第6話 真実の風
家の中は温かな明かりが灯され、リビングの暖炉ではパチパチと火が揺れる。
冷え切った体を温めるために、僕は有無を言う暇もなく、聖明に服を脱がされ、濡れた体を拭われ、新しいパジャマに着替えさせられた。
その上、もこもこの毛布で包まれた状態で、大きめなクッションに座らされ、暖炉の温もりを全身で浴びている真っ最中。
お陰様で身体はもうすっかりポカポカだ。
そんな僕に更に聖明は湯気が立ちこめるマグカップを差し出してきた。
「はちみつ入りのカモミールだ。
ホッとするし、中からも温まるよ」
「……ありがとう」
僕は聖明からマグカップを受け取ると両手で温もりを感じるように持つ。
横目で彼をちらっと見ると、温かな部屋に戻ったのもあってか、聖明の表情も少し落ち着きを取り戻しているように感じた。
彼の様子に安堵し、カモミールを飲むことにする。
冷ますように「ふー」と息を吹きかけると、火傷に注意しながら少し口に運ぶ。
すると程よい甘さと共に、カモミール独特な華やかな香りが鼻を抜けた。
思わず息を漏らして和んでいると聖明が安心したようにクスッと笑い、僕の横に座った。
彼の手にもマグカップがあり、中身は恐らくカモミール。
彼も少し冷ますように息を吹きかけると、クイッと飲み、息を漏らす。
彼もまた血で汚れたせいか、服装を変えていた。
白かったシャツは、今はグレーのシンプルなカッターシャツに替わり、白色のカーディガンを羽織っている。
手や首周りの包帯も新しいものに替えたのか滲んでいた血はなくなり、綺麗に巻き直されていた。
まだ巻いているということは、血が滲んでしまうほどの闇の刻印が浮き出ているんだと思う。
……心配だ。
「……ごめんね。怖い目に合わせてしまった」
聖明が申し訳なさそうに静かに告げる。
僕もまた彼に続くように謝った。
「ううん。僕も勝手に日記を読んじゃって……ごめんなさい」
人の日記を読んでしまうなんて、内容がどうであれ恥ずべき行為だと思う。
「いや、無防備に置いていた私が悪いんだ。本当にごめんね。
……瑠璃にも日記に何でも書くなって言われたことがあったんだ。
私はどうも抜けているところがあるみたいで、もう少ししっかりしたいんだけどね」
少しでも和ませようとしてくれているのか、彼は戯けたように笑った。
「……聖明。
ついでのようで申し訳ないとは思うんだけど色々聞いてもいい?」
僕はマグカップに視線を落としながら、今日のことを考えていた。
まだ出会ったばかりで、踏み込むのはきっと失礼だと思う。
それでも、僕は聖明のことを知りたいと思ってしまった。
「瑠璃っていう子の事とか……聖明の事とか。
さっき、聖明が女の人になったように見えたんだ」
僕は少し怖くて、聖明の顔を見て聞けなかった。
そのまましばらくの沈黙が続いた後、彼は静かな声で返事をしてくれた。
「……君には、話すべきなんだろうね」
恐る恐る顔を上げると、彼はとても優しい顔で僕のことを見ていた。
「いいよ。君は特別だ」
聖明の綺麗な瞳が暖炉の火を浴びて、美しく煌めく。
彼の瞳に吸い込まれるように彼の言葉に耳を傾けた。
その声はどこか懐かしむような、温かくも悲しそうな声だった。
「どれから話そうかな……。
そうだね。先ずは私の身体について話そう」
彼はマグカップを床に置くと、スルリと右腕を捲って包帯を解く。
そこには赤黒い闇の刻印が浮き出ていた。
でも、今は血が滲んでいないようで少しだけホッとする。
「堕天使は闇を扱える天使だと言ったと思う。
正式にはね、少し違うんだ。
本当は少しばかり闇に耐性があって、不死だから闇魔法が使えるだけなんだ」
聖明は自身の腕に浮かぶ刻印を指でなぞる。
「本来、血が出るほどの刻印が浮き出れば、普通の人であれば最悪死ぬし、悪魔や魔人、魔物といった存在に転化することさえある。
でも、堕天使はそうはならない。
どれだけ血が流れようとも、闇が体内で暴れようとも死ぬことはない。
何度も体内で血管が切れて、全身が激痛に襲われる。
それでも堕天使の肉体は勝手に再生する。
崩壊と再生を繰り返している間は先ほどのようにのた打ち回るしかできない。
「発作」が起きている間は私でも闇は管理しきれないから危ないんだ。
堕天使とは──不死なだけで、普通の天使とそこまで変わらないんだ」
その話を聞いて、治療してくれていた時の聖明を思い出す。
僕に浮き出ていた闇の刻印を聖明は自身に移していた。
きっと彼が僕の闇を引き受けてくれてたんだ。
もしそれが治療だというのであれば……なんて酷なんだろうか。
自己犠牲までして名前も知らない赤の他人を助けるなんてお人好し過ぎだ。
「……発作が起きると、性別まで変わっちゃうの?」
苦しんでいた時の聖明が脳裏から離れなかった。
元々、聖明の顔は整っているし、中性的だとは思っていた。
笑う顔は、どこかあどけなく可憐にさえ見える。
もし性別が変わるせいだとしたら妙に納得してしまうぐらいだ。
「あ〜……」
聖明が急に間抜けな声を出すので首を傾げてしまう。
すると口元を手で隠して、恥ずかしそうに視線を反らした。
「……あれは、また別の話なんだ。
少し込み入った話になってしまうんだ。
ただ……これだけ理解してくれればいいと思う……。
そもそも私の本来の性別は……男性でも女性でもないんだ」
「へ!?」
あまりの衝撃発言に僕は大きな声を上げてしまう。
「……諸事情があって、その……生まれつき、無性体と呼ばれる性別なんだ。
本来が無性体で、意識一つで男性にも女性にもなれるんだ」
「えええ!?そんなことあるの!?」
僕は何の記憶もないから、それが普通か珍しいかは分からないけど、少なからず僕は男だし、変えようと思って変えれるとも思えないので心底驚いてしまった。
「はは……両性体と呼ばれる種族は珍しくないんだけど、無性体は少し違って世間的にも珍しい……。
だから……人に知られると面倒なんだ。
母さんの言いつけもあって普段は男性として生きるようには努めている。
ただ……発作が起きたり、感情が強く揺さぶられると、身体が勝手に反応して……ああやって女性姿になってしまうんだ……。
ごめん、恥ずかしいから、あの姿は忘れて……っ」
そう言うと聖明は両手で顔を隠し、膝を立て、蹲ってしまう。
どうやら聖明にとって女性姿を見られることが余程恥ずかしいことなんだろう。
耳まで真っ赤で、どうしたものかと僕も狼狽えてしまう。
まあ、でも……可愛かったとは思う。
顔の印象は今とはそこまで大きくは変わらないけど、少し幼く見えるぐらいかな。
「聖明……大丈夫!女性姿も可愛いから!」
「へ!?」
聖明の声に僕自身、とんでもない事を口走っているのに気付き、僕まで顔が熱くなってきてしまう。
聖明も驚いたような顔で目を潤ませ、僕を見るものだから胸がドキドキしてしまう。
クソ……この人、何でこんなに顔が綺麗なんだよ……っ!
変な雰囲気になってしまったのもあり、僕は必死に話題を変えることにした。
「えっと、聖明!妹のこと、教えて!」
「え……あ、うん」
聖明は少し頬を赤くしたまま、思い出すように話を続けてくれた。
「妹の名前は瑠璃。
私の三歳年下で、とても優しくて純粋な子だったんだ。
瑠璃は変なところが父さんにそっくりで、魔力が強かったんだ。
だけどコントロールが下手で、魔法学校ではしょっちゅう天井や壁に穴を開けちゃってね。
よく呼び出されたな……」
「へ!?怖っ!」
聖明も色々規格外な気がするけど、妹も妹で相当、癖が強そうだ。
「はは、ビックリしちゃうよね。
手先も不器用で料理全般は壊滅的。
何を作るにしても大の苦手。
その上、力んで作るせいか……作った物に魔力を宿らせがちで、謎の生命体が生まれちゃうんだよね……」
聖明は何とも言えない笑顔のまま遠い目をしている。
よほど妹の制作物で苦労させられたのだろうか。
個人的には怖いもの見たさで謎の生命体をちょっと見てみたいと思ってしまった。
「謎の生命体は少し気になる」
「……そう?私はあれが何なのかを調べる勇気はないな……」
「そんなにか」
次の瞬間、聖明は何かを思い出したように嬉しそうにクスッと笑った。
「瑠璃は凄いんだ!
どんなに失敗しても、何度でも挑戦する真っ直ぐな心を持っていたんだ!
まあ、料理は必死に止めちゃったけど……でも、あの笑顔を見たら嬉しくなっちゃって」
「……そっか」
嬉しそうに語る彼の横顔は、本当に妹を愛していたのだとわかる。
だって、とても優しくて、どこか寂しそうな顔をするから。
「一回だけね、瑠璃と一緒にぬいぐるみを作ったんだ」
「ぬいぐるみ?」
「うん、そう」
聖明はニコッと微笑むと近くのソファに手を伸ばす。
そこには一体のテディベア。
薄茶色の黒い目をしたクマさんは、首に可愛らしい青色のリボンを付けていた。
「名前はパニョくん。今となっては、私の宝物だ」
自慢げにそう語ると、聖明は大事そうにテディベアを抱えたまま、他愛のない日常生活の話をしてくれた。
妹の謎の奇行や、父親と大暴れして大変だったこと。
母が早くに亡くなり、父も仕事で多忙で、殆ど二人暮らしだったこと……彼が語るどの内容にも、愛情が滲んでいた。
聖明は家族が大好きなんだ。
だから、余計に思ってしまう。
こんなにも愛されていた妹が、どうして、あんな道を選んでしまったのだろう、と。
「……真実の風とかいいかもなぁ」
聖明が唐突にそんなことを言い始める。
「え?何それ」
問い掛けると聖明は「ふふん」と自信満々と言った様子で笑うと言葉を続けた。
「君は表情豊かでコロコロと色んな顔を見せてくれる。
真っ直ぐで、とても良い子だ」
「へ!?何、急に!」
急に僕のことを褒め始めるから恥ずかしくなってしまい、僕は袖で顔を隠してしまう。
「──風真、なんてどう?」
「え……?」
言葉の意味が分からず、僕は聖明をじっと見てしまう。
その瞬間、暖炉の火がパチリと鳴った。
「君の名前だよ。東洋の言葉で『真実の風』って書くんだ。
当て字ではあるんだけど、同じ漢字で「かざま」とも読めるんだけど、君の場合は「ふうま」の方が似合うと思うんだよね」
聖明は少し唸るように言う。
僕は想像もしていなかった言葉に、小さく復唱するように、その響きを口にした。
「ふうま……」
不思議と胸がじんわりと温かくなり、心が跳ねた気がする。
「あ、もし嫌なら言ってね。
正直、センスがあるかは怪しいからね……」
「風真が良い!」
僕は聖明のセリフに食い気味で声を上げた。
だって、彼が考えてくれた名前だ!
僕だけの──僕の名前!
「僕、凄く嬉しい!ありがとう!聖明!
僕、この名前を大切にするね!」
僕の言葉を聞いた聖明が、とても優しく微笑み返してくれた。
それがまたどうしようもうなく嬉しくて、堪らなかった。
僕は何も覚えていないし、何もわからない。
でも、確かに今ここにいる。
聖明と話して、一緒に笑って、ここに存在している。
もし──記憶を無くしたように、今の出来事を全て忘れるようなことがあったとしても、この名前だけは絶対に忘れない。
──絶対にだ。




