第72話 隠された闇
私はレイナの目を真っ直ぐに見つめ、彼女の奥深くに眠る闇に触れた。
彼女の意識が闇に沈み、記憶が過去へ過去へと戻っていく。
私も彼女の心を覗き見るため、意識を手放したレイナを抱きかかえソファに座る。
そして──私も目を閉じた。
闇を通して彼女の意識の中へと潜っていく。
「さあ……もっと深く、もっと意識を潜らせるんだ。
君が闇に囚われた瞬間を──見せてご覧」
次の瞬間、私は薄暗い場所に立っていた。
傍らには、ザラザラと壊れたような音を鳴らす蓄音機がある。
私は慣れた手つきで蓄音機を操作し、音を鳴らし始める。
すると、何もなかった空間に映像が映し出される。
まるで──壊れかけたビデオテープのように、不鮮明な映像。
私は蓄音機の近くで腰を下ろすような動作をする。
すると同時に一脚の椅子が現れ、そこに座る。
ここは私だけが操れる空間。
誰かの心を覗き見る時に使う私の領域。
ここにいる限り、必要以上に他人の心に──闇に飲み込まれなくて済む。
一瞬目を閉じ、深呼吸をする。
ほんの少しの覚悟をして瞼を開くと、レイナの記憶が映像として流れ始めた。
ああ──彼女の断片的な感情が、記憶が、流れ込んでくる。
◆◆◆
「なんで、そんなことするの!?」
半ば発狂したように声を荒げる女性。
どこかレイナに似た彼女は、持っていたコップを投げつけ、何かを叫んでいる。
「この異常者!何で!?何で!?私の子供がこんな……っ!」
目の前の女性はレイナの母親だ。
「あああ……っ」
叫ぶ母親の横で、頭を抱える気弱そうな男性。
彼は──レイナの父親。
父親は絶望したようにレイナを見つめ、涙を流している。
彼が見つめている先には──笑顔で猫の死体を抱きかかえる一人の幼い女の子。
彼女がレイナだ。
レイナは笑顔のまま素直に首を傾げる。
「何でそんなに怒っているの?何で泣いているの?
私はただ──猫ちゃんと遊んでいただけよ?」
とても可愛いから、いっぱい愛しただけ。
何がいけなかったの?
ママも、パパも、何で怒るの?泣くの?
私には分からなかった。
可愛いと思ったから、力いっぱいに撫でた。
大好きだから、精一杯抱き締めた。
そうしたら──猫は動かなくなってしまった。
動かなくなっちゃったのがいけなかったのかな……?
──激しいノイズと共に場面が切り替わる。別の記憶が流れ始める。
「異常者のくせに、身体だけは立派だよな」
お兄ちゃんは口は悪かったけど優しかった。
いつも私をいっぱい触って、いっぱい『愛』を囁いてくれた。
だから──許されると思った。
愛することも、私から触れることも。
◆◆◆
「……っ!なんて酷い兄だ……!」
私は吐き気を催し、口元を押さえる。
映像を全部見なくても、そこで起きた出来事が闇を通じて勝手に私の中へ流れ込んでくる。
私は耐えきれず、場面を切り替えた。
◆◆◆
気付けば私の両手は、温かな『兄だったもの』で濡れていた。
真っ赤な真っ赤な温かい兄の温度。
いっぱい愛して、いっぱい触れたら──バラバラになっちゃった。
床には兄の中から出た温かい『何か』が転がっていた。
「きゃあああああ!オリヴァ!!!」
ママがお兄ちゃんの名前を叫びながら、床に転がった何かを掻き集めて涙を流し、怯えた目で私を見てくる。
何がそんなに悲しいんだろうか。
何がそんなに怖いんだろうか。
「兄を殺すなんて……っ!は、早く、エクソシストに通報を!」
怯えながら外へ逃げるように駆け出すパパ。
パパは何でそんなに怯えた顔で私を見るの?
昔は可愛い可愛いっていっぱい撫でてくれたのに。
何で、何で、何で?
ママも、パパも、私を見てくれない。
泣き叫び、怯えた目で私を見てくる。
お兄ちゃんだけは愛してくれたよ?
今は動かなくなっちゃったけど、ここにいるよ?
「私が悪いの?お兄ちゃんを愛しただけなのに?」
私の疑問に誰も答えてくれない。
私の声は──誰にも届かなかった。
昔はママもパパも、沢山「愛してる」って言ってくれた。
でも……いつからだろう。
私のことを化物を見るような目で見るようになったのは。
ママが顔を上げ、醜く歪んだ顔で叫んだ。
「あんたなんて産むんじゃなかった!」
どうして?どうしてそんな酷いことを言うの?
私は……いらない子なの……?
この瞬間、全部がどうでもよくなった。
──もう、いいや。
愛されなくていい。愛してほしいとも思わない。
私は、私が愛していることが大事なんだから。
ママ。
パパ。
お兄ちゃん。
──愛してる。
私は全力で愛した。
私なりの愛で、想いを家族に捧げた。
ママも、パパも、お兄ちゃんとお揃いになった。
部屋中に転がる、家族だった──何か。
足を踏み出せば、ぬるっと絡みつく家族の体温。
ああ──温かい。これが家族の温もり、家族の愛。
「あはははは!これで、一生一緒よ!
大丈夫。私はちゃんと愛してあげられるわ!
臓物一つ残らず、全部──愛してあげる」
彼女はくるくる回り踊る。
今までに感じたことのない幸福に満たされ、愉快そうに笑う。
同時に、痛いほどの感情に心を支配される。
寂しい。独りは寂しい。
誰か──誰か、お願い。私を──
「愛して」
────殺して。
◆◆◆
「──これが君の本心か」
私は目を開き、白い部屋で意識を戻す。
すると抱き締めていたレイナが私から離れ、頭を抱え絶叫する。
「いやああああああああ!!」
彼女の闇に、心に触れた。
無理矢理暴いた。
「見ないで!見ないで!私を見ないで!」
本心を暴かれ、ボロボロと涙を流すレイナ。
私は立ち上がり、そっと彼女を抱き締めた。
怯えて、苦しんで、全身を震わせている。
「パパ……ママ……お兄ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「うん」
「私……愛したかっただけなの。……でも分からないの、愛し方が……わからないの」
「うん」
「好きだから……いっぱい触れたかっただけなの……ごめんなさい、こんな子でごめんなさい……」
「……うん」
「先生……愛してほしい……」
「………うん」
悲痛なまでの叫びだった。
私の胸も酷く痛くなる。
レイナは闇堕ち人ではない。
こんなにも罪悪感を抱き、こんなにも誰かを求めている。
ただ……分からなかっただけなんだ。
愛し方が、愛され方が分からなかった。
きっと、この子は私に似ていた。
私も、愛し方も愛され方も分からないんだ。
「先生、先生……っ」
静かに浮かび上がった闇の刻印が、レイナの全身へ急激に広がっていく。
レイナはずっと隠していたんだ。
ずっと気付かないふりをして闇を抑え込んでいた。
私が暴いてしまった以上、もう闇は止まらない。
そして──レイナが犯した罪もまた、消えることはない。
『聖明!』
龍の声が響き渡る。
通信魔法を応用して、無理矢理こちらに音声を通しているんだろう。
『そいつは処刑対象だ!』
龍が言いたいことは分かる。
闇堕ち人ではない時点で、レイナはただの死刑囚だ。
研究対象としての資格を失った以上、速やかに処刑するのが決まりだ。
私は静かに龍に返事をする。
「……分かっているよ」
せめて、最後くらいはレイナの願いを叶えよう。
私には本当の意味で誰かを愛するというのが分からない。
恋愛感情というものは、特によく分からない。
でも──真似事ぐらいならできる。
「レイナ」
私は優しく彼女の名前を呼び、頭をそっと撫でる。
彼女は顔を上げ、私の目を見た。
レイナも気付いている。
私が今からすることも、考えていることも、分かっている。
それでも彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「……好きだよ、レイナ」
「ありがとう……先生、愛してくれて……ありがとう」
私たちは唇を重ねた。
そして──音もなく、私の影から伸びた闇の茨が彼女の心臓を貫いた。
茨を伝い、彼女の血がポタポタと、床に広がった私の血へ重なるように落ちていく。
彼女の目から光が消え、手がずるりと滑り落ちた。
私は唇を離し、力のない彼女の体を抱きかかえ、その場にしゃがむ。
開いたままの目をそっと手で覆い、瞼を閉じる。
ごめんね。私にできるのはこれくらいだ。
穏やかに眠る彼女を見て、私は『羨ましい』なんて思ってしまった。
なんて──身勝手なんだろう。
余程、私のほうが罪深い。
「……おやすみ。レイナ」
せめて──もう寂しくありませんように。




