第80話 泣かないで
──ジリリリリリ。
家中に来客を知らせる音が鳴り響く。
私は薄っすらと目を開け、寝惚けた目で時計を見る。
夕方の五時前。
外を見ると太陽が傾き、空の色が変わりつつあった。
冬なのもあり、日が落ちるのが早い。
──ジリリリリリ。
再び家のチャイムが鳴り響く。
「……誰だろ……」
目を擦りながら、私はベッドを出る。
床に足を付いた時点で、細い足が見え、女性姿なのに気付く。
流石にこのままでは出られない。
私は落ちているズボンを雑に取り、徐々に男性姿へと身体を変え、衣類を整える。
昨日から同じ服を着たままなのに気付いたけど、今更着替えるのも時間が掛かる。
私は椅子に掛けてあった赤色のカーディガンを乱暴に掴み、さっと着る。
そして、鏡を見ると、首や顔に闇の刻印が浮き出たまま。
刻印から血が出ていないだけマシだと思うことにした。
そのまま、ふらついた足で階段を降り、玄関に辿り着く。
──ジリリリリリ。
「はいはい……今出ます……」
気怠い腕で鍵を回し、扉を開ける。
「あ、聖明!休んでいるところすまないのじゃ!」
そこに立っていたのは──私の幼馴染のアクア・ラファエル。
綺麗に切り揃えられた群青色の長い髪に、太陽のように煌めく金色の瞳を持つ可憐な少女。
彼女は十二歳前後に見える幼い容姿だけど、私と同じ歳で成人している。
そして──大天使ラファエルの実の娘にして、一人娘。
「あれ?アクア?どうしたの?家にまで来るなんて」
遊びに来る以外に家に来ることは滅多にない。
私は不思議に思い首を傾げながら尋ねる。
するとアクアは鞄から封筒を取り出すと、私に突き出した。
「ラファエル父様から早めに報告したいことがあると言ってな。
今日、書類を受け取るついでに渡す予定じゃったみたいだがの。
当のおぬしが休みと聞いて、仕事終わりの私に声が掛かったというわけじゃ」
「あ〜……そっか。ありがとう」
私はアクアから封筒を受け取る。
そう言えば、そんな予定があったな……と、まだ少し呆けた頭で思い出す。
書類は瑠璃に任せて、セレスに渡してもらったはずだし、そっちは大丈夫だろう。
アクアには無駄に届けさせてしまったようで少し申し訳ない。
「出来れば早めに読んでほしいと言っておったぞ」
「ん、分かった」
私は封筒をその場で開けて書類を見る。
「ん……?瑠璃の健康診断……?」
入っていた書類は、瑠璃の学院内での健康診断の結果だった。
瑠璃の健康診断だけは密かにラファエル直属の部下に診てもらっている。
私が直接診たほうが早いけど、それをやると瑠璃が疑問を抱きかねない。
そのため、ラファエルに頼み、瑠璃の健康診断は自然な形でより詳細をチェックできるように任せていた。
「……は?」
健康診断の内容を見て、私は一気に目が覚めた。
瑠璃の闇の数値が通常よりも高い。
しかも、体内のマナバランスが若干だけど崩れつつあった。
一瞬にして──心臓が凍る思いだった。
「聖明……?」
私は震える手で書類を捲ると一通の手紙があることに気付く。
私は焦る気持ちを抑えながら手紙を読む。
◇◇◇
聖明、取り急ぎ手紙にて申し訳ありません。
あなたの妹、瑠璃のマナバランスに乱れが出始めております。
微量ではありますが、闇の残留も確認しました。
まだ許容範囲内ですが、彼女にとって闇は命取りになりかねません。
原因はまだ分かりませんが、留意してくださいね。
詳しくは直接話しましょう。
追伸 これを見ても慌てませんように。
ラファエル
◇◇◇
私は現実を受け止めきれず、心臓が跳ね上がる。
「そんなはずはない……っ!全て、私が引き受けて……!」
「どうしたのじゃ……?そんなに顔色を青くして……」
慌てるなって、無理だろ……!
だって、瑠璃が……最悪、死ぬという話なんだ……!
「……今からラファエルに会いに行く」
「へ!?せ、聖明、おぬし、体調は!?」
「そんなのどうでもいい!」
短く言い捨て、私は走り出した。
アクアが後方で叫んでいるけど、今はそれどころではない。
家周辺の森を抜け、商店街に出る。
そのまま人気の少ない裏路地に入り、急いでカゴノトリに向かう。
今から行けば、ラファエルもそろそろカゴノトリに来るはずだ。
私は転移魔法を使用しようと魔力を練ろうとするけど、発作のせいで身体に激痛が走り、意識が散って上手く魔法が使えない。
「クソ!こんな時にっ!」
何で、こんなことに!
瑠璃の闇は毎日欠かさずチェックしている。
どんな微量な闇でも私が全て引き受けてきたはずだ!
だから──だからこそ、瑠璃の気持ちも気付いてしまった。
だと言うのに、私が見落としをするなんて!
それとも──私ではどうにもできない異変でも起き始めたのか!?
一刻も早く、詳細を知らなければ!
「──聖明様」
「──え?」
次の瞬間、腕を急に引っ張られ、首に激痛が走る。
「あ!?」
そのまま体中に激痛が走り、私は転ぶように地面に倒れてしまった。
「く……っ」
今、何が起きた……?
首に何かされて──もしかして、闇のマナじゃないだろうな!?
その証拠と言わんばかりに指先にまで闇の刻印が広がり、身体の痛みに声も出ない。
「おやおや、やはり昨日の影響が出ていますか。
こんなにもあっさり倒れてしまうとは」
「な……に……?」
起き上がろうとすると、背中に重みが伸し掛かり、身体が床に押しつけられる。
「く!?」
抵抗しようと体を捩るけど、身体が動かない。
あまりの危機感に心臓の音ばかり大きくなる。
「暴れないでくださいよ。聖明様」
ネットリとした声にハッとする。
この声には聞き覚えがある。
どうにか顔を上げると、私を抑えている奴のほかに、一人の男が私を見下ろしていた。
「──貴様!昨日の科学者か!」
私の着替えをジロジロと気持ち悪い視線で見てきた男だ。
今もネットリとした視線を向けてきて気持ち悪い……!
「ええ。あなたが弱る瞬間を──ずっと、ずーっと待っておりました!」
「クソ!放せ!」
どうにか力を入れようとするけど、体内で闇が暴れ始め、言うことを聞かない。
そんな私を見て、嘲笑うように目の前の男は姿勢を正し、一礼をする。
「私の名は──ダクネ・サタニア。
以後お見知りおきを、聖明様」
「誰が……っ!」
私が声を荒げようとすると、背後にいる男に顔を地面に押さえられてしまう。
「まあ、落ち着いてください。
私はね、あの栄光ある実験で確信したのです。
あなたこそ世界を統べるに相応しい!」
──は?何を言い始めるんだ?
「その闇で大悪魔を降臨させ、世界に真なる幸福を齎す方だと!」
「……悪魔教徒か」
最悪だ。
こいつら悪魔教徒は悪魔に心酔しきっている狂人の集まりだ。
その上、堕天使を媒体に大悪魔を復活できると思い込んでいる。
そんなことは有り得ないというのに……!
大方、堕天使の闇が欲しい悪魔に唆されているんだろう。
「あなた様こそ大悪魔様を復活させる存在!」
やはりその手の──。
「聖明様は大悪魔様を産む母となるのです」
「………は?」
今、なんて言った?
「聖明様は堕天使にして大天使様と同じ無性体!
普通の堕天使は繁殖能力がないので有名ですが──あなたは大天使様と同じなのです!
大天使様は子供を成すことができる。
聖明様は表向きは性別を隠していらっしゃる。
それは──大天使様と同じ性別を隠すことにあるのでしょう?
堕天使なのに、その身に子供を宿すことができる可能性を秘めている。
だから、あなたの性別は厳重に隠されている!
……違いますか?」
「わ、私は……」
マズイマズイマズイ……っ!
こんな誤解を招かないために、私は母とラファエルから性別を隠すように言われていたんだ……!
私は堕天使だ!
大天使と同じ無性体でも子供はできない!
だけど──こういうことが起きるから、だから隠されていたんだ!
ただでさえ、大天使と同じ性別というだけで色んな憶測が飛びかねないからこそ、混乱を避けるために国家機密扱いまでして隠しているというのに!
まさか、こんな形で皺寄せが来るなんて!
「それにしても、こんな無防備に出歩くとは……家まで迎えに行く手間が省けました」
どうしよう。
発作のせいで身体が言うことを聞かない。
油断をしていた。
瑠璃のことばかり考え、警戒を緩めてしまっていた。
いつも狙われていると知っていながら──何という失態だ。
「では、早く麻酔を。暴れられては困りますからね」
押さえ付けている男の手に、鈍く光る注射器が見える。
マズイ!意識を奪われるわけには──!
「や、やめ──」
「お前ら!何をしておる!!!」
鋭い声と共に、氷の刃が空を裂いた。
氷魔法が私を拘束していた男に直撃し、男が倒れると共に注射器が床へ落ち、パリンと割れる。
「アクア……っ」
アクアが私の傍まで駆け寄り、手を貸してくれる。
「聖明、立てるか!?」
「……何とか」
どうにか足に力を入れ、立ち上がる。
クソ……発作の痛みがキツイ。
「おやおや、タイミングが悪いですね。
ラファエル様のご令嬢ではありませんか」
先程倒れた男は気絶をしているようだけど、ダクネと名乗った男は平気のようで余裕の笑みを浮かべて煽るように話し始める。
「どこの部署の者だ!?
父様の加護下にある者に手を出すとは、万死に値するぞ!」
アクアが威嚇するように大声で忠告をする。
しかし、彼は嘲笑うように口角を上げ、首を振った。
「所属など意味をなさない!我らは悪魔様の従順なる信徒!
それに、加護ねえ。
聖明様一人も守れもせず、堕天使実験の検体にしておきながら──笑わせますね」
「堕天使実験……?」
「聞くな!戯言だ!」
アクアは堕天使実験について知らない。
──知らなくていい!
これ以上、私のことで誰かを巻き込みたくない!
もう……嫌なんだ!
「ともあれ!
その実験のお陰で貴方は悪魔に献上する最高の贄となった!
甘美なる闇をその身に蓄えた!
悪魔様は仰っていましたよ!
その状態で子供を宿せば大悪魔の器を生み出せると!」
「……は?」
なんて言う戯言だ!気持ち悪い……!
悪魔のことだ。
私の闇がどうしたら濃くなるか考えた末の愚かな提案だろう。
「え、兄さん?こんなところで何やって──」
背筋を冷たいものが走る。
聞き慣れた声。私の愛しい瑠璃。
振り向く前に、ダクネが素早く瑠璃の腕を掴み上げた。
「きゃあ!」
「瑠璃!!!」
ダクネはニヤリと嫌な笑みを浮かべ、瑠璃に顔を近付けた。
「おや、妹君でしたか。ちょうどいい。これで聖明様は私に従わざるを得ない」
「放して!」
「なんと下劣な!」
よりによって瑠璃を巻き込んでしまった。
「──生きて帰れると思うなよ!」
私の身体なんてどうでもいい。
痛みがなんだ。発作がなんだ。
「聖明!?安い挑発に乗るな!闇を容易に使ってはならぬ!」
アクアが止めるように腕を掴むけど、そんなこと言っている場合か。
ここで瑠璃を失うことだけは絶対にしない。
「おや、怖い怖い。
その殺気をお沈めください。さもないと──」
ダクネがナイフを取り出し、瑠璃の首に突き付ける。
そのナイフが瑠璃の首を掠め、一筋の血が流れた。
「いやああっ!」
その瞬間──頭の奥で何かが切れた。
「──殺す」
私は自身の影から闇の茨を一瞬にして伸ばし、ダクネを絡め取った。
その拍子に瑠璃は解放され、前に倒れる。
「きゃ!」
「瑠璃!」
アクアが駆け寄り、瑠璃を支えてくれる。
これで瑠璃は大丈夫だ。
でも──こいつだけは許さない。
闇の茨から鋭く伸びた棘は、躊躇いなくダクネの肉を裂き、血を滲ませた。
「くっ!」
ダクネの表情が苦痛に歪む。
同時に私の口角が上がっているのが分かった。
「ははは!そのまま千切れろ!」
ああ──闇に飲み込まれる。
「兄さん!駄目!」
「聖明!駄目じゃ!」
刹那──吐血が喉を焼いた。
「……ごほっ」
視界が揺れ、喉の奥が焼けるような咳と共に、辛うじて押し留めていた発作が再び牙を剥いた。
「聖明!」
「兄さん!」
膝が勝手に折れ、足元が揺らぐ。
同時に、闇に茨は霧のように掻き消え、ダクネの拘束が解けてしまう。
──しまった……。
「はあ、間一髪でしたね」
ダクネが冷ややかに笑いながら、私の前に立つ。
私は地面に崩れ、身体が動かせない。
それどころか身体がまた勝手に女性姿になってしまう。
「そんな状態で闇魔法を使うからですよ。
その状態であれば魔力制御装置を付ければ、完全に動けなくなるでしょう」
気絶していた男が起き上がり、睨むようにこちらを見る。
このままでは、瑠璃とアクアに危険が及ぶ。
それだけは阻止しなければ。
「兄さん!」
「駄目じゃ!瑠璃!」
瑠璃が叫んで駆け寄ろうとする。
それをアクアが腕を掴んで止めてくれる。
そう、それでいい。
今の私に触れたら、瑠璃は私の闇で染まってしまう。
私はどうにか声を絞り出した。
「…にげ、ろ……」
「嫌!!!アクアさん!放して!兄さんが!」
無理にでも駆け寄ろうとする瑠璃を、アクアが必死に引き止める。
「瑠璃は今すぐ逃げて龍とセレスに伝えるのじゃ!
ここは私がどうにかするから安心するのじゃ!」
「でも──!」
アクアの気持ちは嬉しい。
でも──君も非戦闘要員だ。
ここで戦えば、最悪殺されてしまう。
だから──。
「二人とも……逃げるんだ……」
その言葉と同時に、私は最後の魔力を振り絞って魔法を展開する。
二人の足元に淡く光る魔法陣が浮かび上がる。
「……聖明!?まさか私たちを転移させる気か!?」
私は精一杯の笑顔を見せた。
「瑠璃を……頼んだ……」
「兄さん!嫌だ!兄さ──」
瑠璃の叫び声がぷつりと消え、二人はこの場から姿を消した。
これでいい。
これで、二人は大丈夫だ。
「助かるかもしれないのにお二人を逃すとは……お優しいですね」
「……」
……もう声も出ない。
そんな私の顎を掴み、顔を上げさせられる。
「魔力制御装置です。大人しく寝ててくださいね」
首輪のような魔力制御装置がカチリと音を立て首に付けられた。
瞬間に体内の魔力が一気に抜け、目の前が暗くなる。
「念のため、拘束具を」
「はっ!」
……瑠璃……泣いてるだろうな。
瑠璃の笑顔が、見たいよ……。
意識が闇に攫われていく。
遠くで鎖が軋む金属音がした。
その響きが、やがて波に呑まれるように静かに遠ざかっていく。
──セレス。瑠璃をお願いね。




