第78話 独りにしないで
あの後、セレスの家を出るまで少し時間が掛かってしまった。
身体は拭ったけど髪に付いた血までは取れていなかった。
流石に血が付いた状態で帰れば瑠璃に発作が起きたことがバレかねない。
そのため、少し動けるようになった後にセレスに我儘を言って、お風呂を借りた。
その頃にはどうにか身体も男性姿へ戻すことができた。
そんなことをしていたので、帰宅したのは朝方の五時半だった。
私は瑠璃に気付かれないように物音を一切立てないように細心の注意を払いながら、局所的に防音魔法まで展開して家に入る。
ゆっくりと階段を上がり、瑠璃の部屋の前を通る。
そして、私の部屋の前まで到達した。
安心して気を抜いた瞬間だった。
「兄さん! 朝帰りってどういうこと!? もう朝の六時前だよ!」
驚いて肩をビクッと震わせてしまう。
慌てて横を見れば部屋から出てきた瑠璃が、制服姿で頬を膨らませ怒っていた。
瑠璃に見つかってしまった。
扉の前で追い詰められ、私は思わず目を泳がせる。
当初の予定では、遅くても日付が変わる頃には帰るつもりだった。
……これでは怒られて当然だ。
「あははは……えっと、仕事が長引いちゃって……さっき終わったばかりなんだよね」
自分で言っていて苦しい言い訳だと思う。
「今日も昼間から仕事あるのに!?
そんな疲れ切った顔で大学行く気!?」
そう──今日はこのまま通常勤務が待ち構えている。
現実に引き戻され、スケジュールを思い浮かべると頭が痛くなる。
昼間から講義の予定だ。
それまでは特に予定は入っていないので、遅出勤でも問題はないけど……仕事には変わりない。
「今日だけだから!次から気を付けるよ!」
説得力の欠片もない言い訳をすると、瑠璃は制服の裾をぎゅっと握り、視線を落として呟いた。
「……兄さん。父さんと一緒で、帰ってこなくなりそう……」
──しまった!
私は瑠璃の両肩を掴んで慌てて声を上げてしまう。
「それはない!」
瑠璃は泣きそうな顔で私を見上げる。
こんな顔……させたくなかった。
ただでさえ父もいないのに、私はまた寂しい思いをさせてしまった。
「瑠璃……私は絶対に瑠璃の傍にいるよ。独りにはしない。
ごめんね、瑠璃。こんなに不安にさせて……」
小さな身体を抱き寄せると、彼女も背中に手を回してくれる。
瑠璃の体温を感じる。
瑠璃が生きているって実感する。
そして、同時にこっそりと瑠璃の中に芽吹いた小さな闇を私の中に取り込んだ。
これで──大丈夫。
「……兄さんが一緒にいてくれればいいの。
ねえ……兄さん。今日くらいはお仕事お休みできないの?」
瑠璃の潤んだ目が私の罪悪感を煽る。
「そ……それは……」
「凄い疲れた顔してるよ?ちゃんと休んでほしいよ……」
頭に浮かぶのは休んだ場合のセレスへの負担だ。
彼は闇魔法医療科の准教授の地位にあるけど、実質的には私の助手だ。
私が休むとなると、彼が代わりに教鞭を執ることになる。
先程までベッドを占拠して迷惑をかけていたというのに更に仕事まで任せるとなると心苦しいものがある。
私は思わず唸ってしまう。
「兄さん……」
しかし、瑠璃の懇願するような眼差しが痛い。
私は観念して口を開いた。
「……わかった。今日は休むよ」
「うん!」
瑠璃の満面の笑みが心に刺さる。
仕方ない。セレスに連絡をしよう。
怒られることはないだろうけど、埋め合わせが必要だ。
何か考えておかなければ……。
そう考えていた時に、ふと重要書類のことを思い出す。
これは出来れば今日中にラファエルに届けたい書類だ。
ラファエルが夕方に教授室に来ると言っていたはず。
「瑠璃。一つだけお願いがあるんだけど良いかな?」
「うん!なあに?」
私は部屋に置いてある書類に意識を集中させ、転移魔法を応用して手元に書類が入った封筒を取り出す。
「この書類なんだけど、教授室に持って行ってほしいんだ。
授業後でも構わないからお願いできる?
セレスにも言っておくから、彼が受け取ってくれると思う」
私が勤めているカゴノトリは、魔法都市で一番大きな病院である『プロメテウス魔法医療大学院』と隣接しており、連絡通路で繋がっている。
そして、瑠璃が通う魔法学院はプロメテウス附属の学院だ。
初等部から大学までエスカレーター式で、魔法都市でも一番大きな学院。
附属ということもあって同じ敷地内に全ての学院が建設されている。
要は瑠璃の通う高等部からカゴノトリまでは割と近いということだ。
なので、学院ついでに書類を届けてくれると大いに助かる。
「セレスさんね!任せて!
ついでに兄さん談義で盛り上がってくるね!」
「いや……それはちょっと……」
瑠璃とセレスは妙に仲が良く、油断すると何故か私のことで大盛り上がりしている。
何を話しているのか怖いので少し控えてほしいのが本音だ。
「兄さんはゆっくり休んで!家で仕事も駄目だからね!」
そう言って、私の背中を押して部屋に入れようとする。
「わかった、わかったから!」
「夕食は私が作るからね!」
その言葉に、思わず肩が跳ねた。
瑠璃は超絶的に不器用だ。
料理をしようものなら、何故か蠢く生命体を生成する。
幾ら愛しい妹の手料理とはいえ……あれを食べる自信はない。
「る、瑠璃……ご飯ぐらいは私が……」
「私だって成長してるもん!大丈夫!だから兄さんはゆっくりしててね!」
そう言い切ると、可愛い笑顔を見せた。
そして、私を部屋に押し込み、抗議も虚しく無情にも扉を閉められてしまった。
「……まあ、いいか。瑠璃の笑顔が見られるなら」
私は溜め息を吐くとベッドに歩み寄る。
その途中、徐々に身体が変化し、女性姿になっていく。
ズボンはズルっと床に落ち、私は疲れ果てて気力もなく、上着も適当に脱ぎ捨ててベッドに崩れるように倒れ込んだ。
そして、ベッドに置いてあった瑠璃と一緒に作ったお気に入りのテディベア──パニョくんを抱き締める。
パニョくんは制作した際に、二人の想いを詰め込み過ぎたせいかひとりでに動き回る人形になってしまった。
結果、動き回るテディベアと化している。
パニョくんをぎゅっとすると、応えるように腕の中でもぞもぞと動く。
「……パニョくん……」
……発作がバレなくてよかった。
見える範囲の闇の刻印はどうにか抑えられたけど、無理やり抑制剤で留めているだけだ。
鎮痛剤も効きが悪い。
「……痛い……」
胸が痛い。
涙が溢れ出てしまう。
これは発作の痛みだけでなく、自分の無力さを突きつけられる痛みだった。
それでも──私は耐えなくてはいけない。
耐えなければ今の生活が終わってしまう。
それだけは嫌なんだ。




