第75話 妹との日常
私は最愛の妹と二人──穏やかな日々を過ごしていた。
母の名前は葵。
元々虚弱体質で、瑠璃を産んでから5年後に亡くなった。
父の名前はイヴァン。
母が亡くなってからは必死で私たちを育ててくれた。
でも──母を失ったショックからか、私が十歳になるぐらいには仕事に打ち込むようになり、今では殆ど帰ってくることはない。
そして、私は気付けば二十歳。
十八の時に闇魔法医療科カゴノトリに配属。
配属と同時に、私は二つの地位を授かった。
一つは、闇魔法医療科の教授としての地位。
もう一つは、カゴノトリの最高責任者──総指揮官の地位。
これはどちらも実力で勝ち取った地位ではない。
闇魔法医療科カゴノトリの創設者にして堕天使を纏め上げた人物──クロスロード・ブラッティ・ナイトメア。
私はクロスロードの魂と知識を宿した存在で、生まれた瞬間から彼が座していた地位に──カゴノトリのトップとして立つことが定められていた。
幾らクロスロードの生前の知識を全て持っていたとしても、今世の私にとっては初めてのことばかり。
『教授』と『総指揮官』の二足の草鞋は未だに慣れず、仕事を上手く回せないのもあって昼夜逆転の生活が当たり前になりつつあった。
「兄さん。何を書いているの?」
気付けば瑠璃が背後から顔を覗かせていた。
私はビックリして日記を慌てて閉じる。
「る、瑠璃……っ」
彼女は無邪気な表情を浮かべ、愛くるしく笑う。
彼女は私の最愛の妹──瑠璃。
母と同じ瑠璃色の瞳に、光の反射によっては水色にも見える美しい白銀の髪。
白い肌をほんのり桃色に染め、にっと笑う。
あまりの可愛さに私は彼女の頭を撫でた。
「まったく。部屋に入る時はノックしなさいっていつも言っているだろ?」
「え〜ノックしたよ?兄さんが集中し過ぎなのよ」
少し頬を膨らませて抗議してくるけど、それがまた可愛い。
「ごめんごめん。ちょっと日記を書いてたんだ。
瑠璃との毎日を書き留めておきたくてね。
君が生まれてからずっと書いているんだ」
「へ!?そうなの!?は、恥ずかしいよ!」
頬を赤らめ、指先で裾をつまむ瑠璃。
その愛らしい反応に私はクスクス笑ってしまう。
「見られたら恥ずかしいからね。見たら駄目だよ?」
「はーい」
瑠璃の元気な返事を聞いたあと、部屋の時計に視線を向ける。
そろそろ夕方。
今日はこの時間から出掛けなくてはいけない。
「瑠璃。私はそろそろ出勤するよ」
「え!?今日は休みじゃなかったの!?」
瑠璃は驚いたような声を上げたあと、少し寂しそうに唇を尖らせ落ち込んでしまう。
「兄さん……最近、仕事忙し過ぎじゃない?
教授ってこんなに大変なお仕事なの?
それとも軍務が大変なの?
私、心配だよ……」
明らかに不安そうに訴えてくる。
できれば私も瑠璃と一緒にいたい。
でも──一緒にいるためには行かなくてはいけなかった。
「瑠璃、ごめんね。心配ばかりかけて。
でも、大丈夫。
疲れたら瑠璃にうんと甘えさせてもらうからね。
そうだな……次の休みは瑠璃がしたいことを一日しよう!
出掛けても良いし、家で一緒にのんびりしても良い」
私の提案を聞くと、先程まで落ち込んでいた表情がぱあっと明るくなる。
「兄さん!約束よ!
私、兄さんに色んな服着せたくて準備してるんだから!」
「うん?」
想定していた内容とは少し違う言葉が飛び出てきて首を傾げてしまう。
「兄さんは綺麗なのに服に対して無頓着!
いつも肩出しハイネックか、カッターシャツばかりじゃない!
まあ、それも似合ってるんだけど……」
「肩出し楽だよ?動きやすいし」
普段着は基本的に肩出しスタイル。
冬でもオープンショルダー(※1)ばかり着ている。
出来れば前はジッパーで開くタイプだと脱ぎやすくて好みだ。
(※1 袖や肩の一部に穴が空いていたり、切り込みが入っていたりして、肩先だけが部分的に見えるデザイン)
「もう!他にももっと格好良い服とか可愛い服着てほしいの!
兄さんは女性にもなれるんだからお揃いコーデとかもしたいな」
瑠璃が最後に強請るように甘えた声で言ってくる。
私はどうしたものかと眉が寄ってしまう。
確かに私は女性になれるけど、女性として生きるつもりはない。
何より母の言いつけと大天使ラファエルの勧めもあり、女性になれることを隠して生きている。
女性になったところで……碌なことはない。
「ん〜……家の中だけなら……」
「やったー!」
瑠璃は飛び跳ねて全身で嬉しそうに喜ぶ。
まあ、瑠璃が喜ぶなら少しは頑張るか。
「さて、そろそろ行かないとね」
私は部屋に準備してあった鞄を持ち、ハンガーにかけていたコートを手に取る。
「あ……兄さん」
「ん?」
瑠璃が珍しく戸惑ったように視線を泳がせた。
「どうかしたの?」
私は瑠璃の顔を覗き込んで、頬を指で撫でた。
その時、潤んだ瞳に熱が籠もっていることに気付く。
「──っ」
私は思わず手を引っ込めてしまった。
「……なんでもない。兄さん、気を付けてね」
「……分かった」
私はどうにか笑顔を取り繕い、瑠璃にいつものように微笑んだ。
──気付いてはいけない。
「夕食は作ってあるからね。ちゃんと食べるんだよ?
夜更かしもあまりしないで、暖かくして寝て──」
「もう!兄さん!私も子供じゃないんだから!
ほら!もう時間なんでしょ!?」
瑠璃が私の背中に回り込むとグイグイと押してくる。
「あはは、分かった、分かった。
それじゃあ、行ってくるからね」
「いってらっしゃい!兄さん!」
私は瑠璃の満面の笑みを見てから、家を出た。
この時には既に気付いていた。
でも──気付かない振りをし続けていた。
見ない振りをしていた。
きっと言葉にしてしまえば……終わってしまうから。




