第2話 穏やかな食卓
──翌日。
ひんやりとした空気を感じ、すっと目が覚める。
ゆっくりと瞼を開くと少しだけ見覚えのある天井が視界に映る。
……ああ、そうだ。
そう言えば、僕……聖明先生に助けられて、看病されたんだっけ?
まだボヤける頭でそんなことを思い出しながら、だるい体を無理やり起こす。
すると手元にふわりと温かな感触が伝わり、視線を落とす。
そこには昨晩、聖明先生と一緒にいた黒猫が丸まっていた。
僕が触れたせいか耳をピクッと動かし、小さく顔を上げる。
「あ、猫ちゃん……ごめんね起こしちゃった?」
「にゃーん」
言葉がわかっているような雰囲気で小さく鳴くと、その場で立ち上がり、体を伸ばすような仕草をする。
よく見ると黒猫の額にはキラキラした紫色の宝石のようなものがあり、瞳の色も同じ紫色であることに気付く。
……猫じゃないのかな?
僕が不思議そうに見つめていると、猫はととっと床にジャンプして降り、僕を見上げながら再び「にゃーん」と鳴く。
「もしかして……付いてこいって言ってるの?」
そう感じた僕は不思議とそんな言葉を漏らしていた。
するとふわふわの尻尾を揺らしながら、部屋の扉まで歩いて、催促するように前足でカリカリと扉に爪を立てる。
「あ、待ってね!」
僕は周辺を見渡す。
すると昨晩、聖明が座っていた椅子にはカーディガンが掛けられているのに気付く。
少し肌寒かったので、カーディガンを借りることにし、羽織ってベッドから出る。
ふらつく足取りで扉まで辿り着くと、僕はそっと扉を開けた。
扉の向こうは左右に広がる木造の廊下に外の景色が見える窓が並んでいる。
窓の向こうは木々が見え、雪が降っているのか世界が真っ白だった。
僕が思わず窓の外を見ていると、猫の軽快な足取りが遠のくのを感じて、ハッと視線を戻す。
僕が使用していた部屋の右側に歩き始めたので、僕は付いていくように歩き始めた。
部屋の横はどうやら階段で、上の階と下の階に行けるようだった。
階段も廊下と同様に木造造りで、シックな色合いが印象的。
階段の踊り場からは小さな可愛らしい嵌め込み窓が外の光を反射して中を照らしている。
部屋の雰囲気といい、全体的にどこかレトロで可愛らしい家。
そんなことを思っていると、猫は僕を待つことがなく階段を降りていく。
「あ、僕も行く!」
少し心細かった僕は、少し慌てながら一緒に階段を降りていく。
最初は慌てていたので気付かなかったけど、猫と自身が階段を降りる音以外に下から生活音がする。
コトコトと鍋の蓋が動く音、トントンと何かを切るような音。
それだけじゃない。
コーヒーの芳ばしい香りと、食欲を刺激する温かな匂い。
僕は少しだけ冒険している気分になり、階段を降りて左側の廊下を進んで行く。
壁沿いにあるアーチ状の扉がない出入り口に到達し、僕は恐る恐る中を覗き見る。
部屋の中は温かく、左側の一番奥には暖炉がありパチパチと音を立て部屋を温めている様子が伺える。
暖炉の前には木製のローテーブルが配置され、大きなアーチ型の掃き出し窓を背に大きなソファまで設置され、開かれたカーテンからは外の光が差し込んでいる。
全体的にこの部屋も木造と漆喰で作られた部屋で、壁や棚に写真立てが多く飾られており、不思議と温かみのある空間だった。
部屋の中央に視線を移すと、四人掛けのテーブルと椅子が目に入る。
テーブルの中央には白く小さな花が添えられた花瓶が飾られており、横並びの二つの席には赤いチェック柄のランチョンマットと木製のスプーンが配置されている。
「もう一人で起き上がれるぐらいになったんだね」
穏やかな男性の声にハッとして部屋の右側を見ると、そこはキッチンになっており、聖明先生がエプロンを外しながらニッコリと笑みを浮かべている。
「あ!えっと……おはよう……ございます……」
「うん、おはよう」
彼は白いカッターシャツに黒いズボンというシンプルな装いだった。
少し寒いのか、シャツの下には黒いハイネックを重ね着している。
改めて見ると聖明先生の背丈はスラっと高く、顔立ちも整っていて優しそうなのに、どこか近寄りがたい雰囲気がある人だとも思った。
彼はキッチンに置かれた小さな丸椅子に畳んだエプロンを置くと、静かに僕に歩み寄った。
そのまま手を伸ばすと、その長い指が、そっと僕の額に触れる。
心地よい温もりに一瞬だけど思わず目を閉じてしまった。
「熱は引いたね。とりあえずは大丈夫そうだ」
「あ、ありがとう……ございます……」
「畏まらないでいいよ。おいで、朝ごはんにしよう」
聖明先生はランチョンマットが設置されている席の椅子を引くと、笑顔で手招きをしている。
僕は少し戸惑いながらも案内されるがまま席に座った。
すると合わせるように先程の猫がぴょんとテーブルの上に登り、ランチョンマットに少し前足を乗せるとスッと背筋を伸ばすように座る。
あまりに上品な雰囲気に僕は思わずクスッと笑ってしまった。
「お待たせ。君には野菜スープとリリーは今日はミルクだね」
聖明先生は穏やかに微笑みながら、コトっと僕と「リリー」と呼ばれた猫の前にそれぞれ木製のスープ皿を置く。
お皿の中には、細かく刻まれた様々な野菜が煮込まれた温かなスープ。
ふわっと湯気が揺れると共に香ばしくも優しい野菜の香りが僕の嗅覚を擽り、反応するように僕のお腹が「ぐぅ」と音を立ててしまった。
急激に恥ずかしくなった僕は慌ててお腹を隠すように手を当てる。
「あっ!」
「ふふ、食欲があるのは良いことだよ。
でも、君はひどく衰弱していたからね。
いきなり普通の食事だとお腹がビックリしてしまうだろうから、先ずはスープから試してみようね」
「う……うん」
「気にせず食べてね」
そう笑うと彼は再びキッチンに戻り、マグカップと一冊の本を持って僕の前の席に座った。
湯気が立ちこめるそのマグカップは、女性が好みそうな可愛らしいテディベアのデザインが施されており、香りから言ってコーヒーだろうと思った。
彼はコーヒーを一口飲むと、ホッとしたような声を漏らし、本を開く。
その様子をじっと見ていたら彼と目が合い、応えるようにニコッと優しく笑ってくれる。
間違いなく男性のはずなのに、あまりに整った顔のせいか女性のような印象を受け、余計に恥ずかしくなってしまう。
そんな気持ちを隠すように、側においてあった木製のスプーンを手に取ると僕は手を合わせてみた。
「……いただきます」
「召し上がれ」
優しい視線に少しむず痒い気持ちになりながらも、スプーンで掬ったスープを「ふー」っと息を吹きかけ、少し冷ましてから口に運び入れる。
じんわりと口いっぱいに広がる野菜の甘さと、優しい味付けが僕の心を和ませる。
野菜はよほど煮込んでいたのか、口の中でほろほろと崩れあまり咀嚼しなくても簡単に喉を通ってしまうぐらいだった。
丁寧に作られたスープに、思わず泣きそうになる。
だって、きっとこれは僕のために作ってくれたスープだ。
どこの誰かもわからない僕に、優しく看病をしてくれて、更にはこんなに美味しくて手間暇がかかりそうな料理まで振る舞ってくれる。
彼の行動は僕の心を簡単に解してくれる。
「美味しい……っ」
僕は袖で涙を拭いながら、震える声で素直な感想を述べた。
その言葉を聞き入れるように、聖明は穏やかに「ありがとう」と微笑んだ。
少年の横では黒いアメジストに輝きを宿した黒猫がペロペロとミルクを飲みながらも、どこか嬉しそうにふわふわの尻尾を揺らす。
その空間はどこか穏やかで、温かい。
居心地のいい空気に囲まれたまま、少年はゆっくりと、スープを味わうように最後まで食べ進めた。




