第55話 聖明のパートナー
こんなことは初めてだった。
聖明が明らかに不愉快そうな表情を浮かべ、しかも僕を無視するように背を向け、出ていってしまった。
他者からの明らかな敵以外にあんな顔をしたことがなかったので僕は動揺してしまう。
先程、ジジイと揶揄ったのが相当嫌だったんだろうか。
僕も少し調子に乗っちゃったし……悪いことしちゃった。
「ふぬ。やはり戻らぬ理由は、こやつかの」
ぽつりとジジイが呟くものだから僕はキッと睨んでしまう。
「ジジイ。聖明に何かしたんじゃないの?」
こんなの八つ当たりだ。
でも、初めてのことで感情が制御できなかった。
「ふぉっふぉっふぉっ! 何もしとらんわい!」
いつものような受け答えだけど、それも今日はいつもと違い癇に障ってしまう。
「でも、聖明出ていっちゃったじゃん!
あんな怒った様子でどこか行くなんて、見たことないよ!?」
あんな苛立ったような表情で出ていくなんて……いつも穏やかな顔で笑ってくれるのに。
「……僕が揶揄い過ぎたから……」
「それは違うと思いますよ」
僕の声に被さるようにリリーの声が足元から聞こえた。
僕はビックリして足元を見ると、自身の影が揺らぎ、中から黒猫姿のリリーが飛び出てくる。
彼女は軽快な足取りで、先程まで聖明が転がっていたベッドにぴょんと飛び移ると、尻尾を揺らしながら座り僕を見上げた。
「リリー?え?聖明と一緒に行ったんじゃないの?」
いつものリリーであれば、聖明に付いて行くのは当然と思っていたから余計に驚きを隠せなかった。
「主が一人になりたそうでしたので、私は残りました」
「……そっか」
リリーも気を使うぐらい、様子が変だったのかな……。
そう言えば発作も起きてたんだし、余裕もなかったのかもしれない。
それなのに悪いことしちゃった。
「心配するでない」
僕の考えを否定するようにジジイが声を挟む。
ジジイも一緒に揶揄っていたのに!という気持ちもあり、再び睨むように見てしまう。
「そんなこと言ったって!」
「あやつは揶揄われたぐらいで怒るような人じゃあるまい」
「じゃあ、なんで!?」
そう言った瞬間、僕は不意に新聞を押しつけられた。
先程、ジジイが開いていた新聞だ。
「読んでみろ」
「え……新聞を?」
僕は意味が分からないまま、新聞をパッと見ると見知らぬ男性の姿と共に、見出しに「カゴノトリ」の文字があることに気付き、慌てて新聞紙を広げた。
そして、思考するより先に新聞の内容を口で読み上げていく。
「『闇魔法医療科カゴノトリ──またも活躍!?
エクソシストとは別の指揮系統で独立して動く医療組織にして軍部を担う組織『カゴノトリ』。
現在、総指揮官代理であり、次期大魔導師であるセレスティーナ・ラファベル氏が単身で魔法都市を襲った魔物の群れを殲滅。
ロックバードと名付けられた魔物は空高く舞い上がり、エクソシスト側が劣勢を強いられる中、セレスティーナ氏は華麗なる光の剣技でこれを討滅。
その圧倒的な戦闘能力は、次期大魔導師としても改めて注目を集めています。
現総指揮官である聖明・紅氏が特殊任務により長期不在となる中、彼に劣らぬ圧倒的な力で着実に実績を重ねており、今後のさらなる活躍が期待されている──』」
魔法新聞だから写真は揺れ動き、セレスティーナという人物が輝く剣を操り静かに佇む姿が載っている。
白に近いプラチナブロンドの髪と、青と赤のオッドアイ。
この人が聖明の本当のパートナーだ。
右側だけ長い横髪の隙間から覗く赤い瞳は、何故か聖明のものとそっくりで、胸がざわついた。
彼もまさか堕天使なの……?
でも、片目だけだ。
僕は動揺を表に出したくなくて、よく分からない感情を飲み込みながら平然とした声を放つ。
「この新聞がどうしたんだよ。
……聖明のパートナーだろ?それが何かあるのかよ」
するとシルロ先生は溜め息を吐き、椅子をギシッと鳴らしながら深く腰掛ける。
「風真は覚えているかの?
聖明先生が入院する前、あやつは最初、入院を拒否しようとしておった。
その時に儂が代理である“セレスティーナ”とやらの名を出した途端、聖明先生は土下座までして治療を承諾しておっただろ」
「あ……」
確かに、思い返せば──変なタイミングで折れていた。
この人と聖明は何かあるの……?
「儂はな、心配なんじゃ。
あやつの発作は、普通の堕天使より進行が早過ぎる。
今日じゃってすぐに発作が出ておった。
本来なら早めにカゴノトリで、同族による治療を受けるべきじゃ。
しかしの、聖明先生は“魔法都市に戻る”ことを極端に嫌がっておる節がある。
恐らく代理をしている総指揮官──セレスティーナとやらが原因じゃろう。
このまま逃げ続けても、あやつのためにはならん。
少し意地悪だったかもしれんが考える時間を与えてやりたかったのじゃよ」
僕は新聞を広げ直し、写真に目をやった。
そこに映っている彼は、遠くを見つめるような鋭い眼差しが印象的だった。
──セレスティーナ・ラファベル。
聖明があんな態度を取るほどの相手。
僕とは全然違う。
写真でも分かるぐらい逞しく強そうな大人だ。
……一体、どんな人なんだろうか。
「シルロ先生。 カゴノトリのこと詳しいの?」
僕は思わずそんな声を漏らしていた。
僕は知っているようでカゴノトリについて何も知らないことに気付いたから、知りたくなったんだ。
「うむ? そうじゃな。
儂もエクソシストの一員だからの。
しかも、魔法医療省所属じゃからカゴノトリとは縁もある。
よく聞く噂程度なら知っておるぞ」
「じゃあさ!聖明と、このセレスティーナって人のこと、わかる?」
本当なら聖明に聞くべきだと思う。
でも、あの様子だと聞いたところで、はぐらかされそうだ。
聖明は本当に話したくないことになると、全くと言っていいほど話してくれなくなる。
「ほんの少しだけならの。
そうじゃな……そもそもの話ではあるがの。
聖明先生が総指揮官に就任したこと自体が当時からかなり話題での。
風真も知っておるかもしれんが、そもそも堕天使が転生すること自体、稀なんじゃ。
しかも、聖明先生の場合は『カゴノトリ創設者にして堕天使の長であるクロスロード・ブラッティ・ナイトメアの生まれ変わり』じゃからな。
注目されないほうがおかしいぐらいじゃ。
その上、転生して見た目も変わっておる。
あの容姿じゃから余計にメディアにも引っ張りだこでの。
良くも悪くも目立って仕方なかったんじゃ。
そんな中、聖明先生のパートナーとして就任したのが、聖明先生の同級生にして次期大魔導師と言われているセレスティーナ・ラファベルじゃ。
魔法都市を守護する大結界の継承者としても注目が高い彼が堕天使のパートナーじゃ。
話題にならないほうがおかしいの。
この二人はの、二人だけで一部隊に匹敵すると言われるほど異質な戦力でな。
軍務に出れば必ず成功するとまで評判じゃった。
まあ……そのせいでエクソシストからは大層嫌われておるがの。
エクソシスト以上の戦力を二人だけで補ってしまっておったから余計にの」
聖明は強いことは知っていたけど……そこまで強いなんて知らなかった。
何よりも──本来のパートナーが、そんなに凄い人なんてことを知らなかった。
同時に、仮とはいえ僕が聖明の隣に立っていることが、急に恥ずかしいことのように思えてしまった。
聖明に与えられた封印の書を持っているだけの僕とは違う。
きっとこの人は、自分の力だけで聖明と肩を並べられるほど強いんだ。
そう考えるだけで、悔しさが込み上げた。
それ以上に──僕はショックだった。
今まで僕は、聖明のことをちゃんと知ろうとしていなかった。その事実に今更気付いてしまった。
旅を始めて、もう半年以上が経っている。
隣にずっといたのに──僕は聖明のことを何も知らないんじゃないか?
そんな当たり前の疑問に、足元がぐらつくような怖さを覚えた。
「……僕、聖明のこと……何も知らない」
僕の不安が口から小さく漏れていた。
僕は聖明の優しさに甘えて、今まで現実を見ようとしていなかった気がして、自分が酷い人間のように思えた。
「ふぉっふぉっふぉっ」
シルロ先生が唐突にいつもの仙人のような笑い声を上げる。
そして、長い髭を撫でながら静かに窓の外を見やった。
「人はのう、想像以上に他者を知らぬものじゃよ。
その人の人生は、その人だけのものじゃからな。
本人が語らぬ限り知れぬのが当たり前じゃ」
シルロ先生が僕にゆっくりと視線を向ける。
「風真。おぬしがそれでも“知りたい”と思うのなら、少しずつ聞いてみるといい。
もし答えてくれるなら、しっかりと聞くのじゃ。
逆に答えてくれないなら“今はその時ではない”というだけじゃ。
話すにも勇気がいることは多いからのう。
まあ、聖明先生のことじゃ。
風真の言葉を無視するようなことはなかろうて」
その言葉に不思議と気持ちが楽になった。
何の保証も確証もない言葉なのに、不思議だ。
「……そうだね。聖明のことだから話したくなったら、きっと、話してくれるよね」
僕は……そう信じることにした。
聖明もきっと心の準備も必要だ。
だから、無理に聞くのはやめようと思った。
気にならないわけじゃない。
でも、あの様子だと今はまだ答えてくれない。
無理に聞けば、心を閉ざしてしまう。
だから──その時が来るまで待とう。
僕も窓の外を見上げる。
夜空には、瞬く星が静かに浮かんでいた。
きっと聖明も今頃、心の整理をしているんだろうな。




