第13話 良い夢を
「はぁ……流石に疲れた……」
空が夕陽の色に染まる頃、僕は汗を服の袖で拭いながら疲れた声を上げる。
まだ空気は冬の気配を纏っており、日が落ち始めると一気に冷え込んでくる。
今の僕にはちょうどいい。
「お疲れ様です。
今日は水と風魔法の応用が特に伸びておりましたね」
リリーは汗一つかくこともなく、爽やかな顔で述べる。
何時間もの間、僕と同様に見本として色んな魔法を見せてくれていた。
それにも関わらず疲れた様子さえ見せないのは凄いと思う。
「うん!水は適性属性って言うだけあって扱いやすいみたい。
ただ、風は少し難しいかも。
体内のマナを魔力に変換するのはスムーズなんだけど、スムーズ過ぎて逆に具現化する時の出力の調整が難しくて。
もっと繊細に操作できるように練習したいな」
適性属性でも風魔法だけは難しく感じる。
やはり風は目に見えないからこそ、感覚的な調整が大事になる。
その感覚がまだ掴みきれてないからこそ、油断すると揺らぎやすい気がする。
でも──できないわけじゃない!
少しずつ確実に馴染んでるのが分かるから、凄く楽しい!
僕は自身の手の平をグッと握り、見つめた。
力が確実に身についている確信に心が滾るような思いだった。
「良き向上心ですね。
しかし、無理をしてしまうことはよくありません。
そろそろ切り上げて夕食の準備をしましょう」
「はい!僕も作るの手伝うよ!」
夕食を作るだけでも生活魔法は使う。
聖明が「一番の教本は生活の中にある」って言っていたけど、間違いなく生活の中で学ぶことは想像以上に多いと実感している。
だから、家事の手伝いも楽しくて仕方ないんだ。
ふと家の中を見ると聖明の姿が見えない。
いつもであれば先に夕食の準備をしているのに……。
僕は疑問に思いながら、リリーと掃き出し窓の扉を開ける。
すると──扉が何かに引っ掛かった。
「──え?」
そこには──聖明が倒れていた。
うつ伏せで、持っていたと思われる書類を床に散らかしながら横たわっている。
僕が扉で引っ掛けてしまったせいか「う……っ」と小さく呻き声を上げた。
それを切っ掛けに、僕は我に返って叫ぶ。
「うわああああ!?せ、聖明!!?」
しかし、僕の横からリリーが室内に入って聖明を確認すると溜め息を漏らした。
「……またですか」
「へ!?」
あまりに淡々とした口調でそんなことを言うので僕は自身の耳を疑った。
「はい!?また!?」
「……主は『不死』をいいことに、自身のことになると生活能力が皆無なんです」
「んん!?」
僕は焦る頭で首を傾げる。
生活能力が皆無?どういうことだ?
「不老不死の堕天使とはいえ、疲労は溜まります。
まったく……改善してほしいものです」
まるで日常のような口振りで話すリリー。
聖明をどうにかするべきなんだろうけど、色々テンパっているのと、気になってしまって僕は質問をしてしまう。
「待って……聖明って毎朝早起きだよね?」
「いえ、それは──寝ていないだけ、ですね」
んん!?寝て……ない!?
「いやいや……食事は三食しっかり食べてるよね?」
「風真様の分を作って本人は食べていませんね。
因みに私は地味な抗議として猫姿でホットミルクのみ頂いております。
私は人とは違う存在なので、食事は必要ないんですけどね」
サラリと爆弾発言をするリリー。
いや、ツッコミどころが多い!
言われてみれば聖明が飲み物以外、口に何か入れてる姿って……見てないかもしれない!
それより、リリーって何の種族の生き物なの!?
更に脳内の僕はパニックになっているけど、色々飲み込んで言葉を続ける。
「お風呂は入ってるよね!?」
これは大丈夫なはず!
だって……入ってるの気付かずに開けちゃったことあるし……。
あの時の聖明は女性姿で、凄くテンパったのを覚えてるから間違いない……っ!
思わず思い出して顔が熱くなってしまう。
「そこは問題ないんですよ。
清潔感と衛生面は譲れない!だそうです。
まあ、普通にお風呂が好きなんだと思います。
石鹸とかシャンプーの香りに拘っているみたいですし」
僕はキャパオーバーになりそうな頭を抱える。
寝てない、食べてない。
でも、お風呂は譲れない。
人として生活が破綻している。
あれ?聖明ってしっかりしてそうで、相当、駄目な類の人種では……?
僕は倒れている聖明を見つめると、どこか苦しそうに唸っている。
もしかして倒れた理由って寝不足?
魘されてるのかな……?
僕が変な冷や汗を掻いていると、リリーはしゃがむと聖明の肩に触れ、身体を揺らす。
「主。起きてください。風邪引きますよ?」
「う……っ」
聖明は小さく呻くけど、起きる気配がない。
「仕方ありませんね」
リリーが呆れたような声色で溜め息を吐くと、ひょい!と聖明を担ぎ上げた。
その表紙に聖明が掛けていた眼鏡が床に落ちる。
「え!?」
僕は驚いて声を上げる。
だって、今の聖明は男性姿で……僕との身長差や扉との大きさを見比べても、恐らく180センチ前後の身長はある。
僕より少し大きいぐらいの小柄な女性が片手で簡単に持ち上げられるような重さではない。
実はリリーって細身に見えて、実はムキムキとか!?
僕の失礼な心の声を見透かしたように、リリーは何とも言えない表情で僕を見つめる。
「これは身体強化という魔法ですよ」
「あ……魔法……」
女性に対して失礼なことを考えてしまったことに若干の罪悪感を抱く。
同時に『身体強化』という魔法に興味を惹かれる。
だって、細身であるリリーが簡単に聖明を担げてしまう程の力を発揮できるんだよ!?
男の僕としては、強い男って少なからず憧れる。
それに、今回みたいな不測の事態に使えるようになれば、きっと今後も役に立つ。
まあ、大前提として……聖明は倒れないようにしてほしいなって思う。
「リリー!今度、身体強化の魔法も教えて!
覚えて損はないと思うんだ!」
「身体強化に関しては主のほうが得意です。
後日、聞いてみましょう」
リリーはニコっと笑って言ってくれる。
「そうしてみるよ。
リリー、聖明は寝室に連れていくでしょ?
せめて僕が扉開いたりするね」
僕が尋ねるとコクリと頷く。
「では、よろしくお願い致します」
「分かった!任せて!」
僕は先ほど落ちた聖明の眼鏡を拾うと、リリーを誘導するように少し先を歩き始めた。
リビングから一緒に出て、階段へ向かい、二階の聖明の部屋を目指す。
部屋の扉を開け、聖明のベッドに向かい、近くにある棚に眼鏡をそっと置いた。
そして、寝かしやすいように掛け布団を退かす。
リリーが慣れた手つきで聖明をベッドに横たえさせるので、僕は入れ替わるように掛け布団を掛けようとした。
「あれ……?」
穏やかな顔ですやすや眠る聖明は、いつの間にか女性姿になっていた。
身体のラインが柔らかくなり、全体的に少し小さくなったのか服がダボダボだ。
もしかしたら背も縮んでいるのかもしれない。
それに──眼鏡を外しているせいか、それとも女性姿のせいか。
つり目気味の目元がいつもより幼く見える気がする。
男性姿の時は無駄にカッコよく見えるのに、女性姿だと可愛らしく見えるのが不思議だ。
無性体と言っていたけど……どんな姿なんだろうか。
やっぱり男女の中間ぐらい見た目になるのかな?
そんなことを思いながら掛け布団をそっと掛ける。
「風真様。この子も一緒に入れてあげてください」
唐突にリリーに言われ、手元にぽんっとテディベアを渡される。
これは聖明の宝物のパニョくんだ。
「主はこの子がいるほうが安心するみたいなので」
「うん、分かった」
僕は起こさないようにそっと聖明の横に入れようとすると、彼女は本能的になのか……パニョくんを掴み、胸にぎゅっと抱き寄せた。
「ぅ……ん……」
聖明は少し唸りつつ、少し寝返りを打つ。
しかし、熟睡しているのか、やはり起きる気配はない。
「ねえ、リリー。なんで聖明は普段から寝ないの?
疲れるんだったら、毎日寝たほうがいいと思うんだ」
僕はリリーに小声で話しかける。
よく見ると聖明の目元に薄っすらクマもある。
恐らく堕天使でも睡眠も食事もあったほうが良いんだと思う。
「……悪夢を見たくないそうです。
目を瞑ると、大切な人たちが傷付く姿が夢に出てるから、寝たくない。……と、拒絶されるんです。
それでも──極力、眠ってほしい。
主は弱ると身体も女性になってしまいます。
今、女性姿ということは限界まで耐えてしまったんだと思うんです」
リリー心配そうな目で、ベッドの横の椅子に座る。
その時だった。
「……めんなさ……ごめ……っ」
聖明が静かに涙を流しながら譫言のように謝罪を繰り返している。
その声はか細く、小さかったけど、謝っていることだけは何となく分かった。
あまりに悲痛な叫びのように聞こえ、僕の胸も苦しくなる。
普段は明るく笑顔を向けてくれるけど、過去の傷は何一つ癒えていないんだと実感させられる。
「大丈夫です……もう、あなたを傷付ける人はいません。
安心してください」
リリーが聖明の目元を指で拭い、彼女の頭をそっと撫でる。
僕は何もできず、そんな二人を見守るしかなかった。
少しの間、リリーは聖明の頭を優しく撫で続けていた。
すると安心したように、再び聖明から静かな寝息が聞こえ始めた。
どうやら落ち着いたようだ。
「おやすみなさい」
リリーが静かに微笑むと、愛しそうに聖明の額に唇を落とす。
そして、その視線が今度は僕を捉えた。
「風真様。主はしばらく起きないとは思います。
今日は二人で料理を致しましょう。
それと──二人で作った料理であれば、流石の主も食べるはずです。
手伝っていただけませんか?」
リリーが少し困ったような顔で提案してくれる。
僕の答えは勿論、決まっている。
「喜んで!」
「では、主にはスープを作りましょう。
普段食べていないので消化の良いものが好ましいでしょうから」
リリーは席を立ち、僕の横を抜けると先に扉に向かう。
僕も続くように歩き始めたけど、途中で足を止めて振り返った。
窓の外では、太陽が沈み、空はすっかり夜の色に染まっている。
僕はまだ少し冷たい空気を吸い込んで、聖明に小さく声を掛けた。
「聖明、おやすみ。きっと良い夢が見れるよ」
根拠なんてない。
これは僕の単なる願い。
今だけでも、優しい夢を見ていてほしい。
──そう願った。




