第33話 僕たちの進む道
「──ジャンヌ」
誰かが……私を呼んでいる。
その声に導かれるように、私は意識を浮上させた。
不思議と穏やかで、温かな気持ち。
ゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が広がっていた。
「ここは……」
「君が倒れた町の宿だよ」
聞き覚えのある声にハッとして、視線だけを向ける。
ベッドの横には赤い瞳が印象的な彼が眼鏡越しに私を見つめていた。
「……聖明……殿」
私の声を聞くと穏やかな表情で優しく微笑む。
しかし、そんな彼の顔には闇の刻印が色濃く浮かび上がり、耳を澄ませば、浅い呼吸を隠そうとしているのが分かった。
「聖明殿、その刻印──」
そう尋ねかけた時、夢の中の出来事が一気に押し寄せてきた。
同時に倒れたシャルルの姿が脳裏を過ぎり、飛び起きようとする。
「──シャルル!」
しかし、聖明殿の手がそっと私の肩に触れ、その動きを静かに制した。
「安心して。彼は無事だよ。
それより……今は、自分の体を案じなさい」
触れる手がじんわりと熱い。
よく見ると、聖明殿自身も顔色が悪く、首元や額にはじんわりと汗が浮かんでいるのが分かった。
その様子に聖明殿が何をしたのか察し、私は慌てて彼の手を取る。
「聖明殿!まさか私の闇を取り込んだのですか!?」
聖明殿が闇を操るだけでなく、他者の闇を取り込むことができるという噂を聞いたことがある。
現に彼は夢の中で悪魔擬きを取り込んだように見えた。
堕天使にはそれぞれの特性に合わせた二つ名がある。
彼の場合は──闇を背負う堕天使。
文字通り、私の闇を背負ったのだろう。
でも、この様子を見るに堕天使である彼でさえ、平然とやれることではないのだと分かる。
彼は私の手をそっと包み込んだあと、その手を離し、小さく呟くように言葉を続けた。
「大丈夫。私は慣れているからね」
その言葉に私は胸が痛くなった。
堕天使である彼は恐怖の象徴で、畏怖してしまう相手だ。
でも、こうして身近で関わり、それだけではない相手だと気付く。
自身を犠牲にしてまで他者を癒そうなんて……何てお人好しなのだろうか。
「聖明殿──」
私は彼にお礼を述べようと思ったその時だった。
言葉を紡ぐ前に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「離せ!堕天使とジャンヌを二人きりにしてたまるか!!」
「ふざけんな!聖明に治療されたばっかりだろ!黙って寝てろ!」
そう飛び込んできたのはパジャマ姿のシャルルと夢の中で見た銀髪の少年──風真殿だった。
扉の前で暴れるシャルルと、それを必死で引き留める風真殿が取っ組み合っている。
その様子に聖明殿が小さく息を漏らした。
「おい、紅!封印してやるから、ジャンヌから離れろ!」
「呼んだのはそっちだろ!?なに言ってんだ、クソ河童!」
「お前らを呼んだ覚えはねーよ!カゴノトリに要請しただけだ!」
「同じことだろ!?なんて恩知らずな!」
次々と繰り出される掛け合いに、私は思わず聖明殿と顔を見合わせた。
そして──ふと、笑みが溢れ、二人で苦笑した。
現実に戻ってこれたんだな。
「シャルル、風真殿を困らせないでほしい」
私がそう言うと、シャルルはハッとした表情を浮かべると大人しくなり、少し悄気たように視線を落とす。
「……すまない、ジャンヌ。俺……」
彼は申し訳なさそうに、言葉を詰まらせながら謝罪を述べ始める。
それを見て私は首を左右に振った。
「謝るのは私のほうだ」
私はそっとベッドから立ち、シャルルの元まで歩み寄る。
「ジャンヌ……?」
「シャルルは出会ったときに比べて背が伸びたな」
私よりも小さく幼かった彼は今では私が見上げている。
私はそんな彼の存在を確かめるようにギュッと優しく抱き締めた。
彼は一瞬固まったが、すぐに慌てて口を開く。
「ど、どうした!?紅に何かされたのか!?俺が封印を……!」
まったく……この子はどうして、そんなことを言ってしまうのやら。
「違う」
「体調が悪いのか!?」
「違うわよ」
あたふたするシャルルの姿に、思わずクスッと笑ってしまう。
そんな私たちの様子を見ていた聖明殿と風真殿は、互いに顔を見合わせると静かに部屋を出ていった。
……気を使わせてしまったようだ。
「シャルル、ありがとう。
私を守ってくれて。助けてくれて、ありがとう」
私は素直な気持ちを彼に伝えた。
シャルルは顔を真っ赤にしながら、視線を逸らしつつも「ああ」とだけぶっきらぼうに返してくれる。
私にとってシャルルは──もう、いなくなることなど考えられない相手なのだと思った。
私の大切なパートナーだ。
◆◆◆
ジャンヌさんとシャルルがいる部屋から出ると、聖明は静かに扉を閉め、人差し指を立てると「しー」と声を潜めるように僕に合図する。
その様子に僕も同意するように頷き、静かに彼と一緒に廊下を歩き始めた。
僕たちが借りた部屋に戻る最中、僕はそっと言葉を掛ける。
「聖明、お疲れ様。その……ありがとう」
「ん?」
聖明はいつものように穏やかな顔で返事をする。
「僕を闇の中に連れて行ってくれて……」
今回、僕は我が儘を言った。
倒れているジャンヌさんを診察した後に、聖明がシャルルと僕に告げた。
『彼女の闇の中に潜る』
ジャンヌさんは想定しているよりも深く自身の闇の中に籠もってしまったみたいだった。
そのため、聖明がジャンヌさんの闇の中に入ると言い始めたんだ。
それを聞いて最初は止めた。
だって、そんなことをしたら聖明が発作で倒れてしまうと思ったから。
もし意識に潜って戻れなかったら?
もし闇の中でどうにもならない事態になったら?
──僕には何もできない。
それだけはどうしても嫌だった。
だから、聖明に言ったんだ。
『潜るなら僕も連れて行ってよ!
仮とは言え、今のパートナーは僕だ!
聖明を一人にすることなんてできないよ!』
それを聞き入れてくれた聖明は、闇の世界で自身の精神を守る魔法を僕に教えた上で、一緒に行くことを許してくれた。
まあ、ついでのようにシャルルが便乗して、無理やり付いてきたのは予想外だったけどね。
しかも、潜った瞬間にジャンヌさんの闇に飲み込まれるとか……焦ったし、聖明も驚いたようで動揺してた。
そういう意味でも付いて行って良かったと思っている。
「私こそ──ありがとう。
風真が傍にいてくれて心強かったよ」
そう言って聖明は右手で僕の頭を抱き寄せ、頭を撫でながら少し体を預けてくる。
少し恥ずかしいけど……嬉しかった。
「風真は可愛いね」
そう言ったと思ったら、今度はしっかり抱き着き直し、甘え始める。
このパターン良くないやつだ!
僕は慌てて引き剥がそうとするけど、身長差もあるし、男性姿の聖明はそれなりに力も強く、僕の力ではビクともしない。
「は、離せええええ!!!」
「へへへ」
……最近の聖明は変に抱きつき癖がある気がしてならない!
僕が必死に抵抗していると廊下の先で黒猫姿のリリーが迎えに来たのか、歩いてくるのが見えた。
僕は思わず彼女に助けを求める。
「リリー!助けてええええ!」
するとリリーがピタッと止まって何とも言えない視線で僕たちを見ると……回れ右をして帰ってしまう。
「何で!?」
「風真〜♡」
「ぎゃあああああ!」
その後──散々、聖明に抱き着かれ僕は変にげっそりした状態でベッドに倒れ込むことになった。
女性姿でやられるよりはマシだけど、勘弁してほしい。
そんなことを思いながら横のベッドで眠る聖明を見て、僕は溜め息をつく。
“彼女”は疲れていたのか……ベッドに入った瞬間、意識を失うように眠ってしまった。
どうやら、眠った拍子にまた女性の姿へ変わってしまったらしい。
聖明の横にはリリーが黒猫姿で丸まり、スヤスヤと二人は寝息を立てている。
そんな二人を見てると、たまには良いか。
なんて気持ちになってしまう。
「……聖明、おやすみなさい」
僕は小さな声で、そう告げた。
今度は悪夢ではなく、良い夢が見られることを祈って。
◆◆◆
──翌日。
次の目的地まで方角が一緒だったジャンヌさんたちと一緒に歩いていた。
ジャンヌさんとシャルルは、今回の件を報告するべくエクソシスト東部支部と呼ばれる東の地域を管理しているエクソシストの拠点に向かうのだとか。
「お、そろそろ次の道が見えてきたな」
そんなことを呟くようにシャルル。
視線の先には分かれ道。
僕たちは分かれ道中央にある看板の前で立ち止まる。
辺りを見渡すとひたすら開けた草原が広がり、遠目には森や山が見える。
ここから先、互いに相当歩くことになるんだろうなと察する。
「聖明殿、風真殿」
ジャンヌさんが改めるように姿勢を正し、僕たちに向き直る。
「この度はお世話になりました」
礼儀正しく一礼するジャンヌさん。
それに比べてシャルルは相変わらずのぶっきらぼうな態度で言葉を続ける。
「不本意ながら世話になったな。
……少しは堕天使を認めてやる。その……ありがとな、聖明」
相変わらず口が悪いシャルルだけど、素直じゃないだけなんだと思う。
その証拠と言うべきか、シャルルが聖明の名前をまともに呼んだ気がする。
それにほんのり耳や首が赤い。
照れ隠しするような仕草に、ジャンヌさんもクスッと笑っていた。
「シャルル、言い方」
彼女は軽く嗜めてから、再び話を続ける。
「我々は東部支部に報告の後に、本部へ戻るよう指示されています。
聖明殿も魔法都市にお戻りですか?」
すると聖明は首を小さく左右に振り、肩に乗っている黒猫姿のリリーを撫でながら答える。
「いえ。私にはまだ他の任務が残っていますので、もう暫くは地方を巡回し、旅を続けます。
なので、本部に戻るのは、もう少し先になりますね」
聖明の返答に納得したジャンヌさんは静かに頷いた。
「それでは、ここで暫しのお別れですね」
「ええ。あ……一応、極秘任務中ですので私のことはご内密に」
苦笑しながらも聖明が、そんなふうにお願いする。
「はい、それは勿論です」
僕もジャンヌさんとシャルルに軽い挨拶を交わすと、全員が自然と分かれ道へ視線を送る。
そして、聖明は少し胡散臭い笑顔を浮かべると、穏やかに告げた。
「また何かありましたら、お呼びください」
するとシャルルがすかさず噛みつく。
「二度と呼ぶか!今度会ったら封印してやるからな!」
「我がパートナーが不出来ですみません……」
ジャンヌさんが溜め息混じりにそう呟くと、全員で笑い合った。
そして、僕たちはそれぞれの道を歩き出した。
「風真、行こう」
「うん!」
歩き始めた時だった。
……僕は名を呼ばれ、足を止める。
「──風真殿」
振り返ると、ジャンヌさんが駆け寄り、真剣な顔で立っていた。
「ジャンヌさん……?」
彼女は真っ直ぐ僕を見つめて言った。
「風真殿。君にこれだけは伝えておきたい。
──決して聖明殿から目を離さないでほしい」
「……え?」
その言葉に、僕は思わず聞き返してしまう。
「堕天使である彼は、確かに闇を操ることができる。
しかし──普通の堕天使ですら、他者の闇を取り込み治療するなど有り得ないことです。
それ程までに、聖明殿は危うい行為をしている」
彼女は真剣そのものだった。
少し戸惑うような鬼気迫る表情に僕は耳を傾けるしかなかった。
「もし彼が闇に堕ちたり、悪魔の手に渡ることがあれば──恐らく君が彼を封印することになる。
本来のパートナーが不在の今、その責務を負うのは仮のパートナーである君だ」
ジャンヌさんは、少し間を置いて続けた。
「万が一、彼の身に何かがあり、封印せざるを得ない場面で君がしくじれば──我々エクソシストが聖明殿を封印しなければいけない」
その言葉に僕は反応してしまう。
聖明は僕に言ったことがある。
『私が暴走したら止めてくれ』
最初は驚いたし、拒否だってした。
でも、今は違う。
──僕は決めているんだ!
僕は自身に言い聞かせるように言葉を返す。
「僕は、僕にできることをするって決めたんだ。
聖明が迷わないように、僕が傍にいる!」
闇に聖明を飲み込ませたりしない。
悪魔に聖明を譲ったりしない。
──そう。
この名前を貰った瞬間から僕の道は決まっていたんだ。
聖明は僕に生きる意味を与えてくれた。
生きる術を与えてくれた。
僕は彼の気持ちに応えたい。
僕の片割れである瑠璃を助けるためにも、僕がやれることをやる。
今度は僕が聖明を助ける番だ!
「風真?早くおいで」
聖明が少し先で僕を呼んでいる。
僕は振り返り元気に返事をした。
「今行く!」
駆け出そうとしたその時、再び呼び止められる。
今度はシャルルの声だった。
「……おい、チビ」
「もう!今度は何!?」
振り返ると、シャルルが目を逸らしながら、ぶっきらぼうに言った。
「いざって時は、俺たちを頼れ。……恩くらいは返してやる」
そう言って、彼はくるりと背を向ける。
その様子にジャンヌさんも苦笑している。
まったく、素直じゃないな。
でも、それが彼らしさなんだろうと思った。
「ありがと、シャルル!期待してるね!
それじゃ、今度こそ僕は行くよ!またね!」
僕は笑顔で二人に一礼し、聖明の元へと駆けていく。
待っていてくれた聖明に昨晩のお返しと言わんばかりに思い切り抱きつくと、聖明はちょっと驚いた顔をした後、柔らかく微笑んだ。
──僕たちの旅は、まだ始まったばかり。
この続く道のように、僕たちの未来もずっと続いていくと信じて前に進む。
さて──次はどこに行くんだろう?




