第68話 12セクター
白い壁に白い床。
窓ひとつない無機質な空間。
この部屋に存在するのは白い一人掛けのソファが二脚だけ。
私はその片方に腰を下ろし、目の前に座る少女を見つめる。
──ここはエクソシスト諜報部12セクター内にある一室。
部屋には強固な結界が張られており、一種の檻のような場所だ。
そして──目の前にいる少女は囚人だ。
レイナ・シュバルツ、17歳。
天使と人間のハーフ。
白銀の長い髪に薄紫の瞳を持つ少女。
彼女の首には魔力制御装置が付けられ、魔法の使用を封じられている。
「あなたが……次の先生なの?」
少女は首を傾げて私に問いかけてきた。
「こんにちは、レイナ。
今日からあなたの担当医になる聖明・紅と申します」
私は片手にカルテを持ったまま、柔らかな笑みを浮かべて挨拶する。
彼女はその笑みに応じるように、ゆっくりと微笑んで両手の指の先を合わせた。
「お若い先生なのね。……あなたなら、私を救えるのかしら?」
それはどこか試すような──挑むような響きを孕んだ問い。
私は一瞬だけ視線を伏せ、静かに返す。
「……私は、救うことはできません。
できるのは、ほんの少しの手助けだけです」
──そう。
心を救うのは、いつだってその人自身にしかできないのだから。
私の胸の内を見透かしたように、彼女は目を細めて再び微笑んだ。
◆◆◆
僕は龍さんに連れられ、とある部屋に来ていた。
三人掛けの白いソファに横並びで龍さんと座っている。
僕たちは白い壁に向かって座り、壁に展開された透過魔法によって隣の部屋が見えるようになっている。
白い部屋の中央には、聖明と一人の少女が対面するように座っている。
あの少女は今回の患者らしい。
隣室の様子はこちらから見えるけど、僕たちの声は聖明たちには聞こえないらしい。
逆に、向こうの声はこちらに届く仕様だ。
「不思議な透過魔法だね」
僕は透過された壁を眺めながら、四方に設置されている機械に目を向けて言う。
恐らくこれが壁を透過している魔導機構だ。
機械からは淡い緑色のマナの粒子が仄かに輝きを放っている。
「これも俺の開発した魔導機構だな。
魔石を利用して最小限の魔力で起動できる優れものだ。
誰かがずっと魔法を展開せずに済むから便利だと思うぜ」
龍は聖明たちを横目に、手元の資料に目を落とし補足するように話を続ける。
「レイナ・シュバルツ、17歳。
天使と人間のハーフ。見た目はただの可憐な少女──だが」
そう前置きして、淡々と読み上げていく。
「彼女は死刑囚だ。
罪状は殺人。しかも両親と兄を残虐な方法で殺害している」
「はい!?」
僕はビックリして龍さんを勢いよく見る。
だって、死刑囚を診察する意味が分からない!
何より聖明一人を殺人犯の前に出すなんて何考えてるんだよ!
「まあ、言いたいことは分かるが最後まで聞いとけ。
被害者である家族は、全員生きたまま腹を裂かれ、解剖されている。
家族を見かけないのを不審に思った近隣住民がエクソシストに通報、事件が発覚。
発見時、ホルマリン漬けにした家族の遺体を飾り、何食わぬ顔で"日常"を送っていたのが彼女だ」
とんでもない内容に僕は一瞬、絶句してしまう。
そして、同時に疑問も頭に浮かんでくる。
「いや、待ってよ。そんな凶悪犯相手に聖明が駆り出されてるの!?」
聖明は闇魔法医療医師で人の心の病を治すのが主な仕事だ。
でも相手は死刑囚で、加害者側だ。
横の部屋を見ても少女が闇に蝕まれているようには思えない。
龍さんは資料を僕に手渡し、笑顔を浮かべたまま話を続ける。
「闇魔法医療ってのは精神鑑定もあるんだよ。
普通の医師による精神鑑定より精度が高いからな。
ま、今回に限ってはそもそもの鑑定の意味合いが違うけどな」
僕は腑に落ちないまま、渡された資料を捲っていく。
その中に気になる一文が記載されていた。
「あれ?死亡確認済み……?」
資料には確かにそう記されている。
しかし、僕の目の前には、資料に添付されている写真と同じ少女の姿がある。
僕の疑問に答えるように龍さんは聖明たちを見たまま更に補足してくれる。
「表向きには、既に死刑執行済みになってる。
要はあのレイナって子は事実上、いない存在として扱われる」
「なんでそんなことに?」
尚更、聖明があの少女の精神鑑定をする意味が分からない。
すると龍さんが僕を見ながら手振りを添えて説明し始める。
「そもそも人っていうのは心が弱い。
殺人なんて重い罪を犯せば、罪悪感から心に闇が生まれ、蝕まれるのが普通だ。
闇に蝕まれ放置すれば刻印が浮き出る。
刻印が身体を蝕めば最後には死に至り、最悪転化する。
まあ、ここら辺はお前も知ってるな。
でもな、稀に例外がいるんだ」
「例外……?」
龍は壁に向かい指を指す。
その先には死刑囚である少女──レイナ・シュバルツ。
「どんなに罪深い罪を犯しても、心に闇が生じても、それに蝕まれない存在だ。
要は自身の心の闇に絶対的な免疫がある存在ってことだ。
元々心が壊れているのか、はたまた堕天使のように感情が欠如しているのか……それさえもまだ解明できていない。
ただ、多くの場合はそもそも罪悪感そのものが希薄だ。
これを俺たちエクソシストはこう呼んでいる。
──『闇堕ち人』と」
「闇堕ち人……」
「闇堕ち人になる原因は不明。
善悪を理解していても罪に対する忌避感が希薄なため、人を殺すことにも躊躇しない。
“常軌を逸している”のに“異常”とは判断できない。
だからこそ、凶悪犯になり得る存在だ」
僕はそんな恐ろしい存在がいるのかと息を呑む。
罪悪感を感じないなんて──まるで悪魔じゃないか。
「闇堕ち人という存在は、ある意味興味深い。
原因が分かれば、もしかしたら悪魔からの闇の侵食に対抗する手段が見つかるかもしれない。
そこで我々は今回の死刑囚相手に司法取引を持ちかけている。
研究対象としてその身を差し出せば死刑を回避できる──という特例的な取引だ」
「え!?凶悪犯を生かすっていうの!?」
あまりに恐ろしい内容に僕は声を荒げてしまう。
「そうだ。とはいえ自由なんてない。
生存権を得るかわりに実験体になるんだ。
それにどう足掻いたって死刑囚には変わりない。
何かあれば即処刑だ。
そして──レイナ・シュバルツはそれに同意している」
なんていう無茶苦茶な司法取引だ。
いくら死刑囚とはいえ人権なんてあったもんじゃない。
これがエクソシストがやるようなことなの?
僕はもっとエクソシストって民を守る崇高な仕事だと思っていた。
「……それは聖明も知ってるの?」
「当たり前だ。さっきも言ったが聖明は今回、実験体の精神鑑定をしているんだ。
堕天使の中でも聖明は深層心理まで覗ける唯一の存在だ。
闇堕ち人を調べるのにうってつけってことだ」
聖明が深層心理まで覗ける……?
たしかに今までだってジャンヌの闇の中に入ったりしたことはあったけど……そんなことまでできるの?
ここに来て、僕はまだ聖明について知らないことがあるんだと実感させられてしまう。
今の話が本当であれば聖明は人の心が読めるっていうことだ。
もしかして、今まで察しが良いと感じていたのは聖明が僕の心を読んでいたってこと……?
そんな可能性も脳裏を過ぎり、僕はゾッと底知れぬ寒気が背筋を襲う。
「龍さん、それって聖明が普段から人の心を読んで──」
僕が疑問をぶつけようとした瞬間、部屋の扉が静かに開いた。
そこには横の部屋にいたはずの聖明が静かに戻ってきていた。
「待たせてすまない。今日の面談は一通り終わったよ」
聖明の表情に少し疲れたような色が見える。
聖明は透過魔法が展開されている魔導機構を止めると、壁に寄りかかって龍さんを見る。
「聖明、お疲れさん!で、どうだったんだ?」
龍さんも立ち上がり、壁に寄りかかっている聖明の首に腕を回し、その体重を聖明に預けるように凭れ掛かる。
「どうもこうも、今日は挨拶と世間話だけだ。本格的なのは明日から徐々に始める予定だ」
聖明はどこか呆れたような顔でそう言い放つ。
「そっかそっか!とりあえず今回の仕事が終わるまでは12セクターで詰めるしかないな。
仕事が終わるまでも時間があるし、今までのアレコレを話そうぜ!
あ、その前に案内しないとな。仕事中、街にいちいち戻らなくても良いように部屋を手配してある」
龍さんの言葉に僕は首を傾げる。
「部屋?ここって宿泊施設もあるの?」
すると聖明がいつものように穏やかな表情を浮かべ僕に微笑む。
「諜報部は何かと大変だからね。
基本的に全てのセクターに寝泊まりできるように宿泊用の部屋が準備されているんだ。
長期任務の人もいるから、そういった人が特に利用するかな」
聖明が軽く説明し終わると僕と聖明の間に龍さんがニカッと笑って割り込んでくる。
「安心しろって!下手な施設より設備は整ってる!
ほら、今から案内してやるからさ!俺についてこ〜い!」
龍さんは呑気な声でそう言うと、聖明の首に再び腕を絡め、引っ張るように連れ歩き始める。
「おい、龍……っ、普通に歩けって」
「難いこと言うなよ!俺達の仲だろ?」
そんなやり取りに唖然としていると少し距離ができてしまって、僕は慌てて後を追いかけた。
廊下に出ると白い廊下には何人ものエクソシストの人たちが行き交っている。
普通の支部と違って聖明を見て、わざわざ噂したり、嫌な視線を向ける人はいないように思える。
ただ、それでも聖明の容姿が目立つのか、通りすがりざまに一瞬目を奪われるものは多い。
聖明は男性姿だと恐らく180センチ近くある。
元々目を引く容姿なのに、あの身長だから余計に目立つんだろう。
僕がそんなことを考えている中、龍さんはどんどん奥の区画へと足を進めていく。
すると途中から少しだけ雰囲気の違う廊下に入った。
廊下にはグレーのカーペットが敷き詰められ、白く無機質だった壁も、木を基調とした温かみのあるものへと変わる。
一定間隔に並ぶ扉や柱にも細やかな装飾が施され、どこか高級感がある。
一見、完全な木造かと思いきや、扉には魔導機構と思われる何かの装置が取り付けられていることに気付く。
これは何の装置なんだろう?
「よし!ここが聖明の部屋な!」
急に立ち止まったと思ったら、龍さんが元気な声でそう告げる。
聖明はそれを聞くと、先ほど僕が疑問に思っていた魔導機構に手を触れ魔力を流す。
すると扉が自然と開いた。
「え、これってもしかして鍵なの?」
僕はハッとしてそんな声を上げてしまう。
すると聖明が「あ、そっか」と声を上げ、代わりに続けるように龍さんが話し始める。
「これも俺が開発した魔導機構だ!
登録してある人物の魔力に反応する仕組みだ!魔力の質は指紋のように人それぞれで全員違う。
それを利用したシステムってわけだ。
今回は部屋の鍵として利用してるから、他人が急に侵入するなんてことは不可能だ。
ま、ここはエクソシストの諜報機関の施設だからな。
危険も多い分、通常よりセキュリティが強固になってるんだ」
そう言いながら聖明の背中を押し、部屋に入っていく。
僕も続けて中に入ると、想像以上に綺麗な室内に僕は小さな歓声を上げていた。
廊下に続いて木を基調とした高級感溢れる部屋で、細やかな装飾が重厚感を生み出している。
部屋の中央にはシックなデザインのソファとテーブル。
左奥には大きなベッドが備え付けられ、右手の奥にはオープンキッチンまであるみたいだった。
中央奥の壁には二つ扉があるので、恐らくトイレとシャワー室かなんかだろう。
「凄いね。広いし凄い綺麗」
「ま、諜報活動はストレスの掛かる仕事だからな。
泊まるところぐらいしっかりして疲れを癒そうっていう方針だ」
龍さんが自慢げに話す中、聖明は小さな声で「うわぁ……懐かしい……」なんて言っていた。
恐らく聖明は昔にも泊まったことがあるんだろうなって何となく察する。
「あれ?」
聖明が急に声を上げるので、何かと思い聖明を見上げる。
「これって一人部屋だよね?風真は?」
それを聞き、確かに!と思い僕は聖明と一緒に龍さんに視線を移す。
「ん?横に部屋取ってあるぜ。
というか、何一緒の部屋が当たり前って顔してんだ?」
逆に不思議そうな顔で龍さんが首を傾げたかと思ったら、急にハッとしたような表情になり慌てたように聖明の両肩を掴む。
「わ!?」
「おい!聖明!お前まさか、この連れとずっと同じ部屋で寝泊まりしてたんじゃないだろうな!」
「へ?そうだけど……」
何故、今更的なことを聞いているのかと疑問に思いつつ僕は二人を見守る。
「お前な……!『あんな目』にあったことがあるのに男と同室ってなに考えてやがる!
お前もだ!聖明の連れ!」
「へ!?僕!?」
急に僕にも白羽の矢が立ち、ビックリして声が裏返ってしまう。
「一年も一緒にいたら流石に知ってんだろ!こいつは無性体で、女になれるんだぞ!
しかも、こいつときたら気を抜くと女になる!
普通、女と一緒に男が寝泊まりするなんて何かあったらどうするんだ!」
あまりに常識的なことを問われ、僕はハッとする。
確かに言われてみれば、幾ら家族と認められている仲とはいえ、女性と二人っきりで同室で過ごすのは不自然だ。
僕だって一応男なわけだし、配慮するべきだった……!
「でも、龍。風真は家族だし……」
聖明はピンときていないようで、相変わらず首を傾げて不服そうに訴える。
「お前の家族判定は何でそうもガバガバなんだよ!
お前ら、間違っても男女の関係ないよな!?」
「あるわけないでしょ!風真は家族だって言ってるじゃんか!」
聖明は珍しくムッとした顔で文句垂れるように言い放つ。
それに引き換え、龍さんは心底安心したような溜め息を吐き出し聖明の方をポンポンと叩く。
「聖明……頼むから貞操だけは死守してくれ。俺が殺されるから」
「いや、何言ってるの……龍……」
僕も何を言っているか分からないけど、龍さんからしたら何故か聖明の貞操が生命に危機の直結するらしい。
本当に意味が分からないけど。
「まあいい!」
そう大声で叫ぶように言い放ったと思ったら、今度は僕の両肩を掴んで背中を押してくる龍さん。
「え!?今度は何!?」
「お前の部屋も案内してやる!部屋を出て右隣が俺の部屋で、左隣がお前の部屋な!」
グイグイ押されながら扉まで追いやられていく。
僕も流石に困惑し気味だ。
「龍!」
「聖明はさっさと休んでおけ。どうせ寝不足だろ。顔色が悪い」
流石幼馴染と言うべきか。
聖明がここ最近寝付きが悪いみたいで、寝不足気味なのにも気付いていたようだ。
「うっ!」
「聖明!僕も部屋見てきて荷物片付けるからさ!ゆっくりしてて!」
僕は押されていた龍さんの手から逃れるように先に前に駆ける。
すると龍さんが先に扉を開けた。
「じゃ、2時間後ぐらいにもう一回来るわ!夕食は一緒に食べようぜ!」
「……わかった。それじゃ、シャワーでも浴びて寛ぐよ」
聖明は苦笑しながらも小さく手を振る。
「じゃ、後でね!聖明!」
僕は龍さんと扉を出て静かに扉を締めた。
──聖明が少しでも休めますように。




