第60話 主との夜
主が怪我をした夜。
彼は風真様に怒られながらも一緒に宿に帰ってきた。
風真様は、主の行動がどうしても気に入らないようで少し文句をたれながら、遅めの食事を一緒にしてらっしゃいました。
一方、主はそんな風真様の行動が嬉しかったらしく、終始頬を緩ませ、微笑んでいました。
それがまた風真様を怒らせていた気もします。
そして、深夜である今。
風真様は布団を蹴飛ばし、スヤスヤと寝息を立てています。
そんな中、主は静かに起き上がり、リビングテーブルで手元を照らす程度の光魔法を灯し、何やら書類を広げている様子。
リラックスしながら書類仕事をしているのか、珍しく女性姿のままの様子。
書類を書き進める姿を見るに、まだ寝る気配を感じなかったため、私も付き合うべくベッドを降り、黒猫姿のまま、彼女が視線を落とすテーブルに飛び乗りました。
「あ、リリー。まだ寝ていなかったんだね」
そう微笑み、私の頭を優しく撫でてくださる。
内心、同じ言葉を主に言いたい気分です。
今日は怪我もしたのですから、素直に休んでほしいものです。
「……主は何をしてらっしゃるんです?」
彼女の手元を見ると、何やら細かい文字がびっしりと書かれた書類が目に入る。
……仕事でしょうか。
「少し仕事をね。
ほら、今日はカゴノトリにスカウトした人材がいたって話したでしょ?
彼のために登録申請書とか色々作成して、カゴノトリや大天使さまに提出しなきゃいけないんだ。
こればかりは早めに提出しないと、色々と面倒でね」
そう言いながら主は羽根ペンをスラスラと動かし、書類を書き続けていく。
私は正直、いい気分ではありません。
そのスカウトした相手が誰かは分かりませんが、その者が原因で主は怪我をしていたんです。
しかも、相手は男。
主は男性の時、凛として男性らしく振る舞っているだけあって格好良いです。
しかし、実際は心が弱く、か弱い乙女のような人。
主が怪我をするなんて、そんな主のか弱いところにつけ込まれたのかもしれない。
私の大切な聖明を傷物にしようものなら絶対に許せません。
「……本当なら、セレスに言っちゃえば書類作成ぐらい手伝ってくれると思うんだ」
──セレス。
主の本来のパートナーの名だ。
主が彼の名を口にするなんて珍しい。
主は彼のことを思い出すのを避け、極力名前を呼ばないようにしていたと思っていました。
「……主は彼には相談しないのですか?」
私は主のパートナーであるセレスティーナ・ラファベルという人物を存じ上げません。
しかし、主が彼のことを考えている時は、とても悲しそうな顔で遠くを見ていらっしゃいます。
それはもう……見ているこちらが胸が苦しくなるほどに。
「……うん。今はまだ、彼に声を掛ける勇気がないんだ」
主は手を止め、羽根ペンを置く。
そして、私の毛を指で撫で、そのまま喉元を擽るように指を動かす。
私は心地よさに思わず喉を鳴らしてしまう。
「何でかな……彼にだけは、まだ知られたくないんだ。
こうして魔法都市に戻ろうとしていることを。
リリー……私はね、彼に酷いことをしてしまったんだ。
私の我儘で、私の独り善がりで、一生消えることのない呪いを彼に刻んでしまった。
その上、私は逃げるように皆の前から姿を消した……。
正直、彼に顔向けできないんだ。
怖いんだ……きっと、次会っても、昔のように傍にいてくれない。
きっと……冷たい視線で私を見る。
折角、私の横に立ってくれたのに……っ」
主は微笑んだまま、泣きそうな声で独り言のように話す。
私はただ静かに寄り添い、彼女の頬をペロッと舐めた。
大丈夫よ。聖明。
きっとあなたを好いてくれる人は、そんなふうに思わないはず。
きっと今も心配してくれているわ。
そう心に思いながら、尻尾で彼女の手を撫でる。
「リリー……ありがとう。君といると不思議と落ち着くんだ。
ごめんね、こんな頼りない主で」
主はそう言いながら私を抱き上げ、優しくぎゅっと抱き締めてくれる。
私は主の体温を感じながら、すりっと頬擦りする。
「私は主が幸せであれば良いのです。
だから、怖くなったらいつでも弱音を言ってください。
私で良ければ話を聞きますし、こうやって主の癒しになって差し上げます」
私が自信満々で告げると、主はクスッと吹き出すように笑ってくれた。
「ふふ、やっぱりリリーは凄いね!少し気持ちが軽くなったよ!」
そう言いながら私を持ち上げ、私の鼻にチュッとキスをしてくれる。
これは私だからこそ受けられる特権ですね。
私も機嫌が良くなり、思わず尻尾が揺れてしまう。
「良し!早く書類作っちゃって、早く寝なきゃね!
風真にもまた怒られちゃう」
そう言って風真様を優しい眼差しで見つめる。
私もつられて見ると、風真様は大きく寝返りをうち、掛け布団を抱き締めて眠っている。
彼はどうやら寝相は良い方ではないようです。
「ふふ、風真ったら」
主がそんな風真様を見て笑うと、立ち上がり、慣れた手付きで風真様の身体を元の位置へ戻し、布団を掛け直す。
あの早業は私にもできない謎スキルです。
「──よし。風真、良い夢見てね」
そう言って主は風真様の頭にキスを落とす。
風真様は一応、家族なので許してあげましょう。
ですが──女性姿の主が、思春期である風真様にとってどれだけ刺激的か理解できていないのが若干心配です。
まあ、長く男性として生きてきたわけですから、女性としてどう見られるかという感覚が分からないのかもしれません。
私が傍にいる時は少しは気にかけてあげなければいけませんね。
「主、女性姿で風真様に抱き着くのは少し遠慮したほうが良いですよ」
私は今日の出来事を思い出しながら、一応、助言をする。
しかし、彼女はきょとんとした顔で首を傾げる。
「え?どうして?家族だよ?」
……やはり主は少々ズレています。
家族という免罪符で、惜しみなく愛情表現をしてしまうのでしょうね。
──風真様、ファイトです。
そう思った瞬間、風真様がくしゃみをした。
「ふふ、風真ったらあんなに跳ねて寝るから。
風邪引かないように私が気を付けなきゃね」
私は何とも言えない気持ちで主たちを見守りながらテーブルの上で丸くなる。
「主、書類ができるまでお供します。
早く終わらせちゃいましょう」
「そうだね。リリーに夜更かしさせるわけにもいかないから最速で頑張るよ!」
そんなことを口走りながら、主は席に戻り、先ほどよりも速く羽根ペンを走らせていく。
まったく、主は本当に可愛い人です。
私は書類が完成するまで静かに見守り、二人だけの静かな夜を過ごした。
たまには──こういう時間も良いですね。




