第69話 衝撃と戸惑い
──レイナ・シュバルツの診察二日目。
昨日と同じ白い空間で聖明とレイナが向き合っている。
僕も昨日同様に龍さんと白いソファに座りながら透過された壁越しに隣の部屋を見守っていた。
「レイナさん。昨日はよく眠れたかな?」
聖明はいつものような穏やかな笑みを浮かべ問い掛ける。
すると少女は両手の指先を合わせ、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんよ!
こんな素敵な先生とお話ができる機会ですもの。
寝不足のままお会いするなんて勿体ないわ」
彼女の白銀の髪が揺れ、首元の魔力制御装置が見える。
あの装置は、体内の魔力を半永久的に大気へ分散・放出し、魔法を使えなくするものだと聞く。
設定次第では体の自由まで奪えるほどの装置で、「いざという時でも安全」と聖明は言っていたけど……凶悪犯相手なのは変わりない。
僕は心配で内心ソワソワしながら二人の様子を見つめる。
「それは光栄だね。さて、今日は何を話そうか」
聖明の言葉にふと素朴な疑問が浮かび、隣りに座る龍さんに尋ねてみる。
「龍さん。世間話で何か進展するの?精神鑑定って、こう……何か特殊な魔法を展開するのかと」
龍さんはチラッと僕を見ると、直ぐに聖明に視線を戻し、そのまま答え始める。
「穏やかな会話なんてただの導入だろ。あいつのことだ。直ぐにやらかす。
そう思って肉まん準備したしな」
そう言って僕たちが座るソファの後ろに設置されたテーブルを指さす。
そこには何故か大皿に準備された美味しそうな肉まんがある。
「いや、何で肉まんなんだよ……」
意味が分からない会話と肉まんに僕は思わず目を細ませてしまう。
「まあ、見てろって」
軽くいなされてしまい、僕は軽く息を吐くと仕方なく聖明たちに視線を戻した。
向こうの部屋ではレイナが嬉しそうに会話を続けていた。
「ふふ、お医者さんは前のお医者さんと違うのね。
だって──事件のことを聞かないもの」
遂に本題に入った──そんな気がした。
「今まで私をカウンセリングしてきた先生は皆、殺人動機を聞いたり、罪の重さを説いたりする人ばかりだった」
聖明は穏やかな口調で彼女の問いに答えるように話し始める。
「今までのお医者さんはそうだったかもしれないね。
でも、私はそんな物に興味はないんだ」
「え?」
「私は君自身に興味がある。
何が好きで、どんなことに心を惹かれるのか。君とはそんな話をしてみたい」
まるで口説き文句のような台詞に僕の表情は恐らくジト目になっていたと思う。
聖明って案外、恥ずかしい台詞をサラッと言うところがあるんだよね。
「まあ!先生は私に興味を持ってくれるの!?嬉しい!
それじゃあね、好きな色を教えてあげる。
私は先生の瞳の色が大好きよ」
レイナはそう言うとふらりと立ち上がり、聖明に近付くと彼の頬に手を添える。
でも、聖明は拒絶することもなく、微笑んだままレイナを見つめている。
「真っ赤な真っ赤な瞳。
鮮やかでまるで血の色みたい。
先生、私は──あなたの血が見たいわ」
僕はその台詞に嫌な予感がして立ち上がってしまう。
「龍さん!あれ、本当に大丈夫なの!?いくら魔力制御装置があるからって……!」
しかし、龍さんはチラッと僕を見るだけで答えてはくれない。
代わりと言わんばかりに聖明の声が響く。
「ああ、私の血が見たいんだね。いいよ。好きなだけ見てご覧」
とんでもない台詞に驚いた瞬間だった。
一瞬にして真っ白な部屋が赤く染まった。
「へ……?」
僕は思わず力が抜けて床に座り込んでしまう。
だって──聖明が自分の手で首を切り裂いたからだ。
何の躊躇もなく、手元に闇で生成したと思われる短剣を取り出し、その首を裂いたんだ。
吹き出た血は白いソファを赤色に染め、床にも徐々に赤色が広がっていく。
「どうして……」
僕が絶望しているのとは対照的に、レイナは目を輝かせ、その惨劇を嬉しそうに見つめていた。
「まあ!いきなり自分の首を切るなんて!?しかも、こんなに容赦なく!?」
聖明は闇のナイフを床に落とし、力なく口を開く。
「……喜んでもらえたのなら何よりだ」
「まあまあ!あんなに深く切ったのに普通に会話できるの!?
喉も切り裂いたかと思ったのに!」
聖明は弱々しく彼女の手を取ると自身の首に誘導する。
「確認してご覧。理由が分かるはずだ」
「──!傷が、ない?こんなに血が出たのに!?」
彼女は傷を確かめるように聖明の膝の上に乗り、首元を覗き込む。
「……私は特殊な体質でね。例え君が私を殺そうとしても決して死ぬことはないんだ」
その言葉にレイナは恍惚とした表情を浮かべ、自身の頬に真っ赤な血が付いた両手を添える。
「あ、ああああ!素敵!本当に素敵!
ママも、パパも、お兄ちゃんも……誰も私を理解してくれなかった!
でも、あなたは違う!もっと話したい!もっと知りたい!
もっと深く、もっと色々と!」
何だ、このやり取りは……!
異常だ!どう考えても普通じゃない!
僕はどうにか力を入れて立ち上がる。
──止めないと!
すると僕の動きを察したように、龍さんが呟いた。
「相変わらず無茶をする」
苦笑交じりの龍さんの呟きに僕は苛立ちを隠せなかった。
「こんなのおかしいだろ!無茶とかそういうレベルじゃ──」
僕が叫び始めた矢先、部屋の扉が開く。
振り向くと聖明が真っ赤な血に染まった白衣を身に纏いながら、僕たちの部屋に戻ってきていた。
彼の顔は真っ青で、どう考えてもひどい貧血なのが見て取れる。
「せいめ……」
僕が聖明を呼びかけようとしたところで、龍さんが僕の横を通り、テーブルにあった肉まんを手に取る。
「聖明。これ食っとけ。ないよりマシだろ。
いくら堕天使でも失った血は直ぐに補えないからな」
そう言って肉まんを投げ、聖明は血塗れの手でそれを掴む。
「……助かる」
この瞬間、僕は何故か怒りが爆発してしまった。
「聖明!駄目だ!先にシャワーだ!血塗れの手で肉まんを食べようとすんな!」
本当はこんなことを言いたかったわけじゃない。
でも、怒りに任せて咄嗟に出た台詞がこんなのだった。
僕は肉まんを取り上げゴミ箱に放り込むと、自身に身体強化の魔法を施し、聖明の腕を無理矢理引っ張る。
「うわっ……あああ、肉まん……」
「そんなもん後だろ!」
僕が部屋を出るために扉を開けようとしたところ、先に一人のエクソシストが扉を開けた。
彼は僕たちに一礼すると、龍さんのもとに静かに近寄り、何やら報告をしている様子。
「ん?ああ、分かってる。どうせ早く済ませろってことだろ?
急がなくても望み通りになるって」
何のことを言っているか分からないけど、龍さんに不信感を抱くのには十分だった。
聖明は「幼馴染で友人」と言っているけど、僕には到底信用できる人には思えない。
僕は彼に一瞬険しい視線を向けた後、聖明を連れて聖明の部屋へと向かった。
僕がしっかりしないとよくないことが起こる気がする。
◆◆◆
僕は聖明の部屋に押し入り、彼を無理矢理浴室に放り込んだ。
最初は何か訴えていたけど、暫くするとシャワーの音が聞こえ始めたので部屋のソファに腰を掛けて待つことにした。
いつもならリリーが出てきて何か話しそうなものだけど、今日に限ってリリーは聖明の影から出てこない。
一体何が起きてるんだよ……。
「風真〜……出たよ」
聖明の声がして振り返ると、気が抜けているのか女性姿で、しかもバスローブ一枚だけだった。
「聖明……っ」
僕は今度は違う意味で焦り視線を逸らす。
すると女性姿のリリーが聖明の影から現れ、聖明のバスローブを胸元がしっかり隠れるように整える。
「主。いくら家族でも男性である風真様の前で気を抜き過ぎです」
「え〜?そうかな……」
家族とはいえあまりに男性として認識されていない気がして、変に心が痛くなってくる。
聖明はふらふらと歩き、ベッドにふわっと座る。
するとリリーは素早くタオルを持ち出し、座った聖明の後ろに回り込むとタオルで髪を拭いながら風魔法で乾かし始める。
「リリー……ありがと……」
「折角の綺麗な御髪です。傷まないように乾かしましょう」
「ん〜……」
髪を乾かされながら、どこか眠そうな表情で答える聖明。
その顔色は相変わらず悪く、ただでさえ白い肌が更に血の気を失い、陶器のように見える。
今になって『肉まんを食べさせればよかったのかな?』なんて思ってしまう。
「ねえ、聖明」
「ん〜?」
「今回の仕事、何か変だよ」
死刑囚の精神鑑定なんて理解できないし、しかもその理由が『闇堕ち人』の原因究明だ。
そんなこと、本当に医者の仕事なのか?
聖明がやるべきことなの?
今回の仕事が始まってから、徐々に聖明がおかしくなっている気がしてならない。
あれだけシルロ先生のところでやっと自身を大切にするようになったと思った矢先に今日の出来事だ!
こんなのが仕事だと言われても納得いくわけがない!
しかし、聖明は危機感がない間延びしたような声で答える。
「あ〜うん……こういうことも多いよ。
私の仕事って医療と軍務が中心だけど、たまにこういう特殊なのがあってね……。
例えば……悪魔を誘き寄せる囮とか……」
「それは医者の仕事じゃないだろおおおお!!!」
僕は思わず叫んでいた。
「仕方ないよ。闇を扱える堕天使だからね。私たちにしかできないことも多い」
だから──だから嫌なんだ!
何度も感じてきた嫌悪感。
なんで堕天使というだけで、こんな危険な役割ばかり背負わなきゃいけないんだ!
こんな犯罪者を調べるなんて他の人でもできたはずだ!
それなのに──なんで!
「風真」
気付けば聖明は僕の前まで来ていて、僕の視線に合わせてしゃがんで僕を見上げていた。
綺麗な赤い瞳が僕を捉える。
「せいめ──」
聖明の手が伸びて僕を包むように優しく抱き締めた。
柔らかな身体に顔が埋まる。
聖明は特に何かを言うわけでもない。
ただ優しく包まれ、聖明の温もりを感じる。
どこか落ち着く温もりだ。
だからこそ、余計に思ってしまう。
「……聖明。なんで……何であんなことしたの……?
もっと自分を大事にしてよ!」
自分を傷付けるようなことをしないでよ!
そんな簡単に、自分を捨てるようなことをしないでよ!
僕の感情を宥めるように聖明が僕の頭を撫でる。
「私のこと心配してくれるの?風真は優しいね」
「優しいとかじゃないだろ!」
僕は勢いよく顔を上げると聖明と目が合う。
その表情はひたすら優しくて──何故か声が出なくなった。
「風真。ごめんね」
「え、それはどういう──」
僕は聖明の手を掴もうと手を上げた瞬間、ふよっとした感触が手に触れる。
疑問に思い視線を下げると──聖明の胸に手が触れていた。
しかも角度的に谷間が完全に見えている。
そう言えば……僕、今、この胸に顔を埋めて……。
その現実に気付いた瞬間、一気に顔が熱くなるのを感じた。
「風真……?」
よくよく聖明を見ると、お風呂上がりだからか、髪や唇は艶やかで……何だかいい香りまでする。
この時になって初めて、僕は自覚する。
女性姿の聖明は──凄い綺麗なんだって。
「うわあああ!!!」
「へ!?」
僕は勢いよく立ち上がり部屋の扉まで一気に走る。
そのまま扉を開けて聖明に叫ぶように告げる。
「ぼ、僕、疲れたから先に休むね!またね!」
「ふ、風真!?」
僕は勢いよく扉を閉めて、横にある自分の部屋に駆け込んだ。
クソ……ッ!何やってるんだよ!僕!
他にも色々気になることがあったはずなのに気が動転して思考がまとまらない。
僕は扉の前で座り込んで頭を抱えながら何度も溜息を付き続けた。
◆◆◆
その頃の聖明は──。
「り、リリー……私、風真に何かした……?」
聖明は困惑した表情でリリーを見つめて問い掛ける。
その様子にリリーは溜息を吐き、黒猫姿に戻るとベッドの上で転がる。
「主。女性姿の時は異性に抱き着かないほうが良いですよ」
「う、うん……?」
聖明は困惑し続けていた。




