第四十六話「『狂奔《スタンピード》』の予防」
一応は月木更新のつもりなんですが……すみません。
シアンから『狂奔』と聞いたシラハは「ああ」と頷く。
「知ってる。魔物の大群が人間の生活圏に突っ込んでくる現象のことだろ」
魔物は人類にとっての脅威だ。か弱い人間がこの世界で生き抜こうと思うなら、まず第一に「いかにして魔物から身を守るか」を考える必要がある。
そのために人は頑丈な家を建てた。街を堀や壁で囲った。人と魔物の間に境界を引いたのだ。
どうしてもその境界の外に出なければいけない時は街道に沿って歩く。街道周辺は定期的に魔物の間引きがされている。魔物が出没しないわけではないが、数は少ない。
つまり、「魔物の大群」は通常ならば人間の近くには現れないのだ。そんな事態が起こらないように、人類は知恵を絞り、血を流しているのだから。
孤王のせいで立ち入れない封鎖領域や、そうでなくとも厳しい自然の中――峻険な山岳地帯、底なしの沼地、森の奥地など。「魔物の大群」がいるのはそのような場所だ。
しかし何かのきっかけで、その「魔物の大群」が人里付近にやってきてしまうことがある。
まるで難民が列を成して新たな土地を求めるように、「魔物の大群」が人間の生活圏に押し寄せる……それが『狂奔』である。
ちなみに、この『狂奔』に孤王が絡んだ場合は『侵攻』と呼ばれるのだが、それはまた別の話である。
「『狂奔』が起きる原因は……色々あるらしいな。例えば気候が乱れた年なんかは食料を取り合って魔物共の縄張り争いが激しくなる。その結果、争いに負けた魔物がもつれ合うように人里に出てくるんだとか」
シラハが滔々と説明すると、その場の者達は感心したような目を向けてきた。
「ほう、ハンゾは博識だな。そうか……魔物達も天の下の生き物。冷害や干ばつからは逃れられぬのか」
「昔読んだ本の受け売りだ」
「博覧強記、結構なことではないか」
「驚く程のことではありませんね」
レゼーレはそう鼻を鳴らすが、
「あらゆる事を学び修める貪欲さと吸収力がなければ、彼の域には達しません」
言葉自体は遠回しながら賛辞である。しかしその後に小声で、
「……なのにどうして敬語は覚えられないのでしょう」
と付け加えたのは実に彼女らしい。シラハは「うるせぇよ」と返した。
その一方で、シアンは素朴に
「ハンゾさん、本が読めるんですか! そりゃ魔物の生態にも詳しいわけだ。はー、もしかして冒険者なんですか?」
「似たような仕事をしてたことはあったが、職場は封鎖領域じゃなかった。だから資格は持ってねぇよ」
嘘をついたのは、冒険者認定証には「シラハ」と本名が記載されているためである。
「……ともかく、俺は学者じゃねぇ。『狂奔』が起きる理屈は受け売りでしか知らん。が、一つ言えるのは……魔物の間引きが追いついてないと『狂奔』が起こりやすくなるってことだけだな」
「やっぱり、そうなんですね」
シアンが目配せをすると、シアンの妻は空いた皿を持って席を外した。
――家族に聞かれたくねぇ話って事か。
「この村が一度滅んだって話はしましたね。その後、お袋を中心に何とか再興したわけですが……やっぱり色々と途切れちまったものもあります。その一つが魔物の討伐体制です。村が滅んだ時に、「戦える」人間がいなくなっちまったんですよ。限られた人間で無理をして、何とか村を守ってきました。今もそう。結局は全部お袋頼みだ。本当ならちゃんと複数人で手分けして魔物を間引けるような体勢を整えないといけないのに、それが出来ていない」
「む? この辺りの領主なり代官なりは何もしてくれぬのか? 人民を魔物から守るは本来領主の仕事。失った村を必死で再興し、あのような立派な畑を耕すに至ったそなた達は領主の庇護を受けて然るべきだ。申し出れば魔物狩りの巡回が来るはずであろう」
ファスがそう言うと、シアンは複雑な顔をした。
「流石は学者の見習いさんだ。ラダちゃんの言う通り、普通の村なら確かにそうだ。ですが、ここは小さくて、やっと「村」になったばかりの村です。この村が誰のものなのか、防衛のために血を流すのは誰なのか。それがまだ曖昧なままなんです。である以上は、やっぱり村人である俺たち自身の手で魔物を討伐できるような体制を整えなければ。そう考えています」
「が、まともな戦力はあんたのお袋さん……フェリシーって言ったか。とにかくお袋さん一人。なるほどね、それは良くねぇな」
確かにフェリシーは強そうだ。百人力の実力があるだろう。
——けど、一人だ。
百人分の戦闘力を五十と五十に振り分けたりは出来ないのだ。村の東と西を同時に守ることはできない。
たとえ「個」としてどれほど強くとも、「個」である以上出来ないことも多いのだ。村周辺の魔物退治は重要な仕事で、かつずっと続けていかなければならないことだ。これを突出した「個」に頼っている状況は確かに不健全だった。
瞑目したファスが、
「頭数が必要な場面は必ずあるものだからな。母君がいかな強者といえど、限界はあろう」
と頷いた。ファスがシラハを雇うまで、ファスの護衛はレゼーレだけだった。これまでの旅路でままならない場面に遭遇したこともあっただろう。それを思い返しているのかもしれなかった。
「そうです。俺が不安なのはそこです。もし今の状況で『狂奔』が起きたらどうなるか……」
もしこの村に魔物の大群が押し寄せた時、果たして村を守り切れるかどうか。もし『狂奔』が起こるとしたら、魔物達の発生源はあの林になるだろう。シアンと出会ったあの林だ。そこに生息していた魔物と、付近の地形、フェリシーの強さからシラハは脳内で計算する。
「まぁ、なんとかならんことはないと思うが……」
「では、この村が大きくなったら?」
「あー、そうか、そういう話になんのか」
シアンは皿を洗いに行った妻のいるだろう方向に目を向けている。彼女の腹の中には子供がいる。
そう、この村はこれからもっと発展していくのだ。
音より速く走れるなら対処のしようもあるだろうが、そんな事ができるのはサンデ大陸にシラハ一人だろう。村が大きくなればどうしても手の届かない場所が出てくる。
「目の行き届かない死角も増えるでしょうね。フェリシーさんくらいの実力であれば聴覚や気配で遠方の状況を把握することもできますが、それもやはり無理があるでしょう」
レゼーレが淡々と推測を述べた。
「私は魔物に詳しくありませんが、今のうちに防衛体制を構築すべきでしょう」
「だから俺はあの林に行ったんです。『狂奔』を防ぐには、あの林の様子を定期的に確認する必要があります。それが理由の一つ。そしてもう一つは、俺が「戦力」にならなきゃいけないからです。頭数が増えなきゃ体制も何もない。多少の危険は乗り越えられるようにならなきゃ、強くはなれない。強くならないと、俺の子を守れないし、お袋に楽もさせられないんです……」
強さを求める理由としてはとても陳腐なものだ。呆れてしまうほどに。しかしそれを嘲笑うほどにはシラハは落ちぶれていない。レゼーレも同様のようだ。しばしの間、場に静寂が訪れる。
やがて、ファスがおそるおそる、
「だが、そなたは村長なのだろう?」
口を開いた。
「指導者であるそなたに何かあっては村人達も道を見失う……それでも武器を取り戦場に立つのか……?」
その台詞を聞いてシラハは「やっぱりファスは大貴族の娘なのかもしれない」と改めて思った。最初から人の上に立つ者として生まれ、育てられている。彼女は基本的には人の心に寄り添った振る舞いをする優しい少女だが、時折愛らしさに見合わぬ冷徹さを覗かせる。
他人も、そして己自身も駒として扱わねばならぬと、そんな悲壮な義務感が生み出す冷徹さだ。
この場もそうだった。シアンに対し、「お前の仕事は血を流すことではない」「味方が血を流すのを見届けることだ」とそう言っているのだ。
それは理屈で回る世界では間違いではないのだろうが、この小さな村では意味をなさない冷徹さだ。
シアンははにかみながら、
「この村の男で一番強いのは俺なんですよ。これでもね。というか、この村に男は俺含めて五人しかいません。俺も戦わないと。それに安全圏から見てるだけじゃ、みんなに愛想を尽かされちまいますよ」
人をまとめるには感情で人々を納得せねばならず、そのためには不合理な行動も必要になってくる。
「危険を顧みず一人で林に赴く」。それは理屈ではなく感情において必要な仕事なのだ。
「……そうだな。すまぬな」
「シアン、あんたの言うことは分かったが……それでももう少し上手くやった方が良い。男手が少ないってんなら、その意味でもあんたに何かあったら不味いぜ」
「ええ。それはそう思ってます。そこで厚かましいお願いなんですが」
シアンが頭を下げて、
「ハンゾさん。明日、あなた方がこの村にいる間だけでいい。この村を守るために知恵をお貸し願えませんか」




