第57話 血の誓約
私は重い足を引き摺るような思いで、精霊の森から街に戻っていた。
川沿いを歩いていると家々から暖かな明かりが漏れ、昼間とは違う景色を見せる。
店もまだ開いており、鮮やかな照明でその景観をさらに賑やかにしている。
そんな中、私は宿へ向かいながらも、どこか躊躇うように歩いていた。
帰ろうとは思っているけど、足取りが重い。
全然気持ちに整理がつかない。
いつもなら、それとなく使い魔であるリリーが影から出てきそうなものだけど……今日はリリーの気配すらない。
恐らく私の様子を察して一人にしてくれたんだろう。
今はきっと風真の元にいるんだろうな。
気を使わせてしまったな……。
「…あれ、紅先生?」
唐突に声をかけられ、私は振り返る。
そこにいたのは見覚えのある茶髪の女性──今日、診察していた女性の患者だった。
「……こんばんは。奇遇ですね」
あまり笑顔を作る気分でもなかったけれど仕方ない。
私はいつものように笑顔を顔に貼り付けて、対応することにする。
「やっぱり紅先生だ!こんばんは!お散歩ですか?」
彼女は明るい声を上げながら、馴れ馴れしく私の腕に手を絡めてくる。
私は嫌な気分を態度に出さないよう、笑顔を崩さず返事をする。
「ええ。月が綺麗でしたので思わず散歩をしていました」
「確かに今日は綺麗ですもんね!
そうだ、先生!よかったら一緒に食事でもどうですか?
私の家で……♡」
そう言いながら彼女は私の胸に指を這わせる。
……これは完全にお誘いだな。
昼間も私の魅了効果に当てられていたみたいだったし……よくあることと言えばよくあること。
こういうタイプの人は断っても中々引き下がらないのは経験上、知っている。
さっさと満足するように相手してやればすぐに終わる。
それに──今は風真やリリーの目もない。
男性の姿であれば私とてそれなりに性欲もある。
私は諦めと妥協もあり、彼女の頬に手を添え、“昔のように”受け答える。
「女性がそんな可愛らしい誘惑をしてはいけませんよ。
狼に食べられちゃいますよ」
「やだっ!その狼って先生のこと?」
とても嬉しそうに上目遣いで見つめてくる女性。
彼女が私の首に手を回し、顔を寄せてくる。
「さて、どうでしょうね?」
そのままいつものように女性と唇を重ねようとした時──不意にセレスの顔がチラつき、気付けば女性の方を掴み引き剥がしていた。
「ちょっと!紅先生!」
「……すまない。少し体調が優れないんだ。医者なのに情けないね」
咄嗟に口から嘘が零れる。
きっと新聞の顔を見てしまったせいだ。
そんな気持ちと共に冷静な私の思考が一気に押し寄せてくる。
──何をやっているんだ、私は。昔ではないんだぞ。
宿には風真やリリーも待っているんだ。
こんなところで昔のように節操無しで遊んでどうする。
彼らを想うのであれば直ぐに帰るべきだろ。
きっと心配している。
「え〜先生、誘い方上手過ぎ!私が介抱してあげる♡」
「いや、そうではなく……っ」
彼女は私の腕をガシッと逃げないように掴み、わざとらしく胸を服の隙間から見せつけ、押し付けてくる。
完全にしくじった。
こうなると断るのも相当、骨が折れる。
それに私の魅了効果の影響もある。
……いっそ、さっさと済ませたほうがいいか……?
しかし、それだと最悪、今日は帰れなく──。
「聖明先生!こちらにいらしたんですね!」
私の思考を掻き消すように別の声が話に割って入る。
声の持ち主に視線を向けると、そこにいたのはこれまた患者の一人だった。
白髪のおかっぱの男性──彼は……ロウマン、という名前だったな。
闇の多さもあって印象的な人だったのを覚えている。
「君はロウマンさん?」
「聖明先生、シルロ先生お呼びでしたよ」
そう言葉にするロウマンさんの表情を見て察した私は、直ぐに女性に向き直る。
「すみません。どうやら急患のようです」
私はそっと彼女の腕を解き、距離を取る。
「え〜仕事なの〜?」
「聖明先生!早く早く!」
代わるようにロウマンさんが私の手を取り、慌てた様子で引っ張り歩き始めた。
「では、すみません!また診療所で!」
「も〜!紅先生!次は必ずよ!」
私は歩きながらも軽く会釈すると、彼に連れられ暫く一緒に歩いていく。
徐々に人気のない道を歩き、周りの目がないことを確認するようにロウマンさんに連れられ路地裏へ入る。
路地裏は街灯の光が辛うじてはいるような暗がりで、私たち二人が横並びに入って少し余裕がある程度の狭さだった。
左右の建物は恐らく工業地区の建物だろう。
レンガ作りの倉庫と言った感じだった。
ロウマンさんは私の手を離し、振り返ると少し困ったような笑顔を向けた。
「聖明先生。すみません。嘘つきました」
「……でしょうね」
大体の察しはついていたので、驚くことはない。
シルロ先生が呼んでいるのであれば、患者ではなく風真かリリー、もしくは看護師さんが探しに来るはずだ。
「お困りのように見えたので、勝手なことしてしまいましたが、大丈夫でしたか?」
「はい。おかげさまで助かりました」
正直、本当に助かった。
あのままだったら私はきっと昔のように相手をしていただろう。
まったく……患者に絡まれ、患者に助けられるとは……何をしているのやら。
私は思わず苦笑してしまう。
「ご迷惑でなければよかったです」
そう安心した表情で話すロウマンさん。
彼にも申し訳ないことをした。
そう思った瞬間──私の目にとんでもないものが飛び込む。
ロウマンさんの首元に闇の刻印が出ている。
夕方、彼の闇を引き受けたばかりなのに有り得ない!
あまり驚いて私はギョッとしてしまう。
私はそんな焦りをどうにか押し留めながら、尋ねてみることにする。
「ロウマンさん……首の刻印はどうなさったんですか?」
彼は自身の首を撫でる。
しかし、彼は不思議そうな顔で首を傾げた。
「え?首に闇の刻印でも出ているんですか?」
その瞬間──彼から闇の気配が漂う。
しかし、彼はそれにすら気付いていないようで不思議そうな顔をするばかり。
私は思わず後退るけど、すぐに壁へ背中が当たり、逃げ場がないことに気付く。
──普通の人間が闇を発するなど、ありえない。
堕天使以外であれば……魔に連なる種族か、悪魔か魔人だ。
「ロウマンさん、あなた……種族は天使でしたよね?」
「え?そうですよ?」
嘘のない言葉に、きょとんとした顔。
しかし、間違いなく彼からは闇が漂っている。
まさかとは思うが、自身が悪魔や魔人だという自覚がないとかそういうのはないだろうな。
そもそも、この街に悪魔や魔人、魔物がいること自体おかしな話。
この街には結界が張られている。
結界が破られていない限り、外からの侵入は不可能だ。
もし破られていれば、街にいるエクソシストが既に大騒ぎしているはず。
しかし、現実にはそのような様子もなく、平穏そのもの。
可能性があるとすれば──元々、結界内にいたということだ。
「聖明先生。
闇の刻印が関係あるかは分からないのですが……ただ、ちょっと変に感じることがあるんです」
「……変?」
彼は困ったような素振りで腕を組み、話を続ける。
「三カ月ほど前から、食事をしてもお腹が膨れないんです。
お腹が空いているのに、全然満たされない。
それどころか味がしないんです。
そして──更に変なことを言いますが……聖明先生」
彼はぐいっと近付き、鋭い目つきで私を見ると困ったように笑って言う。
「あなたが凄く美味しそうに見えるんです」
「なっ!?」
その言葉に私は冷や汗を掻く。
この闇の量に、言っている内容──そして、現状を踏まえて導き出せる答えが一つだけある。
もしかして、こいつ……人から転化したことに気付いてない魔人じゃないか?
それなら辻褄も合う。
結界内で転化した場合、結界は機能しない。
飽くまで外部からの侵入を防ぐためのものだからだ。
そして、この男は転化したことにも気付かないで生前と同じ暮らしをしている。
悪魔や魔人の食糧は、人の魂、そして人の心に巣食う闇だ。
それを食べずにいれば、悪魔や魔人とて空腹にもなる。
人と同じ食事では満たされない。
そもそも悪魔は魂由来の存在だ。
そこに存在しているように振る舞えるし、物や人にも触れるけど、基本的に肉体がない。
風真のような人工天使へ受肉するか、人の身体を乗っ取らない限り、人と同じような感覚を得ることはできない。
要は、魂だけでは肉体の欲求は満たせない。
だからこそ、人と同じように食事はできても、肉体がないから味が分からない。
「聖明先生はとても美味しそうな匂いがする。
とても甘美な匂いだ」
彼が私に近付いて、耳元でそう囁く。
耳に掛かる吐息に耐えられず、私は彼を押し留めるように手で身体を押しながら、どうにか離れようとする。
「ま、待て!あまり近寄らないでくれ……っ」
この反応を見るに、やはり魔人だろう。
話している内容を考えてもほぼ確定だ。
通りで闇の量が尋常じゃないはずだ。
だからと言って悪魔にしては闇の量が少な過ぎる。
私が人と見間違える程度には弱い。それでも、人間として考えれば明らかに多過ぎる闇の量だ。
私は頭をフル回転させながら一息つく。
今は……まだ話が通じる相手だ。
とりあえず距離を取らなくては……私は悪魔や魔人、魔物にとって最高のご馳走だ。
幾ら魔人でいることに無自覚とは言え、私が放っている魅了効果は、こいつらの食欲を刺激する。
本能のまま襲われれば、弱い魔人相手でも分が悪い。
「……ロウマンさん。今から言うことをよく聞いてほしい」
人と間違えるほどの弱い魔人。
彼の闇から記憶を辿っても、まだ人を襲っていないのが分かる。
恐らく転化したばかりの存在だ。
転化したばかりで犠牲者も出していない生まれたての魔人。
しかも、人に紛れ込めるほどの弱さ。
──こういう存在は“利用”できる。
私はその可能性に気付き、思わず口角を上げた。
「君は気付いていないようだけど、君は既に人ではない。
恐らく魔人へと転化している。
だから、人と同じ食事をしても満たされない。
君が一度死んだ場所がどこかは分からないが、肉体が転がっているはずだ……三ヶ月前であれば……まあ、白骨化している可能性もあるな」
私の言葉に心当たりがあったのか、彼は手をポンと叩き、納得したような顔をする。
「ああ!あの骨、私のだったんだ!
人体骨格模型なんて買ったっけ?不思議に思っていたんですよね!」
「はっ!?」
まさかの家で死んでいたなんて……。
しかも、自身の遺体を人体骨格模型と思い込んでいたのか……っ!
想定外過ぎる言葉に頭が痛くなる。
「家にね、何か転がってるなあとは思ってたんですよ!
まさか自分の骨とは思いませんでした!」
相変わらずの元気な笑顔。
どこか軽い様子の彼を見て思う。
……私もそうだけど、闇に蝕まれれば感情も壊れる。
堕天使の場合は総じて恋愛感情に関して欠如している。
それ以外は、個人差で欠如している感情があったりなかったり。
彼の場合は……転化によって恐らく“人として大事な何か”を失ったのだろう。
それが何かは分からないけど、壊れているという事だけは理解できた。
「まあ、いい。で、ここからが本題だ。
君は残念ながら魔人に転化し、エクソシストに討滅される運命にある」
「わー……、やはりそうなっちゃいますよね。
助かる方法ってあります?」
自身のことなのにどこか軽い。
やはり感情の欠如があると思っていいだろう。
この雰囲気だと、恐怖を司る感情あたりが欠けている気がする。
「特例で一つだけ方法はある」
私がこの特例措置を使う日が来ようとは。
しかし、今の私にとって好都合だった。
「ロウマン。
君が私に協力するのであれば、その命を助けてやる」
私は彼の目を真っ直ぐ見つめて続けた。
「闇魔法医療科カゴノトリに所属しろ。
表立って公表はされていないが、我々の中には悪魔も魔人も存在している」
そう──これは完全な国家機密だ。
カゴノトリは堕天使を中心に組織されているが、私を含め堕天使は十三人しかいない。
人手を補うために天使も多く所属しているが、闇の対処はできない。
そこで、導入したシステムが『協力的な悪魔や魔人を組織に取り込むこと』だった。
彼らは人の魂以外であれば、闇を食糧としている。
手綱を握って利用すれば堕天使同様の戦力にだってなり得る。
現在、悪魔や魔人の他にも魔族と呼ばれる存在も所属している。
カゴノトリとは──堕天使を中心に、闇を操ることができるさまざまな種族が所属しているのが実態だ。
これはカゴノトリ創設者である
クロスロード・ブラッティ・ナイトメアが考案したシステムで、大天使も承諾の上で運営されている。
とは言え、外聞がよくないので秘匿されている内容だ。
「カゴノトリ所属すれば命が保証され、食事にも困らないぞ。
仕事で指定された人物の闇や、死刑執行予定の囚人の魂であれば、許可された範囲で摂取できる。
何より──」
私は自分の肩出しハイネックのファスナーを下げ、首筋を晒して見せた。
「堕天使の闇を喰らうこともできる」
最大の『手綱』は堕天使自身だ。
悪魔や魔人にとって、堕天使の闇は最高のご馳走。
そして、堕天使は自身の闇を分け与えることで、発作の要因となる過剰な闇を抑えることができる。
だからこそ──ちょうどいい。
今の私は溜め込み過ぎた闇がある。
闇を食わせれば、私の保有量が減り、魅了効果も少しは緩和できる。
何より──発作の頻度が下げられる。
こいつを利用しない手はない。
「聖明先生、あなたは本当に優しい人ですね!
私のことを魔人になっても気遣ってくださる!
嬉しい、嬉しいですよ!」
まるで子供のように燥ぐロウマン。
この様子であれば“使役”できるだろう。
「では、ロウマン。私の提案を受け入れるか?」
彼は明るい顔で元気よく頷いた。
「断る理由なんてありませんね!
食事も貰えて命も助かるんですから!」
私は、多分……酷く歪んだ顔で笑っているだろう。
自身が狂気に染まるのが分かる。
「なら、好きなだけ私の闇を食べろ。
最初は私の血肉を一緒に食べればいい。
そうすれば、本能的に闇の吸い上げ方もわかるだろう。
ついでに闇を通して、必要な記憶と私の事情を伝える。
よく味わうんだな」
私は首をそのまま差し出した。
まあ、痛いだろうが、発作に比べたらどうってことない。
「あああ、聖明先生!私、凄い空腹で!そんな、甘い匂いで……っ!」
彼は私に歩み寄り、首筋をペロッと舐める。
私は反射的に身体を小さく跳ねさせた。
──嫌だな。こんな時まで身体だけは素直に反応する。
しかし、食べさせるにはこれが手っ取り早い。
私はロウマンに食べさせるために頭を首筋に宛行うように押さえた。
「……さっさと食え」
「……先生、いただきます」
彼は無邪気な声を上げると、私の首を容赦なく噛んだ。
「くっ……!」
肉が裂け、血の匂いが空間に満ちる。
首から血液が夥しく流れ出し、肩を伝って地面に落ちる。
容赦なく歯が食い込み、痛みを耐えるように彼の両肩を掴みながら、ズルズルと壁沿いに身体が崩れていく。
身体も制御できず、女性の体へと変わってしまう。
──が、同時に闇が抜けていくのが分かった。
徐々に闇の吸い出し方を理解してきたのか、食い込んだ歯が離れ、闇だけを吸い出すように首筋を舐め始める。
痛みが引き始め安堵すると共に、闇が抜ける独特な感覚と首筋を這う舌の動きに声が漏れそうになり、唇を噛む。
それでも身体が反応してしまい、吐息が漏れる。
早く、終わって……っ!
でも……これで、魔法都市に戻るまでは保つはず。
発作の頻度が下がれば、暴走の心配もなくなる。
そうすれば──風真が私を封印する事態は避けられるはずだ。
私は呼吸を整え、一番大事なことを告げるために話を始めた。
「はぁ……ロウマン。言い忘れたことがあった……」
私は建物の隙間から空を見上げ、クスッと笑った。
「君が私の血を口にした時点で『血の誓約』がなされた」
私はわざと血肉ごと彼に食べさせた。
血と闇を伝い、ロウマンの身体に術式を強制的に埋め込んでいく。
すると──ロウマンの首に徐々に浮かび上がる赤い薔薇の模様。
「君が人を襲い魂を喰らおうとしたならば、この誓約が発動し、君に刻まれた『血の誓約書』が闇を吸い尽くし、君という存在を消滅させる。
勿論、命令違反も許さない」
これは堕天使が悪魔や魔人を使役するために使う、隠された禁呪。
この誓約は絶対に破ることのできない首輪だ。
彼の首に刻まれた誓約書は、私の所有物である証拠でもある。
私を表す紋章は薔薇だからね。
この薔薇の誓約書を見れば、他の堕天使も分かるはずだ。
「先生……」
彼は首から離れ、私の血で真っ赤に染まった口元を袖で拭い、笑った。
「こんなに美味しいんですもの!魂なんていらないですよ!」
どうやら私の味はお気に召したようだ。
血の誓約は知っていたけど、実践するのは初めてだったので少し不安だった。
無事にできたようで少し安堵する。
「なら、いい。ようこそ──カゴノトリへ。
魔法都市には私から直接、登録申請を出しておこう。
追って君は魔法都市にあるカゴノトリへの招集が掛かるだろう。
指示に従って魔法都市に行けば、他の堕天使──『ストラ』が君の面倒を見てくれる。
闇を通じて彼女の顔も見たはずだ。
……ちゃんとできるね?」
「できます!」
ロウマンは食い気味に返答をするものだから私は苦笑してしまう。
彼には必要な情報も、私という存在についても闇を通じて全て教えた。
これ以上、無駄に言葉で教えることもないだろう。
「……いい子だ。闇は……足りた?」
私は上手く身体が男性に戻せず、身体を隠すように下げたファスナーを上げる。
女性姿はあまり見られたくない。
しかし、彼は私の女性姿を見て動じることも、気にすることもなく、自分のお腹を擦りながらマイペースに返事をする。
「お腹膨れました!」
「……それで数ヶ月は保つはずだ」
自身の首に手を当てると、既に噛まれた首は治っていた。
しかし、失われた血液までは直ぐには戻らない。
少し目眩がする……貧血だな。
「聖明先生!ありがとうございます!」
彼はそんな私の事情など分かることもなく、礼儀正しくお辞儀をし、お礼を述べる。
「……ロウマン。今日はこれで解散だ。
念の為、明日は診療所に来てほしい。
君の様子を見たいのと必要な書類を手渡したい」
「分かりました!」
彼の元気な返事を聞きながら、どうにか壁に寄りかかりながらも立ち上がる。
深呼吸をし、再度身体に意識を集中させると、どうにか男性の身体に戻ることができた。
これで良し……女性のまま夜に出歩くのだけは勘弁願いたい。
「……私はそろそろ帰るよ」
「はい!私も帰りますね!」
そう頷く彼の姿を見て、一応忠告をする。
「その血塗れの姿を見られたら面倒だ。人目にだけは気をつけて帰りなさい」
「はーい!」
彼は口元を再び拭って、元気よく一礼すると、闇夜へ消えていくように歩いていった。
私も自分の服を見ると、当然の如く血塗れだ。
幾らハイネックもズボンも黒色とはいえ、これだけ血で濡れているんだ。
この服は捨てるしかないな。
地面に残された血液も放置するわけにもいかず、自身の闇魔法で綺麗に消し去ってやる。
そして──お気に入りの青い髪紐は、無残なまでに血で染まっていた。
綺麗にするつもりだけど……落ちないかもしれないな。
先に取っておけばよかった。
そんな今更ながらの後悔で、胸が軋む。
私は深い溜め息を吐いた。
そして、鼻を掠める鉄の匂いに顔を顰めた。
「……血生臭……」
流石に血の匂いがキツイ。
こんな状態で風真やリリーの元に帰るの不味い。
私は手元で魔法を展開し、魔力の結晶を生成するとシルロ先生に通信魔法を飛ばす。
『この魔力結晶は聖明先生かの?』
即出てくれてよかった。
私は少し躊躇いながらも話し始める。
「突然すみません。風真は宿に帰っていますか?」
『うぬ、帰ってご飯作るって言っておったぞ!』
「……そう、ですか」
早く帰らないと怒られてしまうな。
私は覚悟を決め、シルロ先生にお願いすることにした。
「すみません。一度そちらにお伺いしてもいいですか?」
『ん? 構わんが、どうかしたかの?』
「シャワーをお借りしたいんです。その……血塗れで」
私の言葉に一瞬の沈黙が流れる。
流石にマズかっただろうか。
すると急に怒鳴るような声が魔力結晶から響き渡る。
『なんじゃと!? この数時間で何でそうなるんじゃ!?』
「あはは……すみません……」
正直、自分でもそう思う。
今は私自身でさえ笑うしかなかった。
『まあ、良い。さっさと洗い流して宿に帰ってやれ!』
「……はい」
通信がぷつりと切れ、同時に生成した魔力結晶が粒子になり、サラサラと消える。
怒ってはいたけど深く聞いてこないあたり……助かる。
よくないことだけど『珍しく他人に甘えてるな』と思う。
私は貧血の身体をズルリと動かし、転移魔法を展開した。
流石に歩いて診療所に行ける気がしなかった。
「……だる」
そんな言葉を残し、私は路地裏から姿を消した。




