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カゴノトリ ―Another Sky―  作者: 灯夜 雪
第七章 過去の記録

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第85話 身勝手な決意

──闇魔法医療科カゴノトリ病棟内。


病院内はざわめきに包まれていた。

消毒液の匂いと、足音、医師たちの短い指示の声。


その中で、俺は左足をギプスで固定し、長椅子に腰を下ろしたまま大きく息を吐いた。


「ほれ、これでも飲むのじゃ」


横から差し出された紙コップに入った温かなお茶。

揺れる湯気を見つめながら、アクアの手からそれを受け取り、俺は小さく礼を言った。


「ありがと、アクア。……ミカエル様は?」


「闇に飲まれたと聞いておったが、問題ない。

今は呑気に眠っておる。

おぬしの見解通り、聖明が闇を吸収して守ったのだろう。

人騒がせな大天使じゃ!

それより……そっちはどうなんじゃ」


俺は深呼吸をしてから、現状報告を始めた。


「俺は大した事ない。

それよりも他だ……聖明は瑠璃ちゃんの封印魔法で暴走は止まった。

まだどうなるかわからないから封印されたままだ。

簡易的な封印だから……今はラファエル様が様子を見てる。


瑠璃ちゃんは聖明の闇に触れちまった。

他の堕天使が治療にあたってるけど、進行を食い止めるのが精一杯だ。


セレスは……身体のあちこちに酷い闇魔法を受けて侵食が深刻だ。

特に……右目が酷い。

脳に達するのは時間の問題だって。


そう長くは保たない……」


自分で言っていて、心がぐちゃぐちゃになりそうだった。

俺を庇ったせいで──セレスが死ぬ。


「……そうか」


アクアの声は低く沈む。

俺はアクアを見ることもできず、視線を膝に落とし、指先を強く握った。


「……どうしてこうなっちまったのかな。

俺、何もできなかった。

ただでさえ、みんなと違って俺は魔力が少ないし、戦闘はできねえ。


やれることをしようって……。

魔法が苦手なやつでも、使えないやつでも、魔法が使える道具を作って……それで少しでも役に立とうって。


でも──実際はどうだ。


聖明を苦しめる道具になり、実験では大活躍。

俺が開発してなければ、こんなことには──」


その瞬間、頬に鋭い衝撃が走った。

反射的に顔を上げると、アクアの瞳が涙に滲んでいる。


「おぬしのせいじゃない!思い上がるな!!!」


アクアの声が院内の雑音を押し退けた。


「皆、それぞれ頑張ったんじゃ!

今回は悪いことが重なってしまっただけじゃ!


……過去を嘆いても進まぬ。

今こそ顔を上げて、いつも通りアホ面を見せるのじゃ!

でなければ……誰が笑顔を振りまいてくれるのよ……龍」


呆然としてしまった。

俺は呼吸を整え、アクアの額に自分の額をそっと合わせた。


「……ごめん」


短い謝罪に、アクアは涙を堪えたまま頷いた。

アクアがいなかったら俺……きっとここで完全に折れていた。


「二人とも。ここにいたんですね」


落ち着いた声が廊下に響く。

視線を向ければ、瑠璃ちゃんを伴ったラファエル様が立っていた。


瑠璃ちゃんの手足には闇の刻印が痛々しく浮き出ている。

俺は思わず目を細ませてしまう。


「あなたたちに話があります。

セレスにも聞いておいてほしい話です。

アクア、龍。一緒にセレスの部屋に行きましょう」


俺とアクアは顔を見合わせた後、頷いた。



◆◆◆



病室の扉を開けた瞬間、薬品と消毒液の匂いが鼻を掠めた。


部屋の奥では、セレスがベッドに横たわり、開いた窓からは冬の冷気が入り込みカーテンを揺らす。


彼は白い息を吐き、外を見ながらも、片手で本を掲げていた。


右目には、闇で形作られた赤い薔薇の蕾。

それは不気味な輝きを宿し、根を下ろしていた。


セレスは残った青い左目で俺たちを見ると、窓を閉め、苦笑する。


「揃いも揃って時化(しけ)た面を見せに来たのかよ」


乾いた声に、ラファエル様でさえ小さく肩をすくめる。


「あなたはいつも通りですね」


「まあな。死ぬって言われても実感がない。

それなら読みかけの本くらいは片付けとこうと思ってな。

気になることを残しとくのは性に合わないんだよ」


手元の本は、聖明と日常的に読み進めていた魂契約に関する書物だった。

口論混じりにページを捲る二人の姿が、脳裏に蘇る。


瑠璃ちゃんは耐え切れない様子で、セレスの手を取った。


「……セレスさん」


ぽたり、セレスの手に涙が零れ落ちる。


「気にすんな。運が悪かっただけだ」


セレスは目を細め、口角をわずかに上げる。


「その涙は聖明に取っておけ。

今度話す時、思い切り怒ってやれ。

それで──最後には笑ってやれ……それが俺の最期の願いだ」


「……うん」


まるで、これが最後の別れのように話す。

勘弁してくれ。

いつものように怒鳴って、俺を殴ってくれよ。


「で?話があるから集まったんだろ?」


セレスは俺の気持ちを鼻で笑うように、普段のように切り替え尋ねる。

その言葉に応じるようにラファエル様が話し始める。


「そうですね。

何から話しましょうか……とりあえず悪魔教徒の件からですね」


ラファエル様の声音は淡々としていた。


「彼らは全員の死亡を確認しました。

──と言っても、死体の原型が残っている分だけですが。


大半が聖明の闇に飲み込まれて消えてしまいましたからね。


施設の崩落に関しましては、表向きには『建設中の施設に天然ガスが発生・引火し崩落した』ということになっています。


実際には、闇が残留した危険地帯になってしまいましたので、秘密裏に浄化作業を進めています」


セレスは顎に手を当て、少し考えた後に質問をする。


「悪魔教徒の残党は?」


「それは何とも。

……あの場にいた者は全員死亡。

エクソシスト内で活動していたと思われる者も行方不明です。

現場からは闇のマナが凝縮された瓶を幾つか押収しましたが、出処は不明。

諜報員を動かしていますが、これ以上の手掛かりは期待できないでしょう」


エクソシスト内部にいた悪魔教徒の犯行だ。

しかも、悪魔教徒はミカエル様直属の堕天使実験科学班に潜伏していた。


しかも、今回ミカエル様は大天使の誓約を無視して、直接、聖明に手を出そうとした。

どんな形であれ、最高責任者としてミカエル様が責任を取る形になる。


「……ミカエル様はどうなるんですか?」


俺は恐る恐るラファエル様に尋ねる。


「ミカエルは誓約に違反し、聖明に手を出しました。

結果がどうであれ、それ相応の罰を受けてもらいます。


暫くは謹慎ですが、事態が収まった暁には馬車馬(ばしゃうま)のように働いてもらいます。


具体的な罰は聖明が目覚めた後に決めてもらいましょう。

ミカエルの件については、聖明が一番の被害者ですからね。

我儘の一つや二つは聞き入れるべきです。


まあ、それ以上の罰は正直、難しいですね。

表に出せない案件でもありますからね。


因みにミカエルが倒れている間は、私とガブリエルが軍事を担います」


俺はそれを聞いて少しホッとしてしまう。

聖明やセレスだけでなく、ミカエル様にまで何かあれば俺は……。


「ラファエル父様。

約束していただいてた聖明の実験についてご説明ください」


アクアの声が一段低くなる。

そう言えば……堕天使実験についての問題が残っていたんだった。


ラファエル様は表情を崩さず、静かに頷いた。


「……そうですね。あなたたちには知る権利がある」


ラファエル様は指を二本立て、すっと下ろした。

空気が張り詰め、部屋の外界との気配が断ち切られる。


「結界を張りました。

これから話すことは国家機密になります。

辛い話になりますが……覚悟はいいですか?」


瑠璃ちゃんは震える手をぎゅっと握りしめ、黙って頷く。

セレスは鼻で笑い、悪態をついた。


俺は──ただ黙って聞くしかなかった。


「まずは瑠璃の話からです」


ラファエル様は視線を瑠璃ちゃんに向ける。


「瑠璃。

あなたは天使の中でも稀有な存在。

光のマナに愛された神の愛子。

我々はそれを──『エクスシア』と呼んでいます」


「……エクスシア」


俺は持っていた松葉杖を病室内にあるソファに立て掛け、壁を背に体重を預ける。


後で聖明が怒るだろうな。

そんなことを考えている間は……まだ笑っていられたのに。


「エクスシアは、大天使よりも光のマナに愛され、膨大な魔力量を持つ存在です。

その反面、闇に極端に弱い。


瑠璃、あなたは少しの闇に触れるだけでも死に至るほど闇に耐性がないのです」


「え……そん、な……」


瑠璃ちゃんはショックを受け、後退る。

そして、セレスのベッドに引っ掛かり、そのまま座ってしまう。


「今、あなたの手や身体に闇の刻印が浮かんでいます。

普通の天使であれば堕天使の治療で完治が可能です。


しかし──エクスシアは違う。

一度入り込めば汚染し、侵食し、やがて死に至る。


どれだけ闇のない環境に置いても……心の闇は避けられない。

特に思春期という多感な時期は、心に闇を抱きやすく、その闇は猛毒となる。


だからエクスシアは短命で──長くて二十歳前後で命を落とします」


瑠璃ちゃんが声も出せず震えていると、セレスが安心させるように彼女の背を撫でる。

そのお陰か、瑠璃ちゃんは少し落ち着いたようで、自身で深呼吸を繰り返している。


その様子を横目に、ラファエル様は話を続けた。


「しかし、それを是としない人物がいました。

それが──あなたのお兄さんですよ」


ラファエル様の声がわずかに柔らぐ。


「聖明は堕天使としての特性と自身の能力を生かし、瑠璃の闇を自身で引き受け、彼女の命を延ばすことを選びました。


そのお陰か、絶対に無理とまで言われていた日常生活をあなたは今まで過ごしてきました。


普通の人と同じように学院に通い、人と触れ合い、健やかに育つことができた。


エクスシアが普通に生活できる可能性を示した。

──初めての例なんです」


その言葉を聞いて、瑠璃ちゃんは自身の口元を両手で覆い、涙を流した。


「兄さん……っ」


しかし、アクアは鋭い目付きでラファエル様を見上げ、続きを急かした。


「ラファエル父様。

それで、どうして実験などという話に繋がるのじゃ?」


娘の威圧的な態度に流石のラファエル様もたじろぎ、声が揺れる。


「アクア……あまり急かさないでおくれ。

……聖明の成したことは間違いなく偉業です。


しかし、エクスシアはこの国にとっても貴重な存在。


エクスシアがいる土地は浄化され、豊かになり、生き物は調和の取れたマナで生きる。

現在、瑠璃を含めて三人──魔法都市に存在します。


しかし、悪魔に狙われ続けるこの土地で、平穏を保つにはギリギリの人数です。


大魔導師の結界で外部からの攻撃や侵入を防ぎ、エクスシアの浄化によって土地と生活を豊かにする。

同時に、悪魔や魔人・魔物など闇の力を持つ者が内部へ侵入した場合、その力を弱体化させる。


それによって魔法都市の数多の民を守っているのです」


ラファエル様は短く息をつく。

そして、カーテンの隙間から外を見るように遠い目をした。


「そんな貴重なエクスシアである瑠璃を普通の生活に置くことに、魔法都市は渋った。


私たち大天使は魔法都市を統治する立場であっても、実際はエクソシストの上層部の総意が最終的に国を動かしています。

大天使である私たちはあまりに発言力が強く、力の均衡を崩しかねないため、自らに誓約を課しているのです。


そのため我々、大天使の一存では簡単に許可をすることができなかった。

そこで──幼き聖明は魔法都市に対してとんでもない提案をしました。


──『私の身体を使って好きなだけ実験するといい』と」


その言葉に病室内は静まり返った。

瑠璃ちゃんとアクアは驚いた表情で固まり、俺とセレスは俯いた。


「私は驚きのあまり、その場で怒鳴ってしまいました


堕天使の不老不死の身体。

天使でありながら闇を操る力。

どう考えても、人の欲を刺激するには十分過ぎる存在です。


しかし──私は守ることはできませんでした。

エクソシスト上層部が、民が、聖明を望んだからです。


結果、大天使と聖明の間で誓約が結ばれた。

瑠璃を普通の生活の中に置く代わりに、聖明が瑠璃の闇を肩代わりし続ける。

そして、その経過も含めた検体として、身体を差し出す。

──という非人道的な誓約です。


誓約により、前提条件が崩れない限り、強制力が働きます。

それをいいことに闇の対策、兵器化、不死の獲得、死の恐怖からの逃避……あらゆる欲望が、聖明の身体へ注がれた。


私は見ていられず、私ができる範囲で医療に関する部署を全て私の管轄下に置き、カゴノトリを私の加護下に置きました。

それで、少しでも牽制できれば……と。


しかし、人の欲は想像以上に終わりがない。

『堕天使実験』は秘密裏に行われ続けた。


そして、聖明もまた、それを是とし、その身を捧げてきました」


ラファエル様は顔を上げ、俺たち一人一人に目配せをする。


「聖明は自らの意志で、己を差し出し、全てを守る決意をしたんです。

それが──そんな地獄であろうとも……」


「兄さ……そんな……っ、兄さん……っ」


瑠璃ちゃんは声を押し殺し、ただ涙をポロポロと流していた。

それを横目に、皆がそれぞれ視線を逸らす。


全部じゃないとは言え、聖明が苦しんでいることは皆知っていた。


でも……誰一人、聖明を助けることはできなかった。

俺に至っては堕天使実験を黙認し続けた加害者側だ。


あいつがボロボロになっていることを知りながら放置し続けた結果が──今回の騒動だ。


聖明が悪魔教徒の手に落ち、暴走をした末、パートナーを死に追いやり、聖明が全てを賭けてまで守ろうとした瑠璃ちゃんさえ、今は命の危機を迎えている。


その証拠に……瑠璃ちゃんの手足には闇の刻印が蠢き、その身を緩やかに蝕んでいる。


「一気に話し過ぎてしまいましたね。

一旦、ここで休憩しましょう。

それぞれ休んでください。──それではまた」


ラファエル様は疲れた笑顔を見せ、俺たち全員に気を使うように部屋を後にした。


ラファエル様が去ったあと、残ったのは沈黙だけだった。

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