰にするかという声が、抑えきれずに漏れ始めていた。
まず立ったのは、男王だった。
誰もが、それで収まると思っていた。だが、収まらなかった。国中がその男王に服さず、あちこちで兵が動き、殺し合いが起きた。トヨメは、その報せを一つ一つ聞くたびに、女王が生前に言っていた言葉を思い出していた。届かぬ今のうちに、この国の形を作らねばならぬ――女王が案じていたのは、外からの大国の影だけでなく、この国自身がまだ、一人の王を戴き続けるだけの形を持たぬことだったのだと、この時になって、トヨメはようやく悟った。
千余人が死んだ、と伝えられた。
その混乱を鎮めたのは、一人の少女だった。
卑弥呼の宗女、台与。まだ十三という年でありながら、女王に立てられると、それだけで国中の争いが噓のように鎮まった。トヨメには、その理由が分かる気がした。争っていた者たちは、誰も彼もが、あの女王の血を、あの女王の力を、もう一度求めていたのだ。台与という少女は、まだ何も成してはいない。ただその血が、あの女王に繋がっているというだけで、国を鎮める力を持っていた。
「トヨメ」
即位して間もない台与が、トヨメを呼んだ。まだあどけなさの残る声だった。
「そなたは、先の女王に長く仕えたと聞く」
「はい」
「私は、まだ何も知らぬ。神事の作法も、託宣の受け方も、国を治めるということが如何なることかも」
トヨメは、その言葉に、幼い日の自分を重ねた。かつて自分も、女王の前で何も分からぬまま座していた。今、目の前にいる少女は、あの日の自分によく似ていた。
「私に、教えてはくれぬか」
トヨメは、深く頭を下げた。
「畏まりました。この身にできる限りのことを」
「そなたが、私の代わりに王座に就くべきではないか、と言う者もあった」
その言葉に、トヨメは顔を上げた。台与の目には、恐れとも、試すような色ともつかぬものが浮かんでいた。
「トヨメという名は、先の女王がそなたに授けたものだと聞く。トヨとは、豊かさをもたらす者の名だとも。ならば、そなたこそが」
「畏れながら」
トヨメは、静かに、しかしはっきりと言葉を継いだ。
「トヨメとは、役目の名にございます。神の言葉を留め、王に伝える者の名。王そのものの名ではございませぬ」
「では、そなたは」
「私は、台与様のお側に仕え、覚え、伝える者でありとうございます。王座に就く器ではございませぬ」
それは、半ば本心であり、半ば選び取った道でもあった。王座に就けば、自分もまた、女王の代となる。女王の代となれば、神の言葉の裏にある本当の判断――情報を集め、読み解き、託宣という形に組み上げるあの仕事を、誰かに譲らねばならなくなる。トヨメは、その仕事を、まだ自分の手で続けていたかった。続けることでしか、この国の行く末を、自分の目で見届けることができないと、分かっていたからだ。
台与は、しばらくトヨメを見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「ならば、そなたの目で、この国を見ていてくれ。私が誤らぬように」
「畏まりました」
トヨメは、深く頭を下げながら、胸の内で静かに思った。
自分は王にはならない。だが、王の傍らで、この国がどこへ向かうのかを、最後まで見届ける者になる。それが、自分に授けられたトヨメという名の、本当の意味なのだと、この日、トヨメは初めて、自分自身でその名を選び直したのだった。




