第3話 闇魔法医療の医師
食事をし終えた後、少年は聖明に処方された薬を飲み、ベッドのある寝室に戻っていた。
カーテンを開いているせいか部屋の輪郭がしっかり浮かび上がり、夜とはまた違う印象を受ける部屋だった。
アーチ型の大きな窓の側には書斎机があり、可愛らしいハートやレリーフの彫刻が施されている。
よく見ると、棚やクローゼット、ベッドに至るまで、同じようなデザインで統一されていた。
そして、書斎机や棚の上には可愛らしいウサギのぬいぐるみや、月を模した卓上ランプが見受けられ、まるで女の子の部屋のようだった。
もしかして、聖明先生以外に誰か住んでいるのだろうか?
もしくは……彼の部屋なのだろうか?
そうだとしたら、意外とメルヘン趣味なのかもしれない。
後ろ髪も長いし……。
僕はそんなことを考えながら、少し落ち着かない気持ちのまま、ベッドに下半身を滑り込ませると、枕をクッション代わりにして、ベッドボードへ背中を預けた。
「ちゃんと食事もできて偉いね」
彼はそう言って微笑むと、ベッド近くにある棚の上にお湯が張ってある桶を置く。
なぜ持ってきたのか疑問に思いつつ、彼の手元をぼーっと見ていた。
そして、気付いてしまう。
聖明先生の両手首に包帯には、薄っすらと血が滲んでいた。
僕は驚いて、咄嗟に声を上げてしまう。
「え!?」
「ん?どうかしたかな?」
どう聞けばいいのか分からないまま、僕は初めて彼の名前を口にした。
「あ、あの……えっと、せいめい……先生?」
「ふふ、聖明でいいよ。先生って呼ばれると少しむず痒いな」
彼は少し困ったような顔で笑う。
僕は少しドキドキしながら、もう一回、彼の名前を呼んでみた。
「せいめい……」
「うん、なぁに?」
あまりに嬉しそうに微笑むものだから僕は咄嗟に視線を反らしてしまう。
相手は男性なのに不覚にもドキッとしてしまった。
恐る恐る視線を戻すと、彼は僕の言葉を待っているようにニコニコと笑い続けている。
そんな彼に聞くのは気が引けたけど、心配だったんだ。
僕は思い切って尋ねてみることにした。
「あ、あの……その手首……怪我、してるの……?」
すると彼は自身の手首を触り、ハッとした顔をする。
けれど、直ぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「ああ、驚かしてしまったね。ごめんね。
少しばかり怪我をしてしまってね。
大したことはないんだ。気にしないでほしい」
いつもの穏やかな顔なのに、これ以上有無を言わさない雰囲気が確かにあった。
聖明はハイネックを小さく摘むと上に少し上げる。
その時に首にも包帯を巻いているのに気付き、余計に心配になってしまった。
でも、きっとこれ以上は踏み込んだら駄目なんだと思う。
僕は心配と不安な気持ちにそっと蓋をして話題を変えることにした。
今度はしっかりと彼の名前を呼んで、伝えたいことがあったんだ。
「聖明。助けてくれてありがとう」
名前もわからない僕を助けて、看病してくれている。
何も持たない僕に今できるのは、こうやって感謝の気持ちを伝えることだと思うから、ちゃんと目を見て伝えたかったんだ。
聖明は少しだけ目を見開いた後に、嬉しそうに目を細めて頷いてくれた。
「医者として当然のことをしただけだよ。
と言っても私の専門は闇魔法医療だけどね」
聞き慣れない単語に僕は首を傾げる。
「闇魔法……医療……?」
僕の様子を見た聖明は、「しまった」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「あ、聞き慣れないよね。
簡単に言うと精神科医みたいなものだよ。
どこから説明したらいいかな……闇魔法というのは特殊な魔法でね。
本来であれば悪魔や魔人、魔物といった人間に害のある存在が操る力なんだ。
闇はどんな生物でも持ち得ている要素ではあるんだけど、基本的には操ることもできないし、過度な闇は毒となる。
最悪、命を落とすことだってある。
しかも闇は、怪我などの外部からの影響だけでなく、時として深く傷付いた心が原因で内側から発生することもある。
心が病み続けると、内側に生じた闇が毒のように身体を侵食してしまうんだ。
そこで、私のような闇魔法医の出番だ。
私は生まれつき闇を操ることができる特殊な天使なんだ。
だから、闇魔法を使用して人々を闇の侵食から救い出し、治療するのがお仕事なんだ」
魔法という概念だけでも驚きを隠せないのに、彼は普通の人では扱えない魔法で人々を治療すると言った。
聖明は、僕が考えていたよりもずっと凄い人なのかもしれない。
「聖明は凄いお医者さんなんだね!」
僕は逸る気持ちが抑えきれず、少し身を乗り出して素直な気持ちを述べていた。
聖明は大層驚いたような表情で固まるけど、僕は言葉を続けた。
「だって、誰にもできないことをしてるんでしょ?
しかも、誰かを救ってるなんて凄いよ!
僕だって、こうして助けてもらってるし……ねえ、天使って何?
きっと種族とか、そういうものなんだよね?
僕……何もわからないから教えてほしい!」
知りたいと思ったんだ。
僕を助けてくれた聖明のことをもっと知りたいって思った。
僕には何もないけど、だからこそ……色んなことを知りたいって思ったんだ。
何もないことに恐怖するよりも、目の前に見える分からないことを一個ずつ知っていきたい。
きっと、それが僕を形作ってくれると思えたから。
彼は困ったように眉を垂らし、小さく微笑んだ。
「まったく……参ったな……同じことを言うんだから……」
そう呟いた彼は自身の唇に指で触れ、少しの間黙る。
そして、ぱっと明るい顔をすると、椅子を持ってきて僕の横に座った。
「それじゃあ、先ずは君の問いに答えていこう!
君の種族だけど、体内のマナバランスや魔力量を見るに天使に分類される」
先程も話題に出てきた天使という単語に何故かワクワクする。
僕は頷きながら彼の話に耳を傾けた。
「天使というのはね、魔法を使える人間の総称だ。
魔法を使えない人間とは、いくつか大きな違いがある。
一個目──天使は人間よりも寿命が五倍近くある」
「え!?五倍も!?」
僕は驚きのあまりに声を上げてしまう。
「うん、そうだよ。
天使の寿命はおおよそ五百年。
二十歳までは人間と同じように成長するのも特徴だ。
天使はおおよそ二十歳頃になると、見た目の成長がほとんど止まる。
そこからはゆっくり時間を掛けて徐々に老いていくんだ。
でも、これは諸説あってね。
精神年齢が見た目に表れるとも言われている。
その為か四百歳過ぎても人間の三十代のような見た目の人もいるぐらいだ」
面白い生態に僕はハッとして聖明をじっと見つめてしまう。
彼は天使と言っていたから、見た目は二十歳前後の大人のように見えるけど、もしかしたらもっと年寄りなのかもしれない。
「……君、言っておくけど私はまだ若い天使だからね。まだ二十二歳だからね」
心を見透かされたように言われるのでドキッとしてしまう。
「あはは……何か、ごめんなさい」
「分かればよろしい」
そんなことを言って彼は可笑しそうにクスクスと笑う。
僕も思わず釣られるように笑った。
聖明は手を少し前に出して、ピースをすると続けて話し始める。
「天使の特徴、二個目!
天使には得意属性があり、体内のマナバランスによって使える魔法が少し変わってくる。
君が眠っている間に、健康状態を調べさせてもらったんだだけね。
その結果、どうやら風と水、光の属性が得意な属性に該当する。
因みに闇魔法以外の属性であれば、日常魔法レベルであれば全属性使用は可能だ」
きっと聖明が手元で氷を使ったような出来事が魔法なんだろう。
僕は未知の知識にワクワクしてしまう。
「適性があるっていうことは、僕でも魔法が使えるの?」
「もちろん。今は体が悲鳴を上げているから難しいだろうけど、元気になったら魔法を教えよう」
彼の提案に僕の胸が一気に高鳴った。
どうしよう。
知らない知識を少し教えてもらえるだけでも嬉しいのに、魔法を教えてくれるって言うんだ。
きっと知識を渇望しているだけじゃない。
聖明が教えてくれるって言ってくれたから、僕は嬉しいんだと思う。
「約束だからね!」
「ふふ、約束だ」
初めての約束に、僕は嬉しくて頬が緩んでしまう。
僕は彼のことも知りたくて更に質問を重ねた。
「聖明は?聖明はやっぱり闇属性が得意な天使なの?」
僕の質問に聖明は少しだけ表情を濁らせた。
その瞬間、外の風が吹き、窓がカタカタと震えた。
「……いずれバレてしまうから、今のうちに伝えたほうが良いだろうね」
少しだけ強張った様子で歯切れ悪く、そんな言葉を漏らす。
聞いてはいけないことだったんだろうか?
僕は少し不安になりながらも彼を見つめた。
「君の言う通り、私の得意属性は闇に全振りといった感じだ。
……私のような闇を扱える天使はね、世間では『堕天使』と呼ばれているんだ」
「堕天使……?」
あまり良いとは思えない響きに僕も思わず眉間が動くのを感じた。
「……堕天使はね、人を害する悪魔と同じ力を使役しているから嫌われているんだ」
「え!?何で!?闇魔法で治療できるのに!?」
僕は納得がいかなかった。
だって、闇魔法で救われた命だってあるはずだ。
それなのに悪魔と同じ力を使えるだけで嫌うなんて間違ってる!
聖明の顔を見ると悲しそうに微笑んでいるのがわかる。
こんな顔をするぐらいだ。
きっと、酷い差別を受けたことがあるんだ……。
そう考えるだけで一気にやるせない気持ちになる。
「ありがとう。私たちのために怒ってくれて。
でもね……それだけではないんだ。
私たち堕天使は普通の人では持ち得ないほどの闇を保有している。
悪魔や魔人、魔物たちの糧は、人の魂であり、人の心に宿る闇そのものだ。
だから、私たちは悪魔たちに狙われている。
彼らにとって私たち堕天使は最高の贄でもあるんだ」
酷い現実に僕は息を呑んだ。
つまり聖明は、生きているだけで悪魔や魔人、魔物といった恐ろしい存在が群がるという事だ。
いったい、どんな苦労をして生きてきたのだろうか。
「だからね、人々は畏怖の意味も込めて、私たちを「堕天使」と呼んでいるんだ。
でも、これは仕方ないことでもある。
そんな恐ろしい存在が傍にいれば巻き込まれかねないし、言い方を変えれば悪魔のようなことさえできる存在だ。
恐怖しても仕方ない」
まるで諦めたように笑う彼に胸がズキッと痛くなった。
「ごめんね。嫌な話を聞かせてしまった。
大丈夫、私は慣れている。
君がそんな悲しい顔をしなくても良いんだよ」
そう言って彼の温かな手が僕の頭を撫でた。
何も言ってあげられなくて、僕は悔しくなった。
僕はこうやって助けてもらっているのに、僕には何もできない。
きっと聖明の心は傷付いている。
でなければ、こんな顔はしない。
「そろそろ休もうか。
熱は下がってきたけど、体力は回復してないんだ」
そう優しく諭すように僕を寝かせようとする。
僕は促されるままベッドに潜り、布団から顔を覗かせて少しばかり抗議をする。
「聖明……でも……」
「今の君に必要なのはいっぱいの睡眠と、心穏やかに休む時間だ。
ほら、自身の手を見てご覧?」
聖明が不思議なことを言うので僕はそっと自身の手を布団から出して見上げる。
すると手には赤黒く蠢く、薔薇の茨のような模様が浮き出ていた。
「うわ!?」
僕は驚き、思わず跳ね起きそうになる。
そんな僕の体を聖明がそっと押さえられ、そのまま布団へ戻される。
「これは闇の刻印と呼ばれるもので、闇が体内を侵食している証拠なんだ」
そんなものが身体に浮き出ていることが怖くなり、僕は聖明を必死に見つめた。
「大丈夫。言ったろ?
私は闇魔法医療の医師だ。君の闇くらい、すぐに取り除くよ」
安心させるように穏やかな口調でそう言うと、僕の手を優しく掴み、彼の唇が指に触れる。
「え!?え!?」
唐突な出来事に僕は慌てて声を上げてしまう。
だって、だって!聖明の唇が、僕の指に!?
え!?何で!?指にキスされちゃったよ!?
僕が大混乱に陥っていると、聖明はクスッと笑い、僕の頭を撫でた。
よく見ると、僕の手からは闇の刻印が消えている。
代わりに、聖明の頬や首筋へ、色濃い刻印が浮かび上がっていた。
「え……聖明……?」
「大丈夫。今は何も考えず眠りなさい。
私は少しやることがあるから……何かあったら棚の上にあるベルを鳴らしてくれ。すぐに来るからね」
彼の視線を追うと、お湯が張ってあった桶の側にベルが置いてあった。
きっとこれのことだろう。
聖明は桶のお湯に手を触れると、お湯をそのまま球体にし、手元に浮かべる。
そして、一瞬にして湯気のようになり、室内がふわっと暖かくなる。
「うん、これでこの部屋はしばらく暖かなままだよ。
加湿もできているし一石二鳥だね」
そう陽気な声で話すけど、彼の顔色が悪い。
ただでさえ白い肌が血色を失っているように感じた。
「せいめ……」
「ゆっくりね」
遮られるように優しい言葉を言われ、僕は何も言えなくなってしまう。
彼はそのまま扉を開け、キィと小さな音を立て部屋を出ていってしまった。
きっと今聞いても聖明は何も答えてくれない気がした。
仕方なく、僕は布団をしっかり被り、目を閉じることにする。
部屋が暖かいおかげだろうか。
それともやっぱり僕の身体が弱っているせいだろうか。
不思議と一気に眠気が襲ってきて、僕はあっという間に微睡みの中に溶けるように意識を手放した。




