第56話 逃げたい気持ち
夜空に輝く満天の星。
月明かりを宿したように白く輝く、木々や草花。
風が吹けば、魔石化して脆くなった草花は互いにぶつかり合い、キンという音を立てながら割れて綺麗な粒子になり消える。
まるで世界から隔離された幻想的な空間の中、私は大きな岩の上で足を抱えるように座っていた。
ここは──精霊の森。
マナを多く含んだ木々や草花、石や岩は全て魔石化し、宿したマナが光を発する──まさに自然の恵みを体現したような場所。
こんなに美しく、世界は輝いているのに私の心は影に沈むように暗かった。
「何やってるんだろう……私」
大人気なくも風真を無視し、冷たい態度と声で拒絶するように突き放して、こんな所まで来て……情けない。
そんな罪悪感と一緒にシルロ先生が開いていた新聞を思い出す。
ちらっと見えてしまった彼の顔。
毎日のように一緒にいた彼の姿。
……見たく、なかった……。
「何でこんなにも辛いんだ……」
彼のことを思い出すだけで胸が痛い。
考え始めたら止まらない思考が余計に辛さを増す。
彼は元気にしているだろうか?
私がいなくても仕事をしているのだろうか?
押し付けてしまった仕事、沢山あるな……。
君との約束も違えてしまった。
きっと怒ってる、きっと許してもらえない。
だって私は──。
「君を、呪って……消えたんだから……」
静寂が心に響く。
じんわりと広がる罪悪感。
己が犯した罪の重さが、重く伸し掛かってくる。
「はは……覚悟してたはずだろ……」
自身に言い聞かせるように言葉を漏らす。
恨まれることも、憎まれることも、全て理解して呪った。
そして──瑠璃を、風真を救うために戻ると決めたじゃないか。
「いい加減、逃げてもいられないか……」
大天使からの勅命を受けた時、本当はほっとしていた。
彼とすぐに顔を合わせなくて済む。
彼と向き合わなくて済む。
そうやって地方の勤務に勤しんで、本当は逃げ回っていたんだ。
「きっと……私のことを黙っているのも、龍にはそろそろ限界だ……」
私の幼馴染で、私が復帰できるように大天使に口利きしてくれた大切な友達。
龍は私の我が儘を受け入れて、私がこうして姿を現していることを黙っていてくれている。
それだけじゃない。
信頼できる“堕天使の二人”にも協力を仰ぎ、私の存在を隠してもらっている。
普通であれば総指揮官である私が地方で動き回っていれば、代理としてカゴノトリを守ってくれている彼にすぐバレる。
まだ気付かれていないのは情報操作し、隠蔽しているからだ。
でも──彼のことだ。
きっと未だに私を探している。
幾ら諜報部を動かしても、私という存在の噂が耳に入るのも時間の問題だ。
「はは……怖いな……」
私は本音をぽつりと零し、足を伸ばしながら空を見上げた。
輝く星々の中に浮かぶ白く輝く綺麗な月。
私は月に手を伸ばした。
彼の髪とよく似た色の月に。
「…………セレス……」
気付けば頬を伝い一筋の涙が零れていた。
「え…なん、で………」
気付けば、身体は女性姿になっていた。
いつ変わったのかさえ分からない。
私は突然零れた涙に驚き、その雫が落ちた手をただ見つめる。
私には涙が出る理由がわからない。
ただ──また一滴、また一滴と零れていく。
この胸の苦しみは、なんという感情なのだろうか。
君の名を口にしただけで、こんなに苦しい。
彼を思うだけで無性に辛い。
私は手の平に落ちた涙を握りしめ、目を拭い立ち上がる。
「精々、殺される覚悟はしておこ……」
きっとセレスは怒っている。
会えば容赦なく殴りかかってくるだろう。
いや……本当に一度は殺される。
一度で済めば良いほうだな。
そんなことを思いながら自虐的な笑いが込み上げてくる。
私は口元を手で抑え、少し呼吸を整えてから岩から飛び降りる。
すると急に足元のマナが溢れ出し、私を包むように空に舞い上がる。
「──っ」
眩しくて少し目を細めながら前を向くと、光の粒子が一塊になり形を作る。
『おや、人の子ではないか。
"庭"におらぬと思ったら、このような場所におったか』
銀髪の長髪と瞳を持つ、人よりも姿が大きい存在が光を帯びてそこにいた。
私は驚きながらも、彼を見上げ言葉を漏らす。
「精霊王……あなたもこのような場所にいらっしゃるとは。
今夜は散歩ですか?」
彼は──精霊王。
文字通り、精霊界の王にして世界のマナを司る存在。
様々な名はあるが、いずれも人間が便宜上そう呼んでいるに過ぎない。
敬意を払うためにも、私は『精霊王』と呼ばせてもらっている。
彼は目の前で人の形を取ってくれているが、本当の姿ではない。
本来の姿は、人の目では認識することすらできない。
彼は私に配慮し、認識しやすいよう人に似せた姿をしてくださっているだけ。
『左様、今宵は良い月夜だからね。人の世に訪れてみたのですよ』
私は精霊王と共に月を見上げた。
彼と話すのは──私が精霊王の庭に家を移したいと願い出た時以来だ。
『人の子よ。そなたが私の庭から外へ出るとは思わなんだ。
あれだけ消え入りそうな様子だったのに、何故、人の世に戻った?』
当時の私は自暴自棄になっていた。
姿を消すのであれば精霊界が手っ取り早い。
精霊界に、私たちのような肉体を持った存在が一度入れば、すぐには出てこられない。
言い方を変えれば、人が簡単に入れるような場所ではない。
私はクロスロードの記憶を辿り、畏れ多くも精霊王を召喚し、この身を差し出す覚悟で彼に願った。
──人がいない場所に連れて行ってほしい、と。
「……こちらで、まだやるべきことがあったようです」
結果、私はクロスロードと同じ魂を持つ存在として精霊王の興味を引き、彼の好奇心から庭に住むことを許された。
それに──精霊王の庭と言っても、人の世界と一番近い場所だ。
そこであれば、闇を扱う私が存在するだけで悪意ある闇が精霊界へ入り込みにくくなる。
そんな理由もあり、精霊王は快く許可してくれた。
移り住んだ精霊王の庭は静かで──誰もおらず、死ぬには惜しいぐらい良い場所だった。
でも、今はあの家から離れている。
私にはやるべきことが増えたから、あそこで死んだように生きる時間は、もう終わりだ。
『……そうか。"同じ時の流れを生きる"そなたのこと。
気紛れに付き合うのも一興。またいつでも帰ってくると良い。
あの家は私の庭にそのまま置いておこう。
そなたの気配があるだけで、闇は精霊界に侵入しにくいようだからね』
「はは……ありがとうございます」
私の家は周辺の自然も巻き込んで精霊王の庭に移動している。
だからこそ、瑠璃と母さんのお墓もあそこにある。
精霊王の気紛れとはいえ、家をあのままにしてくれるのは有難い。
あそこであれば悪魔も入りにくいし、母さんも静かに眠っていられる。
『そなたの側は心地が良いな』
急に精霊王がそのようなことを言ったかと思うとゾクリとするような笑顔を見せる。
『やはり精霊界に連れて行こうかね』
──マズイ!
私は咄嗟に膝をつき、頭を垂れ言葉を選ぶ。
このまま頷いてしまってはダメだ。
「お心遣い、感謝痛み入ります。
恐れながら私は穢れた人の身。
御身の側にいるには相応しくない存在にございます。
また、私には人の世で未だ果たすべきことがございます。
同じ時を司る者として、今暫く世界を旅する時間を頂きたく存じます」
精霊王は話が通じるようで、人と価値観が大きく違う。
その上、大天使とはまた違った絶対的な存在だ。
幾ら不老不死の私でも、彼が本気になればどうなるか想像もつかない。
私は脈打つ鼓動を抑えるように呼吸を整えながら、恐る恐る顔を上げる。
私の目に映ったのは、笑顔を消し、少し考え込むような表情を浮かべている精霊王だった。
『まあ、よい。そなたの話を聞くのも楽しい。
また暇がある時に私を楽しませる話を沢山持ってくるとよい。
連れ帰るのは──またとしよう』
「ありがとうございます」
私は内心ホッとし、胸を撫で下ろした。
精霊王はそんな私の気持ちなど知る由もなく、愉快そうに微笑むと続けて言葉を紡ぐ。
『では、我は散歩の続きをする。また会おう、人の子よ。
次は旅路の話を聞かせておくれ』
「はい、必ず」
精霊王は闇夜に溶けるように粒子になり消えていく。
私はその姿を見送り、気配が完全に消えるまで動けずに固まっていた。
そして、暫くすると虫の音が聞こえ始め、元の精霊の森へと戻る。
「……危なかった」
私は溜め息混じりで言葉を零した。
気に入られ過ぎても、嫌われてもいけない。
気に入られれば精霊界に閉じ込められ、一生出られないだろう。
そして、逆もまた然り。
嫌われてしまえば、何をされたものか分かったものじゃない。
クロスロードの知恵と記憶が大いに役立った瞬間でもあった。
この距離感は保たなくては……。
本来であれば精霊王相手に人の理屈は通じない。
今、会話できていること自体がおかしな話。
「……流石に頭が冷えたな」
色々な感情がごちゃ混ぜだったはずなのに、今の出来事で抜け落ちてしまった感覚だ。
まあ、良い。
あまり深く考えても仕方ない。
それに──きっと今頃は風真が心配している。
「……流石に帰ろう」
私はいつものように身体を男性姿へ戻し、光り輝く精霊の森を静かに歩き始めた。
その足取りは少し覚束なく、迷っているようにも感じた。
……帰りたく、ないな。




