第73話 覚悟と想い
急に目を覚ましたレイナがふらふらと立ち上がり、頭を抱えて叫び始めた。
何が起きているんだ……?
そんな彼女に対し、聖明も目を覚ますと彼女を抱き締め、何かを話しているようだった。
そして──闇の刻印が、レイナの全身へ急激に広がっていく。
「え!?彼女は闇堕ち人じゃ──」
「やっぱりこのパターンか!クソ!」
龍さんが舌打ちをしながら悪態をつくと、手元に通信魔法を展開した。
でも、普通の通信魔法と様子が違う。
通信魔法を使用する時、魔力結晶を生成し、それを媒介として音を繋げる。
魔力結晶は通話相手の魔力によって色が変わる。
しかし、龍さんが展開している魔力結晶は酷く淀んだ赤色で、異常な輝きを放っている。
すると龍さんは壁に手を付き、聖明を真っ直ぐに見て声を荒げる。
「聖明!そいつは処刑対象だ!」
どうやら龍さんの声は聖明に届いたらしく、彼は静かに頷くと「……分かっているよ」と返事をした。
そして──二人は何故か口付けをし、聖明の闇の茨が彼女の胸を貫いた。
「……は?」
茨を伝い、ぽたり、ぽたりと血が床に落ちていく。
聖明の腕の中で、彼女の身体は力を失い、だらりと手足が重力に従って垂れた。
思考が追いつかなかった。
ただ分かったのは──聖明がレイナを殺した。
気付けば僕は駆け出し、龍さんを突き飛ばすようにして壁の向こうの部屋へと侵入した。
「……おやすみ。レイナ」
静かに、優しく、語りかける聖明の声が部屋に響く。
意味が分からなかった。
何で、レイナを殺したんだ?
何で、医者であるあんたがこんなことをしているんだ?
何で、何で……!?
色んな感情と言葉が溢れ、かえって声に出せなかった。
聖明は僕に気付いているのか、いないのか。
彼女をぎゅっと抱き締めたあと、聖明は彼女の身体をそっと床に横たえる。
そして聖明が何かを唱えると、床に広がっていた血溜まりが一瞬にして鮮やかな赤色の薔薇へと変わり、部屋全体を埋め尽くす。
その勢いか、風もない部屋の中で、花びらは天井まで舞い上がり、ひらひらと白い空間を彩る。
聖明はゆっくり立ち上がり、振り返った。
僕は聖明の顔を見て、泣きそうになった。
だって──優しく微笑んでいるのに、泣きそうな顔をしていたから。
しかも、聖明は静かな声で言うんだ。
「……ごめんね」
その謝罪は、何に対してなの……?
僕は言葉も出せず、震える身体で立ち尽くしていた。
そんな僕の後ろから龍が部屋に入ってくるのを感じた。
彼は僕の横を抜け、聖明の前に立つ。
「聖明。ほら、来い」
龍が両手を広げると聖明はふらっと彼に近付き消え入りそうな声で呟く。
「龍……後はお願い……」
次の瞬間、聖明は意識を手放し、龍の腕の中へと崩れ落ちた。
「せいめ──」
「お疲れさん」
僕が慌てて声を上げようとするのに比べ、龍さんは当然のように聖明を支え、そんな言葉を言う。
それはまるで、長年連れ添った者同士の当たり前すぎる光景のように見えた。
「まったく、お前は変わんねーな」
龍さんがそんなことをボヤくと、聖明を抱きかかえる。
聖明は徐々に身体が小さくなり、どうやら女性姿になっているようだった。
僕は思わず唇を噛む。
「ねえ……こうなるってあんたは知っていたのか?」
「あ?」
龍さんが聖明を抱き上げたまま振り返る。
「聖明がレイナを殺す前提で仕事をさせてたのか!?」
もしそうだとしたら、いくら聖明の幼馴染で友人であっても僕はこの人を──『龍』を絶対に許さない!
すると龍は呆れたように溜め息を吐き出す。
「……闇に侵食されない人なんて稀だ。
大概は今回のように、心の奥へ闇を隠している。
人の心は複雑で、闇さえも巧妙に隠し切る奴がいる。
聖明は堕天使の中でも、深層まで確かめられる数少ない存在だ。
……高確率でこうなることは予想していた。
残念だが、これも闇魔法医療医師の務めだ」
まるで事務作業みたいに淡々と答える龍に怒りが湧く。
「ふざけんな!医者に処刑させるなんて狂ってんだろ!」
聖明は堕天使である前に一人の医者だ。
これではまるで、医者というより人を殺す道具じゃないか!
すると龍は再び深い溜め息を吐く。
「……お前さ。一回、聖明と距離を置け。
何の覚悟もないお前が近くにいても、聖明が不幸になるだけだ」
「はあ!?」
僕の覚悟がないとでも!?
僕は聖明と出会ってから、共に生きようって、一緒に瑠璃を助けて、僕自身も生きる覚悟をしてきたつもりだ!
何も、何も知らないくせに!
「寝言は寝て言えよ……!
あんたは、僕たちの何を知って──」
「お前よりは知っている!!!」
龍の怒声に僕の体がビクッと反応する。
彼の表情は今までにないぐらい険しく、怒りを宿しているのが分かった。
「聖明のことはお前よりも知っている。
おい、連れ。よく聞け。
お前がいたから、こいつは戻ってきたんだ。
あのまま逃げていれば良かったのに、よりにもよってこんな古巣に戻ってきたんだ。
不幸になると分かっていて、それでも戻ってきたんだ!
何故か分かるか!?」
「そ、それは……僕と瑠璃を助けようと……」
僕たちを助けるため、情報や力を得るため、聖明は魔法都市に──カゴノトリに戻ろうとしている。
「悪魔に作り出された人工天使」
「っ!」
急に僕のことを言い始める龍。
次の言葉に僕は耳を疑うことになる。
「人工天使に普通の人権が与えられていると思っていたのか?」
「……え?」
龍は何を言い出してるんだ?
「聖明はな……お前の身の保証と引き換えに仕事に戻ったんだよ!
悪魔が作り出した人工天使なんて、『命への冒涜だ』ってのが上の連中の主張だ!
本来であれば廃棄処分される存在だ!」
「なっ!?」
待って、待ってよ……。
それじゃあ、聖明が辛い思いまでして魔法都市に戻ろうとしていたのは、僕の身の保証のため……?
僕や瑠璃を助けるための手段を探すためというのは建前?
聖明はずっと前から僕のために、その身を捧げ続けていたの?
「聖明は無理を承知で魔法都市に──大天使様に直接掛け合って交渉をしたんだ!
絶対に破ることは許されない誓約を結んでまでだ!
こいつはもうカゴノトリから逃げれない!」
僕のせいで──聖明は魔法都市に縛られてしまった……?
「お前は何も知らないんだ……!
堕天使を欲しがるのは悪魔だけじゃない!
闇を扱えるだけで、どれだけ多くの種族や立場の奴らが欲しがると思う!?
不老不死というだけでも、研究対象として欲しがる奴らは山程いる!
それこそ喉から手が出るほどにだ!」
僕の脳裏に蘇る軍務中の聖明の言葉。
──必ず守ってね?
ここに来てようやく、本当の意味を理解するなんて……!
「どれだけ聖明が……どれだけ堕天使たちが、モルモットにされてきたと思ってんだ!
どれだけ犠牲になれば許されるんだよ!!!」
気付けば龍は自身に怒るように声を荒げていた。
僕は……本当に知らなかったんだ。
知ったつもりで聖明の覚悟も、聖明のことも、知らなかった。
「聖明は、言ってたんだ。
闇魔法は人の心を救う魔法だって……」
でも、実際はどうだ……?
確かに闇の侵食を抑え、転化を防ぎ、命を救っているかもしれない。
患者さんは確かに救われているのかもしれない。
でも──聖明の心は誰が救えるの……?
「ああ、救いだよ!レイナにとっても死は救いだった!
でも、こいつは死で救われることはない!」
出会ったばかりの頃の聖明を思い出す。
苦しくて、辛くて、死に縋る聖明の痛ましい姿。
それなのに死ねず……絶望していた。
「聖明は大切な人のためなら他人の命なんて簡単に奪える。
何度でも手を血に染めるんだ。
自分がどれだけ傷付こうがお構いなしだ!
今回もそうだ。
最終的に殺す可能性を分かっていて、聖明は仕事を受けた。
誓約によって従うしかなかった。
もう……こいつには逃げ道さえない」
初めて、自分という存在そのものが罪深いものに思えた。
そして思い出す。
僕が生まれた理由を。
聖明を苦しめるためだけに作り出された人工天使だったということを。
瑠璃が散々言ってたじゃないか。
永遠の傷を聖明に与えるために僕を聖明に引き合わせたって。
僕が……聖明を不幸にしてたんだ。
支えているつもりで、支えられ続けていたのは僕だけじゃないか……!
「俺はな、聖明とは友人である前に、本当の兄弟みたいな家族だと思っている。
幼い頃から聖明と瑠璃ちゃんと一緒に育ってきたんだ。
──だから!
幸せになってほしかった!
人並みでいいんだ!ただ平穏に笑っていてほしかった!
叶うなら……今だって、そう願ってる。
なあ……連れ、頼む。
もう、こいつを自由にしてくれよ」
龍が苦しそうな笑顔で涙を流した。
その姿を見ていられなくなって……僕は逃げるように部屋を飛び出した。
僕は我武者羅に走った。
廊下を抜け、知らない道をただ走った。
どこへ行くあてもなく──自分の出生を呪いながら。
僕は本当はどこかで理解していたんだ。
僕という存在が聖明を苦しめていることを。
僕は知っている。
聖明は間違いなく僕を僕として見てくれていたけど、時折、僕に瑠璃を重ねて辛そうに微笑んでいたこと。
時折、人知れず泣いていたこと。
全部知っていて、聖明に甘えていた。
分かっていながら甘えていた自分が許せない……!
「風真様!」
名前を呼ばれ、ハッとして立ち止まる。
気付けば見たことのない場所に入り込んでいた。
室内のはずなのに野外のように木々が植えられ、花々が鮮やかに咲く空間。
外の時間を反映しているのか、室内は夕焼けの色に染まっている。
その上、本物の自然と見紛うほどにウサギやリスなどの小動物も見受けられ、僕の横を綺麗な蝶がパタパタと飛んでいく。
ここは温室──みたいなものだろうか。
「風真様」
再び声が聞こえ振り返ると、僕の影から女性姿のリリーが現れる。
明るい空間の中で、全身黒色のリリーは目を引く。
「リリー……」
彼女の鮮やかな紫色の瞳は、夕陽に照らされて静かに光を反射する。
「どうか、お戻りください」
その言葉に僕は視線を地面に落としてしまう。
「……無理だよ。だって僕のせいで聖明は──」
「あなたのせいではありません」
あまりに即答で、僕は再びリリーを見る。
彼女は視線を逸らさず僕を真っ直ぐに見ている。
「で、でも!
僕がいなければ聖明はレイナを殺すこともなかったんだ!
僕が……僕が存在したこと自体が……間違いなんだ……」
ああ……言葉にした途端、ずっと恐れていた恐怖が形になって僕に襲い掛かる。
ずっとどこかで思ってたんだ。
僕が聖明の横にいるのは間違いなんだって。
「主が選んだことです。あなたに責任はありません」
それなのに……リリーはどうして「責任がない」なんて言い切れるんだろう。
彼女の目は本当に真っ直ぐで、迷いなんてなかった。
そして──何故か優しく彼女は微笑んだ。
「私は感謝しているんです。
風真様に出会ってから、主はよく笑うようになった。
それまでは死んだような目で何度も自殺を繰り返し、失敗して、絶望して……見ていられなかった。
でも──そんな主を、あなたは笑顔にしてくれた。
風真様。
あなたの存在は聖明にとって生きる理由になるほどの『救い』なんです」
「……あ」
聖明との日々が、思い出が蘇る。
何気ない会話。歩きながら交わした言葉の数々。
時には照れながらも手を繋ぎ、肩を寄せ合い、笑い合った冒険の日々。
リリーは少し困ったような顔で笑うと、黒猫姿に戻る。
黒くふわふわの尻尾を揺らしながら言葉を続けた。
「主がしたことは、許されないことも多いかもしれません。
でも……お願いです。
主を──聖明を独りにしないであげてください。
私の言葉では、もう届きません。
風真様。
あなたの言葉だから主に届いたんです」
聖明が笑いながら僕の名前を呼ぶ姿が瞼に浮かぶ。
僕の言葉が、存在が、少しでも聖明の癒しになれていたのであれば──僕は──。
僕は宙に手を伸ばし、何かを掴む。
「僕に……何かできること、あるかな」
「あなたにしかできないことばかりですよ」
リリーの優しくて強い言葉が、僕の胸に沁みた。
「リリー。
きっと僕はこれからも迷惑を掛けるし、聖明を苦しめてしまうかもしれない。
でも、僕は聖明が好きだ。
僕だって聖明には幸せになってほしい。
だから──僕なりに頑張ってみるよ。
リリー、ありがとうね!」
リリーは満足そうに微笑み、僕の肩に飛び乗る。
絶対に、聖明を──独りにしない。
僕は踵を返し、走り出した。
聖明の元へ戻るために。




