第77話 大切な友達
──遠くで誰かの声がする。優しい声だ。
意識が朦朧とする中、その声に導かれるように意識が浮上する。
そして──全身に激痛が走った。
また吐血したのだろうか。
口の中が鉄の味がする。
上手く……呼吸ができない。
「──!せ……め──!」
誰?上手く聞き取れない……ごめん。
「クソ!後で文句言うなよ!」
唇に柔らかな感触が触れる。
同時に冷たい液体が喉に流れ込んできた。
これは水だ。
もしかして……口移しで水を飲まされてる……?
次の瞬間、急激な吐き気が込み上げて、意識が一気に覚醒する。
視界がわずかに明るくなり、ようやく目を開けた。
「かは!う……っ!」
目を覚ましたと同時にその場で吐いてしまう。
胃から込み上げ、咳き込みながら血を吐き出す。
そんな私の背を撫でてくれる存在に気付く。
「大丈夫だ。吐けるだけ吐いておけ」
「あ……れ……?セレス……?うっ!」
私はセレスに吐瀉物をかけてしまっているのに気付いたけど、吐き気に抗えず……彼の胸に縋るように再び吐いてしまう。
そんな私の背を優しく擦り続けてくれる。
「大丈夫……もう大丈夫だ」
彼の声が優しくて涙まで出てきてしまう。
「お湯持ってきたぞ!」
龍の声が聞こえて視線を向けると廊下から桶を抱えた龍が、慌てて飛び込んできた。
「けほ……りゅ、う……?」
目が合うと龍は桶をテーブルに置き、その場にへたり込む。
「聖明!?目が覚めたのか!?あ〜もう!心臓に悪い!」
……かなり迷惑と心配を掛けてしまったみたい。
霞む視界を細め、私は周囲を見渡す。
血で汚れたベッド。
部屋の右側にはソファー。左には見慣れた円形テーブル。
窓はカーテンが閉ざされており暗い。
まだ夜らしい。
見慣れたシックな色合いのこの部屋は──。
「聖明。ここは俺の家だ。
少しは意識がはっきりしてきたか?
本当はカゴノトリに搬送される予定だったらしいが……」
「それはやめた。
カゴノトリに行けば堕天使たちが切れ散らかす。
それに少なからずミカエル様の監視の目が入りそうだ。
そんな場所にお前を置けるかよ……」
涙目で訴える龍。
それを見たセレスは溜め息を吐く。
「──だそうだ」
「あ、れ……?私……何で女性姿……?」
目は覚めてきたが、何故こうなったのか思い出せない。
頭を働かせようとしても、ガンガンと痛みが響き、思考が絡まる。
身体も男性に戻そうと思っても言うことを聞かない。
「無理するな。まだ熱が下がってない」
そう言って、セレスはベッドから降りると汚れたシャツを脱ぎ捨てた。
私は自身を改めて見ると腕には点滴が刺さっている。
浮遊している点滴用の薬液球を見ると、抑制剤と鎮痛剤が入れられているのが分かった。
それを見て微かに記憶が蘇ってくる。
……そうだ。
私は実験で発作が起きて──それで──。
「う……っ!」
ズキッと全身に痛みが走って、思わず自分を抱き締めるように身を縮こませてしまう。
「聖明、大丈夫か?」
心配そうに覗き込む青と銀の瞳。
それを見ると不思議と胸が落ち着く。
「……ありがと。息、できてるから……多分、平気」
「なんだそれ。……まあいい、無理すんな」
困ったような笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でるセレス。
彼はタンスから服を取り出し、シャツを着替えると水差しからコップに水を注ぎ、手渡してくれる。
「とりあえず口を濯げ。血で気持ち悪いだろ」
促されるまま、水の入ったコップを受け取る。
するとセレスは手際よく医療トレーを持ち出し、私の前に吐き出せと言わんばかりに出してくる。
申し訳ない気持ちもあったけど、素直に口を濯ぎ、トレーに吐き出した。
口の中が少しだけすっきりする。
「龍、聖明の着替えは?」
「ちゃんと回収してから持ってきた……これだ」
龍がカバンから衣類を取り出し、ソファ横の棚に置く。
その時、改めて自分の姿を見下ろす。
……酷い。
何度も吐いた血で全身がぐっしょり。
病衣の白さなど、どこにも残っていない。
その上、女性姿のせいで身体のラインが分かってしまい急に恥ずかしくなってくる。
「聖明、動けるか?
可能ならシャワーぐらい浴びたほうがいいが……」
セレスの提案に頷く。
出来れば私も綺麗にしたい。
でも……手足は重く、上体を起こすのがやっと。
痺れと震えで力が入らない。
闇の刻印もまだ浮き出たままで、発作が完全に止まっていない証だ。
「……ごめん、立つのは……無理かもしれない」
「しゃーない。後で身体を拭いてやる」
「……へ?」
まさかの言葉に私は固まってしまう。
「龍。さっき持ってきたお湯使うぞ。
それとタオルも多めに持ってきてくれ」
「ああ、分かった!」
龍はパタパタと再び廊下に出る。
テキパキと準備をし始める二人に私は焦って声を掛ける。
「ま、待って!私、身体男性に戻せないから!」
流石に女性姿で肌を見られるのは……!
するとセレスが真剣な顔で、私の前にしゃがんで見つめてくる。
「大丈夫だ。俺も一応、医者だからな。
幾ら惚れた相手でも疚しい気持ちで触れたりしないさ」
「へ!?」
セレスが私のことを好きなのは知っている。
何でも告白されては断っているから。
でも、こうもはっきり言われると私も恥ずかしい。
「大丈夫!自分で拭くから!」
するとセレスが少し情けない顔をするものだから目を逸らしてしまう。
「セレス!タオル持ってきたぜ!」
「ああ、サンキュー。
聖明、俺たちは一度部屋を出るからゆっくり綺麗にしろ」
そう言って私にタオルを預け立ち上がると、龍の背中を押し扉を閉めた。
私は病衣を脱ぎ、タオルをお湯に入れて絞る。
「……セレスの馬鹿……」
何故かそんな言葉を漏らして、血塗れた身体を拭っていった。
◆◆◆
「──で?何でこんな惨事になった」
私は身体を綺麗にしたあと、自身の服に着替えたけど身体がまだ男性に戻せず、服が大きい。
女性姿になると身体が小さくなるので仕方ないけど、カッターシャツのみを着ることになってしまった。
ベッドのシーツは新しいものに替えられ、私は毛布を借りて身体を隠すように座っている。
そんな中、セレスに今回の件を問われている最中だ。
「えっと……それは堕天使実験で……」
「それで過去一番酷い発作になった、と?」
セレスの声には、はっきりと怒気が滲んでいた。
龍もバツの悪そうな表情を浮かべ、重い口を開く。
「今回はミカエル様が指揮を取ったんだ。
いつもなら危険域に達する前に止めてる。
……だけど今回は、聖明が暴走するまで止めなかった」
その瞬間、セレスは棚を思い切り殴りつけ、木材が派手な音を立てて割れた。
その音に、私も思わず肩を震わせてしまう。
「何なんだ、あいつ……!何がしたいんだよ!」
セレスの怒号に、私は小さな声で答える。
「ミカエルは……私の前世に固執しているんだ。
私の前世は──クロスロード・ブラッティ・ナイトメア。
カゴノトリの創設者にして、堕天使を束ねた人。
私の命の恩人で──ミカエルの親友だった。
だから、魂を受け継いでいる私に執着してるんだ。
クロスはミカエルに黙って、私と魂を融合させた。
私を助けるために……。
……だから、私の中の彼を探しているんだと思う」
その証拠にミカエルは私の名を一度も呼ばない。
呼ぶのはいつもクロスの名だけ。
「ふざけるな!
堕天使は悪魔との戦いの切り札だなんて謳っておきながら、実際は私利私欲で、こんな非人道的なことをしてるだけじゃねぇか!
何が『闇の解明』だ!『不老不死の研究』だ!
これじゃ、どっちが悪魔かわかんねぇだろ!」
セレスの怒りに、私は何も言えなかった。
龍もまた、苦虫を噛み潰したような顔で黙っている。
それに気付いたセレスは、はっとした表情を見せた。
そして、言葉を詰まらせると、無言で壊した棚に修復魔法を掛け始めた。
「……悪い。お前らに言っても仕方ないな」
「ううん……巻き込んだ私が悪いんだ。ごめん……二人とも」
龍は何かを決意したように、私の傍まで歩み寄り、ベッドに腰を掛ける。
「聖明。
ミカエル様の犬である俺が言うのも何だけど……このままじゃお前が壊れちまう。
……頼む。逃げてくれ」
龍はいつもこうだ。
私を想って逃げ出すことを望んでくれる。
でも──それだけは選べないんだ。
「ありがとう、龍。
でも──ごめんね。それだけはできない」
私は苦笑してしまう。
「知っているでしょ?
瑠璃のためにも、私は残らなくちゃいけない。
瑠璃は魔法都市以外では生きていけない」
瑠璃が平穏に暮らすためには、私が犠牲になるしかない。
それが、私と大天使の誓約だから。
「……瑠璃を連れて出ることは無理なのか?」
セレスが棚を治し切ると、手元に桶とタオルを持ってくる。
私はそんな彼に静かに首を振った。
「瑠璃は……天使の中でも稀有な、光属性の塊みたいな存在なんだ。
この魔法都市は外界と違ってマナが浄化されてる。
それでも、日常の中にある小さな闇でさえ瑠璃には毒だ。
私が傍で闇を引き受けているからこそ、隔離施設に幽閉されずに普通の生活を送れている。
私は……瑠璃に普通の生活をしてほしい。
ただでさえ短命なんだ。
私のエゴだってわかってる。
でも、この身を犠牲にしてでも守りたい」
私には、瑠璃が全てだ。
大切な──たった一人の妹。
「……今はまだ、付き合ってやる」
セレスは桶に魔法でお湯を汲み、タオルを絞った。
そう言って私の横に腰を下ろし、顔をガシガシと拭いてくる。
「んぐっ!?」
「……だけどな、これ以上は許容できない。
俺はお前のパートナーだ。
こんなクソみたいな国より、お前のほうが大事だ。
今度、こんな姿で戻ってきたら……俺は聖明を選ぶ。
エクソシストに追われてもいい。
ここから連れ出す」
そう言い終えると、再び立ち上がり、桶にタオルを入れるとギュッと絞った。
……セレスの想いは痛いほど伝わってくる。
だから、私はただ頷くしかなかった。
私は、なんて酷い人間なんだろう。
こんなにも皆を不幸にしているのに、どうしても皆の手を振り払えない。
「ったく、考えても仕方ねぇな!暗い話はおしまいだ!」
急に龍が声を上げるのでビックリして、身体が跳ねる。
それに気付いたセレスが龍の頭を一発殴る。
「いで!」
「病人がいるんだ。静かにしろ!」
いつものやり取りに、私はホッとしてクスクスと笑ってしまう。
「少し元気が出たな。
聖明。念のため発作以外も異常がないか身体を検査して、治療魔法もかけるぞ。
腐っても俺も医者の端くれだ。
ある程度は治してやる。
朝には帰らないと瑠璃が心配するんだろ?」
「……ありがとう」
本当に二人には敵わない。
こんなどうしようもない私に、優しくしてくれる。
だからこそ……心が、より痛かった。




