第76話 堕天使実験
真っ白な無機質な廊下を、案内されながら黙々と歩く。
ここは『魔導機構生産工場』──とされているが実際は違う。
公にできない非人道的な実験を行う施設。
堕天使専用の研究施設だ。
関係者以外が扉を開ければ普通の工場に入るだけだが、関係者が開ければ自動的に地下に飛ばされる。
ここは魔導機構生産工場を隠れ蓑にした施設ということだ。
地下のため窓なんて存在しない。
魔導機構で作られた照明が白い廊下を更に白く照らす。
息苦しいほどに無機質な空間だ。
「聖明。こっちだ」
「……うん」
白衣姿の幼馴染──龍に連れられ白い廊下を進む。
足音が反響する中、龍が重い口を開いた。
「聖明」
「ん?何?」
彼は足を止めて振り返り、真剣な顔で私を見つめた。
「こんなこと、もうやめにしようぜ……」
それは何度も耳にした言葉だった。
龍には悪いけど、私はいつも通り答える。
「何を今更。これは私が望んだことだよ。
それに──私に選択肢なんてない」
苦虫を噛み潰したような顔の龍に、私は微笑み返す。
一瞬、泣きそうな表情を見せた彼は、すぐに冷静を装い、再び歩き始める。
暫くすると重苦しい鉄と魔石が埋め込まれた扉が現れる。
龍が手を翳すと魔石が光り、ギィと音を立てながら扉が開いていく。
「──ミカエル様直属、五本指が一人。龍・C・ミカエル。
指示を受け、堕天使・聖明・紅を連れて参りました」
龍が両手を後ろで組み、そう告げると、規律ある動きで一礼した。
室内は普通の部屋とは違い、天井が高く広い。
研究所らしく機械だらけで天井にはパイプが埋め尽くされ、床にもコードが足元を埋めるように伸びている。
機械のあちこちから魔導機構特有のマナの光が漏れ出し、室内を怪しく照らしている。
そんな部屋の中、白衣を着た科学者たちが、それぞれの持ち場で忙しなく動いている。
私は彼らの更に先──最奥にあるガラスで仕切られた壁を見て身体が緊張する。
あそこにはもう一つ部屋があるのを私は知っている。
「やあ、龍。遅かったね」
聞き慣れた声に私は驚いて声の主に視線を送る。
龍も同じだったようで慌てたように声の持ち主に駆け寄り、膝を付いた。
「ミカエル様!何でここに!?」
──大天使ミカエル。
魔法都市を統治する大天使の一人。
彼は主に国の防衛における軍事を担当している大天使だ。
そして──龍の義理の親だ。
彼ら大天使は私同様に無性体だ。
彼はソファで王のようにふんぞり返り、長い金髪をサラリと揺らしながら、翡翠の瞳を細め、不敵な笑みを浮かべた。
「龍、私のことは父か母と呼んでくれて良いんだよ?」
「恐れながら……民の尊敬と信頼を集める大天使様を、気軽にお呼びすることは憚られます」
龍の言葉に少し不機嫌そうに溜め息を吐くと手を伸ばし、龍を立たせる。
「まあ、良い。
家の中ぐらいはいつかは父もしくは母と呼んでほしいものだけどね。
さて──クロス。久しいな」
あの嫌な目が今度は私を捉えた。
それを察したように科学者が私を誘導するようにミカエルの傍に連れて行く。
同時に重苦しい扉が静かに閉まった。
「……前世の名で呼ぶな。私の名は聖明だ」
ミカエルは私を見ようともしない。
彼は私ではなく、私に宿ったクロスロードの魂ばかりを見ている。
ミカエルとクロスは……親友だったから。
でも、私はクロスではない。
だから、私も対抗するように彼を呼び捨てにする。
いや──違うな。
呼び捨てにしなくては、クロスのように呼ばなければ反応すらしないんだ。
「今の名なんて興味はないさ。
さて、今日も飽きず懲りず、堕天使実験を行う日だと聞いてね。
折角だから見学しに来たんだ」
私は思わず舌打ちをする。
人を見世物のように……どうせ『私』が苦しむ姿を見たいだけだろ。
「それにしても、この実験室は大掛かりだね」
そう言ってミカエルは窓の外を見る。
私もガラスの向こうに広がる実験室に視線を向けた。
白を基調とした部屋の中央に、大量の管に繋がれた椅子が一脚。
椅子には複数の拘束具が付けられているのが見える。
椅子に繋がった管は天井に伸び、そのまま伝って今いる研究室の様々な機器に繋がっている。
あれは……これから私が繋がれる椅子だ。
私があの椅子を見ていると、科学者の一人が私の背中に触れ、声を掛ける。
「聖明様。そろそろお願い致します」
私は深く溜め息を吐く。ただでさえ堕天使実験なんて碌でもないのに、今日はミカエルがいる。
きっとよくないことが起きる。
冷や汗が背筋を伝うが、表情には出さない。
弱みを見せれば、ミカエルだけでなく科学者たちが喜んでしまう。
「ミカエル様」
龍が相槌を打つように声を掛けると、ミカエルは軽く手を振った。
「すまないね。時間を取らせた。構わず始めてくれ」
その合図で科学者が私を実験室へと案内する。
いつものように部屋の右手にある階段から降りて、実験室に入る。
「聖明様。こちらでお着替えを」
「……ああ」
更衣室などない。
動物を観察するような視線に晒されながら、白いワンピース型の病衣へ着替え始める。
いくら男性姿とはいえ、これはいつも堪える。
こういう時は長く伸ばした後ろ髪が役に立つ。
私は汚さないようにお気に入りの青い髪紐を解き、髪で体を少しでも隠しながら早々に着替えた。
ああ……傍にいる科学者の視線が……気持ち悪い。
私は溜め息を押し殺し、例の椅子に腰を下ろす。
すると三人の科学者に手足をベルトで固定され、左右の腕に針を刺される。
針の先からは点滴のような管が伸び、これも研究室の魔導機構に繋がっている。
「──っ」
不死とはいえ針を刺される感覚は嫌いだ。
管や魔導機械の作動音が、静寂に重く響く。
バインダーを抱えた研究員が私の前に立つ。
胸元には黒い両翼と中央の赤い宝石──堕天使実験科学班の徽章が光っていた。
皮肉過ぎて、吐き気が込み上げてくる。
「聖明様。
本日は血液サンプル採取後、闇のマナを直接体内に注入します。
手に繋いだ針は鎮痛剤と抑制剤。
そして──闇のマナです。
こちらは全て魔導機構管理にて投与する量と速度を調整致します。
椅子に繋がった管は、聖明様がもしも暴走された場合に起動致します。
起動すれば魔力を急激に吸い上げ、暴走を阻止する仕組みです」
「要は椅子は強力な魔力制御装置ってことだろ。
……その説明は何度も受けている」
自分で言っていても嫌気が差す。
そう──この実験は初めてじゃない。
定期的に私の力を測るためにもやらされている実験だ。
「それは失礼致しました」
ああ……嫌だ。
私に入れられる闇のマナは凝縮されたものだ。
注射器一本で動けなくなるほどの発作を引き起こす代物だ。
それを魔導機構の管理で『好きなだけ』流し込む。
それに何の意味があるというのか。
堕天使の限界を知りたい?
暴走に対する対応を検討するため?
科学者の考えることは分からない。
ただ、口を揃えて言うんだ。
──不老不死の研究のため、と。
こんな実験で何が分かるというのか……反吐が出る。
私が顔を上げ、ガラスの向こうを見るとミカエルが足を組みながらこちらを見ていた。
「魔力暴走を起こした場合、どれだけ対応できるようにしている?」
ミカエルが尋ねると現場監督と思しき科学者の男が、腰を低くして答える。
「問題ございません。
あの椅子を起動すれば急激に魔力をマナに変換し、魔導機構に吸い込むようにしております。
その上、部屋全体に対堕天用の結界を幾重にも張っております。
異常を感知すれば、即座に魔力遮断と制御の術式が発動致します。
魔導機構で吸収した魔力は魔石に蓄積させ、魔導機構の原動力として再利用も可能です。
これも全て、ご子息である龍様が開発なされた魔導機構のお陰でございます!」
その言葉に龍が黙ったまま拳を握りしめ、悔しそうな表情を浮かべた。
龍だってこんなことのために魔導機構を開発したわけじゃないのを知っている。
だから……申し訳なかった。
私のせいで彼の功績を汚している気がして仕方なかった。
「そうか。承知した」
ミカエルは淡々と返事する。
そして、龍に声を掛ける。
「龍。そんな顔をするな。
お前はいつもよく頑張っている。私の自慢の息子だ」
「……はい」
ミカエルは龍に対しては親の顔をする。
とても優しく、子供を慈しんでいるのが分かる。
だからこそ、混乱しそうになる。
ミカエルが私に向ける視線だけは──厳しいから。
「これより闇への耐久測定を開始します!」
現場監督である科学者が声を張り上げる。
「悪魔は今や最大の敵。
我々が光と闇、相対する存在として戦っても、戦況は平行線のまま。
この状況を打破するため、悪魔の根源たる闇を知らねばならない。
堕天使という希有な存在のお陰で、我々は悪魔以上に闇を探求できる。
そしていつか、天使も堕ちることなく闇を御する日が来るでしょう!」
なんて──酷い茶番だろうか。
私の周囲にいたエクソシストは部屋を出て、ガラスの向こうの研究室に戻る。
そして、現場監督が合図を送った。
「よし闇のマナを流せ」
「──っ!」
冷たい闇が血管を這うように全身へ侵入してくる。
同時に鼓動が激しくなり、手の甲に闇の刻印が浮かび上がった。
鎮痛剤など気休めにもならない。
身体が──熱い。
「5%……10%」
「脈拍・体温上昇、闇の刻印を確認」
「15%」
科学者たちの声が頭に響く。
「聖明様、まだいけそうですか?」
ガラス向こうの部屋から拡声魔法で声が響く。
冷や汗を掻きながら私は顔を上げた。
私の限界なんてどうでもいいくせに。
「──さっさとやれ!」
この返答を聞いた瞬間、更に一気に闇が入り込む。
「かはっ!」
発作が起き始め、口から血を吐いてしまう。
酷い激痛が全身を駆け巡る。
体内で血管が弾けるのが分かる。
その度に身体が私を生かそうと再生を繰り返す。
身体が言うことを聞かない。
勝手に女性の体に変わってしまう。
視界が……ぐらつく。
「45%」
「脈拍危険域です!」
自身の闇が制御できず部屋に漏れ出始める。
茨の形をした闇が、私を中心に蠢いているのが分かる。
ダメだ……制御できてない……。
「ちっ!ここまでか!魔力遮断を……っ」
「待て」
科学者の声を遮るミカエル。
「あいつは不老不死だ。もう少しいけるだろう。
一度心臓が止まっても問題ない」
その言葉を聞き、血相を変えた龍は声を荒げる。
「ミカエル様!お待ちください!
聖明が完全に暴走すれば、周囲一帯吹き飛びかねません!」
彼の抵抗も虚しくミカエルは鼻で笑うように言い返す。
「我が息子よ。私を誰だと思っている?
私がいるんだ。暴れてもクロスの制御ぐらいしてやろう」
龍が慌てた様子で私を見る。
視線が──合った気がした。
私は龍にそんな顔させたくないのにな……ごめんね、龍。
「続けなさい」
無情な命令が私の耳にも届く。
「は、はい!では、更に徐々に上げろ!」
「46…47……48……」
容赦なく入り込む闇に頭が破裂しそうだ。
視界がぐるぐる回る。
私は何をしているんだ?
どうしてこんな……嫌だ……助けて。
闇の茨から薔薇の花が咲き乱れ、その姿を形成していく。
「ぁああっ、くっ…あ……!」
息ができない。寒い。熱い。
痛い、苦しい。
茨から咲き乱れる闇の薔薇──その光景を見て、とある科学者は恍惚と震え、龍は怒声を浴びせる。
「美しい……!」
「この変態が……!」
しかし、耳には届いていない様子。
龍はガラスに手を当て、何かを叫んでいるように感じた。
「ふ、随分と耐えるじゃないか」
ミカエルが立ち上がり、ガラス越しに低く囁く。
「本気を見せろ──クロスロード・ブラッティ・ナイトメア」
次の瞬間、呼応するように闇が暴走し、床に亀裂が走り、ガラスにヒビが入る。
ミカエルが龍を守るように魔法で包み、後方へ追いやるのが見えた。
もう……意識が……。
◆◆◆
「聖明!!!」
闇の茨が聖明を包むように蠢く。
椅子や管、床の一部までも闇が飲み込み全てを消していく。
そして──闇の中で聖明が虚ろな目で佇んでいた。
先程の苦痛に歪んだ顔は消え、歪んだ笑みを浮かべた。
明らかに普通ではない。
「まずい!今すぐ魔力遮断しろ!」
現場監督の科学者は、危機感を募らせ、慌てて指示を出す。
しかし──。
「機器が反応しません!」
闇の薔薇で機器は破損しており、魔力遮断も制御も機能していない。
魔力制御装置なんて跡形もない。
「馬鹿が!お前ら仮にもエクソシストだろ!封印をするんだ!」
現場監督が声を荒げながら指示をすると、ハッとしたようにその場にいる全員が、聖明に向け魔法の詠唱を始める。
──が、闇の茨がムチのように伸び、ガラスを突き破ると科学者の一人が闇の茨に弾かれ、絶命する。
「ひいいい!」
他の科学者たちはそれを見て恐怖し、腰を抜かす者までいる。
その様子にミカエル様は口角を上げた。
「おやおや、流石に私の出番か?」
ミカエル様が魔法で全てのガラスを割り、闇の中に踏み込む。
そして、聖明に手を伸ばし一言言い放った。
「崩れろ」
重力が圧し掛かり、聖明は床に強制的に平伏す。
「あ"ぁ"っ……!」
その様子に俺は耐えきれなくなって声を荒げる。
「ミカエル様!おやめください!」
ミカエル様は軽く振り返るとニコッと笑う。
「安心しなさい。御すだけだ」
そう言うと聖明の前にしゃがんで彼女の顎を持ち上げる。
「なあ、クロス。
それとも偽物のままか?
この身体の中に君の欠片は残っているのか?」
その瞬間、聖明の瞳に一瞬、光が戻った。
「み、か……える……」
「うん、私だよ。クロス」
そして──聖明は嘲笑するように言い放った。
「……地獄に落ちろ」
「こんなやり方では駄目か」
ミカエル様は聖明の頭を掴むと、躊躇なく持ち上げ壁へ叩きつけた。
「聖明!!!」
鈍い衝撃音と共に、壁に深い亀裂が走る。
聖明は完全に気を失ったのか、闇は徐々に薄れ、暴走が止まった。
「聖明!聖明……っ!」
俺は必死に駆け寄り、床に倒れた彼女を抱き起こす。
闇の刻印が全身に浮き、血に塗れたまま、微かに口が動いた。
「聖明!しっかりしろ!」
「……りゅ……う……」
俺たちを横目に、ミカエル様は溜め息を吐いた。
そして、ミカエル様はふわっと体を浮かせると、ガラスがあった場所から研究室に戻り、現場監督である科学者へ向けて声を掛ける。
「今後は闇は最大でも45%までに設定しなさい。
実験時は堕天使の身体に直接、魔法制御装置を取り付けるように。
幾ら強力でも今回みたいに消えれば意味がない。
身体に直接付けておいたほうが、暴走時にも機能する可能性が上がる。
それと──この施設は暫く使えんな。
次の実験所の準備は滞りないか?」
現場監督の科学者は敬礼し、声を張った。
「は、はい!
同等のラボがもう一つと、現在建築中の対闇特化の幽閉施設がございます!
完成すれば悪魔の尋問にも活用できるかと!」
ミカエル様は愉快そうに笑う。
「そうだったな。できるだけ建設を急がせろ」
「承知いたしました!ミカエル様!」
鼻歌交じりに部屋を出ようとしたミカエル様は、ふと足を止め、振り返った。
「ああ、そうだ。
この実験は国家機密だ。
幾ら誓約のもと、大天使である私たちが許可しているとはいえ、こんな非人道的な実験が外に漏れた日には、君たち全員の死をもってしても足りぬ。
──口外は一切禁ず」
生き残った科学者たちは青褪めながらも整列し、敬礼する。
「そ、それは重々承知しております!
命を落とすことも覚悟の上で志願しております故!」
ミカエル様は満足げに頷く。
「ならば良い。……龍」
名を呼ばれた俺は、ミカエル様を見上げる。
「そいつの面倒は任せた。
流石にこのまま返せば、愛しの妹君が心配するだろう。
看病してやれ」
「……はい」
そこへ、慌ただしく一人のエクソシストが駆け込み、敬礼した。
「ミカエル様!ラファエル様が至急お目通りを、と!」
ミカエル様は深く溜め息を吐く。
「……どうせ、いつもの抗議だろう。
大天使の一人だ、無下にはできんのが面倒だ」
彼は一度だけ、気絶している聖明を見やり、静かに呟く。
「愛しいクロス……また会おう」
軽快な足取りで、鼻歌を響かせながら実験室を後にした。
「すまねえ……聖明……」
俺は白衣を脱ぎ、彼女の身体を隠すように包んだ。
きっと女性姿は他人にあまり見られたくないだろうからな。




