第65話 小さな決意
小さな町の診療所。
木造だけど丁寧に手入れされており、外壁も内壁も白で統一された清楚な場所だった。
私は空気を入れ替えるために窓を開けると秋の少しひんやりとした風が肌を撫でる。
私は診療室の机に向かい、革製の椅子にギシッと座ると、最後の患者さんのカルテを記入すべく、ペンを取る。
この町にはそこまで深刻な症状の患者はいなく、全員薬で対処できるほどだった。
お陰で今日も闇魔法を多用することなく済んだ。
小さな村や町でもエクソシストの巡回が滞ることなく、民を守っているのも分かる。
それもあって治安が良く、穏やかに過ごせる環境そのものが、闇に蝕まれにくい要因なのだろう。
いざという時に頼れる存在が、傍で守ってくれるというのは安心に繋がるからね。
それ故に、逆に闇魔法医療科の定期訪問が後回しにされやすかったのだろうと察する。
闇を直接操作して容体を確認できる堕天使が少ない分、定期訪問と言っても、実情は年単位で各地域を巡っている状態だ。
動ける人は魔法都市に直接来てもらっていることも多い。
どうにか改善策を考えようと思ってはいるものの、絶対的な人数不足は改善できるわけもなく……今回、例外的に私が訪問できているのは幸いといったところだと思う。
私はカルテを書き終えると、そのまま席で背筋を伸ばした。
「んー」
『お疲れ様です。聖明様』
サリーからの声が頭に響く。
横にいた彼女に視線を向けると軽くお辞儀をするように反応してくれる。
彼女は生まれつき声が出せないと聞いている。
だけど、私やストラのような堕天使であれば心の声を聞くことができる。
会話程度であれば深層心理に潜るようなこともなく聞き取ることが可能だ。
「サリーもお疲れ様。手伝ってくれてありがとうね」
『いえ、滅相もございません』
私は昼間のストラと風真を思い浮かべ、ふと言葉を漏らす。
「ストラと風真、二人で大丈夫かな?」
勢いに任せて風真をストラに任せてしまったけど、よくよく考えたら風真って案外、人見知りだったなと思い出して、急に不安になる。
初めての場所に行くことには好奇心旺盛なんだけど、知らない人と話すとなると風真は少し固まってしまう節がある。
少し慣れてくると話せるようになるんだけど、なんて言うか警戒心が強いんだよね。
『恐らく大丈夫かと思います。聖明様』
すると不安を解消するようにサリーが返事をくれる。
「サリーが言うなら、まあ、大丈夫かな」
『ストラ様は少し厳しい方ですが、根は優しい方なので』
サリーは慈愛に満ちたような眼差しで、優しく目を細める。
彼女はストラを本当に大切に思っている素敵なパートナーだ。
サリーが言うようにストラは少しばかり厳しいところもある。
でも、それは相手を思って言っていることが多い。
言い方は少し苛烈な時もあるけど、彼女の優しさを知っているから、私も何度も助けられたことがある。
「ふふ、風真とストラ、仲良くなると良いな」
ストラやサリーを含めて、堕天使たちは皆、私を幼い頃から見守っていてくれた大切な人たちだ。
そんな皆と風真が仲良くなってくれたら嬉しいな。
「紅先生。お疲れ様です」
私が物思いに耽っていると、扉から少し年配の女性が現れる。
彼女はこの町の医師、ミュラ・ミランダさんだ。
今日借りた診療所の管理者でもある。
「ミュラさん。
今日は診療所をお貸しいただきありがとうございます」
私は席を立ち、彼女の手を取ると診療所内にあるソファにエスコートをする。
「いえいえ、こちらこそ闇魔法医療科の先生に来ていただけて有難いばかりですよ。
闇に関する治療は私たち普通の医師では光のマナを与えたり薬での対処ぐらいしかできません。
そのため、目に見えない症状までは詳しく把握することも難しい。
紅先生のような専門の先生に診ていただければ、本当に安心なんですよ」
穏やかな声で話す彼女に私も安心する。
魔法都市も、こんなに穏やかな人ばかりであればいいのに。
魔法都市はエクソシストの本部があり、悪魔を恨んでいる者も多い。
エクソシスト軍部に入団する人の中には悪魔や魔人、魔物に身内を殺された者も少なくない。
だからこそ闇を扱う堕天使は目の敵にされやすい。
そんな人ばかりではないと知っていても、エクソシストが多い魔法都市は私にとって居心地が悪い。
「こちらこそ、中々訪問できず申し訳ございません」
「いえいえ、闇魔法医療科の先生が少ないのは存じておりますので──」
──カランカラン。
話している最中、診療所の扉が開く音が響く。
そして、聞き慣れた声も飛び込んできた。
「邪魔するわね」
「お邪魔します。聖明、戻ってきたよー」
受付の方から風真とストラの声が聞こえる。
「あ、ミュラさん。
連れが戻ってきたみたいなので、今日は帰らせていただきますね。
また明後日、お伺いしますので、その時はよろしくお願い致します」
「はい、紅先生、お疲れ様です。
明後日もお待ちしていますね」
私はミュラさんの返事を聞いたあと、白衣を脱ぎ、持ってきていたトランクに詰め込む。
その間にサリーがカルテや道具を指定の位置にしまってくれる。
そして、帰り支度が済んだら一礼してサリーと診療室を出た。
診療室を出て直ぐにある受付では、ストラと風真がソファに座って待ってくれていた。
「お待たせ」
「聖ちゃん、サリー、お疲れ様」
ストラがソファから立ち上がり、笑顔で出迎えてくれる。
風真は何だか少し疲れたような顔をしていた。
「風真?どうしたの?」
私は心配になり、彼に視線を合わせるようにしゃがむ。
すると風真が死んだ魚のような目のまま笑う。
「えっと……ちょっとストラさんに稽古付けてもらってた……」
「え?ストラに?」
もしかして二人は仲良く一日魔法特訓とかしていたのだろうか?
私はストラを見上げると、彼女は自信満々といった様子で話し始める。
「時間があったからね。
話ついでに風真の実力見せてもらったわ。
体力はあるけど、体術も魔法もまだまだ拙いわね!
仮にも聖ちゃんの横に立つんだからもっと精進しなさいよ!」
「はい……頑張ります」
風真は覇気がない声で項垂れるように返事をする。
ストラは少しツンケンしてるけど、ちゃんと風真を見てくれていたことに嬉しくなる。
風真にとってもきっと良い経験ができたはずだ。
「ふふ、二人が仲良くなってくれて嬉しいよ」
「そんなことない!」
「違うわよ!」
二人が急にそんなふうに叫ぶものだから一瞬ビックリしたけど、面白くて笑ってしまう。
「さて、診療所を出よう。
ここで話してたらミュラさんがいつまでたっても診療所閉められないからね」
私は二人に外へ出るよう促し、そのまま四人で歩きながら話す。
「聖ちゃん、魔法都市にはどれぐらいで戻れそうなの?」
「この調子だと冬ぐらいかな」
コロラータと周辺地域や西の地域を行ったり来たりと忙しいけれど、無理ないペースで巡回していれば、雪が降り始める頃には請け負ってる仕事は全て終わると思う。
──そう。もう魔法都市が目前なんだ。
いよいよ向き合わなきゃいけない。
もう、言い訳を並べて目をそらすことができない。
「そっか。
それじゃそれまでは、また暫くお別れなんだね」
ストラが寂しそうに呟く。
小さな彼女の後ろ姿に心がギュッとなった。
私はそんな彼女に甘えるように後ろからそっと抱き締める。
「ストラ、ごめんね。ちゃんと魔法都市に戻るから。
また魔法都市で会えたら、昔みたいに一緒に食事したり、買い物したりしよ。
私も楽しみにしてるから」
「約束よ!私も聖ちゃんがいた方が毎日が楽しいんだからね!」
少し照れ隠しをするような言い回しに嬉しくなる。
ストラが昔と変わらないことに、私は安堵しているんだ。
私も恥ずかしいけど、幼い時のように甘えて小さな声でストラの耳元で囁く。
「ストラお姉ちゃん。ありがとう」
「し、仕方ないわね!可愛い末っ子のためだもの!
いつでもいっぱい甘えなさい!」
「うん!」
私たちはそのまま少しばかりの立ち話をして、名残惜しいけど別れることにした。
「それじゃ、またね!聖ちゃん!」
「またね。ストラ、サリー」
サリーが礼儀正しく一礼すると、二人は転移魔法で姿を消した。
二人が消えた場所を、私は少しの間見つめる。
風の音が静かに響く。
会うのが怖かった相手の一人。
大切な家族のような人。
いざ会って、彼女の変わらない優しさに触れて嬉しかった。
ストラのお陰で少しだけ魔法都市に帰る勇気を貰えた気がする。
「聖明」
風真に呼ばれて振り返ると、彼は少し膨れた顔をしていた。
ちょっと怒ったような、拗ねたような可愛い顔。
瑠璃でも似たような顔を見たことはあるけど、それとは少しまた違う表情。
「なぁに?風真」
「いや、何でもないけどさ……」
少しぶっきらぼうに答える風真に愛しさを感じてしまう。
私は風真の頬をツンツンと突く。
「もしかして、ヤキモチでも焼いたの?」
「は!?そんなんじゃないよ!」
風真が表情を崩して必死な様子で否定する。
やっぱり図星だ。
私とストラがきっと仲良く話してたから嫉妬しちゃったんだ。
「風真!可愛いね!」
私はあまりの嬉しさと愛おしさに風真に抱き着く。
私より小さな男の子。私の大切な家族。
「ぎゃああああ!離れてよおおお!!!抱き着かないで!!!」
「えー良いじゃん!愛情表現だよ!」
「聖明の愛情表現は変なんだよ!」
私の腕の中でジタバタ騒ぐ風真。
きっと大丈夫。
私には私を心配して想ってくれる人たちがいる。
だから、そろそろ過去と向き合おう。
魔法都市に戻って──彼と向き合おう。
私が私の欲のためだけに呪ってしまった私のパートナー。
きっと許されない。
でも、このまま逃げ続けていても駄目だ。
せめて罪を背負おう。罰を受けよう。
彼を呪ってしまった私にできる、数少ないことだと思うから。
「風真……一緒に魔法都市に行ってほしい」
でも、怖いから……独りだと逃げ出しそうだから。
私はこんな小さな子供に甘えてしまう。
「何を今更そんなこと言ってんだよ。
最初からそのつもりで一緒にいるんだからさ。
逆に置いてけぼりなんてやめてよね」
「──うん」
魔法都市に戻って、ちゃんと向き合って──そして、風真と瑠璃を必ず助けるんだ。
揺らぎそうになる心だけど、それでも前を向かなきゃ。
今度こそ瑠璃も風真も笑顔でいられる未来を掴み取るんだ。
それが──私ができる償いだ。




