第79話 信頼できる人
──闇魔法医療科カゴノトリの教授室内。
俺は講義を終えて、学生のレポートを片手にコーヒーを飲んでいた。
俺は何となく左手側にある机へ視線を向ける。
いつもは聖明が座っている席だ。
昨日の酷い発作もあって、流石に今日は休みだ。
朝方、死にそうな声で連絡があった時は「だろうな」としか思わなかった。
そんな気がしていたので、聖明が今日予定していた講義の内容は前もって把握していた。
ま、俺はあいつのパートナーだから、あいつに何かあった時は動けるように常に注意を払っている。
どちらかと言うと素直に休んだことの方が珍しい。
あいつは『無理をすることが趣味なのか?』と聞きたくなるぐらいには無理ばかりする。
いい機会だから今日はゆっくり休んでいてほしいものだ。
「こんにちは!」
両開きの扉が音を立てて開く。
視線をやると聖明の妹──瑠璃が高等部の制服を着て訪れていた。
今日は綺麗な白銀の髪を左右に結っている。
いつもであれば聖明が左右に手の込んだお団子を作ってやっているけど、今日は違うってことはそんな余裕もなかったんだろう。
「ああ、瑠璃か。思ったより早かったな」
瑠璃が書類を届けてくれると連絡はあったけど思ったより早い時間だった。
時計を見ると夕方少し手前の四時。
「今日は授業が少し早く終わる日だったの忘れてました」
少し照れるように話す瑠璃。
俺はレポートを机に置き、席を立つ。
「折角、来たんだ。何か飲み物を淹れてやる。
リクエストがあれば淹れるぞ」
俺は席の後方にあるカウンターへと足を向ける。
棚にはガラス瓶に入った紅茶やコーヒー、ハーブティー等の各種お茶が備えられており、いつでも気分に応じて楽しめるようにしている。
俺はポットを取り出し、魔法で水を生成すると中に入れ、魔導機構の操作パネルが付いたヒーターの上に置く。
スイッチを入れると火の魔石が稼働し、ポットをゆっくり温め始める。
「ありがとうございます。
それじゃ……兄さんの好きなカモミールが良いです!」
「分かった。あ、資料は聖明の机に置いておいてくれ」
「はーい」
瑠璃は元気に返事をすると聖明の席まで駆け寄り、背中に背負っていた鞄からガサゴソと封筒を取り出し置いてくれる。
俺はカモミールの入った瓶を手に取り、ガラス製のティーポットにスプーンで入れる。
その間に瑠璃は、扉前にある来客用の三人掛けのソファに座り、待っている様子。
俺はガラス製のカップを取り出しながら話を振る。
「聖明の様子はどうだ?体調が悪いって聞いたぞ」
すると瑠璃が少し怒った様子で前のめりに話し始める。
「そうなんですよ!セレスさん!
兄さんったら酷い顔色で帰ってきたんですよ!?」
早々にお湯が沸き、俺はティーポットとカップにお湯を注ぎ入れる。
そして、ポットの上からカバーを被せて少しばかり蒸らす。
「あいつは無理ばかりするからな」
「本当に!だから無理にでも休ませないと駄目なんですよ!」
これは、瑠璃にせがまれて休んだな。
あれだけバレないように帰るって言っていたが失敗したんだろう。
まあ、良い薬だ。
たまには妹の尻に敷かれて言うこと聞いておけ。
俺はトレーに温めたカップと蒸らし中のポットを置くと、瑠璃の前まで持っていく。
ソファ前のテーブルに置くと、俺は自席に置いてあった飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを手に持ち、瑠璃と反対側のソファに腰を掛ける。
「もう少し待ったほうが美味しいと思うぞ。
後、蜂蜜入れるか?聖明は蜂蜜を入れるが……」
瑠璃は少し唸った後に首を振る。
「ううん、蜂蜜は大丈夫です!
入れても美味しいけど……兄さんが家で淹れる時にたっぷり入れ過ぎで少し胸焼けしちゃうの」
「はは、あいつは案外、甘党だからな。
本人も無自覚だけどな。
瑠璃、そろそろカモミールを飲んでも良いと思うぞ」
俺は時計をチラッと見ながらティーカバーを取る。
「はーい。頂きますね」
彼女はティーポットからカップにカモミールティーを注ぎ入れる。
するとふわっと湯気が立ち、華やかな香りが広がる。
瑠璃はカップを持つと、ふーっと息を吹きかけた後、ゆっくりと口に運んだ。
そして、安心したように息を漏らす。
「……セレスさん」
「……どうした?」
瑠璃は先程までの明るい表情を曇らせる。
「セレスさんなら、知ってますよね?
兄さんが何の仕事をしているか……」
その問いに俺は心の奥で小さく息を呑んだ。
だが表情には出さず、平静を装って答える。
「聖明は闇を操れる堕天使だからな。
他の天使ができない仕事も多い。
……俺もついつい頼ってしまっているんだ。
今後はもっと気をつけるようにするよ」
「……そう、ですか」
俺の返答にどこか納得いかない表情を浮かべる。
それはそうだろうな……。
聖明は上手く隠しているつもりかもしれんが、見ている人からしたら無理していることぐらい誰でも分かる。
ましてや一緒に住んでいる家族だ。
気付かないほうがおかしい。
「セレスさん……堕天使って何でしょうか」
その問いに俺もどう返事したものかと思い、黙ってしまう。
「目が赤くて、闇を扱える天使だってことくらい、流石に分かります。
それに……兄さんは不老不死で……でも、発作がある」
瑠璃は淡々と──でも、どこか切ない声で続けた。
「兄さんは確かに不老不死かもしれません。
でも……母さんと同じで虚弱体質です。
ただでさえ身体が弱いのに堕天使だから、風邪が原因で発作起こして入院することも多かったです。
私、知っているんです。
発作は私が思っている以上に大変だって。
兄さんは隠しているつもりだけど無理があるんです!」
俺は持っていたマグカップを置き、真剣に耳を傾ける。
「兄さんは、発作なんて闇の刻印が出て熱が出ちゃう病気みたいに言うけど、実際は違うじゃないですか!
兄さんが隠れて吐いているのを見たことがあります。
しかも、ただ吐いてるんじゃない……血を吐いてました。
顔色が悪い時は大抵、熱があります。
しかも、どう考えても高熱なのに平気な顔して笑うんです。
兄さんには駄目って言われてたけど……読んじゃったんです。
兄さんの日記。
そこには普通の日記以外にも発作の頻度や症状まで事細かく記録されていました!」
俺はそれを聞いて口元を押さえ、小さな声で「あの馬鹿……」と思わず悪態をついてしまう。
何故、記録を残してしまうんだ。
日記に書けば読まれないと思ったのか……まあ、あいつの性格だと日記に何でも書き込んでいそうではあるけどな。
「でも、兄さんは私には話してくれません。
兄さんは……優しいから心配かけたくないんだと思います。
だから──私は知らないふりをして笑うんです。
そうすると兄さんが安心してくれるから」
まったく……この兄妹は変なところでそっくりだな。
互いを思い合っているのに、互いを想うばかりに偽りだらけだ。
もっとお互いに本気で話せばいいのに。
そうすれば……もしかしたら、この八方塞がりな現実も、どうにかなるかもしれない。
いや……これは俺の身勝手な妄想だな。
現実はそこまで簡単じゃない。
それを知っているからこそ、俺も手を拱いている。
「セレスさん。
私ね、魔力は兄さんよりも多いらしいんです。
でも、不器用で魔法が苦手なんです。
何度も体育館の天井に穴を空けたし……っ!
先生は驚いて失神しちゃうし!」
「……ああ、うん。それは、聖明に聞いたことあるわ」
聖明がその度に呼び出されて高等部の校長に怒られてたんだよな。
そんなことを思い出し、冷めたコーヒーを飲み切る。
「家事も苦手で、料理なんて特に駄目で……。
私が兄さんにできることは笑顔でいることしかないんです。
でも、だからって、このままじゃ駄目だと思うんです!
最近の兄さんは以前にも増して何かを隠しています!
どう考えても発作の回数も増えてる……っ!
幾ら不老不死の堕天使だって言っても、絶対に死なない保証なんてないじゃないですか!
今日だって……どう見ても発作を起こしていました。
だから、せめて、休んでほしくて……っ」
瑠璃は辛そうな表情を浮かべ、自身の胸の前で両手を握り締める。
そして──どこか聖明に似た鋭い眼光で俺を見つめた。
「セレスさん。お願いです。
兄さんが何を隠しているか、教えてください!」
堕天使についての詳細は、一般人には公開されていない。
一般常識の範囲は、堕天使が闇を操ること。
瞳が赤いこと。不老不死であること。
──これが精々だ。
発作が起きることは隠されてはいないが、身近な人か、一緒に仕事をして実際に見たことがある人程度しか知らないだろう。
発作の度合いについては、それこそ見てきた人しか分かり得ない。
そして──聖明に関しては、存在そのものが国家機密に該当する。
理由は幾つもあるが、特に堕天使実験については極秘中の極秘だ。
“ある意味では当事者”である瑠璃は特に知られてはいけない。
「すまない。それは言えない」
下手に誤魔化したほうが後々厄介だ。
俺から言える唯一のことがこれだ。
「……兄さんに口止めされてるんですね」
「……すまない」
俺の言葉に瑠璃は静かに頷いた。
「……いえ。きっと事情があると思うから」
瑠璃は俯き、少し震える息を吐いた。
俺は瑠璃を真っ直ぐ見たまま、静かに言う。
「言えない──が、これだけは信じてくれ。俺がどうにかする。
……俺があいつを助ける。約束する」
これは俺が決めたことだ。
どんな困難であっても、俺は聖明を助けると誓っている。
「──っ!約束ね!セレスさん!絶対だからね!」
「ああ」
すると瑠璃は先程とは違い、穏やかな笑顔を見せた。
まったく、俺なんかの確証もない言葉一つを信じてくれるとは……俺なりに頑張らないとな。
「兄さんは幸せ者ですね。
こんなに想ってくれる友達がいるなんて」
きっと聖明もこの笑顔を守りたいだけなんだ。
「その笑顔だ。
聖明は瑠璃の笑顔が大好きだっていつも自慢してる。
あいつに、とびっきりの笑顔を見せてやれ。
それだけで、あいつは救われる」
瑠璃は目を丸くし、その後、ニッと笑った。
「セレスさん、ありがとう!
セレスさんって、時折、本当の兄さんみたい」
想定外の言葉に俺は固まってしまう。
「兄さん……?」
「あ、えっと……変な話だけど、兄さんの兄さんみたいな……!」
「んー……?」
思わず眉間に皺が寄るのが分かる。
俺はそんな眉間に指を当て、グリグリと押さえる。
頭痛が起きそうだ。
「兄さんの兄さんなら、私の兄さんってことでもあるね!
セレス兄さん!」
「聖明がヤキモチで俺を殺しかねない!
それは勘弁してくれ……っ!」
俺は必死に声を上げてしまう。
聖明は超が付くほどにシスコンだ。
自分以外に『兄』なんて呼ばれる存在ができた日には本気でヤリに来る!絶対に!
すると瑠璃は可笑しそうにクスクスと笑う。
その様子に俺も少し頬が緩む。
こう笑う時は聖明も瑠璃も似たような表情をするんだよな。
「ふふ、セレスさん、カモミールありがとうございました!」
気付けば既に飲み終わっていたようだ。
彼女は鞄を背負い直し、立ち上がる。
「では、そろそろ帰りますね!
兄さんがおとなしく寝てるとは思えないから、早く帰らなきゃ!」
俺は先回りをし、教授室の扉を開く。
「頼りないが、話ぐらいは聞くからいつでも来い。
気をつけて帰れよ」
「はーい!」
瑠璃は深々と一礼すると無邪気な笑顔を見せ、廊下を歩いていった。
俺は少しばかり後ろ姿を見守った後に扉を閉める。
今日はこの後、龍が来て、更にその後にラファエルが来る予定だ。
俺は来客を待ちつつ、引き続き学生のレポートをチェックすることにした。
「さて、頑張るか」
◆◆◆
セレスさんに話して良かった。
私はそんなことを思いながらカゴノトリの廊下を歩く。
全部は教えてもらえなかったけど、気持ちが楽になった気がする。
それに、セレスさんが兄さんを見てくれている。
兄さんとセレスさんはお仕事のパートナーで、凄く仲良しだから、私も信頼しているの。
だから──きっと大丈夫。
きっと……。
私は足を止めてしまう。
胸が──ザワザワする。
兄さんはセレスさんに心を許してるから、きっとセレスさんを頼る。
でも、私には頼ってくれない。
私から見た兄さんは──凄く頼り甲斐があって、格好良くて、優しい。
でも、本当は──とても可愛い女の子だ。
兄さんは否定するけど、『頼れる兄』を無理に演じている気がしてならないの。
母さんも死んで、父さんもいない。
だから、兄さんは私を必死に育ててくれている。
私のせいで生き方を選べないんだったら、それこそ嫌だ。
いっそ──女性として生きれば良いのに。
もっと素直になって、好きに生きてほしい。
そうしたら、私もきっと諦められ──。
「手遅れになる前に、お兄さんのところに行きなさい」
私の横を白髪の女性が通った。
「──え?」
振り返ったけど、そこには誰もいなかった。
ただ赤い薔薇が白い床に数枚、舞っていた。
「今の……何……?」
私は嫌な予感がして、気付けば走り出していた。
早く──帰らなきゃ!




