第71話 本当の顔
──レイナ・シュバルツの診察五日目。
今日はいつもと違い、壁の向こうの部屋には誰もいない。
僕がいつも見守っていた部屋で、聖明と二人、横に並んでソファに座っている。
聖明は真剣な顔でカルテを捲っている。
その横顔はやけに白く、明らかに顔色が悪い。
ここに来てからというもの、聖明の体調がどんどん悪くなっている気がしてならなかった。
「……聖明」
「ん〜?」
「体調悪そうに見えるけど……大丈夫なの……?」
僕は一瞬、聖明に手を伸ばしかけたけど手を引っ込めてしまった。
昨日のこともあって、いつもはどんな距離感で接していたか分からなくなっていたんだ。
「大丈夫」
「嘘ばかり言わないでください!」
聖明の影の中から黒猫姿のリリーが現れ、僕たちの間に座る。
「主は昨日から徐々に熱が上がっているんですよ!」
「り、リリー……ごめんって……」
聖明はカルテをソファ横のサイドテーブルに置くと、リリーを抱き上げ謝り倒し始める。
リリーの言葉を聞いて聖明をよく観察すると、額にほんのり汗が浮かび、首筋には薄っすらと闇の刻印が見える。
恐らく発作の兆候が出始めてる。
いや、もしかしたら軽い発作が起きているのかもしれない。
何でそこまでして仕事をするんだ……!
「せいめ──」
僕が名前を呼ぼうとした瞬間、聖明がいつもの穏やかな顔でニッコリと微笑んだ。
リリーをそっと下ろすと僕に詰め寄るように距離を縮めてくる。
「なになに? 心配してくれてるの?風真は可愛いね」
次の瞬間、ニヤッと口角を上げたので嫌な予感がして席を立とうとしたけど──一足遅かった。
背を向けた瞬間に背後から抱き着かれ、頭をわしゃわしゃと撫で回してくる。
「うわあああ!聖明!やめろって!」
「へへ、風真〜」
「せいめ……」
思った以上に聖明の身体が熱いのに気付き、僕は固まってしまう。
聖明はいつもよりどこか力がなく、僕のお腹に手を回し、甘えるように肩に頭を預けてくる。
「ふうま……」
心配と同時に、名前を呼ばれるだけで急激に恥ずかしくなる。
僕は少し悩んだ後に聖明の頭を撫でようとそっと手を伸ばした──その時だった。
部屋の扉が開き、龍さんが入ってくる。
「お待たせ〜……って、お前ら何してんだ……」
僕はハッとして慌てて手を引っ込める。
「へへ〜風真に甘えてたの」
聖明は頭を上げ、少し気の抜けた声で答えた。
僕は思わず深い溜め息が漏れてしまう。
「……まあいいや。聖明。それよりだ。
レイナ嬢から伝言だ。『今日は会いたくない!』だとさ」
その言葉を聞いたせいか、聖明の空気が少し変わった気がした。
聖明は僕から離れるとソファに座り直して軽く息を吐く。
「まあ……そうだろうね」
「聖明。今日はどうする?カウンセリングは一日空けるか?」
すると聖明が急に口角を上げ、ふと笑う。
「いや、強制的に連れてきて。良い兆候だ」
その笑みは昨日見た、どこか狂気を孕んだ笑みで、僕は息を呑んでしまう。
しかし、龍さんは顔色一つ変えずに頷いた。
聖明はそれを確認すると立ち上がり、龍さんの肩を軽く叩くと部屋を出ていく。
それと同時にリリーは聖明の影の中に沈んだ。
そして、壁の向こうの部屋へと移動し、二脚しかないソファの片方へと座り足を組んだ。
その間に龍さんは通信魔法を展開し、手の平サイズほどの結晶石に向けてなにか指示を出している様子。
暫くすると聖明がいる部屋に、エクソシストに連れられた少女──レイナが現れた。
エクソシストは彼女を席に座らせると手錠を外し、速やかに部屋を出る。
「やあ、こんにちは、レイナさん」
聖明の挨拶に、彼女は露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「なんて白々しい!今日は会いたくないって言ったじゃない!」
レイナは感情を剥き出しにし、怒鳴るように言い放つ。
しかし、聖明は変わらなぬ笑みを浮かべたまま。
「はは。私が会いたかったんだ」
「何で私なんかに会いたがるのよ……!」
レイナも聖明の異様さに本能的に気付いているのかもしれない。
怒りながらも、声がどこか震え、表情に困惑の色が見える。
「ふふ、レイナさんがまた泣いているんじゃないかと思ってね」
聖明はいつものように微笑んでいる。
でも──その声は淡々としていて、どこか希薄だ。
まるで感情があるようでないような声に聞こえる。
「そ、そんなわけ……っ」
すると聖明は席を立ち、レイナに近付くと彼女の顎を軽く掴み、顔を上げさせる。
そして、必要以上に顔を近づけ話し続ける。
「ほら、目元が腫れてるよ?」
「~~っ!あなた!女たらしでしょ!?絶対そうよ!」
レイナは顔を真っ赤にしながら聖明の手を振り払い、叫ぶように言い放つ。
すると聖明はどこか芝居がかった仕草で言う。
「酷いなあ。私だって傷付いちゃうんだよ?」
「そんな平然とした顔をして傷付いてるわけないじゃない!」
レイナは必死な様子で声を荒げる。
聖明はどこか可笑しそうに笑いながらレイナを見ているせいもあって神経を逆撫でしているようにしか見えない。
聖明は一体、何をしたいんだ……?
僕が疑問に思いながら黙って見ていると、聖明は彼女の前で膝をつき、白銀の長い髪をサラッと撫でて手に取る。
その行動にレイナも硬直した様子で聖明を真っ直ぐに見る。
「やっと、演技をしなくなったね」
「な……っ」
──まさか、わざとレイナを怒らせてたの?でも、どうして?
仮にレイナが演技をしていたとして、それを暴いたところで何が起きるのか、僕には見当もつかなかった。
「初めて会った時から、レイナさんは『殺人鬼』を演じ続けていたね。
でも──今の君はただの女の子だ」
聖明は彼女の髪にキスを落とし、レイナを真っ直ぐに見つめる。
彼女は一瞬、息を呑み、声を詰まらせる。
そして、震える声で否定し始める。
「そ、そんなことはない!私は……ママもパパも、お兄ちゃんも殺したのよ!
……人って脆いのね!いっぱい愛したかっただけなのに、簡単に……壊れちゃった……」
今なら少し分かる。
初日と違って彼女の感情が僕でも分かる。
消え入りそうな声色に、どこか憂いの色があった。
でも……どうしてだ?
だって、彼女は凶悪犯で、闇堕ち人。
罪悪感が希薄なはずじゃ……?
でも、目の前の少女は、聖明の一言一言に動揺し、感情を剥き出しに怒り、戸惑い──震えている。
聖明が言ったように今の彼女はただの女の子にしか見えなかった。
「私は殺人鬼なの!だから──」
「そうだね。確かに君は両親と兄を殺した。
それは人が脆いせいだ。人は──脆いんだよ」
次の瞬間、レイナは何かに耐えきれなくなったように聖明を押し倒し、馬乗りになった。
「聖明!?」
流石に僕は声を上げてしまう。
でも、この部屋からでは僕の声は届かない。
レイナは聖明の首に両手を掛け、締め上げ始める。
「でも、先生は違うんでしょ?壊れないんでしょ?
だったら──私の愛を受け入れてくれる?いっぱい私が愛しても平気よね!?」
レイナが叫ぶように告げた瞬間、スカートの裾から隠し持っていたフォークを取り出す。
そして──そのフォークを聖明の目に容赦なく突き刺した。
「聖明!!!」
本当に一瞬のことだった。
──いくら不老不死でも、これは駄目だ!助けなきゃ!
僕は立ち上がり、壁の向こうの部屋に行こうとする。
しかし、行く手を阻むように龍さんが扉の前に立ちはだかった。
「邪魔だ!退け!」
僕はあまりの怒りに叫ぶ。
この男!こんな時まで邪魔するつもりか!?
聖明があんな目に遭ってるんだぞ!?
「邪魔になるのは──連れ、お前だ」
何もかも分かったような顔をする、目の前の男が憎たらしい。
「ふざけてんのか!?不死であろうと痛みはあるんだ!無傷じゃないんだよ!?」
僕は何度も見てきた。
聖明が何度も傷付いてきたところを。
決して──平気だったことなんて一度もない!
「それでもだ!」
一際大きな声で、龍が僕を睨みつけながら言い放つ。
刹那、レイナの笑い声が響き、僕は慌てて壁の向こうの部屋を見る。
そこには……血塗れになった聖明が横たわっていた。
聖明の頭から血が流れ、腹部は切り裂かれ──臓物が飛び出している。
あまりの惨劇に、僕は言葉を失ってしまった。
聖明は気を失っているのか、ピクリとも動かない。
そんな彼の上で、レイナは聖明の血に塗れ、恍惚とした表情で微笑んでいた。
「せいめ……」
「先生。好きよ。ねえ、先生。これでも本当に生きているの?」
レイナの言葉に反応するように聖明の手がピクッと動く。
そして──聖明はゆっくりレイナに手を伸ばした。
「──!」
「いきなりだね……確かに、死にはしないけど痛覚はある……流石に意識が飛んだみたいだ」
そう言い切ると起き上がり、座ったままレイナをそっと抱き締めた。
「本当に……死なないのね……」
「ああ……死ねないんだ」
聖明が話している間にも、その体が修復されていくのが分かる。
千切れていた臓物は徐々に塵のようになって消え、裂かれた腹部も再生し、綺麗な肌へと戻っていく。
ただ大量に流れた血だけは白い空間を染めていた。
「……満足したかな?」
聖明はレイナを抱き締めたまま尋ねる。
彼女は頷き、小さな声で答えた。
「ええ……とても」
異様な光景に僕たちは言葉もなく、ただ見つめ続けていた。
聖明はレイナの頬に手を添え、優しく語り掛ける。
「レイナ……君は愛されたいんだね。
誰かに本気で愛してほしくて試してしまう。
君は──本当は愛し方が分からないんじゃないか?」
「ち、違う……私は、愛せればいいの!愛してほしくなんて──」
「怖がらなくて良い。
私もね……愛ってよく分からないんだ」
聖明の言葉に、僕は声も出ないほどの衝撃を受ける。
愛が分からないって……どういうこと……?
でも、聖明は他人を思いやれる感情はあるはずだ。
だって、僕やリリーを大切にしてくれる。
龍さんのことだって、聖明なりに心を許しているのが分かる。
なのに、なんで愛が分からないなんて……。
次の瞬間、レイナから力が抜け、聖明に凭れ掛かる。
どうやら気絶しているらしい。
「え……?何で……」
聖明は当然のような顔で彼女を抱き締め、そのまま抱きかかえてソファに座ると、目を閉じた。
一体、さっきから目の前で何が起きてるんだよ……。
僕の困惑に回答を与えるように龍さんが小さく呟いた。
「精神に入ったか」
僕はただ、次に何か起きるまで黙って見ているしかなかった。
不安で不安で仕方がない。
僕はそんな気持ちを押し殺し、眠るように目を閉じた二人を見つめた。
聖明……早く、戻ってきて……お願い。




