第28話 三百年越しの想い
唐突に放たれた闇魔法による衝撃波で泉の水が宙に打ち上げられ、雨のように大地に降り注ぐ。
上から落ちてくる水が冷たい。
「せ、聖明!」
風真の声にハッとして怪我をしていないか慌てて顔を見る。
「風真!大丈夫!?」
「だ、大丈夫だから!離れてよ!む、胸が!」
風真の言葉に更にハッとして慌てて私も離れる。
「何?あなた……女だったの?」
聞き覚えのある女性の声に、私は空を見上げる。
そこには長い髪を左右に結んだ私と同じ赤い瞳をした少女が空中に浮いていた。
──歌に引き寄せられて来たな。
「リリー、風真を頼む」
「承知しました」
リリーが黒猫姿のまま風真の前に立つと、自身と風真に防御魔法を展開する。
「……レナ、いきなりだね。少しビックリしたよ」
レナは苛ついた表情を隠そうともせず舌打ちをする。
「そこの少年に教えてあげるわ。
堕天使が転生する例外──その二。
堕天使でも再生不可能なほどに連続して身体を破壊し続ければ肉体は死ぬ。
──あなたは、どれだけ切り刻めば死んでくれるのかしら?」
刹那、闇魔法で生成された鋭い結晶のようなものが私たちに襲い掛かる。
私は同じく闇魔法による防御結界で風真とリリーを守るように展開する。
「……風真、絶対にそこから動かないで!」
「う、うん!」
私であれば問題ないが、こんな闇の塊を風真が受けてしまった日には瞬く間に身体が闇に侵食されてしまう。
私は防御に徹し、防御結界をより強固に展開する。
すると彼女は苛立ちからなのか、叫ぶように声を荒げた。
「私の大切な……大切な曲を穢したお前だけは、絶対に許さない!!!」
彼女の悲痛な想いが、感情が──闇を通じて流れ込んでくる。
これは──この彼女の記憶だ。
◆◆◆
『綺麗な曲だね!』
耳に響く優しい彼の声。
『いつ聴いても飽きないよ……!』
巨人の森と言われる歩くだけでも一苦労な道のりを毎日歩き、遠路遥々遊びに来る彼。
『毎日こんな場所に来てまで聴くなんて変な人ね』
彼は歌詞もない曲の何が好きなのか……飽きず毎日聴きに来ては嬉しそうに微笑む。
最初は煩わしくも感じていた。
堕天使である私は独りでいたほうが良い。
それに、人はどうせすぐに死ぬ。
だから──関わらないでほしい。
そう思っていたはずなのに、気付けば彼が来る日々が楽しくなっていることに気付いてしまった。
私にとってかけがえのない毎日になってしまった。
「そんなに……この曲が好きなの?」
私は背丈より大きな茸の群生地帯を歩きながら、そんなことを尋ねてみる。
すると彼は頬を赤らめながらも「大好き!」と即答した。
違う意味だと分かっている。
それでも、彼の言葉にドキドキし、何だか恥ずかしくなってしまう。
「レナ、その曲の歌詞なんだけどさ……よかったら書かせてくれないかな?」
突拍子もない提案に私は驚く。
「あなた、歌詞なんて作れるの?」
彼はゆっくりと頷き、優しい顔で笑った。
「こう見えても僕は詩人なんだ!
だから──絶対に約束する。
曲に合う歌詞を必ず君にプレゼントするよ。
だからさ、レナ……それまで待ってて!
絶対に君が喜ぶ歌詞を書き上げるからさ!」
彼の無邪気な笑顔を信じ、私は頷いた。
これは彼と交わした最初で最後の約束。
でも、あなたはその日以来、姿を消してしまった。
私はあなたの言葉を信じて待ち続けた。
ずっと、ずっと……ずっと………。
もう気付いている。
それが守られることがない。
彼は普通の人間だった。
もう、とっくの昔に寿命は尽きている。
もう彼と言葉を交わすこともできなければ、あの笑顔を見ることもできない。
それでも──それでも私はあの約束に縋っている。
こんなことだったら、せめて伝えればよかった。
私の気持ちを、あなたに届けたかった。
「全部、全部壊れればいいのよ!」
私は黒髪の堕天使に闇魔法で攻撃をし続ける。
でも、目の前の堕天使は平然とした顔で防御結界のみで弾き、防いでしまう。
どんなに強力な魔法で撃ち込んでも、簡単に打ち消してしまう。
「レナ!落ち着いて話を聞いてほしい!」
「うるさい!お前が悪いんだ!」
こんなの八つ当たりだって分かってる!
でも、止めることができなかった。
許せなかった。
私は彼が届ける歌詞を待ち続けていたのに、あいつは適当な言葉で歌った。
憎い、私の思い出を穢すあいつが憎い!
「どうして!?どうしてほっといてくれないの!?
私には……私にはこれしかないの!!!」
せめて夢を見させてよ!
夢に縋るぐらい許してよ!
「あなただって分かるでしょ!?
この永遠の生の中で生きるには、支えの一つぐらいないと生きていけない!
その支えを失ったら……どうやって生きていけばいいのよ!」
目の前が涙で見えない。
私……ずっと寂しかったんだ。
独りでずっと彼を想って、ずっと待ち続けて。
永遠に一緒にいてなんて言わない。
でも──せめて、フィルソン……もう一度だけ、あなたに会いたかった。
「愛するレナへ」
唐突に目の前の女が口にする言葉に、私はビクッと身体が震え、動きを止めてしまう。
間違いなく女性の声で、目の前の堕天使から発されているのに何故か彼の声が聞こえた気がしたからだ。
涙で濡れた目を拭い前を見ると、彼女の手には今にも崩れそうなほど古びた紙が握られている。
彼女は呼吸を整え、私を射抜くように見上げると言葉を続けた。
「僕が歌詞を作るために町へ戻ったのを覚えていますか?」
彼の姿が重なったように見えてしまう。
「君を想いながら、詩を考え続けました。
君が、僕の詩を歌ってくれる。
想像するだけで、毎日が楽しくて仕方がなかった。
できれば、“最期”に聴きたかった……」
フィルソンの声が風に乗って耳に響くようだった。
「君と出会った時、僕の身体は既に病に侵されていた。
僕は死ぬ最期の瞬間、誰もいない場所で静かに死にたいと思って森に入ったんだ。
でも──そんな時、綺麗な歌声が聞こえた。
君の歌声だよ、レナ。
手紙で伝えるなんて卑怯だと思うし、今更かもしれない。
でも、伝えたいんだ。
僕は君に一目惚れしちゃったんだ。
僕はもう死んじゃうのに酷い告白だと思う。
でも、だからこそ、どんな形でも君の傍にいたいと思ってしまった。
だから最後にこの詩を残す。
君と共に僕の想いだけでも傍にいさせてほしい。
……ごめんね。
もっと伝えたいことが山程あるのに、手が上手く動かない。
どうか──この詩が、君に届きますように。
フィルソン・スピアート」
静かに締め括った手紙の内容に涙が溢れて仕方がなかった。
「………フィルソン……っ」
私は地面に降り立ち、その場に崩れた。
本当に、本当に自分勝手な人。
最後の瞬間ぐらい、傍にいさせてほしかった。
私が涙を零す中、そっと肩に触れられる。
顔を上げると優しい顔で、堕天使が私に先程の手紙を差し出していた。
私が震える手で手紙を受け取り、今にも崩れてしまいそうな文字を指で追う。
「……この手紙は三百年ほど前に詩人が残したとされる手紙だ。
それと共に周辺の町で伝えられてきた歌がある」
手紙の二枚目には歌詞と思われる文字が並んでいた。
その詩は想いに溢れて、とても優しく穏やかなものだった。
「その歌は町の人々に愛され、今では子守唄として人々の支えになっている。
曲名は──天使の泉。
レナ、君の曲だ」
歌詞が綴られた手紙に涙が落ちる。
そこには確かに彼の想いが刻まれていた。
『曲に合う歌詞を必ずプレゼントするよ。
だからさ、レナ……それまで待ってて!』
──あなたの笑顔が懐かしい。
私は深呼吸をし、震える声でその歌詞を口にする。
これは私にとっての鎮魂歌だ。
彼は約束を果たしてくれていた。
もう感じることはないと思っていた彼の想いが、ここにある。
私の想いを彼の詩に乗せて、この歌声を捧ぐ。
これは──遠い遠い昔の、小さな約束。
永遠に続く運命の中で、私はこの曲と共に生きていく。
あなたの想いと共に……例え何度生まれ変わっても忘れはしない。
大好きだったよ、フィルソン。
私は目の前のお節介な堕天使に微笑んだ。
もし──今度会った時は、素直についていってあげる。
この子は、どうやら不器用そうだからね。
「──ありがとう、聖明」
私は光に包まれながら、彼女に伝えた。
これは暫しの別れ。
──またね。
◆◆◆
不思議な光景だった。
レナの身体が淡い光に包まれたと思ったら、スッと姿が消えてしまった。
まるで最初からいなかったかのように。
聖明の後ろ姿を眺めながら、僕は声を掛けた。
「聖明……彼女は……」
すると彼女は空を見上げて静かに話す。
「……堕天使って不思議でね。
稀に現世に満足した時に転生するんだ。
新たな人生を歩みだすように」
きっとこれが堕天使が転生する例外だ。
聖明は最初から、これを狙っていたんだろうか?
「……よかった」
そう語る聖明の横顔は、どこか安らいでいた。
きっと、聖明にとっても賭けだったんだろう。
何だか、聖明が安心したように言うものだから僕も少し安心する。
でも、それとは別に気になって仕方ないことがあった。
「ところで……その、聖明。
このタイミングで、凄く言いにくいんだけどさ……」
「ん?」
僕は息を呑んでから視線を逸らして、聖明に抗議する。
「その、服が濡れて、その、胸が……ちょっと……」
恥ずかし過ぎてはっきりとは言えない!
だって、ただでさえ肩出しカッターシャツで目のやり場に困っていたのに、今は濡れて透けてしまっている。
正直、見えて……っ!
「あ……」
聖明も自身の姿に気付いたのか……一瞬、間抜けな声を上げて固まったと思ったら「きゃああああ!」と女性らしい悲鳴を上げて腕で隠すように胸を抱き締めるけど、寄せ上がって余計に見ちゃいけない雰囲気だ。
僕は咄嗟に背を向ける。
リリーは女性姿になり、慣れた様子でトランクから手際よくバスタオルを取り出し、聖明の肩に掛けていた。
「ふ、風真!み、見えてないよね!ね!?」
「聖明、服を着替えましょう。風邪を引きます」
僕は思わず溜め息を吐いてしまう。
「何だか締まらないな……」
そんな言葉を漏らしていると聖明が背後で泣きべそじみた声で騒いでいる。
ま、良いか。
きっと聖明もレナも傷付くことなく終えたんだ。
僕は空を見上げて小さく笑った。
町では今日もどこかで歌声が聞こえる。
新たに生まれた君へ──この曲が届きますように。




