第41話 隠したい想い
風真が行ってしまった。
元気な笑顔を浮かべ、駆けるように遠ざかっていった後ろ姿に、私は寂しさを感じてしまう。
私……心細かったんだな。
今更ながらに気付いて苦笑してしまう。
「さてと……聖明先生」
シルロ先生の声にハッとして顔を上げる。
「これで、聞かれたくない相手はいなくなったの。
ちゃんと“診察”することができるの」
その言葉の意味を何となく察し、私は視線を落とした。
「……そう、ですね」
今日の早朝、起きた時には私の身体は女性姿だった。
最後に覚えているのは、何かを抗議しようとした瞬間に衝撃が走って、意識が飛んだところまでだ。
恐らく気を失った時に身体が自然と変化したんだろう。
それにシルロ先生は、風真が眠っている間に一度私の様子を見に来ていた。
その時も私の身体について何も言わず、入院についての話をされていた。
きっと信頼できる先生だとは思うけど、少し怖い。
だって、私の性別について知っているのは、家族やカゴノトリの仲間、大天使──それに心を許した数少ない友人たちだけだ。
そんなことを思いながらも、私は促されるがままシルロ先生と病室に戻り、ベッドの端に腰を下ろす。
それに合わせるように、シルロ先生も丸椅子を持ってきて、私と向かい合うように座った。
「さて、聖明先生。抑制剤をどれだけ打っておる?」
いきなりの確信めいた言葉に私は自然と肩が震えた。
何で気付いたんだろう……。
無意識に左腕を擦っていると、シルロ先生はすかさずその手を取り、私の左袖を捲った。
「あ……」
左腕は青痣だらけで、自身で見ても酷いものだと思う。
何度も注射を打った痕が、くっきりと残っている。
「堕天使特有の発作じゃな。発作の頻度は?」
私は小さく息を吐き、諦めて返事をすることにした。
「……最低でも一日一回。仕事の後は、必ず出てます」
最近の発作の頻度は酷い。
軽いものもあるけど油断するとすぐに発作が出る。
原因はいくつも思い当たるけど、私自身ではどうしようもないことが多過ぎる。
せいぜい薬に頼り、抑える術しかないのが実情だ。
シルロ先生は腕にそっと手を翳し、低く何かを呟く。
すると魔法陣が展開され、注射痕が徐々に消えていく。
「見た目だけでも、よくしておこうの」
その声は優しく、どこか切なげだった。
「……おぬし、一度、魔法都市に帰るべきじゃ。
堕天使特有の発作は、普通の医師では対処できぬ。
抑制剤と光のマナを取り入れれば、ある程度の制御はできるかもしれぬが……おぬしの場合は『心』が問題じゃ。
同胞に……他の堕天使に診てもらうべきじゃな」
「……それは」
──声が詰まる。
分かってはいる。今の症状は自身でどうにもできない。
仲間に頼るべきだ。
しかし、今は大天使の勅命で地方を巡回している身。
仕事をこなすことで帰るのを許されるんだ。
それなのに仕事を全て終えることなく帰還するわけにもいかないだろう。
……いや、こんなのは言い訳だな。
本当は帰るのが怖いんだ。
私は……彼らにどんな顔して会えばいいか分からない。
だって──そうだろ?
私は何も言わず消えたんだ。
“あんな酷いこと”をして、消えたんだ。
……きっと怒っている。許されるわけがない。
しかし、私の心を無視するようにシルロ先生は言葉を続ける。
「おぬしは──闇魔法医療科カゴノトリの総指揮官であり、“教授”だったの。
何があったかは知らぬが、三年ほど前から姿を消したと聞いておる。
だが──三年もの間、一人で発作を抱え続けるのはさぞ苦しかったことじゃろう」
シルロ先生は私の手を、そっと包み込むように握る。
「……無理に帰れとは言わぬ。
だがな──守りたいものがおるのなら、話は別じゃ」
その言葉に心がざわめき、私はシルロ先生を見つめる。
「聖明先生。
『本当の意味で守る』というのは、自己犠牲だけではない。
時として『見守る』ことも『頼る』ことも『守る』ということなんじゃ」
彼の言葉は……理解はできる。
でも、私には難しいんだ。
私は──自己犠牲でしか己の存在意義を見出してこれなかった。
その方法しか分からないんだ。
「あの少年は……風真は良い子じゃの。
あの子のために頑張っているのなら、まずは自身を治すことを考えるべきじゃ。
これは老体からの……ちょっとしたアドバイスじゃよ」
その言葉に、抱えていた心を見透かされたようで泣きそうになった。
頭では理解できているんだ。
でも、どうすればいいか分からない。
まるでどこに行くべきか分からない迷子のようだ。
「……聖明」
リリーが影から現れ、女性の姿になって静かに寄り添う。
そっと私の横に腰掛け、ギュッと抱き締めてくれる。
リリーの温もりが嬉しい。
とても甘えたくなる。
でも──それ以上に、今の自分が不甲斐なくて許せなかった。
こんな苛立ちを隠したまま、彼女の傍にいるのが嫌だった。
「……ごめん……少し、一人にしてほしい」
私の言葉にリリーはそっと離れ、悲しげな顔をする。
……きっと傷付けた。
リリーはそれでも優しく微笑み、静かに頷いてくれる。
彼女はベッドから立ち上がり、黒猫姿になると、小さな足音を立てて病室の扉へ向かう。
そして扉を押し開け、静かに部屋を出ていった。
それを見たシルロ先生も、ゆっくりと席を立ち、病室を後にした。
部屋に静寂が満ちる。
音も、声もない。
ただ、静かに、冷たい空気が私を包む。
そして──自然と涙が頬を伝った。
本当にどうしたらいいか分からない。
どうしたら風真を救える?
どうしたらこの罪を償える?
旅をしながら風真と瑠璃を救う術を探しているけど、何一つ進展がない。
このままでは二人が死んでしまう。
ああ……胃が痛い。
発作も起きかけているんだろう。
見れば、自身の手には闇の刻印が薄く蠢き始めている。
私は自身を抱き締めて蹲った。
「……助けて……」
それは聞き取れるかどうかの小さな声。
こんな情けない言葉、誰にも言えない。
こんな弱音、誰にも見せられない。
だって──私にはそんな資格はない。
私は誰にも縋ることのできないまま、自身の身体をギュッと抱き締め、静かに涙を流した。




