第84話 堕天使の暴走
──対闇特化の幽閉施設内。
闇夜に紛れて施設へ潜入し、静かに内部を進んでいく俺と龍。
外の全ての出入り口は部下に見張らせている。
「……龍。この奥で良いのか?」
俺は壁に背を付け、角の向こうを確認しながら龍に尋ねる。
「ああ、間違いない。その先に実験室がある。
ここの施設について調べたんだが……予定よりも早く機材がすべて搬入されていた。
その上、建設がほぼ終わっている施設に、昨日まで頻繁に人の出入りがあったのも確認できた。
これらは俺の許可も通さず行われている」
龍はそう話しながら手元で魔導機構の電子パネルを展開し、情報を閲覧しながら精査している。
俺は周辺を警戒しながら施設を見る。
無機質な造りの廊下と壁。
所々に魔導機構から発される淡い光が廊下をほんのり照らす。
施設の大半は地下にあり、窓など存在しない冷たい場所だ。
こんな場所に聖明が囚われていると思うだけで気持ちが逸る。
「……分かった。このまま奥に進むぞ。
お前は非戦闘員だ。俺の後ろから離れるなよ」
「ああ、分かってる」
俺は気持ちをどうにか落ち着けながら、自身と龍に魔法を展開し続ける。
防音魔法で物音を消し、誤認魔法で他者からの視覚を歪ませ姿を消しながら進む。
「──待て!」
進んだ先で、違和感を覚え、慌てて龍に合図を送る。
「……どうした?」
俺は息を呑み、目の前の『死体』を見下ろした。
黒色のフードを身に纏い、如何にも悪魔教徒という服装をした人物。
彼には外傷もなく、血を流した様子もない。
ただ──死体の周辺には仄かに光る真っ赤な薔薇が咲き誇っていた。
「……聖明だな」
「げ!死体じゃねーか!」
龍は一気に青褪め、ドン引きした顔をする。
まあ、龍は諜報機関・最高責任者とはいえ現場に出ることはほぼ無い。
こいつの強みは、その頭脳と記憶力にある。
「……薔薇からは闇の気配がする。下手に触るなよ。
聖明のことだから無差別に殺すようなことはしないだろうが、念のためだ」
「ひいい……分かった……っ」
俺たちは死体を避けながら目的の部屋の前まで来る。
重苦しい両開きの扉。
どう見ても魔導機構管理の厳重な扉だ。
触れてみるが反応がない。
「おい、龍」
「ちょっと待ってくれ!システムが書き換えられてるんだよ!
今すぐ解除するから──」
俺は苛立ち光の剣を顕現させる。
「げ!せ、セレス!待て──」
龍の声なんて無視して扉を一気に斬り裂いた。
ガラガラと音を立て扉が壊れる。
「ああああ!俺の開発した魔導機構『ラスボスの門』が!」
龍の言葉に余計に苛つき舌打ちをする。
「何だ、そのダサい名前は。もう少しマシな扉を作れ」
「酷い〜……」
俺は手に剣を持ったまま、龍を無視して奥に進む。
「あ、待てって!」
暫く進むと廊下の足元は薔薇で埋め尽くされ、広い空間に出る。
「──っ!」
強い風が吹き、目を瞑ってしまう。
細目でどうにか前を見て、俺は目を疑った。
ドーム状に広がる天井を埋め尽くす魔導機構や光る管。
ドームの一部はガラス張りなのか、魔導機構の隙間からは月明かりが差し込んでいるようだった。
そして、壁にも管は張り巡らされ、無機質な光が空間を仄かに照らし不思議な空間を作り出している。
足元は闇の気配を纏った赤い薔薇が一面に咲き乱れ、幾つもの死体が転がっている。
そして──中央には苦しそうに呻くミカエルを中心に闇が吹き荒れ、白いワンピースを身に纏った聖明が、ミカエルの手を取っていた。
──いったい、どういう状況なんだ!?
俺は彼女の名を精一杯叫ぶ。
「聖明!!!」
聖明が俺に気付いて、こちらを向いた。
頬を緩ませ、泣きそうな顔で微笑んだ。
良かった。無事で──。
そう思った瞬間だった。
「聖明様こそ大悪魔の母になるお方だ!!!」
見知らぬ男が叫び聖明の首に鋭い閃光が走った。
「…………は?」
まるで世界が止まったように感じた。
聖明の首が宙を舞い、薔薇の花びらのような鮮血を撒き散らし地面に落ちた。
「──聖明!!!!!」
俺が叫ぶ頃には首からは赤黒い液体が止めどなく流れ、床を染めていく。
ミカエルは聖明の血を浴びながら、動くこともできない様子で呻いている。
「あははははは!聖明様!聖明様!」
聖明の首を刎ねた男は狂ったように笑いながら、恍惚とした顔で両手を広げた。
「あああ!私の美しい堕天し──」
その言葉を遮ったのは、鋭い茨の雨だった。
無数の赤黒い棘が地面から豪雨のような勢いで噴き上がり、一瞬で狂った男の身体を切り刻み、断末魔と共に崩れ落ちる。
あまりに残酷な現実に龍は思わず口を押さえ、俺は息を詰まらせた。
聖明の首から溢れた液体が形を変え、茨の群れとなって蠢く。
中心に座すのは、聖明の身体。
「何だ……これは……」
俺が言葉を漏らした時、ミカエルが這うように聖明の首の傍まで寄り、その頭を大切そうに抱える。
そして──確かにミカエルがこう囁いたんだ。
「お前だけを闇に飲み込ませないよ。聖明」
刹那、聖明とミカエルを闇の波が飲み込んだ。
「聖明!ミカエル様!!!」
龍が焦って前に出ようとする。
俺は咄嗟に龍の身体を全身で受け止め、動きを封じる。
「待て!!!あんな闇に触れたら死ぬぞ!!!」
闇の波は徐々に真っ黒な球体になり、宙に浮かぶ。
その球体がドクンドクンと脈を打った。
俺は息を呑み、見たこともない光景をただ見るしかなかった。
そして──その時に俺はやっと気付いた。
球体の更に奥。
俺たちがいる場所と反対側の壁に真っ白な女性が立っていた。
「……誰だ……?」
目元から頭に掛け、大きな赤い薔薇に覆われ、陶器のように白い肌と髪は現実味のない幽霊のようにさえ見えた。
彼女は優雅に両手を広げた。
彼女の存在を主張するように月明かりが彼女を照らし、その唇が艶やかに動く。
「──ヴァイオリンソナタ、ト短調《悪魔のトリル》」
「は?」
刹那、球体がピシッと音を立て割れ始める。
嫌な予感がして俺は光の剣を構える。
「龍!逃げる準備をしろ……!」
「で、でも!ミカエル様まで!」
「分かっている!それでもだ!」
球体がガラガラと音を立て壊れていく。
まるで卵から雛が生まれるように、真っ黒な翼が姿を見せた。
「……聖明」
大きな翼がゆっくりと開き、中にいた聖明の姿が現れる。
彼女はまるで人形のような表情と虚ろな瞳をしており、どう考えても普通ではない。
その上、身体中に闇の刻印が蠢き、闇で生成されたと思われる真っ黒な衣装を身に纏い、黒く長い髪を靡かせている。
その姿はまるで夜を司る女神にも見える。
そんな彼女の腕には、一緒に飲み込まれたはずのミカエルを抱えていた。
不思議なことに先程まで闇にまみれていたミカエルは一切の闇の侵食を受けておらず、気を失った状態だ。
彼女は虚ろな目で抱えているミカエルを見ると、興味がなさそうに床に落とした。
「ミカエル様!」
「落ち着け!ミカエルは平気だ!」
龍にとってミカエルは育ての親だ。
いつものように冷静でいられないのは仕方がない。
逆に言えば、龍のお陰で俺はまだ冷静でいられる。
聖明が人形のような無感情な表情のまま、首を傾げ、右手を上げた。
刹那、聖明を起点に空中に幾百もの闇の剣が現れる。
──マズイ!
聖明から一斉に放たれた幾百の闇の剣は、四方八方に飛び交う。
「龍!伏せろ!!!」
「っ!?」
俺は咄嗟に龍を庇う。
目的もなく飛び交う闇の剣は施設を簡単に破壊していく。
天井は崩れ、大きな音を立てながら瓦礫が落ちていく。
このままではマズイ!
俺は龍を庇い、落ちてきた瓦礫の隙間に龍を投げ込む。
「ここでじっとして──」
血飛沫が霧のように漂い、視界を奪う。
「──っ!?」
「セレス!!!」
何が……起きた……?
右側の視界が欠け、龍に血が飛び散っている。
俺の足が自然に曲がり、龍に覆いかぶさるように倒れてしまう。
右目が、熱い。
息が上手くできない。
どうやら闇の剣が掠ったらしい。
右目に激痛が走り、何かが侵食してきているのが分かる。
「セレス!!!何で俺を庇ってんだよ!その目っ!闇が!」
龍が俺の肩を掴み、泣きそうな顔で俺を見つめている。
「……うっせえ……勝手に体が動いたんだよ。
それより……あれは何だ……?」
俺は聖明に視線を向ける。
聖明は宙に浮き、大きな翼が彼女を守るように包む。
更には真っ赤な薔薇と真っ黒な茨が、彼女の心の壁を表すかのように周りを囲んでいる。
「……聖明、だよな……?」
彼女の虚ろな瞳は何も映さず、ただ冷たく揺れる。
「多分、聖明は暴走状態だ……。
一度首を刎ねられたことで意識が完全に飛んだんだ。
そのせいで溢れた闇が勝手に動き回ってるんだと思う……」
龍が眉間に皺を寄せながら、どうにか深呼吸をして話す。
どうやら少しは冷静になってきたようだ。
「であれば……俺が止めるしかねーな」
「ま、待てよ!どうやって止めるってんだよ!
今の聖明は理性の欠片もねーんだぞ!?」
龍が声を荒げて抗議してくるが、それでもやるしかないんだ。
それが──パートナーである俺の役目だからだ。
「もしもの時はミカエルを連れて、逃げろ。
崩落で部隊の連中も異常に気付いてるはずだ。
あいつらに助けを求めろ」
「ふざけ──いで!!!」
龍が急に叫ぶ。
視線をやると、よく見たら龍の左足が変な方向に曲がっていた。
庇っていたつもりだったが、どうやら瓦礫でも当たって折れていたようだ。
「龍、お前はここで待ってろ。
通信魔法で部隊を呼べ。俺が時間を稼ぐ」
本当は自力で逃げてほしかったが仕方がない。
俺は手早く龍と倒れているミカエルに結界を張ると、聖明に向かって駆け出した。
「セレス!!!」
俺は瓦礫を器用に足場にし、飛ぶように聖明に近付いていく。
すると聖明がピクッと反応した。
体操座りするように丸まっていた聖明が虚ろな目で俺を捉える。
同時に突風が吹き、聖明が生成した薔薇の花びらと共に俺を襲う。
「っ!!!」
あまりの風圧に吹き飛ばされ、花びらに刻まれながら瓦礫に背を打ち付ける。
「く、そ……っ!」
花びらが触れた箇所から、闇が侵食し、肉体を蝕んでいく。
このままじゃジリ貧だ……!
「ここまで暴走が厄介なんて聞いてないぞ……!」
最初の一撃は無差別な攻撃だったが、今は近付いた者を攻撃するだけのようだ。
ただ、その攻撃の威力が通常の比じゃない。
花びらさえ、掠っただけでこの有様だ。
右目なんてどうなっているかさえ分からない。
恐らく目は完全に潰れている上に闇が侵食し続けているだろう。
俺はどうにか立ち上がり、呼吸を整える。
「俺も本気出さなきゃな」
俺は聖明と同様に光の剣を可能な限り顕現した。
それに反応して、聖明も闇の剣を再び大量に顕現する。
……まったくやるせない。
聖明と共に、互いに対となるよう編み出した俺たちのオリジナル魔法だ。
その魔法で俺が怪我をしたと知ったら……泣くかもしれんな。
俺は気合を入れて剣と共に前に飛び出した。
互いの剣が弾丸のように飛び交い、互いの剣がぶつかる度に粉々に砕け散り、ガラスが割れるように消えていく。
そんな破片の中を掻い潜り、聖明の懐まで入り込み、聖明を守っている茨と薔薇を切り裂き手を伸ばす。
「聖明!!!」
聖明の虚ろな目から──一筋の涙が流れた。
刹那、凄まじい速さで聖明が闇の剣を手に取り、俺の剣を弾き、容赦なく蹴りを叩き込んでくる。
「がはっ!?」
壁にめり込む威力で吹き飛ばされ、痛みで身体が痺れてしまう。
「クソ……普段は、こんな蹴り、出せないだろ……っ!」
聖明が手を振り上げ、数多の闇の剣が俺を捉える。
マズイ……身体が上手く動かせない……っ!
「セレス!!!」
視界の端で龍が足を引き摺りながら叫んでいるのが見える。
うるせーな……少しは静かに隠れてろよ……。
「……聖明……さっさと起きろ……」
しかし、その手は振り下ろされ、闇の剣が一斉に動いた。
ここで……終わるか……?
あんなに泣いてる聖明を目の前にして……。
俺は震える手で聖明に手を伸ばす。
「兄さん!!!やめてええええ!!!」
──澄んだ声が、戦場を裂いた。
その声に聖明は反応し、全ての動きが止まった。
俺は驚いて視線を向けると、そこには瑠璃が立っていた。
怯えることもなく、真っ直ぐに聖明を見つめている。
「兄さん、もう大丈夫。
もう兄さんを傷付ける人はいないよ!
だから……もうやめて……」
瑠璃の足元に、大きな魔法陣が展開される。
光が束となり、聖明の全身を包み込む。
「──兄さん、おやすみ。
《聖なる抱擁 (ホーリー・リストレイン)》」
白金の光の帯が聖明を拘束するように絡みつき、暴走する闇を封じていく。
真っ黒な翼は、羽根を散らすようにふわりと消えていく。
その中で、聖明の唇がわずかに動いた。
「……る、り……」
そのまま完全拘束された聖明は白い光と共に瓦礫だらけの地面に向けて落ちていく。
「聖明……っ!」
俺は慌てて聖明に手を伸ばし、庇うように抱き寄せたまま一緒に落ちた。
そして──そのまま俺も意識を失った。




