第82話 闇の鎮魂歌
──何をしてたんだっけ……?
身体が水の上で漂っているような感覚。
全身が重く、指一本さえ動かすことができない。
もしかして──死んだ?
そんなわけないか。
私は心の中で苦笑する。
そして、微かに気を失う前の記憶が蘇ってくる。
そうだ。
私は襲われて……瑠璃たちを逃がして……。
きっと攫われたんだろうな。
“また”……攫われたのか。
自虐的な笑みが零れた。
「困った子だね」
不意に闇の奥から声が響いた気がした。
重い瞼を震わせ、どうにか目を開くけど視界がぼやけてよく見えない。
聞こえたのは──男性の声だった。
「こんなこと君のイヴァンに知られたら、私が殺されてしまうよ」
不意に父の名を呼ぶ彼。
「……とう、さん……?」
闇の中で淡く光を帯びた人影が薄っすら見える。
「葵にも会わせる顔がない」
「……母さんの、名前……」
その人影は、ゆっくりと近付いてくる。
そして、目の前の誰かが私の頬を撫でた。
そして──今度ははっきりと彼の姿が見えた。
その姿に私は息を呑んだ。
私と同じ赤い瞳に、雪のように真っ白な髪の男性。
風もない空間で髪がサラッと静かに揺れる。
──私は彼を知っている。
「君は私にとっても大切な存在なんだ。
私が守ろうと決めた大切な友人の子供だからね」
彼は──クロスロード・ブラッティ・ナイトメア。
「ごめんね。
私のせいで君には苦労ばかりかけてしまう。
でも、憎まないでほしい。拒絶しないでほしい」
彼は私の胸に人差し指で触れた。
「君にとってこの力は不幸の始まりかもしれない。
でも──忘れないでほしい。
君が生を受けたのは君の両親と、私が君を愛した証なんだ」
「……クロス」
私が彼の名を呼ぶと、嬉しそうに目を細めて笑った。
「君は葵にそっくりだね!
面白いぐらいイヴァンの血はどこにあるのやらってぐらいだ!」
そう笑って私の頭を撫でる。
まるで父さんや母さんに撫でられているような気分だ。
「……私は君の中にある魂の欠片だ。
私が君に託した記憶も、知識も、力も──君はまだ本当の意味で使いこなせていない。
だから、最後に贈ろう!
私の全てを君に!」
その言葉にハッとして彼に手を伸ばした。
「待って!クロスと話したいことが、まだいっぱい──!」
彼は穏やかに笑い、私の手を絡み取った。
そして、額同士をくっつける。
「私はもうこの世にいない存在だ。
死者に問うては駄目だよ。
イヴァンと葵の愛しい子供。
私が生きてほしいと願った子」
彼はそっと離れる。
そして、満面の笑顔で私に言葉を贈った。
「──さあ!目覚めの時だ!
聖明!私の子供!全力で生きなさい!」
その瞬間、真っ赤な薔薇が激しく舞い、暗い空間が裂ける。
私は必死に手を伸ばした。
「クロス!!!」
◆◆◆
「──っ!」
私ははっと息を吸い込んだ。
肩で荒く呼吸を整える。
ぐらつく視線で目の前を見る。
冷たい空気。
薬品の匂い。
耳の奥で、低い機械音が響いている。
目を凝らせば、そこは見たこともない施設の内部だった。
──夢?
手を動かそうとすると動かないことに気付く。
両手は頭上で拘束され、鎖がこすれるような音がする。
よく見ると私は、見たこともない魔導機構が備わった椅子に座らされ、足まで拘束具で固定されていた。
少しばかりの自由はあるが足にも丁寧に鎖が繋がれている。
その上、身体は女性姿で──見たことのない白いワンピースを着せられていた。
焦って顔を上げようとすると全身に鈍い痛みが走る。
スカートから見える素足に闇の刻印が色濃く浮き出て、血が滲んでいるのが見える。
──発作が出ている。
「く……っ」
──ここは……どこだ。
全身がズキズキと痛む。
発作はまだ治まりきっていないはずなのに──不思議と、意識は冴えていた。
「おやおや……お目覚めですか。聖明様」
耳に馴染んだ、嫌悪を誘う声。
「貴様……!」
顔を上げればダクネと名乗った男の姿が目の前にあった。
灰色の髪をオールバックにし、深い緑色の瞳を細ませ卑しい笑みを浮かべる。
辺りをよく見ると、黒いフードを被った悪魔教徒と思われる連中が、周囲の機器を触りながら私を見ていることに気付く。
彼が急に私へ手を伸ばしてくる。
私は咄嗟に反応してしまい、怯えるように震えてしまう。
そして、彼に顎を掴まれ無理やり前を向かされる。
「っ!」
「おや、やはり変ですね。
先程まで激しい発作で喘いでいたというのに……今はこんなにも静まり返っている」
「……え?」
ダクネが私の唇に指をなぞらせ、クスッと笑う。
「お気付きではないかもしれませんが、あなたが眠っている間に大量の闇のマナを注入していたんですよ?
それはもう──実験の倍以上の濃い闇をたっぷりとね」
「な……っ」
私は驚いて声を漏らしてしまう。
本当であれば何で私は平気なんだ?
確かに全身痛いけど、吐血するほどでもない。
頭も驚くほどクリアだ。
何より──不思議と以前より闇を身近に感じる。
まるで反発するだけだった闇が私に従っているようだった。
「あまりの発作に、もしや転化なさるのでは!?
と期待もしましたが……急に闇がその身に馴染み、完全に内包されたように見える。
今までの実験でもこんなことは一度もなかった。
どのような仕組みなのでしょうね?」
今なら分かる気がする。
闇をどう扱い、どう操れば私の思い通りに動かせるのか。
私は知っている。
闇の扱い方を。
「まあ、良いでしょう。
これだけ闇を内包しているんです。
大悪魔様の器を産む準備は整いましたね」
ダクネの手がスカートを捲り上げ、私の太腿に指を這わせる。
そして、興奮したような息遣いで顔を近付ける。
小さな魔力で良い──闇を動かせ。
「あはははは!」
「─!?」
次の瞬間、私を中心に真っ赤な薔薇の花が床一面に咲き乱れた。
「な?何だこれは!?」
赤い花びらが、闇の中で妖しく赤く輝き、ひらひらと宙を舞う。
戸惑う声。
ざわめく信者たち。
その滑稽な姿を見ながら私は囁く。
「我の声は安らぎの歌──音は血に染まり、血は冷たく誘う……」
まるで歌うように私は詠唱する。
これは子守唄。
全ての者を眠りにつかせる歌。
「聖明、様……?」
私は静かに笑った。
「──安らかに眠れ。
《血の鎮魂曲 (ブラッティ・レクイエム)》」
刹那、悪魔教徒たちが眠るように次々と倒れていく。
その様子にダクネが焦ったように辺りを見回す。
「な、何が起きて──!?」
「ふふ……あはははは!」
私は愚かな人間の囀りを掻き消すように笑う。
「はあ……君たちが私にしていることと同じことをしたまでだ」
私は拘束されていた両手の拘束具を闇で飲み込み消し去る。
そして、自身の首に掛けられていた魔法制御装置を触る。
「お前たちが生きるのに必要な最低限の闇のマナを全て吸い出し、大気のマナに変換して放出した。
この魔力制御装置と似たようなことをしただけだ。
結果的にお前以外は眠るように死に絶えたぞ?
まさに──鎮魂曲だと思わないか?」
ダクネは恐怖と同時に歓喜するような表情で身体を震わせ、両膝を地面についた。
「何と……何ということだ!
我らが大悪魔様の母に相応しい貫禄──そして、何という孤高の美しさ!」
……気持ち悪い。
「人間。この制御装置を外せ」
私はダクネの精神に干渉し、操る。
「ああ、あ、わか、りました……」
ダクネが私の首に付いていた魔力制御装置を、カチリと音を立てて外す。
これで──魔力が思う存分使える。
次の瞬間、私は足の拘束具を闇の茨で溶かしながら、手に闇の剣を生成し、ダクネの右腕を切り落とした。
「あああああ!?」
ダクネの腕が宙を舞う。
その身体は薔薇の花畑に埋もれ、血を撒き散らしながら悲鳴を上げる。
やがて死んだのか静かになった。
罪悪感はない。
薔薇の花畑の下には、血に染まった床が広がっている。
私が歩けば血溜まりに波紋が広がり、空からは舞った花びらが降り注ぎ続ける。
解放された気分だった。
闇が、以前よりも馴染んでいく。
──大切な人以外は、いらない。
笑いが込み上げ、頬を伝う涙の意味は自分でも分からない。
自由になった歓喜か、それともくだらない感傷か。
──パチパチパチ。
唐突に拍手が響いた。
「懐かしい魔法を使うじゃないか。クロス」
振り返ると、まさかのミカエルが立っていた。
「……ミカエル」
「馬鹿な悪魔教徒たちが君を攫ったと聞いてね。
様子を見に来たんだ。
そうしたら──いやはや、意外な光景だ。
君が得意としていた闇魔法を今世でも使っているじゃないか。
君はこうやって色んな人や悪魔を殺していたね。
クロスロード・ブラッティ・ナイトメア」
今なら分かる。
不鮮明だったクロスとミカエルの記憶。
全部ではないけど、アルバムのように彼らの日々を覗き見ることができる。
私は思わず──こう答えた。
「……そんな事もあったな」
先程までクロスが傍にいたからだろうか。
まるでクロスの台詞のように私は言ってしまった。
「ああ、君に会える日を待ちわびたよ。
──おかえり、クロス。また共に長い生を過ごそう」
でも──私はクロスではない。
私は返事の代わりに、ミカエルの首を刎ねた。
だけど、切り離されたはずの身体は霧散し、次の瞬間には別の位置に立っていた。
彼は不機嫌そうな顔で『私』を見た。
「……妄執に囚われすぎだ。ミカエル。
クロスは二十年前に死んでいる。
彼は私に魂をくれた。……友を想うなら──弔ってやれ」
「ふざけるな!」
次の瞬間、押し倒され、首を絞められる。
瞳に、狂気と悲しみが入り混じっていた。
「みか、える……っ」
「私から……友を奪っておきながら!返せ!彼の魂を返せ!!!」
まさかのミカエルの肌に闇の刻印が浮かび上がる。
そうか……ミカエルは、大天使でありながら、闇に飲まれそうになるまでクロスを想っていたんだ。
私はそっと彼の手に触れる。
「……ミカエル」
私は真っ直ぐ彼の瞳を見つめた。
「あ……」
そして──彼の闇に触れた。
きっと、私がクロスの代わりにしてあげられることだから。




