第22話 真実
いつから私はこんな地獄を生きてきたのだろう。
気付いた時には、逃げ場所なんてなかった。
私は『悪魔』に肩を抱かれたまま、いつものように大っ嫌いな診療所に連れ込まれていた。
ほんのり香る薬品の匂い。
薄暗い室内は無機質な家具や器具が並び、ひんやりとした空気が身体を包む。
夜の診療所は誰もいない。
どんなに泣いても、叫んでも助けは来ない牢獄のような場所。
肩を抱かれたまま診療室に入った途端、両肩をガッと力強く掴まれ、目の前の男は怒り狂ったような顔で叫び散らした。
「おい、ローネ!
まさか、あの男に身体を許してないだろうな!?」
唐突にそんなことを叫び睨んでくる。
『あの男』というのは恐らく、聖明先生のことだと思う。
家で話している時、この男は聖明先生を酷く睨んでいた。
私は必死に訴えるように答える。
「そんなことしてない!あの人は、私を治療してくれただけ!」
すると男は舌打ちをすると、私を乱暴にベッドへと投げつけた。
私はその衝撃で壁に肩を強く打ち、ベッドの上で蹲ってしまう。
この人はいつもこうだ。
怒ると酷く乱暴をしてくる。
だから……いつも怖くて身体が震えてしまう。
私は自身を抱き締めるように蹲ったまま時が過ぎるのを待つ。
言うことを聞いていれば少しはマシ。
「お前は俺を信じて薬さえ飲んでりゃよかったんだよ!
それを……よりによって、あんな堕天使に!」
「……堕天使?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返してしまう。
「そんなことも知らないのか?
あの男はな、悪魔と同じ“闇”を操る天使だ!
闇を支配してるくせに、善人の振りをして近付いて来やがる!
あいつら堕天使はな、必要があれば平気で人を殺す!
殺人鬼だよ!」
あまりの言い草に私は怒れてしまった。
いつもなら聞き流したと思う。
でも、今回だけは何故か黙っていられなかった。
「そんな人には見えなかった!」
あの人は真剣に話を聞いてくれた。
私のために時間をかけて薬だけじゃなく、食事までを作ってくれた。
こんなに人に優しくされたのは初めてだった。
何もない私に親身になってくれた人は初めてだった!
会って間もないけど……聖明先生は悪い人には見えない!
「それが奴らの手口だって言ってんだよ!
まったく……身寄りのないお前を受け入れたのは誰だと思ってんだ!?」
その言葉にビクッと身体を震わせてしまう。
私は十六の時に事故で両親を亡くした。
両親以外の親族からは煙たがられ、まだ学生だった私は行く当てもなく路頭に迷うところだったのをラグラ先生に拾われた。
本当であればエクソシストの養護施設に引き取られるところだったのを「可哀想だ」と情をかけてくださった。
両親を失ったショックでどうでもよくなっていた私にとって引き取り先なんてどこも一緒だと思っていた。
でも──今思えば、あの時なんて愚かな判断をしたのだろうと後悔ばかりしている。
引き取られて最初は良かった。
この町に来て、知り合いはもちろん誰もいない。
でも、誰とも関わりたくなくて小さな家に籠り切った。
そんな私にラグラ先生は親身に寄り添って、毎日気遣って、毎日仕事があるのに顔を出して気に掛けてくれた。
「無理をしなくていい」
「他の人に会う必要はない」
「俺が守ってやる」
そんな甘い言葉に拐かされ、心からラグラ先生を信じ、恋心すら持つようになっていった。
それが──罠とも気付かずに。
私が大好きな園芸の趣味でさえ、ラグラ先生に与えられたものだった。
両親を亡くしたショックで何もする気力がなかった私に勧めてくれたのが園芸だった。
最初は恩人から言われたので、義務感から育て始めた。
でも──毎日世話をする内に不思議と愛着が湧き、花が芽吹いた時は本当に嬉しかった。
初めて咲いた花はコランバインという紫の花だった。
私は嬉しさのあまりにラグラ先生に花を見せた時、彼は笑って言ったわ。
「お前らしい花だ」
その言葉が嬉しくて、私はますますラグラ先生を慕うようになった。
その頃から少し外に出れるようになり、私は町に行ってみることにした。
でも、直ぐに後悔した。
町の人は私のことを穢らわしい何かを見るような目で見て、ヒソヒソと噂話をする。
そのことをラグラ先生に相談したら彼はこう言った。
「この町は余所者を嫌う傾向が強い。
でも大丈夫だ。俺が傍で守ってやる」
信じ切っていた私はますます彼に依存していった。
彼がいなくては生きていけないとまで錯覚を覚え始めた。
だって、ラグラ先生は私の恩人で、唯一の味方だったから。
でも──二十歳を迎えたあの日。
私の平穏は音を立てて崩れた。
いつものようにラグラ先生が家を訪れ、二十歳のお祝いだとケーキまで準備してくれた。
私は無邪気に喜んで彼を迎え入れた。
でも、彼はいつもと様子が違っていた。
そんな違和感を無視するように、いつものように楽しく食事をし、ケーキを食べ終えた後、私は意識を失った。
気付いた時には不敵な笑みを浮かべた『悪魔』に身体は穢されていた。
ショックだった。
心から信頼し、慕っていた相手に裏切られた。
彼は下品な笑顔でこう言った。
「コランバインの花言葉は知っているか?
「愚か」っていう意味だよ!」
彼はこの為だけに私を引き取り、今まで優しくしてくれたのだと気付き、私の世界が全て崩壊した。
──その日から、私は穢され続けた。
何度も、何度も、何度も。
私には味方なんていなかった。
頼れる相手なんて誰もいなかった。
逃げる場所なんて、どこにもなかった。
『悪魔』の機嫌さえ損ねなければ、前のように優しくしてくれる。
今の私には『悪魔』の機嫌を取り生きるしか術がなかった。
だけど、ある日──私の身体に希望が宿った。
小さな、小さな──けれど確かに存在する“希望の光”。
──私のレムレス。
『悪魔』はそれに気付いて、怒り狂った。
何度も、何度も、私を傷付け怒鳴り散らした。
それでも──レムレスがいたから、私は耐えられたの!
これからも、きっと……!
ああ……今日も『悪魔』の手が私に伸びてくる。
「……それが、君の過去なのか。」
暗闇の中から男性の声が響き渡る。
まるで私の心を見透かしたような声に私はビクッと身体を震わせ、暗い診療所の中を見渡す。
すると──血のように鮮やかな赤い瞳が仄かに輝く男性が姿を現した。
彼が一歩、また一歩と歩く度に黒く長い後ろ髪が闇の中でゆらりと揺れる。
「聖明先生……?」
「お前!付いてきたのか!?」
私を押し倒し、馬乗りになっていたラグラ先生が、慌てた様子でベッドから飛び降り、彼と向き合うように立ち上がる。
聖明先生はそんな彼をつまらないものを見るような目で見た後に、私に優しく微笑み言葉を掛けてくれる。
「ローネさん、大丈夫?」
「あ……」
上手く声が出せなかった。
確かに聖明先生は優しい笑みを浮かべている。
けれど、どこか様子が違う。
どこか妖艶でいて、色気のようなものさえ感じさせる雰囲気は、家にいた時とは全然違う。
まるで闇そのもののような──底知れぬ暗さを湛えていた。
「おい、そこのヤブ医者。
お前は何人の女性を孕ませ、殺してきた?」
聖明先生の衝撃的な言葉に、私は一瞬にして背筋が凍る。
恐怖の中、私はラグラ先生を見ると、彼は険しい横顔をしながら聖明先生を睨みつけている。
しかし、その身体は小さく震えているのが分かった。
「まったく……変だと思っていたんだ。
定期的に”普通の風土病”で亡くなる患者。
その全てが女性で、出された死亡届が五名。
しかし、町の噂だと死亡者は二人とされていて、実際に調べた遺体の数は十人以上に上る。
それは私が呼びつけられるわけだ。
蓋を開ければ、とんでもない。
これは風土病を隠れ蓑にした、立派な強姦殺人だ」
そう語る聖明先生は宙に手を翳すと、手元に書類の束が出現し、それをラグラ先生の足元に投げ付ける。
「資料が間に合って良かったよ。
これは先ほど受け取ったばかりでね。
事前に『カゴノトリ』に調査させた正式な資料だ。
まったく……エクソシストだけでは不安が残るからね。
今の私に動かせる人員で調査を進めておいた」
バサッと音を立てて床に広がった書類を見て、私は血の気が引いた。
その書類の中には写真も含まれており、辱められた女性たちの写真の数々が見受けられる。
まるでコレクションを撮影したかのような写真に私はえずいてしまう。
──気持ち悪い!
この『悪魔』は私以外の女性にも、こんな酷いことを繰り返していたと言うの!?
「身寄りのない女性を囲い、依存させ、何度も無理な行為を強いてきた。
その上、薬だと偽り避妊薬を飲ませる徹底ぶりだ。
しかし、薬と言っても絶対的な効力があるものでもない。
だから、お前は子供ができたら今度は堕胎薬を飲ませた。
それでも堕胎せず、出産間近になれば母子共に殺していた。
しかも、土地特有の風土病を放置することで自然死のように見せかけた悪質っぷりだ。
町の人たちも『医者が連れてくる女は病気で全員死ぬ』と思い込んでいたようだ。
疫病の患者を匿っていると噂されれば、そりゃ孤立もするだろう。
まったく……悪魔以上に悪魔だな」
聖明先生の言葉に激しく動悸がする。
私も、この男に殺されるところだった……?
しかも、レムレスも一緒に!?
私が頭を抱えていると『悪魔』が叫ぶように聖明先生に罵声を浴びせ始める。
「はっ!堕天使に言われたくないな!
お前らだって人を殺してるだろ!俺は知ってるぞ!
エクソシストの幹部の連中が愚痴を漏らしていたのを聞いたことがあるんだ!
お前らは闇魔法で治療してる傍ら、国の暗部として人を殺して回ってる集団だってな!
都合が悪くなれば殺す!俺と何が違うってんだ!?」
『悪魔』の愚かな言葉に聖明先生が溜め息を吐く。
「……それがどうした。
お前が今ここで死ぬのには変わりない」
苛立った様子で聖明先生がそんなことを告げると、漆黒の剣をどこからか取り出し、素早く刃先をラグラ先生の首元に突き付ける。
彼の首からは一筋の赤い血が流れ出た。
『堕天使はな、必要があれば平気で人を殺す!』
そんな言葉が脳裏を過る。
聖明先生は、ラグラ先生を殺すの……?
混乱していると、愚かにもラグラ先生は言葉を続ける。
「お、おい!待てよ!俺を殺す気か!?
お前もただの殺人鬼なら俺の気持ちもわかるはずだ!」
そう言った瞬間、ラグラ先生が私の腕を急に掴み、ベッドから無理やり引き摺り出して私を立たせる。
「いや!」
「この女が目当てか!?ならくれてやるからよ!
好きなだけ甚振って楽しめよ!な!?」
彼は命乞いをするようにそんなことを捲し立て始める。
「……愚かな。
大天使が管理するこの国では性犯罪は重罪だ。
その上、虚偽の報告に十件以上の強姦殺人だ。
そんな凶悪犯に慈悲なんてあるはずないだろう?
それに──私が派遣された時点で詰みだ。
私が来たということは、死刑宣告と同意義だ。
私が受けた依頼は、未知の風土病の調査と事実確認。
そして──犯人の処刑だ」
聖明先生は愚かな男に向かってニヤリと笑った。
妖艶でいて、狂気に満ちた瞳で言い放つ。
「お前も言っただろ?
闇魔法で治療してる傍ら、国の暗部として人を殺して回ってる集団だって」
「ひぃっ!?」
あまりの異様な雰囲気に男は怯え上がり、尻餅をつき後退る。
上手く力が入れられないのか、足がバタバタと動かす割に、その場から大して移動はできていない。
『お前だけは、許さない』
今度は複数の子供の声が重なったような声が診療所内で響き渡る。
次から次に起きる異常な状況に思考が追いつかない。
ただ今分かるのは急に部屋の温度が下がっていること。
息を吐けば白い霧が出ては消える。
「それに──私が手を下さなくても、この子たちが黙ってない」
刹那、ラグラ先生が叫び声を上げる。
「ああああ!やめ、やめてくれええええ!く、来るなああ!」
彼は苦しそうに首を押さえながら、恐ろしいものを見るような形相で視線を泳がし、その場で悲鳴を上げながらのたうち回り始める。
「ひ……っ」
何が起きているか分からず、私はあまりの恐ろしさにその場に座ってしまい身動きが取れなくなってしまった。
「お前が殺してきたのは女性だけじゃない。子供たちもだ」
そう言って聖明先生はラグラ先生の背後へと指を差す。
その指先を恐る恐る辿るように私も見る。
そこには──複数の子供のような化け物が笑い声を上げながらラグラ先生の背後に何人も立っていた。
「きゃああ!!!」
あまりの恐ろしい光景に私は後退ろうとする。
しかし、背後から肩を掴まれ動きを止められた。
一瞬、背筋が凍り、時が止まったように感じた。
「怖がらないで。よく見てあげて」
聖明先生の優しい声に、私はハッとして、少しだけ冷静さを取り戻す。
怖いはずなのに、私は従うように子供のような化け物を再び視界に入れる。
「え……レムレス……?」
そこに佇んでいたのは私の愛しいレムレスだった。
彼は悲しそうな顔で私を見ていた。
「兄ちゃん。こいつ、殺して良い?」
レムレスが気絶しているラグラ先生を蹴りながら、そんなことを聞いている。
「それはやめてほしい。
君が殺してしまえば君の魂が闇に落ちて悪魔や魔人、魔物になりかねない。
そいつを始末するのは、私の仕事だ」
聖明先生が私の背後から離れ、床に落ちた資料を一枚拾い上げると私に手渡す。
私は唖然としたまま、その紙を掴むと彼は語るように話し始めた。
「ローネさん。あなたは妊娠十週で流産しています」
「……え?」
想像もしていなかった言葉に頭が真っ白になる。
そして、手渡された紙は私のカルテであることに気付く。
そこにも確かに流産と記されていた。
しかも──堕胎薬が原因とまで記載されていた。
「う、嘘よ」
「レムレスくんは、あなたの子供であり、あなたの子供ではない。
今まで亡くなった子供の集合体──所謂、幽霊だ」
「は……?」
間抜けな声が静かに響く。
確かに私の大切なレムレスが目の前にいる。
それなのに、この人は何を言っているの?
「嘘!嘘!目の前にいるじゃない!
あなたも話してたじゃない!!」
そう──レムレスと話していた!触れていたはず!
「私は少なからず霊との親和性があってね。
所謂、霊媒体質とかいうやつだ。
だから、霊も見えるし、触れることもできる。
そして──母の一人であるローネさんと、父であるこの男には見えていた。
思い返してほしい。
キッチンでローネさんが出してくれたお茶の数。
この子の分だけはなかった。
それは、レムレスくんが物に触れられないからだ。
あなたはそれを無意識に理解していた。
そして、私のパートナーである風真には、彼が見えていない。
私は何もない空間に向かって話し続けていた。
風真も流石に怯えてしまってね。
申し訳ないことをしたと思うよ」
私は必死に記憶を手繰る。
そして、言われた違和感に気付く度に、不思議と記憶が鮮明になり、違和感が確信へと変わっていく。
レムレスは……最初からいなかった?
今まで耐えてこれたのは、レムレスがいたからなのに……?
目の前がぐるぐる回る。
呼吸の仕方がわからない。
「レムレスくん。君の望みは……本当にこれで良いの?」
「うん。母ちゃんが、これ以上苦しまないようにしてあげて。
それを見届けたら、俺たちも安心して逝けるよ」
レムレスに手を伸ばすけど彼は悲しそうに笑うだけで、私の手が届かない。
代わりに綺麗な赤い瞳が、私を真っ直ぐ捉える。
目が合うと妙に安心できた。
「大丈夫。目が覚めたら、怖いことはないよ」
恐ろしくも優しい堕天使の微笑み。
思考が微睡み、私の意識は闇に溶けていった。
「──本当に、嫌な仕事だ」




