呉編 第三章 夷洲
陸地が見えたとき、真っ先に声を上げたのは病人ではなく、まだ健やかな兵たちだった。
二十日近い航海の末に現れたのは、山々の連なる緑深い島だった。霜も雪も知らぬ土地なのだろう、この時季だというのに草木の色が濃い。諸葛直は舳先に立ち、その緑を指差して笑ったが、衛温は笑わなかった。船底では、すでに十数人が起き上がれずにいた。
上陸すると、土地の民が遠巻きにこちらを窺っていた。髪を短く剃り、耳朶に大きな穴を開けた男たちだった。武器は持っているが、それを構える様子はない。値踏みをするような、静かな目だった。
「言葉が通じませぬな」
諸葛直がそう言って、身振りだけで水と食料を求めた。土地の民の何人かが、警戒を解かぬまま、それでも案内するように歩き出した。
衛温はその後ろ姿を見ながら、詔書の文言を思い出していた。未知の地の民と交誼を結ぶべし。交誼というものが、言葉も通じぬ相手とどう結べるのか、この場に立つまで衛温には分からなかった。今も、分かってはいない。ただ、目の前の男たちが、こちらを恐れているのと同じだけ、こちらも彼らを恐れていることだけは分かった。
村に案内されると、粟や麦の畑が広がっていた。魚を捌く女たちがいて、子供たちが遠くから覗き見ていた。ここにはここの暮らしがあり、それは呉の暦とも、魏の年号とも関わりなく、ずっと続いてきたものなのだと、衛温は妙に静かな気持ちでそれを眺めた。
だが、その静けさは長くは続かなかった。
その晩、野営した兵の中から、また新たに発熱する者が出た。翌朝には、その数が倍になっていた。医師は匙を投げるように首を振るばかりで、薬の効きもはかばかしくない。土地の民に尋ねても、彼らにとってもこの病は見慣れぬものらしく、ただ困惑した顔をするだけだった。
「この地の毒気に中てられたのやもしれませぬ」
誰かがそう言った。誰も否定しなかった。否定できるだけの知識を、誰も持ち合わせていなかったからだ。
諸葛直は、それでも亶洲への航路を土地の民に尋ねようとした。身振りと、拾い集めた片言だけで、東の海の先に別の島があるかを問うた。民の一人が、遠い東の方角を指差し、それから首を横に振った。分からない、という仕草にも見えたし、行くな、という仕草にも見えた。
衛温はその両方の意味を、同じ重さで受け取った。
夜、病人の呻き声が絶えない野営地で、衛温は諸葛直に尋ねた。
「亶洲は、まだ先へ求めるおつもりか」
「詔にそうございます」
「詔は、この病のことまでは知らぬ」
諸葛直は答えなかった。答える代わりに、東の海の方角に目をやった。そこにあるはずの島は、まだ何も見えていなかった。




