第3話『再会と、迫りくる影』
「まあ……こんな惨めな田舎暮らしをなさっていたのね。可哀想に」
我が物顔で屋敷に上がり込んできたミリアは、泥のついたブーツのまま、私の大切な調合室を小汚いものでも見るような目で見回した。
黄金色の髪を揺らし、これ見よがしにため息をつく彼女の背後には、いかにも不機嫌そうに腕を組んだ元婚約者、セドリック殿下の姿もある。王都から馬車を飛ばしてきたのだろうが、辺境の悪路に揉まれたせいか、その自慢の衣装は薄汚れてヨレヨレになっていた。
「……何の用ですか、殿下。私とあなた方の縁は、半年前に完全に切れたはずですが」
私は手にしていたハーブの選別作業を止め、冷ややかに問い詰めた。紅茶の一杯すら出す気はない。
すると、セドリック殿下は偉そうに胸を張り、信じられない言葉を口にした。
「シャーロット、お前の罪を許してやろうと思ってな。ありがたく思え。さあ、王都に戻れ」
「はい?」
あまりの理不尽さに、思わず素の声を上げてしまった。セドリック殿下は私が感激のあまり呆然としていると勘違いしたのか、ニヤリと下品な笑みを浮かべる。
「お前が去った後、王宮の薬草園は全滅し、我が国の外交で使っていた特製のお茶も全てダメになった。お前が裏で手を回し、嫌がらせのために細工をしていったのだろう? だが、これ以上我が国に不利益をもたらさぬと誓い、その調合技術を全て王室に捧げるというのなら、特別に私の『側室』として城に戻ることを許可してやる」
(……この男、頭の調合でも間違えたのかしら?)
眩暈がするほどの身勝手さに、私は怒りを通り越して哀れみすら覚えた。
私が去ったことで業務が滞ったのは、嫌がらせでも何でもない。単に、これまで私が一人でこなしていた膨大な薬草管理や調合の手順を、誰も引き継げなかっただけだ。それを「私が裏で手回しをした」と決めつけ、あろうことか側室として都合よく回収しようとしている。
ミリアもまた、私が開発した薬草茶のレシピを奪う気満々の様子で、私を値踏みするように睨みつけていた。
「お断りいたします。私は現在の自由な暮らしに満足しておりますので。どうぞ王都へお帰りください」
「な、何だと……!? 口生意気な! 王族の命を拒否する気か! 婚約破棄されて行き着く先もない貴様のような悪逆非道な女を、慈悲深く引き取ってやると言っているのだぞ!」
セドリック殿下が激昂し、顔を真っ赤にして私の腕を強引に掴もうと手を伸ばした――その時だった。
「――その汚い手を引っ込めろ、愚か者が」
凍てつくような声とともに、室内の温度が急激に下がった。本当に、床に置いた水が凍りつくのではないかと思うほどの冷気だ。
空気が軋むほどの圧倒的な魔力を纏い、奥の執務室から現れたのは、アレクシス様だった。その姿は、いつも私に見せるような、お茶をねだって甘える穏やかなものではなかった。「死にたがり悪魔」と世界から恐れられた、冷酷無比な貴公子そのものの覇気を放っている。
「あ、アレクシス・ヴァルハイト伯爵……!? なぜ、なぜこのような辺境のあばら家に貴様がいる……!」
セドリック殿下が、幽霊でも見たかのように顔を青くして後ずさりした。
アレクシス様は冷酷な笑みを浮かべ、音もなく私と殿下の間に割って入った。そして、ごく自然な、しかし絶対的な独占欲を示す動作で私を後ろに庇うと、私の腰をぐっと引き寄せた。
「私の大切な調合師に、気安く触れようとするな」
「た、大切だと!? ヴァルハイト伯爵、騙されるな! その女は妬み深く、他人の手柄を奪い、人を陥れる悪女だぞ!」
必死に叫ぶセドリック殿下に対し、アレクシス様の赤い瞳が凶暴な光を帯びた。彼の身体から、陽炎のような禍々しい黒い霧が立ち上り始める。
「悪女、か。……シャーロットが私に与えてくれた救いを、お前たちのような愚者に理解できるはずもないな」
アレクシス様の一歩が、床を鳴らす。その拍子に、部屋中の家具がガタガタと震え出した。彼の暴走しかけた魔力が、室内を支配していく。
「これ以上、私の聖女を不快にさせるなら、王族だろうと容赦はしない。このヴァルハイトの領地から、生きて二度と出られなくしてやろうか?」
「ヒッ……、あ、あああ……っ!」
本気の殺気を真正面から浴びせられ、セドリック殿下とミリアは、悲鳴を上げて腰を抜かした。ミリアにいたっては、恐怖のあまり涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「お、覚えていろよ! このような不敬、絶対に許さんからな!」
セドリック殿下は、辛うじて立ち上がるとミリアの腕を引っ張り、逃げるように屋敷を飛び出していった。外からは、彼らが乗ってきた馬車が、狂ったように馬を走らせて去っていく音が聞こえた。
嵐が去ったように静まり返った室内で、私は大きくほっと息を吐いた。
「助かりました、アレクシス様。絶妙なタイミングでしたわ」
「……シャーロット」
振り返ると、アレクシス様は先ほどの冷酷さが嘘のように、ひどく不安げな、まるで捨てられた捨て犬のような表情で私を見つめていた。しかし、その手は未だに、私の腰を壊れ物を扱うように強く抱きしめたままだ。
「あんな男のところへ……王都へ、戻ってしまうのか?」
「まさか。戻るわけがないでしょう」
「本当か? 私を捨てて、あんな奴の元へ行ったりしないか? 私はお前がいなければ、またあの暗闇に戻ってしまう……」
大人の男とは思えないほど、情けない声で縋ってくる。先ほど王太子を脅しつけた「悪魔」と同一人物とはとても思えない。
「行きません、絶対に。私には、ここでの暮らしがありますし、何より――アレクシス様にお茶を淹れる大切な仕事がありますから」
私が困ったように微笑むと、アレクシス様は感極まったように、私の肩に頭を埋めてぎゅうっと強く抱きしめてきた。
「良かった……。もしお前が去るというなら、あの国ごと潰してでも、お前をここに引き留めるところだった」
(……えっ。今、さらっと恐ろしいこと言わなかった!?)
国を滅ぼすという不穏なワードが聞こえた気がしたが、彼の身体の心地よい温もりに包まれているうちに、私の胸の奥もじんわりと温かくなっていくのを感じていた。
元婚約者たちが立ち去ってから、数日。
私たちの生活は一見すると穏やかさを取り戻したように見えたが、セドリック殿下の来襲をキッカケに、アレクシス様の「執着」と「溺愛」は、ますますブレーキが壊れたようにエスカレートしていくことになるのだった。




