第5話 堕天使の告白
不意に、頬をふわふわとしたものが撫でた。
「ん……何……?」
顔の周りを手探りすると、ふわりと温かなものに触れた。
寝ぼけながら起き上がり、枕元を見るとリリーが僕の顔近くで丸まって眠っていた。
どうやら尻尾が僕の頬に触れていたらしい。
「傍にいてくれたの?」
僕がそっと背中を撫でてみると、リリーは片目だけを開け、「みゃん」と小さく鳴いた。
可愛らしい仕草に僕の心は少し和んだ。
僕は眠っていて固まった体を解すように腕を上げて、ぐっと背中を伸ばす。
部屋をよく見ると眠った時より部屋が暗い。
真っ暗まではいかないけど、どうやら日が落ちてきているようだった。
どうやら想像以上に眠っていたようだ。
「聖明が言ってた通り、身体が回復してないのかも」
僕はベッドから出て、スリッパを履く。
部屋は温かいけど、それでもベッドから出ると肌寒い。
少しでも体を温めるため、椅子に掛けてあったカーディガンを再び借りることにする。
そっと袖を通し、何となく袖の香りを嗅いでしまう。
どこか温かで安心する花のような甘い香り──聖明の香りだ。
不思議と安心してしまう。
「は!何やってるんだよ、僕!」
自身の行動に急に恥ずかしくなり、誤魔化すように部屋の明かりを灯し、カーテンを閉める。
その時に不意に気付く。
あまりにも自然にランプを灯せたことに、僕はふと疑問を覚えた。
「あれ?記憶ないくせにランプの付け方とか……そういうのはなんか分かるんだよな」
そんな独り言を小さく漏らすと、何となく聖明が何をしているのか気になってくる。
眠っている間は、聖明は何をしていたんだろうか?
僕はちょっとした好奇心と、悪戯心もあり、そっと部屋の扉を開けて家の中を探検することにする。
廊下は昼間よりも暗く、ひんやりと冷たい。
外は雪が降り続け、部屋との温度差もあり少し身震いする。
廊下をよく見ると、僕がいた部屋の扉の他にも同じような扉が、等間隔に三つ並んでいる。
どれも部屋なのだろうか?
そう考えると、この家はかなり大きいらしい。
リビングダイニングから見えた掃き出し窓からは、地面が見えていたから、あそこは一階で、僕がいるところは二階。
階段はまだ続いていたから恐らく三階もある。
そんな事を考えていると、僕がいた部屋の横の扉が少し開いていることに気が付く。
僕は気になり、そっと扉を開いた。
「聖明?いる?」
ちらっと中を覗き見ると、その部屋は僕がいた部屋とは全然違い、棚が壁一面に所狭しと並んでいた。
棚の中は本だったり、見たこともない綺麗な輝きを放つ結晶のようなものが並んでいたり、何かの動物の爪のようなものや、羽根など色々なものが入った瓶が並んでいたりする。
天井からは、乾燥させた様々な草花がぶら下がり、部屋は僕が着ているカーディガンと同じ匂いがする。
この部屋はきっと聖明の部屋なのだろう。
部屋の一番奥を見るとアーチ状の窓の側に書斎机が一つ。
その右側には綺麗に整った落ち着いた色合いのベッドがある。
僕はそっと彼の机に近付くと書きかけの日記のようなものが開いているのが目に入る。
僕は机の上にあった星型のガラスランプを灯してみる。
するとほんのりと机が照らされ、本の文字が見えるようになる。
同時に一つの写真立てが目に入り、僕は手に取る。
「え……?」
僕は驚き、声を漏らした。
そこには聖明と一人の可憐な少女が写っている。
どこか水色にも見える銀髪の長い髪に、透き通るような瑠璃色の瞳。
まるで──窓に映る僕をそのまま少女にしたようだった。
僕はそのまま視線を落とし、本を読み始めてしまう。
その本はどうやら手書きのようで、日付が丁寧に記されている。
これはきっと日記だ。
読んではいけないと分かっていた。
それでも、一度目に入ってしまった文面から視線を外せなかった。
『◯月✕日
今日は心臓を貫いてみた。
出血で貧血になっただけで死ぬことはない。分かりきっていたことだろ……?』
『◯月✕日
瑠璃を失って何日が経った?
この地獄はいつまで続くのだろうか』
『◯月✕日
脳が壊れれば記憶も消えるのではないかと思い、破壊を試みる。
結果は失敗。一瞬意識を失ったが、すぐに再生。記憶の損傷はない』
『◯月✕日
致死量の毒を呷ってみた。
無駄に致死性の毒には耐性のある身体だ……微動だにしない。昔はあんなに苦しんだのに』
『◯月✕日
堕天使の証とはよく言ったものだ。
赤い瞳は、何度抉り出しても再生する。
何度も自身に呪いをかけたが、視力が落ちた程度で赤い目は怪しい輝きを放つばかり。憎たらしい』
『◯月✕日
せめて、自分で記憶操作できればよかったのに。
この魔法は、自分にはかけられない。なぜ、心を壊すことができない!?
お願い……全部、全部忘れたい……』
そこに綴られていたのは、あらゆる死に方を模索し、藻掻き続ける日々だった。
「なに……これ……」
信じられないような文字の羅列に僕は怖くなり、机から後退った。
その時だった。
キィと扉が小さく開く音が背後から響き、僕の肩が大きく震える。
この家にいるのはリリーと僕──そして、聖明だけだと思う。
恐る恐る振り返ると、そこに赤い瞳を仄かに光らせた彼が鋭い目で、僕を見つめていた。
「……ここで、何をしている?」
聖明の綺麗な瞳が、今はどこか暗く──恐ろしく感じてしまった。
でも、ここで何も見ていなかったと言うのは難しい。
机のランプは灯り、僕の手は日記に触れていたのだから。
僕は意を決して聞くことにする。
「聖明……この日記は、何?
毎日、自身を傷付けるような記録ばかり……。
それに、死ねないって……」
すると聖明が不敵に笑い始めた。
その笑い声はどこか卑屈で、彼の表情は狂気に歪んでいるように見えた。
「せいめ……」
「ははっ!そのままの意味だよ」
「へ……?」
僕が聖明の言葉の真意を探る前に、彼は腕捲くりをし、バッと左腕を前に出す。
腕には血の滲んだ包帯が巻かれており、一度緩んだのか隙間から闇の刻印が姿を現す。
刻印からは痛々しいぐらいの血が流れているのが分かり、僕は愕然とした。
でも、そんなのは序の口だった。
彼が右手を動かすと、黒い影のようなものが集まり、漆黒の鋭いナイフへと形を変えた。
そして──彼は自身の左手を切り落とした。
「ひっ!?」
あまりの衝撃的な光景に、声にならない悲鳴を上げた。
だって、自身の左手を切り落とすなんて!
左手からは大量の血が流れるかと思いきや──予想に反し、更に驚くべき光景が目前に広がった。
傷口から赤黒い液体が吹き出したかと思うと、そのまま手の形を形成し、まるで何もなかったかのように彼は指を動かす。
理解が追いつかない頭で、床に落ちたはずの手を見ると、まるで塵になったかのように黒い粒子になって綺麗さっぱり消えてしまった。
唯一残ったのは、飛び散った血痕だけだった。
「が、はっ!?」
急に吐き気が込み上げ、僕はその場でえずいてしまう。
そんな僕を見つめたまま聖明は言葉を続けた。
「見ての通り、私は死ねないんだ。
昼間、堕天使について話したね。
実はまだ話していないことがあるんだ。
それはね……堕天使は不老不死なんだ」
その言葉に先ほど読んだ日記の内容が脳裏を掠める。
日記にはこう記されていた。
『瑠璃を失って何日が経った?』と。
僕が使用している部屋はどう考えても女の子の部屋で、写真立てには僕にそっくりの少女。
何となく点と点が繋がり、僕の中で一つの答えが浮かんだ。
僕はどうにか呼吸を整え、彼に僕の考えを伝える。
「もしかして……瑠璃っていう子が、死んじゃったの?
だから、聖明は死のうとしてたの?」
その瑠璃という子と聖明の関係はわからない。
でも、きっと一緒に住んでいたんだ。
そして、大切に思っていたんだ。
だって──僕が使わしてもらっている部屋はとても綺麗に掃除が行き届いており、彼が大切にしているのを感じたからだ。
聖明の顔を見ると、彼の表情は固まり、そして、小さく肩が震えているのに気付いた。
きっと、当たりだ……聖明はきっと大切な人を失ってしまったんだ。
「聖明、余計なお世話だと思う。
出会ったばかりで、僕が言えるような立場じゃないっていうのもわかってる。
でも……これだけは言わせて。
きっと、こんな聖明を見ても、彼女は嬉しくないと思う」
聖明が自殺を繰り返していたことが、とても辛い。
出会ったばかりのはずなのに、まるで僕のことのようにとても悲しかった。
彼の悲しみの深さはきっと僕には計り知れない。
それでも、自身を傷付ける行為をしてほしくなかった。
例え──本当に不老不死であったとしても。
「……私には、瑠璃が全てだったんだ」
聖明が震える唇で、声で、感情を殺すように話し始める。
「妹だけが、私の生きる理由だったんだ!
守っているつもりだった……誰よりも彼女の幸せを願っていた。
なのに……私が堕天使であるせいで、死んでしまった……!」
宝石のように綺麗な赤い瞳から、ポロポロと涙が溢れ始める。
聖明の悲痛な叫びが、言葉が僕の胸に刺さる。
「それだけでは済まなかった……。
死ぬだけでは許されなかった。
瑠璃は永遠を生きる私と共に地獄を歩くために……選んでしまった。
──悪魔になる道を」
「悪魔……?」
聖明が話していた悪魔だ。
堕天使を最高の贄として認識している、人類の敵。
彼らは人の魂や闇を喰らうとも言っていた。
そんな悪しき存在に堕ちてまで生き続けるなんて──ただの生き地獄じゃないか。
「私は、どうすればよかったの……?」
聖明は自身を抱きしめるように腕を回す。
「堕天使なんて嫌いだ!大嫌いだ!
こんな呪われた赤い瞳なんて、消えてなくなればいい!!!」
彼はどれだけ苦しんできたんだろう。
毎日後悔を繰り返し、自身を責め続け、死ねない日々に絶望をしてきたのかもしれない。
でも──それでも僕は思ったんだ。
「聖明。僕は……それでも、聖明に出会えてよかったと思ってる!
聖明、ありがとう。僕を助けてくれて、ありがとう」
僕の言葉が聖明に届いたのか、彼は涙を流しながらも、僕をしっかりと見てくれる。
記憶は何もないけれど、これだけは言える。
確かに聖明は僕を救ってくれた。
──やっぱり、綺麗な目だな。
出会った時から、この綺麗で優しい目が僕は大好きだった。
「僕はその目、大好きだよ!
だって、凄く綺麗で優しい目をしてるもん!」
僕は精一杯の笑顔で伝えた。
少しでも、この想いが彼の心に届きますように。
「あ……」
聖明が何かを伝えようとするように、震える手を前に出そうとした。
次の瞬間だった。
「っ!?」
「聖明!?」
聖明の全身に闇の刻印が浮かび上がる。
彼は苦しそうに胸を押さえ、その場に膝をついた。
「聖明!?聖明!どうしたの!?」
僕が駆け寄ろうとすると、それを阻止するように大きな声で聖明が叫んだ。
でも──違和感があった。
「駄目!近寄らないで!く……っ」
聖明の身体つきが徐々に細く変わり、服が大きく余り始める。
苦しそうに呻く声も男性の声とは思えないほど高くなり、押さえている胸も明らかに膨らみがある。
僕は『彼女』を知っている。
夢で僕を助けてくれた女性だった。
「せいめ……」
「リリー!お願い……!彼を、私から遠ざけて……早く!」
彼女がそう叫ぶと、影の中から勢いよくリリーが飛び出てきて僕と聖明の間に立つ。
「お願いです!主から離れてください!
今の主は闇を抑えられなくなっています!
傍にいてはあなたにまで闇が侵食してしまう……!」
そう切羽詰まった声でリリーが女性の声で話す。
まさか喋れるとは思っていなかったので僕は驚いたけど、今はそれどころじゃなかった。
「で、でも……っ!」
こんなに苦しんでいる聖明を放っておくなんて!
聖明は荒げる呼吸をどうにか抑えるように唇を噛み締め、口元から血が流れてしまっている。
でも、彼女は僕を真っ直ぐ見て言うんだ。
「お願い……。
これ以上、私の闇で誰も傷付けたくないんだ」
聖明はこんな状態にも関わらず、僕を安心させるために優しく微笑んだ。
その笑顔を見た時、ようやく悟った。
──今の僕では、何もできない。
精々できるのは、聖明の言う通り今は距離を置くしかない。
僕は、自身の感情を振り切るように駆け出した。
聖明の横を抜け、部屋を飛び出した。
背後からリリーの声が聞こえた気がするけど、今の僕には気にしている余裕がなかった。
僕は勢いのまま階段を降り、玄関から外に飛び出す。
勢い余って玄関の前で僕は盛大に転んだ。
でも、そんなことはどうでもよかった。
僕は雪に塗れながら起き上がると、地面を何度も殴った。
殴る度に手に付いた粉雪が悪戯に宙を舞う。
「クソ!クソおお!!!」
僕には何もできなかった!
僕を助けてくれた恩人なのに、眼の前であんなに苦しんでいたのに、僕は逃げるように傍から離れた。
悔しい!悔しいよ!
「あああああっ!」
僕は大声で泣き叫んだ。
虚しくも雪が全てを隠すように、声も転んだ跡さえも隠していくようだ。
──なんて、無力なんだろう。
そのままどれだけ泣いていたんだろうか。
外が冷えるせいで涙は凍り、頬はピリッと凍てついていた。
視線を上げると、気付けば、外はすっかり真っ暗。
もう夜になっていたのだろう。
──ああ、寒いな。
雪の中、何で外に居続けたんだろう。
まだ身体も治りきっていないのに、何をやっているんだろう。
そんな冷静な思考に、内心、嘲笑した。
すると、そんな僕の心を温めるように、安心する花のような甘い香りがふんわりと僕を包んだ。
「──ごめんね」
聖明の温もりだった。
彼が後ろから上着を被せ、大きな腕で抱きしめてくれる。
そんな彼の温もりに安堵し、また涙が出そうになる。
彼の腕の中で振り返ると、見慣れ始めた優しい笑顔で、僕の冷え切った頬を撫でる。
そして、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すっかり身体が冷えてしまったね。
中に入ろう。また熱が出てしまう」
「……うんっ」
僕は彼の手に引かれながら、温かな家の中へと戻っていった。




