第9話 平穏な朝
春の日差しが少しずつ暖かさを帯び始め、積もっていた雪が溶け出し、世界に色が見え始めた。
その証拠と言わんばかりに朝から小鳥たちの囀りが聞こえるようになってきた。
瑠璃との戦いから一週間。
僕は少しずつこの家での暮らしに慣れ始めていた。
僕は窓から離れ、大きな欠伸をしながら服を着替える。
可愛らしい雪の結晶が刺繍された襟と袖が特徴的なカッターシャツに少し厚手の青味がかったズボン。
それにふわふわの白いカーディガンを羽織る。
この服は聖明のお古だ。
彼の服はスタイリッシュなものから、シンプルなもの、可愛らしいものまで幅広くあった。
本人曰く、自身は頓着があまり無いせいで、瑠璃を始めとする友人たちからプレゼントされた服が多いのだとか。
その為、色んな種類の服があるけど、下ろせていない服も沢山あるらしく、僕に着てほしいとのことだった。
僕も大きなこだわりは無いけど、何もない僕からしたら、こうして服を一つ貰えるだけで凄く嬉しかったりする。
僕は部屋を見渡す。
ここはかつて、瑠璃が使用していた部屋だ。
僕が倒れて看病してくれていた部屋でもある。
この部屋も、聖明が自由に使っていいって言ってくれた。
可愛らしい家具や小物で溢れていた部屋。
瑠璃が本当に大切そうな物は聖明と相談して、壊さないように大切に保管した。
そのお陰もあってか、今は少しばかりスッキリしている。
聖明は「今後は風真が好きな物を置くといい」とも言ってくれた。
少しばかり瑠璃には申し訳ないけど、僕はその言葉に甘えることにしている。
少しずつでも良いから、僕が生きたという証をこの部屋に残せていけたらいいなって思っている。
僕は着替えが終わると部屋を出た。
階段を降り、リビングに一瞬顔を出す。
リビングでは聖明が調理をしているのか、芳ばしい香りと共にジュウと何かが焼ける音が聞こえる。
「聖明!おはよう!顔洗ってくるね!」
「はーい」
キッチンの中にいると思われる聖明からの返事があった。
僕はリビングを通り過ぎて、奥の洗面台がある脱衣所に入る。
備え付きの鏡を見ると銀髪の髪は寝癖であちこち跳ねていた。
「うわぁ……今日も酷いな」
この一週間で気付いたことなんだけど、僕はどうやら少し寝相が悪いみたいだ。
その証拠に毎朝髪を整えるのが大変だ。
僕は顔を専用の石鹸で洗うと、タオルでぽんぽんと拭い、歯を磨く。
そして、跳ねた髪を少し湿らせ、櫛で梳かす。
髪質は柔らかいお陰か、これで大抵は直る──が、一纏まりだけ気になる奴がいる。
まさに頭の天辺あたり。
何かのアンテナのように少し長い髪の塊が緩やかなカーブを描きながら天に向かって伸びている。
どんなに梳かしても、シャワーを浴びても、ピン!と跳ねる。
僕が不服そうに訴えると、聖明は笑って言った。
「瑠璃もまったく同じだったんだよね。
瑠璃の魂情報で作られた肉体だし……似ちゃったのかもね」
とか言っていた。解せぬ。
僕は小さく溜め息を吐き、このアンテナだけは諦めて、リビングに戻った。
リビングに入ると美味しそうな匂い。
テーブルには焼いた食パンに、サラダにスープ。
美味しそうなスクランブルエッグにウィンナーが添えられていた。
「風真、おはよう。よく眠れたかい?」
聖明がエプロン姿でいつものように穏やかな顔で迎えてくれる。
聖明はいつも通り長い後ろ髪を青色の髪紐で結び、白色のカッターシャツに黒のハイネックを中に重ね、下はジーパンという装い。
僕の服もそうだけど、聖明の服の襟にも少し凝った刺繍がある。
聖明のは白地に薄い水色だから一見するとわかりにくいけど、可愛らしいクマのシルエットが刺繍されているように思える。
そう言えば愛用しているマグカップもクマだったし、宝物のぬいぐるみもテディベアだ。
クマが好きなのだろうか?
そんな疑問を抱きながらも、僕は聖明の言葉に返答をする。
「うん!いっぱい寝たよ!」
僕はニッと笑顔を見せると聖明が嬉しそうに笑ってくれるので、僕も嬉しくなる。
「風真はもうすっかり元気だね。
あの一件の後は熱が上がったって、しばらく大変だったからね」
聖明の言う通り、瑠璃の一件があったその日の内に、僕は高熱を出して倒れてしまった。
思い返せばそれも当然だ。
体力も回復しきっていないのに長時間、外で叫んで泣いていたし……その上、夜中に血塗れになって寒空の下に居続けたんだ。
悪化するのは避けられなかった。
聖明も発作や、僕が刺した傷で大変だったというのに、彼は親身に看病してくれた。
小まめに汗を拭い、冷たいタオルで額を冷やしてくれた。
食事もまともな物を受け付けず、野菜スープのように消化の良いものを少しずつ食べて、彼が調合してくれた風邪薬を飲み、徐々に治していった感じだ。
幸いなことに二日は寝込んだけど、今では元気いっぱいだ。
普通の食事も食べれるし、よく眠れる。
それを考えると、僕よりも聖明のほうが心配だった。
「そう言う聖明も大丈夫なの?
怪我……最後らへん治りが悪そうだったじゃん……」
僕は聖明のお腹を見る。
操られていたとはいえ、僕が滅多刺しにした聖明のお腹。
できれば思い出したくはないことだけど……普通であれば絶対に死んでいておかしくないぐらいにズタズタにしてしまった。
それにも関わらず、刺したあの日には大まかに治っていた。
堕天使が不死というのは本当なんだろうって身を持って感じることになるとは思わなかった。
だけど……そこまで都合の良い身体ではないらしく、大まかに治ってもその後の経過がよくないように思えた。
完全には治りきらないようで、自身で薬を調合したり、治療魔法というものを一日に何度か展開していた。
昨日も痛そうにお腹を擦っていた姿を目撃している。
僕がしでかしたこともあり、心配で仕方ない。
「へーきへーき。
まあ、堕天使って不死で大きな怪我はある程度は瞬時に治るけど、小さな怪我になればなるほど、普通の人と治る速度って変わんないんだよね……。
そのせいか、こういう怪我って最後らへんだけ、地味な痛みだけ残っちゃうんだよ。
基本的には治ってるし、不死だから大丈夫、大丈夫!」
そう明るく言うけど、それってどう考えても辛いよなって思う。
聖明みたいな怪我はしたことないから想像はしきれないけど、やっぱり痛いものは痛いだろうし。
「……堕天使って便利そうで不便だね」
「……買った道具が便利そうで、そうでもなかった。
みたいな言い方やめて……」
聖明が何とも言えない顔で苦言を言うものだから少し笑ってしまう。
その様子に聖明も呆れたように笑う。
「まったく、仕方ない子だ。
ほら、冷めないうちにご飯食べちゃいなさい」
「はーい!」
聖明に言われるがまま、僕は席に座る。
すると、リリーも僕の横に現れ、出会った時のように背筋を伸ばし上品にテーブルの上に座る。
そんな姿を横目にしながら僕は手を合わせ、元気に「いただきます!」と食事を始めた。
「うん、いっぱい食べてね。
ところでリリー。君は今日もホットミルクでいいの?」
聖明が首を傾げて不可解そうに尋ねる。
「主がちゃんとするまでは、ミルクしか飲みません!」
「そ、それは……」
リリーが迫力ある雰囲気でそんなことを言い放つ。
それに対して聖明も苦虫を噛んだような顔で言葉を詰まらせていた。
「ちゃんとするまで」ってどういう意味だろうか?
僕は気になりつつも、食欲に従い大きな口でトーストを口いっぱいに頬張る。
バターの風味があって美味しい!
「あ!風真!ご飯食べたら庭に集合!風真に用事があるんだ!」
聖明が慌てた様子でそう告げると、エプロンをばっと脱ぎ、リリーから逃げるように掃き出し窓から外に出てしまう。
「あ、主!まったく……あの方ときたら……」
リリーはブツブツと文句を言いながらも、上品な所作で準備されたホットミルクをペロペロと飲み始める。
少しだけわかってきたけど、リリーは聖明に対して過保護な気もする。
こんな雰囲気でよく聖明に小言を言っているイメージが付き始めているからだ。
「そう言えば用事ってなんだろう……?」
僕は野菜をポリポリ食べながら、首を傾げた。
ま、後で分かるか!
僕は気にせず準備してくれた食事を最後まで堪能することにした。




