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有毒メイドのメアリーさん

『Lunatic Cafe』のマスター、通称「親父さん」は、メアリーの境遇に深く突っ込むことはなかった。

 まかないのシチューを黙々と胃に流し込んだメアリーに、彼は一枚の布束を投げ渡した。それは彼が裏ルートから手に入れた「対魔・対酸性コーティング防護繊維」で作られた、新しいメイド服(ウェイトレス服)だった。


「その緑のシロップがどれだけ厄介か知らんが、そいつを着ればうちのアンティークソファを溶かさずに済む。住み込みで働かせてやるかわりに、借金はきっちり体の労働で返してもらうぜ」


 親父さんの言葉に、メアリーはわずかに首を傾げた。

「……よろしいのですか。私は、触れるものすべてを腐食させる『歩く死』です。一度でも制御を誤れば、この店ごと——」

「おお、こわいこわい」

 親父さんは笑い飛ばした。

「いいかお嬢ちゃん、ここは2060年の東京だ。外を歩きゃ、口からプラズマ火炎を吐くサイボーグやら、ちょっと機嫌を損ねればビルをぶっ飛ばす高位魔導師がうじゃうじゃいる。お前さんのその『毒手』なんて、ちょっとばかし掃除が面倒なだけの個性チャームにすぎねえよ」


 その言葉は、メアリーの中の常識を心地よく破壊した。

 忌むべきものとして森の奥に隔離され、化け物として恐れられ、利用され、そして虐殺された。自分の存在意義は「呪い」と「復讐」しかなかった。それなのに、この世界では、あっさりと「ただのちょっとした個性」として受け入れられてしまったのだ。


「……承知いたしました」

 メアリーは深く、洗練されたカーテシーをした。

「このご恩は、生涯にわたるご奉仕でお返しいたします」


 翌日から、ルナティック・カフェでの『有毒メイド』としての日々が始まった。

 新しい白黒のメイド服は完璧にメアリーにフィットし、彼女の腕から太ももを伝う緑色の粘液スライムは、コーティング繊維のおかげで制御を取り戻していた。


 彼女の仕事ぶりは、またたく間にカフェの常連客たちの間に知れ渡った。

「あのメイドさん、サイボーグ以上の精密動作じゃないか?」

「それになんだあの凄まじくクールな無表情……最高すぎる。ご馳走様」

 氷のように冷たく、完璧な給仕。そして腕を覆う不気味な緑のゼリー状物質。それがサイバーパンクと魔術の入り混じるこの街の住人たちのフェティシズムに、見事なまでに刺さったらしい。


 ある晩のこと。

 合成ドラッグと過剰な魔力増幅薬でラリったごろつきが店に押し入り、カウンターでガラス瓶を叩き割った。

「おいジジイ! あそこの冷たい顔したメイド、俺の席に寄越せ! チップなら弾んでやるぜ!」


 親父さんがカウンターの下のショットガン(魔力弾装填済み)に手を伸ばしかけた時、それより一瞬早く、漆黒の影が男の背後に滑り込んだ。

 メアリーだった。


旦那様マスターのお店で、粗相はお控えください」


 静かな声と共に、メアリーの右手首のスライムから「一滴だけ」緑の雫が飛び出し、ごろつきの首元に微小な刃として突き刺さった。

「あ、ぶっ……」

 男は悲鳴を上げる間もなく、たった一滴の麻痺毒(極限まで致死性を抜いた、チフス人の気絶毒)によって白目を剥き、その場に棒のようになって倒れ込んだ。


 常連客たちの間から沸き起こる、拍手喝采。

「いいぞメアリーちゃん!」

「鮮やかな制圧! こりゃ下手な用心棒より頼りになるな」


 親父さんはやれやれと首を振りながら、ショットガンから手を離した。

 メアリーは無表情なまま、男の倒れた床の破片を、自分の緑の毒のスライムでジュッと溶かして綺麗に掃除し始めた。

 もう、ここでは誰かを殺すための毒は必要ない。

 ただ、この小さな店――新しい「箱庭」を綺麗に保つための掃除道具として、彼女の毒は役に立っていた。


(第19話 了)



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