第5話 奪われた命と、ポケットの中の試験管
第五話:奪われた命と、ポケットの中の試験管
半開きになったドアを押し開け、狭い玄関に足を踏み入れた瞬間だった。
湿った畳の匂いに混じって、見知らぬ男の脂汗のような匂いが鼻をつく。
薄暗い部屋の奥、俺の敷布団の上に、見覚えのない濡れたコートの男が立っていた。
「……誰だ、お前——」
声を上げきる前に、男が猛然と飛びかかってきた。
胸ぐらを掴まれ、狭い三畳間の壁に強く叩きつけられる。後頭部に走る激痛と恐怖で呼吸が止まり、俺は床にへたり込んだ。男は容赦なく俺を見下ろし、暴力を振るおうと拳を振り上げる。
その時だった。
「キャン、ッ!」
部屋の隅で小さくなっていたハルが、低い唸り声を上げて男の足元へ果敢に飛びかかったのは。
俺を庇おうと、あの小さな体で必死に男の裾に噛みついたのだ。
「……鬱陶しいな」
男の冷ややかな声が響いた次の瞬間——惨劇が起きた。
鈍い音と、ハルの短い悲鳴。
俺は金縛りに遭ったように、ただ目の前で起きた凄惨な光景を見つめていることしかできなかった。俺を助けようとしたばかりに、ハルはあっけなく命を奪われたのだ。
ハルを動かなくなった塊に変えた男は、俺を殺すでもなく、何かを盗むでもなく、ただ用が済んだとばかりに無言で俺を見下ろした。そして、あざ笑うかのような冷たい視線を一瞬残し、そのまま雨の降る闇の中へと姿を消した。
なぜ奴が侵入したのか、なぜハルを殺して去っていったのか、何も分からない。
嵐のように現れた男が去った後、静まり返った部屋に残されたのは、原形を留めないドロッとした肉塊と化したハルの遺骸だけだった。
悔しさと、己の無力さに対する惨めさ。そして言葉にならない愛着から、俺はそのハルの血肉を拾い集め、小さなガラスの試験管へと収めた。
胸ポケットに差したその冷たいガラスの感触だけが、俺の罪の象徴であり、ハルと俺を繋ぐ唯一の証だった。




