蠱毒の錬成
復讐を果たすにあたって、メアリーが自身に課した条件は二つあった。
一つは、皇帝を「ただ殺す」だけでは済まさないこと。安らかな死など、五年前の業火に焼かれた同胞たちへの手向けにはならない。必要なのは、永遠に続く苦痛。生き地獄だ。
もう一つは、自分自身が皇帝殺しの犯人として捕まり、処刑されるような無様な真似はしないこと。あの商人の「犬死にするなよ」という言葉に対する、彼女なりの恩返しでもあった。
その二つを両立させるために、彼女は「時限式の遅効性猛毒」にして「肉体の崩壊と再生を繰り返させる呪毒」を生成する必要があった。
二十歳になったメアリーは、夜毎、自室のベッドの上で自らの肉体を『錬金釜』として扱った。
チフス人の身体の特性を極限まで酷使する。
深い憎悪を意図的に引きずり出し、両腕と手首から垂れる毒素の濃度を限界まで引き上げる。それを、自らの体内に溜め込み、圧縮し、精製する。
極彩色の緑色だったスライム状の粘液は、何週間もかけて、どす黒い翡翠色——ほとんど黒に近い色——へと変質していった。
その毒の一滴は、岩盤すらも一秒で溶かし尽くすほどの劇物だったが、それを「一ヶ月間かけてゆっくりと細胞を不可逆的に書き換える」ように性質を調整する作業。それは、メアリー自身の寿命すらも削りかねない、命がけの作業だった。
「……できた」
ある新月の夜。
メアリーの右手の指先に、一滴の漆黒の雫が浮かんだ。
それは光を吸い込むような、底知れぬ深みを持った毒。チフス人が五百年の歴史の中で一度も作り出したことのない、究極の絶望の結晶。
「これを、あの男の肉体に」
方法ならすでに確保している。
昨日、皇帝の病状が悪化し、全身に原因不明の痒みと熱傷を伴う症状が現れたという。宮廷魔導師たちは「老衰と過去の呪いの再発」と診断し、毎晩、傷口に特別な「霊薬膏」を塗布する治療を開始した。
その霊薬膏を保管する壺は、医療用リネンと同じワゴンに数分間だけ置かれる。
メアリーが担当するルートの途中で。
翌日。
メアリーはいつも通り、純白のメイド服に身を包み、翡翠の瞳に何の感情も浮かべることなく廊下を歩いていた。
手押しワゴンに乗せられたリネン一式。その横に、霊薬膏が入った銀の壺。
『影』の視線は常に死角から注がれている。しかし、彼らは「怪しい動き」を探しているのだ。
ワゴンを押すメアリーの手。
その右手の親指の爪の裏に隠された、一滴の漆黒の毒。
ワゴンが廊下の段差を越える際、カタッ、と小さな音が鳴った。
そのごく自然な振動に合わせて、メアリーの右手は一瞬だけ、本当に流れるような無駄のない動きで、銀の壺の蓋の隙間に、その一滴をしたたらせた。
防毒結界も、魔力感知も一切反応しなかった。
それは魔法でも化学物質でもなく、メアリー・チフスという一人の少女の「悲しみ」そのものだったからだ。
「リネンと薬の補充に参りました」
寝室の扉の前で、メアリーは深くカーテシーをした。
壺は近衛騎士の手によって奪われ、扉の奥へと持ち込まれる。
その夜、皇帝の衰えた皮膚の上から、メアリーの命を削って錬成された致死の漆黒が、一切の痛みもなく優しく塗り込まれた。
(第12話 了)




