第30話 戦う理由
広大な丘一面に、小さく可愛らしい白い花が咲き乱れ、風が吹くと花弁がふわっと空に舞う。
そんな幻想的な白い花畑の中、対照的な漆黒を纏った男性が、長い後ろ髪を靡かせながら佇んでいる。
私は彼のその場違いなほどの存在感に息を呑みながら見つめた。
すると彼は気付いたように振り返り、赤い瞳を細ませて微笑む。
そのゾクリとするほど美しい笑顔に、私は声を出せずにいた。
しかし、そんな雰囲気は一瞬にして崩れる。
「風真……シャルル、凄い怒ってたよね……後で怒鳴られそうだよ……っ」
まさかの情けない声色で銀髪の少年に縋るように、背後から抱き着いて深く溜め息を吐いている。
「……聖明、怖がる振りして甘えないでよね!」
「ええ〜少しぐらい良いじゃん!」
聖明殿は本当に甘えていたらしく、少年に抱きついたまま頬擦りをしている。
「聖明!離れてよねえええ!」
「もう少しだけ!」
一人緊張していたのが馬鹿らしくなってしまう雰囲気に、一気に気が抜けてしまった。
私は聖明殿に歩み寄り、深く一礼する。
「闇魔法医療科カゴノトリ総指揮官であらせられる聖明殿に感謝と非礼をお詫びしたい」
私たちの失態が原因で、堕天使の長である聖明殿の手を煩わせてしまった。
確かにカゴノトリから救援があると通達があったが、まさか総指揮官である聖明殿が御自ら現れるのは想定外だ。
彼はエクソシストとは実質別の組織ではあるが、軍部で言うならば元帥の地位と同等の方だ。
このような一介の兵である私のような存在が迷惑をかけていいわけがない。
「極秘任務で三年間、表舞台から退いていたと耳にしております。
それにも関わらず私のようなエクソシストの一般兵の要請にお応えくださり誠にありがとうございます」
彼が姿を消してから、様々な憶測と噂が立っていた。
中には失踪したなどと失礼なことを囁く者たちもいたぐらいだ。
しかし──現に彼は私の前におり、任務のために赴いてくださっている。
恐らく極秘任務の最中に応じてくださったのだろう。
「あ〜えっと……うん、その、私も色々やらかしちゃってね……」
聖明殿がモゴモゴと歯切れの悪そうな様子で話すものだから私も疑問に思い顔を上げる。
すると一緒に行動している「風真」と呼ばれた少年が、ジト目で聖明殿を見上げて話す。
「レナを転生させた罰だろ。
何で聖明は変なところで詰めが甘いんだよ……」
「ううっ!だって、あれが最善だと思ったんだよ……っ!」
何のことを話しているかいまいち分からないが、聖明殿は何かをやらかしたペナルティとして急遽、私の元に派遣されたことだけは察しが付いた。
カゴノトリの総指揮官を動かせるほどの人物となると──カゴノトリを加護している大天使ラファエル様の指示であろうか……?
ラファエル様は魔法都市の医療や治癒に関わる全ての組織の管理をしてくださっているお方だ。
あの方であれば聖明殿を簡単に動かすことが可能だろう。
もしくは──軍部案件であれば我らが大天使ミカエル様の指示か……。
「聖明、周りを気にかけるのは良いけど、自身の事も気を付けてよね!
リリーにもいつも怒られてるだろ!」
「うう……耳が痛い……っ」
まるで友人のような軽口で聖明殿を注意する少年。
聖明殿も心を許しているのか泣きべそながらもどこか嬉しそうに受け答えをしている。
……この少年、聖明殿の何なんだろうか。
この少年がパートナーとは到底思えない。
何より正規のパートナーは魔法都市で代理としてカゴノトリを指揮している。
それに……この少年は聖明殿が何者か理解しているのだろうか?
堕天使の中でも一番恐ろしく、一番強大な力を持つのは彼だ。
彼が討滅任務で前線に立つ姿を何度もお見掛けしていたが、彼が指揮すれば全ての闇を操り、我々を確実に勝利に導く。
その姿は味方ながら恐ろしく、そして──。
次の瞬間だった。
聖明殿の赤い瞳が仄かに光り、私の考えを見透かすような鋭い眼光が突き刺さる。
それはまるで冷気を帯びたような視線で恐ろしい。
私はあまりの恐怖に背筋が凍り、身動きができなくなる。
──これだ。
彼の底知れぬ怖さそのものが、ここにあった。
「ジャンヌ」
一瞬にして聖明殿の表情は変わり、穏やかな笑顔を見せた。
その落差が、逆に恐ろしかった。
彼の手が首に伸びる。
まるで体温を確認するように私に触れる。
「大丈夫?身体が辛かったりする?」
今度は別の意味で声が詰まってしまう。
彼は普通の人の距離感よりも近く、遠慮なく距離を詰め、私の額に自身の額を付ける。
「せ、聖明殿……っ!?」
「ん〜少し熱っぽいかもね」
中性的な顔立ちの彼は至近距離で見るとより綺麗で、流石の私も変に意識してしまう。
眼鏡越しに見える赤い瞳はより一層、鮮やかに見える。
「聖明殿……!少し近いです!」
さすがに何か不味い気がして、彼の胸元に手を当て、慌てて距離を取る。
「ん?そう?」
「聖明。僕も聖明の距離感は変だと思うよ」
「え?」
……この方は距離感というものを理解していない!
その証拠と言わんばかりに、聖明殿はまるで疑問符を浮かべたような顔で首を傾げていた。
「おい!そこの色魔!こんな場所で何をしている!
女好きだと聞いたことがあったが、噂は本当だったようだな!」
そんな声が私たちの耳に入る。
私たちは三人揃って声のする方角へと視線を向けると、そこには先程のエクソシスト──シャルルが息を切らしながらズカズカと花を蹴散らすように歩み寄っていた。
その様子に聖明殿は溜め息を漏らす。
「はあ……風真の前で変なこと言わないでくれる?」
「……聖明、あんた……女好きだったの?」
すかさず少年がドン引きような反応で聖明殿に苦言を述べる。
「あ!ち、違う……っ!いや、女の子はたしかに可愛いけど!」
あまりにも酷い言い訳に私すら少し軽蔑の眼差しを向けてしまう。
それに気付いた聖明殿は「うっ」と声を押し殺し、シャルルに向き直った。
「シャルル……っ!
早く来てくれないからあらぬ疑いを掛けられたじゃないか!」
完全に八つ当たりだ。
「知るか!ボケ!お前がこんな所まで転移魔法を使うからだ!
どれだけ東の丘が広いのか分かってんのか!?」
彼も完全に八つ当たりのように叫ぶ。
余程歩いたのだろうか……彼は立ち止まり、「ぜぇ、ぜぇ」と肩は大きく上下させている。
顔から滴る汗を袖で拭いながら、どうにか呼吸を整えているようだった。
「せんぱ〜い……待ってくださいよぉ……」
遅れてもう一人、ふらつきながら走っている茶髪の男性が到着する。
「遅いぞ、新人!」
怒りを露わにするシャルル。
その様子を見た聖明殿が、呆れたように息を漏らすと、意味ありげな声で質問をする。
「シャルル。“それ”はパートナーか?」
シャルルは不可解そうな顔をしつつも眉一つ動かさず、断言する。
「当たり前だろ。エクソシストはパートナー制だ。
三年の間にそんな事も忘れたのか?」
その言葉に、聖明殿がぽつりと小さく呟いた。
「……これは面倒だね」
聖明殿の言葉の意味を、私は知っている。
だからこそ、私の考えを胸はズキッと痛んだ。
「そんなことはどうでもいい!
それより答えろ!紅!
その魔女を患者とする正当な理由を答えろ!」
掴みかかるような勢いでシャルルが詰め寄ろうとする。
「……風真、説明をしてあげて」
彼の声に頷くと、少年はすっと聖明殿の前に立ちはだかり、冷静な声で遮る。
「聖明に指示されたので僕が説明します」
「はあ!?ガキは引っ込んで──」
「黙ってよ。今は僕の番」
「いや、だから──」
「興味ない!」
「空気読めよ!!!」
被せるように言葉を遮り続けた挙句、バッサリと切り捨てる少年。
そして、続け様に淡々と語り始める。
「エクソシスト及びカゴノトリが定める『討滅対象』の定義についての基準は次の通りになります」
「頼むから勝手に進めんなよ!!!」
シャルルの叫びは完全に無視。
少年は一層声を大きくし続ける。
「闇に侵食され命を落とした者は死者と扱う。
しかし、転化を開始した場合は、悪魔・魔人・魔物とし、討滅対象として定める。
生者でありながら自身の意思で悪魔に加担、あるいは服従した者は悪魔教徒と認定し、処罰対象とする」
風真が規定の一部を言葉にすると、シャルルは苛ついた様子で声を荒げる。
「……そんなことは知っている!」
しかし、今度は聖明殿がゆっくりとシャルルに歩み寄り、静かな声で話し始める。
その声は低く、そして──確かな怒りを含んでいた。
「確かに悪魔に加担し、賛同した者は悪魔教徒と認定され、処罰対象となる。
しかし──その処刑権はエクソシストの一般兵如きにない。
現場で討滅できる対象は悪魔や魔人、魔物に限る。
では、問おう。
お前が魔女と呼ぶこの女性のどこが『悪魔』に見える?」
聖明殿の赤い瞳が暗い光を帯び、シャルルを射抜くように睨む。
「エクソシストの軍部は、闇に堕ちた魂──悪魔たちを討滅し、ときとして封印することが主な役目だ。
それが民を救い、守る手段だからだ。
一方、我々カゴノトリは、闇に侵食され苦しむ人々を癒し、救うことが役目だ」
彼は一旦、呼吸を整えるように息を小さく吸い込む。
そして、静かに言い放った。
「いい加減にするんだ。シャルル。
自身の置かれている現状を理解しろ」
その言葉にシャルルもハッとしたように表情を固め、私たちの間に沈黙が流れた。
耳に聞こえるのは、風が吹く音と草花が揺れる音だけ。
「それでも……」
シャルルが絞り出すような声を上げた。
拳を強く握りしめ、歯を食いしばる姿は苦しんでいるように見えた。
「それでも悪魔と契約した魔女だ……!
放っておけばより多くの人が苦しみ、悲しむことになる……っ!
罪には罰を──死をもって償うべきだ!!!」
シャルルの目は冷静ではなかった。
何かを思い出すように頭を抱え、自身に言い聞かせるように叫ぶ。
──私は知っている。知っているんだ、シャルル。
君が何故そこまで悪を憎むのか、悪魔を憎むのか。
悪魔に関わる者を忌み嫌うのか──私は知っている。
「……シャルル」
思わず私は彼の名を呼んだ。
彼の悲痛な叫びが、彼の痛みが私に響く。
だからだろうか。
私の頬に自然と涙が伝っていた。
「……ジャン、ヌ……?」
私と彼の目が合う。
すると彼は傷ついたように表情を曇らせる。
「先輩は正しいです!」
私たちの間に割って入るように、シャルルの後ろにいた男性が声を上げ、前へ出てくる。
「この魔女はシャルル先輩を惑わそうとしています!だから──」
「お前には聞いていない!」
聖明殿の声が、全ての音を掻き消すように丘に響いた。
「──黙れ。私はシャルルと話をしているんだ」
聖明殿の恐ろしいまでの闇の気配に、私や少年さえ黙るしかなかった。
彼の声は冷たく──そして明確な怒りを孕んでいる。
風さえ止み、草花さえ音をなくした。
響くのは彼の声だけ。
「……私は心底、腹を立てている。
君は何のためにエクソシストになった?」
静かに──だけど、激しく問いかける。
「名誉のためか?悪魔を狩るためか?世界を守るためか?」
一拍置いて、怒りと想いを込めて叫ぶ。
「──違うだろ!大切な人を守るためだろ!!!」
まるで、私自身の心の奥底に潜む闇にまで、問いかけられているような声だった。




