第4話『執着の理由と、甘い檻』
セドリック殿下たちが這々の体で王都へ逃げ帰ってから、数日が経った。
辺境の小さな屋敷には再び穏やかな時間が流れる――はずだったのだが、あの日を境に、アレクシス様の私に対する「溺愛」は、ますます歯止めが効かなくなっていた。
「シャーロット、今日はどこへ行く?」
「裏庭の薬草の剪定ですが……」
「そうか。では私も手伝おう。お前がハサミで指を怪我したら大変だ」
「いえ、これくらい一人でできますわ。伯爵閣下が草むしりなんてなさらないでください!」
公務の合間を縫うどころか、今や城の執務机を私の屋敷に持ち込むのではないかという勢いで、彼は毎日のようにやってくる。
かつて狂気と不眠に苦しみ、誰も近づけなかった「死にたがり悪魔」が、今では私の後ろを大きな犬のように付いて回っているのだ。彼の豹変ぶりに、最初は震えていた周囲の従者たちも、最近では「どうか主様のお願いを叶えてやってください」と言わんばかりの、どこか生温かい、懇願するような視線を私に送ってくるようになっていた。
だが、アレクシス様の執着は、単なる「命の恩人への感謝」という奇麗な枠を、とうに踏み越えていた。
「シャーロット、少し疲れた。お前のお茶が飲みたい」
「はいはい、今淹れますね」
「……それと、膝枕で飲ませてくれ」
「はい?」
さらりと要求される甘えのレベルが日増しに上がっていく。私が呆れて見つめると、彼は確信犯的な美貌を少しだけ歪めて、切なげに視線を落とすのだ。そんな顔をされたら、元医療関係者としても、一人の女性としても、強く拒絶することなどできるはずがなかった。
そんなある日の夜、北の辺境を激しい嵐が襲った。
窓を叩く凄まじい雨音と地鳴りのような雷鳴の中、当然のようにアレクシス様は私の屋敷に足止めされることとなった。
「今夜は危険だ。城に戻ることは諦めて、ここに泊まる」
「それは構いませんが……。では、ゲストルームへ案内いたしますね」
私がランプを手に取り、彼の前を歩こうとした、その時だった。
ぐい、と強い力で手首を引かれ、私の身体は宙に浮いた。
「アレクシス様……っ!?」
驚きで声を上げた次の瞬間には、私は柔らかいベッドの上に押し倒されていた。
視界が反転し、私の真上にアレクシス様の大きな体躯が覆いかぶさってくる。彼の濡れた漆黒の髪から、微かに香る安らぎのお茶の甘い香りが、一瞬で私の鼻腔を満たした。
逃げられないように両手首をベッドに縫い留められ、身動きが取れなくなる。
「アレクシス様、離れてください……! いくら何でも、このようなことは……」
「離さない」
暗闇の中、彼の一対の赤い瞳が、怪しく、そして熱く爛々と光っていた。いつも私に見せる従順な姿はどこへやら、そこにあるのは完全に、獲物を追いつめた肉食獣の眼差しだった。
「シャーロット。お前は私に『生きていてほしい』と言ったな」
「ええ、言いました。ですが、それは……っ」
「お前がいない世界なら、私は今でも死んだ方がマシだと思っている。お前が私に与えてくれたのは、ただの治療じゃない。生きる意味そのものだ」
彼の低い、地を這うような重苦しい言葉に、胸が詰まる。
家族に拒絶され、世界に呪われ、ただ死ぬためだけに息をしていた彼にとって、私の存在がどれほど肥大化してしまっているのか。その「重さ」が、肌を合わせることで痛いほど伝わってきた。
「お前がくれた光だ。お前がくれた温もりだ。……それなのに、お前が私を置いてどこかへ行こうとしたら、私は本当に狂ってしまう」
アレクシス様は拘束していた私の片手をそっと解くと、その大きな手の指先を、私の黄金色の髪に優しく絡ませた。そして、愛おしくて堪らないといった様子で、私の頬を何度も何度も愛撫する。
「あの王子がお前を連れ戻そうと腕を伸ばした時、私の心臓は怒りと嫉妬で張り裂けそうだった。……お前を今すぐ、世界の誰の目にも触れない秘密の場所に閉じ込めたいと、本気で思った」
「アレクシス様……」
彼の告白は、あまりにも独占欲に満ちていて、監禁一歩手前の危うさを孕んでいた。重すぎる、歪んでいると拒絶すべきなのかもしれない。
けれど――。
「……怖いか? 私のような、壊れた男に固執されて」
私の髪を撫でる彼の声が、微かに震えていた。
自信なさげに長い睫毛を伏せ、私の反応を恐れるように見つめるその姿は、まるで大好きな母親に見捨てられるのを怯える子供のようだった。
世界の全てを滅ぼせるほどの力を持つ男が、私の拒絶一つで、今にも壊れてしまいそうなほど深く傷ついている。
私は小さく深いため息をつくと、拘束されていたもう片方の手を伸ばし、彼の広い首元にそっと両腕を回した。
「怖くなんてありませんわ。……ただ、少し驚いただけです」
「シャーロット……」
「私は逃げたりしません。あなたの『死にたがり』を治すと、あの雨の日に決めたのですから。……でも、閉じ込めるのだけは反対です。私には、明日も大切なお茶の葉の手入れがありますからね」
少し冗談めかして微笑むと、アレクシス様は呆れたように、そして酷く愛おしそうにふっと目を細めた。
「本当にお前という女は……。私の絶望も、狂気も、全てお茶一杯と、その微笑みだけで溶かしてしまう」
彼は静かに顔を下げると、私の額に、そして震えるまぶたに、羽毛が触れるような優しいキスを落とした。
「愛している、シャーロット。私に生の意味をくれた、私の唯一の聖女」
そして、最後に唇へと降ってきた熱い接吻に、私の頭の中は真っ白になった。
前世でも今世でも、まともな恋愛など知らなかった私が、この「死にたがり悪魔」の深すぎる愛の檻に、完全に囚われてしまったことを悟った瞬間だった。
激しい嵐の夜、私たちは互いの体温を確かめ合うように、何度も唇を重ねた。
しかし、その甘く幸福な時間を引き裂くように、数日後、王都から私たちの元へ「最悪の不穏な知らせ」が届くことになる。
セドリック殿下が、私を「悪徳な魔女」として国家反逆の罪で捕らえるべく、動き出したというのだ。




