第58話 怒られる温かさ
「まったく、おぬしは目を離すと碌なことせんの!」
血塗れの状態で診療所に訪れて最初に言われた言葉がこれだった。
私を見た瞬間は大層驚いた様子だったけど、直ぐにいつもの様子に戻り、怒りながら声を上げた。
そんなシルロ先生に私は申し訳ない気持ちで少し落ち込みながら軽く事情を話す。
「本当にすみません……。
少々、人材スカウトをしていましたら……こうなってしまって……」
「言っている意味が分からぬ!」
自分で言っていてもどうかと思う。
嘘はついていないけど、どこから説明すべきか……。
私が悩みながら言葉を選んでいると、シルロ先生が血塗れの私の背中に手を当て、二階へ続く階段へと押していく。
「あ!シルロ先生!触ったら血が付いちゃいます!」
「良いから風呂に行きなされ!
その様子だと怪我は治っておるじゃろ!
まさか返り血とは言わんだろうな!?」
返り血だったら医師としてどうかと思う。
いや、どちらにしても問題大あり、か。
「私の血です……っ!誰も傷つけていませんから!」
私は少し抵抗するように声を上げると、シルロ先生の動きが止まった。
そして──低い声で言われてしまった。
「おぬしが傷付いているだろ」
その言葉に不思議と胸が抉られるような気持ちになった。
シルロ先生の言葉が、声が、本気だということを感じたからだ。
「……ごめんなさい」
私はまるで親に怒られたような気持ちで、謝罪を述べていた。
本気で怒ってくれるぐらいに心配をしてくれていたのだと、今更ながら痛感した。
だからこそ、余計に申し訳なく、胸がズキズキ痛んだんだ。
「よい。おぬしが無事ならよいよ。ただあまり無茶ばかりするでない。
おぬしが傷付けば、もっと傷付く人が傍にいることを忘れてはならぬよ」
シルロ先生の言葉に風真やリリーが脳裏を過る。
自身の不甲斐なさを感じ、声が詰まりそうだった。
「……はい」
やっと出た言葉がこれだけ。
今の私にはそれ以上、どんな言葉を出せばいいか分からなかった。
「ほれ、お風呂は準備してあるからの。
着替えは……患者用の予備のパジャマしかないがの。
血塗れの服よりはマシじゃて」
「……ありがとうございます」
私の言葉を聞き終えると、シルロ先生はいつものように愉快そうな声で笑う。
その笑い声に、どれだけ救われたような気持ちになったか。
「お風呂から出たら声を掛けてくれの。
その顔色だと酷い貧血のように見える。
風呂の後に血液結晶で少しばかり輸血をするでの。
そうしたら、急いで帰りなされ」
「……はい」
私はシルロ先生の言葉に甘えるように、入院の間、毎日使わせてもらっていた浴室に向かう。
脱衣所で見る自身の顔は真っ青で、見るからに具合が悪そうだった。
この状態では風真が心配してしまうね。
シルロ先生の言うように少しばかり輸血を頼んだほうがよさそうだ。
私は血でべっとりした服を脱ぎ、そのまま自身の影の中に服を放り込む。
同時にお気に入りの青い髪紐だけは丁寧に闇の中に入れて、一時的に保管する。
少しの質量であれば自身の影に物を収納することができるからね。
服は闇に完全に飲み込ませたので二度と戻ることはない。
私は自身の影がいつものただの影に戻るのを確認すると浴室に入っていく。
中を見ると浴槽には既に温かなお湯が張られており、準備をしてくれたシルロ先生には感謝ばかりだ。
私は最初にシャワーの蛇口を捻り、身体についた血を綺麗に洗い流すことにする。
お湯に触れた血は徐々に流れ、浴室の中が血の匂いで充満する。
そして──自身の髪にも付いた血を見て、急に瑠璃が目の前で自殺した瞬間がフラッシュバックする。
「──っ」
激しい動悸と呼吸の仕方を忘れ、その場で蹲ってしまう。
あの時も、瑠璃の血が髪にべったりついて……落ちなくて……それで……っ!
「落ち着け……っ、あれは、過去のことだっ!」
自身に言い聞かせるように小さな声を上げる。
そんな声を掻き消すように、シャワーの音が浴室を支配する。
クソ……切っ掛けがあると未だにフラッシュバックして気が狂いそうになる。
血も足りていない。
きっと、そのせいで思考能力も落ちているんだ。
どうにか落ち着かなければ。
私は口元に手を当て、ゆっくり呼吸を繰り返す。
このまま慌ててしまったら過呼吸で倒れかねない。
「く……っ」
徐々に呼吸を整え、どうにか持ち直す。
そのまま血で汚れた髪と身体を丁寧に泡で洗い落とす。
血の匂いで充満していた空間が、徐々に石鹸の香りで満たされ、日常が戻ってきたような感覚を覚えた。
全身の泡をシャワーで流し、そっと浴槽に浸かる。
そこでようやく、気が抜けて身体が女性の姿へと変わった。
「……疲れた……」
今日は何だか色々大変だった気がする。
セレスのことを思い出し、精霊王と再会し、ロウマンという魔人と出会って勧誘までした。
幾ら私でもキャパオーバーだ。
「風真、怒ってるかな……」
よくよく考えてみれば、彼を傷つけるような態度で診療所を出たんだった。
それなのに、中々帰ってこない上に、こうやって怪我まで負って……本当に駄目な大人だ。
「早く帰らなきゃ」
私は勢いよく浴槽から出ると、脱衣所に戻り、タオルで体を拭く。
長い髪もしっかり乾かし、シルロ先生が貸してくれたパジャマに着替える。
姿見の鏡に映る私は女性のまま。
一瞬、男性に戻ろうと意識を集中しようと思ったけど、貧血が強いのか意識が分散する。
「……流石に、少ししんどいか……」
仕方なく女性姿のまま脱衣所を出て、シルロ先生がいると思われる三階に向かう。
「シルロ先生。お風呂ありがとうございました」
私はそう告げながら三階の扉をノックする。
すると扉が開き、シルロ先生がひょこっと顔を出す。
「うぬ、中に入りなされ。
リビングのソファに座って輸血をするぞい」
「お願いします」
私はシルロ先生の後について行き、入ってすぐに設置してあったシックな赤色のソファに腰を掛ける。
シルロ先生の居住空間にあたる三階は入ってすぐにリビングダイニングで、オープンキッチンも見受けられる。
奥に二つの扉と廊下が続いており、一つは薬の調合で使用した部屋。
後の一つは寝室か、また別の部屋だろうか。
廊下の先は入ったことがないのでさっぱり私には分からない。
そんなシルロ先生の部屋を改めて見渡していると、目の前に真っ赤な結晶が複数入った容れ物がどかっと置かれる。
その結晶は片手で掴めるぐらいの大きさで、透明な石の中に赤い液体が固まって入っている物だった。
これは魔法医療では一般的に使う血液結晶だ。
本来であれば点滴による輸血を行うけど、急いで血液を補う必要がある場合や、私のように一時的な貧血を起こしている場合には血液結晶を使う。
血液結晶は、セフィロトの樹と呼ばれる大樹の赤い樹液から作られた人工の血液だ。
セフィロトの樹は綺麗な大地に稀に生え、リンゴのような実を宿す。
その実の内部は、血液のように赤い樹液で満たされており、それが人工血液の元になる。
その樹液は血液型に関係なく、誰にでも適応できる万能さを誇る。
そんな樹液を特殊な魔法結晶へと変換したものが、血液結晶だ。
魔法によって肌から人工血液を体内へ送り込むことができる。
輸血の速度は速いけど、結晶一つで補える血液の量は少ない。
そのため医療現場では、通常の輸血と患者の状態に合わせて使い分けたり、併用したりする。
「聖明先生。
おぬしは早く帰りたいじゃろうから血液結晶でぱぱっとやっちゃうでの。
まあ、五個ぐらいあれば今よりは良くなるじゃろ」
「すみません。お手数お掛けします」
「うぬ!では、身体に入れていくでの。
ソファに横になってリラックスしなされ。
おぬしも分かっておると思うが、結晶が身体に入り切ってもすぐに動いてはいかんぞ。
馴染むまで少しゆっくりするんじゃぞ」
「はい」
私は指示された通り、ソファに横になる。
血液結晶は便利な半面、体内に急激に入る分、血液が急に増えた状態で動けば心臓に負担が掛かり、血圧上昇により逆に倒れかねない。
だからこそ一度に使用する量を抑え、医師が状態を見ながら調整して輸血するのが鉄則だ。
様子を見るためにも血液結晶を使用した後、三十分は動かないほうが良い。
それでも普通の輸血より早く終わるので、今の私には丁度いいと思う。
私が目を閉じると、温かな光が体を包んでいく。
胸の奥では、トクン、トクンと穏やかに鼓動が響いていた。
暫くすると体を包んでいた光の温もりが消え、代わりに身体の内側からじんわりと熱が戻ってくる。
「うぬ!輸血は済んだぞ!少し様子を見るから大人しくしなされ」
その言葉を聞き、薄っすら目を開ける。
「……ありがとうございます」
「少し寝ていってもいいぞ。それだけの貧血だったんじゃ。
お風呂も入って身体が怠かろう」
確かに体が怠いし、少し目眩もしている。
身体も温かくて、少し眠気が襲ってきている。
「……では、少しだけ目を閉じます……」
「うぬ、そうすると良い」
私は不思議と安心して、そのまま少しの間、目を瞑ることにした。
今なら何も考えず眠れる気がする。
そんなことを思った時には、意識を手放していたと思う。




