表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/16

空白

 それからのメアリーの日々は、驚くほど単調だった。

 朝六時に起床し、屋敷のすべての窓を開け放つ。

 庭園の落ち葉を掃き、商人のための朝食を用意する。パンを焼き、特性のハーブティーを淹れる。

 それから、屋敷中の清掃、リネンの洗濯、午後のティータイムの準備。


 二十二歳になったメアリーは、相変わらず無表情で、流れるような無駄のない動きでそれらのメイド業務をこなしていた。

「おいおいメアリー、今日の紅茶は少し渋すぎるんじゃないか?」

「申し訳ありません。お湯の温度調整を誤りました」

「お前さんのその『スライム手袋』が少し冷たかったせいかもしれないな。まあいい、目が覚めるってもんだ」


 商人は笑いながら、やや渋みの強い紅茶を飲み干した。

 メアリーは自分の両腕を見つめた。

 復讐の完遂から一年以上の平穏な日々を経て、彼女の体内から分泌される有毒な粘液は、かつてないほど「安定」していた。相変わらず両腕や太ももから緑色の液体がポタリポタリと垂れてはいるが、その酸性度や致死性は著しく低下している。

 床板に雫が落ちても、木目がわずかに焦げるだけ。触れただけで瞬時に肉を溶かすような極悪非道な特性は、意図的に意識を集中させなければ発動しなくなっていた。


(これが、私のお父さんやお母さんが感じていた『日常』なのかしら)


 メアリーは窓の外、穏やかな陽光が降り注ぐ庭園を見つめた。

 十五歳のあの日から、彼女の脳内は常に「殺意」と「復讐のシミュレーション」で埋め尽くされていた。それが今は、明日の朝食のメニューや、シーツの柔軟剤の香りのことばかり考えている。


 しかし、その平穏の裏で、メアリーは奇妙な「空室」のような感覚を抱くようになっていた。

 復讐という明確な目標が存在した頃は、心が漆黒に染まっていようとも「生きている意味」があった。だが、その目的が消滅した今、彼女の精神には巨大な穴がぽっかりと開いてしまったかのようだ。

 主人の命令に従い、完璧に家事をこなすだけの存在。

 商人というマスターが死ねば、自分はどうなるのだろうか。


「メアリー!」

 庭の奥から、商人が手を振って呼ぶ声がした。

「悪いが、裏庭の物置から植木鉢をいくつか持ってきてくれ。あの赤い毒草の種を植え替えようと思ってな」

「かしこまりました」


 商人の声に、メアリーの空室には小さな灯りが点った。

 自分がただの機械や人形だとしても構わない。この商人が自分を必要とし、命令を下してくれる限り、自分の白黒のメイド服には意味がある。

 ゆっくりと、長い時間をかけてでいい。この静寂の世界で、空っぽになった心を埋める意味を、少しずつ探していけばいいのだ。


 メアリーはエプロンの裾を軽く整え、裏庭へと歩き出した。

 このときの彼女は、自分がどれほど傲慢な推測をしていたかに気づいていなかった。

 世界という巨大な理不尽は、一度ならず二度までも、彼女の平穏な箱庭を無慈悲に破壊することをやめはしないということに。


(第15話 了)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ