第四十四話「鎌を持つ女」
「ありがとうございました。助かりました……」
青年が落ち着きを取り戻し、シラハに礼を言う頃にはレゼーレ達も追いついてきていた。
レゼーレは魔物の死体と五体満足の青年を一瞥すると、
「その様子だと間に合ったようですね」
「間に合った……か。どうだろうな。案外、俺が来なくてもこいつ一人でなんとかしたかもしれないぜ」
十中八九、この青年一人ではブランチブルペスに勝てなかっただろう。が、勝ち目が皆無だったとも思わない。
本当に死を目前にした時、人がとる行動は二種類だ。恐怖で体が凍りつくか、あるいは逆に体が動くか。もしこの青年が「動く」側の人間であれば一人でこの窮地を切り抜けていた可能性は一、二割程度だが存在していた。
だから本当はその生死の鍔際まで助けるべきではなかった。魔物の牙が青年の喉笛に触れるその瞬間まで待つべきだった。シラハの拳ならそれでも間に合う。
だが、今回は拳を極力振るいたくなかった。言葉で青年を導く方法を選んだ。だからぎりぎりまでは待てなかったのだ。
「俺がこいつを助けたのか、それとも単に成長の機会を奪っちまったのかは分からねぇよ」
強い戦士、武人になろうと思うならどこかで死闘を勝ち抜かねばならない。「何か一つでも間違えていれば死んでいた」。そんな死線を潜り抜ける必要がある。精神が成長しないというのもあるが、『格』が上がらないのだ。
勝てる勝負ばかりしていては『格』の成長は遅い。それでは生涯をかけても三流、二流止まり。一流、超一流を目指すなら無謀な挑戦がどうしても必要だ。たとえ死ぬ可能性の方が高かったとしても。
もしかするとシラハはこの青年から一皮剥ける絶好の機会を奪ってしまったのかもしれなかったが、
「そうだとしても、あなたは恩人だ。本当にありがとう。あなたの助言がなかったら、たとえ生き残っても手足の一つは欠けていたと思うから」
青年は再びシラハに頭を下げた。
「あんたがそう言える人間でよかったよ。助けた甲斐があった」
——中には逆恨みする奴もいるからな……「助けてもらわなくても勝ってた」「獲物を横取りした」って。
「しかし落ち着いてみれば、確かに俺でも勝てる相手だったんですね。だってのに取り乱して……恥ずかしいところを見せちまいました」
ブランチブルペスの死体を眺めながら、青年は頬を掻いている。
若い男だ。シラハと同年代くらいか。となると二十歳になったかならないかだ。
「そうだな。あんたはまだ肝が小せえな。が、斧は使い慣れてそうだ。木こりか? それとも戦う訓練をしてきたのか?」
「ええ、一応稽古はしてます……って言っても、畑で鍬を握ってる時間の方が長いんですが」
戦士……と呼ぶには未熟過ぎるかもしれないが、決して責められるべき事ではない。農夫でも戦わなければならない状況というものはある。そんな時に備えて畑仕事の合間に鍛錬をしているのだろう。それであれば青年は良くやっている方だ。
それにそもそも彼は二十歳くらいだ。平凡だが一生懸命に日々を生きているような普通の人間にとって、二十歳はやっと一人前になるかくらいの年齢だ。その年で片手間の武芸が使い物になっているのなら十分だ。
――俺みたいにずっと鍛錬と戦いを繰り返して来たってならまた話は変わるがよ。
そうした人間ならば、二十歳になる頃には一廉の武人として頭角を表していてもおかしくはない。シラハやレゼーレのように。が、それはあまりに特殊な例だ。
常人の腕前は普通はこのくらいのものなのだ。
「魔物と戦ったこともあるにはあるんですが、普段はお袋達と一緒にやってるもんで。一人で林に入るのは初めてでした。そこにあいつが不意打ちしてきたもんで気が動転しちまって……」
「反省して次に活かす、それしかねぇよ。あんたは幸い「次」を勝ち取ったんだからな」
「そうします。……あぁ、いけない。まだ名乗ってませんでしたね。俺はシアンと言います。あなたは……」
「俺は……ハンゾだ」
名乗ってからシラハは
——やべ、しまった。
と思った。
本名は伏せた方が良いと思って咄嗟に偽名を出したが、それがよりにもよってあの師匠の名前だった。呼ばれるたびに顔が歪みそうな忌まわしい名前だが、しかし今更引っ込めるわけにもいかない。シラハは諦めて続ける。
「元々冒険者なんだが、今は別の仕事でこいつらの用心棒をやってる。こっちの女がエール。で、こっちが……」
「ラダだ。学者の見習いをやっておる。フィールドワークをしていたのだが、少し……道に迷ってしまって困っていた所だ」
相変わらず、ファスは話を合わせるのが上手い。彼女はいかにも途方に暮れているようにうつむいた。
すると青年……シアンは
「それは大変だったでしょう。お礼もしたいですし、是非俺の村に来て下さい。地図によっては載ってないくらい小さな村ですけれどね」
「あぁ、ありがとよ」
シラハは顔に「しめた」と出さないよう注意しなければならなかった。
◆
シアンが言うには、彼の村は二十年前に滅びかけたらしい。たちの悪い盗賊に襲われたのだという。
「一応俺も生まれてたらしいんですが、記憶はないんですよ。良かったんだか悪かったんだか」
「……どうだろうな。確かに忘れた方が良いこともある」
地図に載っていないことがあるのはそのせいのようだ。その時に滅んだものと思われたのだ。実際には生き残りが戻ってきて村を復興したのだが、それでも以前ほどの規模にはならなかった。そもそも村が小さいのも地図に載っていない理由の一つだろう。
シラハ達の地図はシラハが持っている冒険者用のものと、プリュノールで買ったロカマドゥール王国北部から中部にかけての地図。どちらも細かい情報まで網羅している地図ではない。
「確かお袋がこの近隣の地図を持ってたと思います。言えば見せてくれると思いますよ」
「助かるぜ」
などと話しているうちに、
「見えてきました」
もちろん超人的な視力を有するシラハはとっくに気付いている。
広がる耕作地、その中心に埋もれるように家屋が何軒か建っている。作りはばらばらだ。藁で作られたものもあれば木造のものもある。しかし石やレンガで作られた建物は一軒のみ……建造中のものを含めれば話は変わるだろうが。
村へ近づくと自然に畑の様子が目に入る。麦や豆、その他の野菜などをファスが興味深そうに眺めていた。
「ほう、色々育てているものだな……」
「はは、言ったでしょう。一度なくなりかけた村ですから。とにかく残された種やら苗やらをかき集めて畑をやり直したと聞きます。それで色んな作物を扱っているんですよ」
道の先には木の柱が二本立っていた。松明を立てるためのものだろう。村の入り口、門のようなものか。
そこには女が一人立っていて、村の中の草刈りをしていた。
「……」
使っているのは大鎌だ。大きな三日月型の刃、ファスの背丈よりも長い柄。柄から突き出しているのは把手だろう。右手用と左手用で二つある把手を握って女はリズム良く草を刈っていた。
その様子に何ら不審な点はない。そして女の方もありふれた農民の女だ。
中年、と真正面から呼んでしまうのは憚られるくらいの年齢。四十の手前くらいか。かつては農夫達の目を惹くくらいにはそこそこ容姿の整った女だったのだろう。その面影はまだあるが、やはり薹が立っている。顔立ちに重ねた年月の分だけ苦労が染みこんでいた。
そんな至って普通の女だ。
――だったら何だ、この落ち着かねぇ感じは……。
シアンはその女を、
「お袋!」
と呼んだ。シアンの母にしては若いが、二十歳前後で出産していればあり得る話だ。それにそもそも実子とも限らない。
女が顔を上げてこちらに向けた。その瞬間、シラハは違和感の正体を悟った。
――この女、かなり「やる」……
気配を露わにしていないので分かりづらいが、相当『格』が高い。
その上で見ると、もう一つの違和感に気付く。大鎌の柄が金属製なのだ。普通の農作業用のものなら木製の柄で十分。それを金属にしていると言うことは、農作業以外の用途も想定していると言うことだ。
――そうか、あの鎌は得物か。
もちろん、この事にはレゼーレも気付いている。一見澄まし顔をしているが、警戒心を一気に引き上げているのが分かった。さりげない動きでファスを庇う位置に移動している。
――こいつ、何者だ?
シアンとファスを蚊帳の外に、場の空気が張り詰める。つまり、向こうもこちらの実力に気付いている。
女は鋭い目をシラハ達に向けながら、
「シアン、帰ったのかい。……その人達は?」
「ああ、ハンゾさんと、エールさんと、ラダちゃん。ハンゾさんは魔物にやられかけてた俺を助けてくれたんだ。だからお礼するために連れてきた」
「そうかい。調子に乗って一人で林に行った挙げ句、魔物に負けかけた事のお説教は後でするとして……ハンゾさんだったかい? うちのバカを助けてくれたんだね。ありがとう。そんな恩人に大して本当に申し訳ないんだが……」
女は真っ直ぐこちらを見ながら、
「あまり長居をしないでおくれ。礼が済んだらすぐに出て行って欲しい」




