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黄金の鳥籠

 帝都・中央宮殿。

 歴代の王城を遙かに凌ぐ規模で建立されたこの壮麗な建築物は、文字木通り「黄金の鳥籠」であった。太陽の光を浴びて輝く白亜の城壁。魔導技術の粋を集めた豪華絢爛なシャンデリア。そして、城全体を覆う何重もの強固な防衛結界。


 十八歳になったメアリーは、下級メイドの一人としてこの巨大な機構に組み込まれた。

 配属先は『奥庭』——皇帝の私室や政務室が存在する、宮殿の最深部を管理する部署であった。しかし、新人の彼女に与えられた仕事は、皇帝の目に直接触れることのない、外廊下の清掃や下働きの雑務ばかりだ。


「あの娘、また黙々と磨いているわね」

「気味が悪いわ。一日中、一度も笑わないんだもの。本当に人間かしら?」


 同僚のメイドたちのひそひそ話が、メアリーの耳に届く。

 しかし彼女の手は止まらない。純白のエプロンに汚れ一つつけず、大理石の床に這いつくばって磨き上げる。

 彼女の腕を覆う「緑色のスライム手袋」は、宮廷魔導師による身体検査でも『特異な魔力変異による無害な粘液』としてパスしていた。チフス人の毒は魔術的なものではなく、あくまで「極限まで洗練された生物学的毒素」である。そのため、魔力反応を感知する結界や検査機では、ただの水分や体液と区別がつかなかったのだ。


(第一層の結界は、魔力感知。第二層は、特定の毒物……ヒ素やトリカブトなどの既知の化学毒素に反応する構造……)


 メアリーは床を磨きながら、氷のような翡翠の瞳で周囲の「構造」を解析していた。

 皇帝の私室へと続く廊下には、目に見えない幾つものセンサーが張り巡らされている。だが、それらはすべて「外から持ち込まれる異物」を前提とした防衛システムだった。

 自分の体内から、呼吸のように、汗のように分泌されるこの極彩色の毒液を感知する術は、彼らにはない。


「あなた、メアリーと言ったわね」

 不意に、背後から厳しい声が降ってきた。

 奥庭を統括するメイド長だった。五十代の、針金のように細く厳格な女性である彼女は、這いつくばって床を磨いているメアリーを見下ろしていた。

「はい」

 メアリーは静かに立ち上がり、完璧な角度でお辞儀をした。

「あなたの仕事ぶりは評価しています。無駄口を叩かず、汚れ一つ残さない。……ただ、少し冷たすぎるわね。『皇帝陛下への奉仕』には、忠誠という名の温かみが必要なのだけれど」

「申し訳ありません。私は、主人に尽くすことだけが生きがいの、ただの人形のようなものですから」


 メイド長はわずかに目を細めた。

「……まあいいわ。明後日、皇帝陛下が西の回廊をお通りになる。そこの清掃をあなたに任せます。粗相のないように」

「かしこまりました」


 メイド長が立ち去った後、メアリーは再び床磨きに戻った。

 彼女の身体の内側で、ドクン、と黒い心臓が脈打った。

 ようやく、標的が彼女の視界に入る。

 三年前に森を焼き払ったあの日の光景——黒焦げになった花冠が、瞼の裏に鮮明に蘇る。しかし、毒は分泌されない。メアリーは完全にその衝動を「凪」の底へと沈めていた。

 白と黒の服の下で、彼女はただ静かに、その時が来るのを待ち続けていた。


(第9話 了)



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