第四十三話「特級冒険者の指南」
魔物も出る林の中に好き好んで踏み入る者はいない。
にもかかわらずシラハとレゼーレ、超人二人は何者かの足音を聞いた。
――誰だ? 森番か……?
王侯貴族が所有する森林では一部の獣の狩猟が禁じられている場合がある。
ここで言う獣とは猪だの、鹿だの、要するに娯楽としての狩猟に向いた獲物のことだ。禁猟区で許可無くこの手の獣を密猟するのはかなり重い罪になる……のだが、金や刺激を求めて密猟に手を染める者は少なくない。
そんな密猟者を取り締まるのが森番だ。森番は自身の管轄する森林のことを知り尽くしている上に、魔物の間引きなどで『技能』や『格』も鍛え上げられている場合が多い。要するに彼らがやっていることは冒険者とほぼ同じ。戦闘職である。ちんけな密猟者では森番からは逃げ切れない。
もしこの林に森番が存在していて、その森番と出くわしてしまったらそれなりに厄介なことになるだろう。密猟者と間違えられて矢を射かけられる可能性もある。
――いや、でもここは禁猟区じゃねぇはずだし、万一禁猟区でも犯罪はしてねぇ……魔物狩りは合法だからな。それに……
仮に森番に襲われても制圧すればいいだけだ。その上で誤解を解けば良い。森番を務める人間はそれなりに強いだろうが、
――いくらなんでもカブートの野郎ほどの力はねぇはずだ。だったらぶちのめせる。
あの『流星群箭』は森番の子らしいが、流石に彼は例外中の例外である。
であればやはり、
――警戒すべきは「敵」である可能性の方だな。もし『使用人』だったら見つかるわけにはいかねぇぞ。
シラハは耳をそばだてた。今はまだ遠くの足音や、それ以外の音を聞き取ろうとする。
ざっ、ざっ、ざっ、と落ち葉を蹴る慌ただしい足音。乱れた息遣い。「クソ、来るな!」……そしてもう一つ、人ならざるものの足音。
――ふぅん、なるほどね。
シラハがレゼーレに目配せをすると、彼女は頷いた。彼女にも状況が理解出来たようだ。
――まぁ、「敵」じゃあなさそうだな。
どうやら誰かが魔物に追い回されているらしい。
――どうしたもんかね。
普段のシラハであれば迷わず助けただろう。が、今は護衛の仕事を引き受けている最中だ。軽々しく「助けに行く」などとは言えない。
が、今回は助けに行く理由があることに気付く。
――もし、あの襲われてるヤツがこの辺りの人間だとすれば……
近くの人里を知っているかも知れない。シラハ達の地図に載っていないような小さな村ならば「敵」の監視も手薄なはずだ。少しは落ち着いて補給や休息が出来るだろう。
「ちょっといいか……」
シラハは状況を端的に説明した。ファスはすぐに首を縦に振った。
「行こう。よいな、レゼーレ」
「はい」
レゼーレも同意。彼女はファスのためになると判断すれば納得する。それにレゼーレは冷血というわけではない。必要なら非情な決断を躊躇いなく下すが、情そのものが欠如しているわけではない――とシラハは考えていた。人助けそのものを咎めるほど性格は悪くないのだと。
「決まりだ。先行する」
そう言ってシラハは地面を蹴った。木々の間を駆けるのはシラハの得手だ。地面を、木の根を、幹を、枝を縦横無尽に踏んでぐんぐん加速する。
シラハは数秒のうちにその現場に辿り着いた。
「来るなぁ……!」
案の定、一人の青年が魔物に襲われていた。
魔物の名はブランチブルペス。四足の魔獣だ。大型の犬や狼のような姿だが、彼らと違って群れない。ただ一頭のみで狩りをする。その際に武器となるのが伸びた爪だ。攻撃はもちろん、爪を引っかけて急な斜面や木を駆け上がることも出来る。
そんなブランチブルペスに追い回され、哀れな青年は逃げ惑うばかり……かと思いきや、
「くそ、このまま食われるくらいなら……!」
と応戦の構えを取った。武器は薪割り斧だ。正確に言うと武器ではないのだが、護身具としても十分使える。
青年は斧をぶんぶん振り回し始めた。それを見てブランチブルペスは足を止めるも、決して後退りはしなかった。
青年が怯えているのをブランチブルペスは分かっているのだ。一体どちらが食う側で食われる側なのかを理解している。
そしてその理解は正しい。このままだと青年は食べられてしまうだろう。
だがシラハは気付く。
――あいつ、斧の扱い自体は慣れてそうだな?
青年は怯えて斧を見境なく振り回している。が、斧に振り回されてはいないのだ。体がぐらついているのは恐怖のせいで、体幹の強さ自体はそれなりにあるようだ。握りが緩むこともない。斧の刃があらぬ方向を向くこともない。斧を振るい慣れている者の動きであった。もちろん常人に毛が生えた程度ではあるが。
足腰も常人の基準で言えば鍛えられている。あれだけ怯えていれば木の根に足を取られて転びそうなものだが、そうなっていない。
――となると……いけるかもな。
シラハにある考えが浮かぶ。
もちろんシラハがちょっと小突いてやればブランチブルペスは即死する。が、魔物を倒すのは何もシラハでなくとも良いのだ。
ブランチブルペスは決して強い魔物ではない。常人でも腹を括れば倒しうる。
シラハは木の枝に飛び移り、青年とブランチブルペスの様子が見える位置に陣取った上で、声を発した。
「まぁ、とりあえず落ち着けよ」
「ひっ!? だ、誰だ!」
「Grrr……?」
生物として絶対的な強者であるシラハは、ただ声を発するだけで三下達の気勢を削ぐ。元々怯えていた青年はともかく、余裕ぶっていたブランチブルペスもきょろきょろと周囲を見回している。
魔物を見習うかのように青年もシラハを探して視線を彷徨わせ始めたが、
「俺のことなんかより、まずそのキツネ野郎をぶち殺した方が良いんじゃねぇか?」
「……っ、で、出来るわけないだろ!」
「やらなきゃあんたはそいつの餌だ。その斧は飾りか? ……さっきも言ったが落ち着けよ。その魔物は冒険者見習いが修行に倒すくらいの雑魚だ。あんたなら十分勝てる相手だよ」
「……っ」
シラハの声に何か思う所があったのか、青年の顔に幾ばくか血の気が戻る。まだ恐怖は消えていないようだが、それでもブランチブルペスを直視する。
ブランチブルペスも青年の変化に気付いたのか、シラハを探すのを止めて目の前の敵と向き合った。白い牙を剥いて毛を逆立てる。
一方的な「狩り」が「殺し合い」になったのを見計らって、シラハは次の指示を出す。
「まずは少し腰を落とせ。体勢を安定させろ」
体高が低い魔物と戦う時、避けるべきは地面に引き倒されることだ。頭部、頸部、心臓。これさえ守っていれば即死はしない。そして立っていればそれらの弱点を守ることが出来る。
青年はシラハに言われるがままに腰を落とした。
「こ、こうか?」
「それでいい……敵から目線を離すな。敵の全身が目に入るようにするんだ」
きちんと敵の全身が見えていれば、案外素人でも反応が出来るものなのだ。
「あんた、その様子だと毎日斧は振ってるんだろ。今日も同じようにやるだけだ。上段に構えろ。キツネ野郎を薪だと思え。そしてヤツが来た瞬間に、振り下ろせ」
ブランチブルペスが取るだろう手段は二つ。脚に噛みついて青年の姿勢を崩すか、一気に喉笛に飛びかかるか。いずれにせよ下からの攻撃だ。シンプルな振り下ろし、薪割りの要領で斧を振り下ろせば良い具合に当たるはずだ。
――まぁ、木を上って頭上から攻めてくるって可能性もあるが……
青年の実力ではそこまでは対処が出来ないだろう。そうなったらシラハが助ければ良い。
「大丈夫だ。そいつはそんなに速くない。ちゃんと敵を見てれば間に合う。見てから、振り下ろす、だ」
「見てから振り下ろす見てから振り下ろす……」
ブランチブルペスが回り込むように青年の周りをうろついている。青年は気圧されながらも、辛抱強くブランチブルペスを睨み続ける。
そして遂にブランチブルペスが地を蹴った。
「今だ」……一瞬シラハはそう言いかけたが、止めた。不要だったからだ。シラハの反応に比べればずっと遅かったが、青年は確かにブランチブルペスの跳躍に反応し、
「う、うわぁあああああ!」
真っ直ぐに斧を振り下ろした。
「Grrrrrrrrrrrr!」
斧はブランチブルペスの脇腹を切り裂き、鮮血を飛び散らせた。が、魔物の命を奪うにはまだ足りない。体を裂かれたブランチブルペスは地面に横たわったが、激しく身をよじらせて跳ね起きようとしている。
「振れ! やれ! 叩き割れ!」
「あああああああああああ!」
青年は半狂乱で斧を何度も振り下ろす。
三回に一回しか魔物に当たらなかった。残りの二回は地面を叩いていた。だが十数回も振り下ろせばブランチブルペスを殺しきるには十分だった。
「よし、そこまでだ」
シラハは枝の上から飛び降りると青年の斧を掴み止める。
「うぉあああああああ――、あ……?」
青年はなおも斧を振ろうとしていたが、いくら力を込めても斧が微動だにしないことに気付くと、おそるおそる振り返る。
「う、うわっ!?」
青年は突如現れたシラハを見てまた腰を抜かしかけたようだったが、
「見ろ」
とシラハが下を指さすと、素直にそちらを向く。
ブランチブルペスが死んでいた。弱いとはいえ魔物は魔物。常人が振るう薪割り斧の一撃では毛皮までしか傷つかない。しかしそんな一撃でも幾度も重ねれば命に届く。
食うか食われるか、生存競争の結果を青年は見下ろし、
「や、やったのか……?」
「そうだ。よくやったな」
シラハが労うと、青年は地面にへたり込んだ。
こうしてシラハは拳を振るうことなく青年を助けたのであった。
なぜシラハが倒さなかったかというとその答えは単純だ。
――拳骨で魔物と戦ろうとする人間なんて俺くらいだろうからな。
「敵」は聞き込みなどもしてシラハ達を探しているだろう。であれば、この青年に与える情報は少ない方が良い。「素手で魔物を倒した男がいた」などと知られればすぐにでも追っ手がやってくるだろう。
だからシラハは口出しだけに留めた。青年が全くの素人でないことは分かっていた。少し助言をしてやればブランチブルペスぐらい倒せるはずだと考えたのだ。
――さて、こいつは最寄りの人里を知ってるかな。




