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第四十二話「百里の旅は九十で半分」

 立ち並んだ幾本もの木々が空と地を隠している。

 葉の茂った枝が空を、隆起した根が地を覆っているのだ。人の手の入らない自然がそこにはあった。

 しかしよく見れば木漏れ日もあり、木立を風が抜けることもある。『晦冥(かいめい)の森』の陰鬱さに比べれば、まだ人に寛容な方だろう。


――つっても、子連れで油断出来る程じゃねぇけどな。


 シラハ達はミュライユ伯爵領を目指して移動を続けている。ミュライユまでは街道を行けばもう数日で着くくらいの所まで来ている。だがファスとレゼーレは「敵」に狙われているので、考えなしに移動経路を選ぶことは出来ない。


 「敵」から逃れるためには林やらの道なき道を踏破するのが良いのか、むしろ街道を堂々と行く方がかえって良いのか、それはシラハ達の頭を悩ませ続けてきた二択だ。


 今の所、シラハ達は前者を選択している。封鎖領域でなくとも林などに好んで踏み入る人間はいない。そうした場所は魔物が多く危険だからだ。それに方向を見失えば遭難する可能性もある。ファスを連れて歩くには危険な場所。が、それはシラハ達を追跡する「敵」にとっても同じことだ。


「意味はあるはずです」


 レゼーレはそう言っていた。


「もちろん「敵」の中でも、私たちを直接襲撃する「実行役」達は手練れ揃いでしょう。このような魔物の多い場所でも問題なく踏破できる」


 カブートやクネヒトのような文句なしの強者は当然として、彼ら以外の敵達……カブートと組んでいた『使用人(サルヴィタール)』や、クネヒトの率いていた『色有り(ファルプシュトフ)』達も世間一般の基準で考えれば相当な腕前だ。


 彼らの専門は対人戦なのだろう。だがあれだけ動けるのだ、魔物相手に無力ということはないはずだ。もちろん油断していればグローブリザードに食われたりもするだろうが、基本的には彼らほどの腕利きであればこの林程度、突っ切ることは難しくない。

 シラハ達が危険を犯してこの林のような大自然に逃げ込んだところで彼らを振り切ることは難しいのだ。 


「ですが、数の限られた「実行役」だけで私たちを捜索することは容易ではありません。もう私たちの居場所はある程度知られてしまっていますが、それでもです。ですから「実行役」とは別に「目」が必要になります」


 「目」。つまり監視や捜索だけを行う人員だ。戦闘能力が低く「実行役」には使えない人材でも、「目」としては働けるかもしれない。使える人数が多いのだ。「実行役」の頭数の不足を、「目」の物量で補う。「敵」はそのような戦略をとっているはずだとレゼーレは考えているようだった。


 そこまで言われればシラハにも理屈は分かった。


「「目」は弱っちぃから、街道を離れて無茶することは出来ねぇ。俺たちが森だのなんだのを突っ切れば「目」は撒ける。それには意味がある。だから街道は基本通らない。そういう方針で行くんだな?」

「はい。もうミュライユ伯爵領に入るまでは、人目を避けるべきでしょう。ファス様には負担をかけることになりますが……」

「気にするでない。私もそろそろ「森林浴」には慣れた。そうだ、今度兄上達が狩りに出る時には着いていっても良いかもしれぬな」

「それは……殿方が少々張り切り過ぎてしまうのではないでしょうか」

「そうか? そうだとすれば見ものだが……と、冗談はさておき、私は大丈夫だ。本当だぞ」


 えっへんと胸を張るファスの言葉に嘘はない。シラハが見る限り、ファスは多少疲労していることを除けば健康そのものだ。レゼーレが過保護な程に気を遣っているというのもあるが、やはり「慣れた」のも大きいのだろう。子供らしい適応力で、ファスは旅に耐えられるようになってきているのだ。


「むしろ……いや」


 ファスは言葉を打ち切った。


「ファス様、何か気がかりなことが?」

「……ない。そなたたちがいるというのに、気がかりなどあるものか。頼りにしているぞ」


 ファスはそれ以上、このことについて口にはしなかった。だが一瞬、ファスの目線がレゼーレを盗み見た。立ち位置の関係でシラハにだけそれが見えた。


——つくづく大人びた子供だな、あんたは……。


 シラハは内心で感嘆した。ファスもシラハと同じ懸念を持っていたのだ。

 レゼーレの体調は果たして問題ないのか。


 シラハと違って、ファスはずっとレゼーレと一緒に逃避行を続けてきた。己を守るためにこの忠実な護衛がどんな修羅場を潜ってきたか、その一部始終を見届けてきた。その分心配もひとしおなのだろう。レゼーレに「トカゲ肉」を食べさせる時、ファスが助け舟を出してきたのもそのためなのかもしれない。


 だがファスはその心配を口には出せない。それには意味がない。レゼーレがどんなに消耗していても、ファスはレゼーレを働かせ続けなければならない。そんな状況で不用意に心配を口にしようものなら、それはただレゼーレの矜持を傷つけるだけに終わる。ファスはそれを分かっているのだ。


——ミュライユは近いが、あんまりいい状況じゃねぇな。


 レゼーレは消耗する一方だ。まだ動けるようだが、その「まだ」はどれくらい持つのか。そして自身の状態をレゼーレはきちんと把握出来ているのか。


――あいつが自己管理出来ねぇと思ってるわけじゃねぇが……


 「自分がやらねば」。その感情の危うさはシラハも知っている。気を配っておく必要があった。


 ファスは体力面では問題ないが、この状況に適応するために精神力を使っている。まだせいぜい十二か十三くらいの少女が、部下二人の「雇い主」あるいは「主君」として振る舞い続けている。なすべきことをなすために、自身の感情を抑えている。子供にとっては不健全な状態だ。


――早くミュライユに着かねぇとな。それで……


 と、そこでシラハは疑問を一つ放置したままだったことを思い出した。


「そういやミュライユ伯爵領に行くのは良いが、その後はどうするんだ? 領地に入ってハイおしまい、って訳じゃねぇだろ。確か味方に会うとか言ってたな」

「む? おぉ、そうか。まだシラハには言っていなかったか? 私達の最終的な目的地はミュライユ城だ。つまりミュライユ伯爵を訪ねて庇護を乞うことが私達の目的となる」

「マジか」


 なかなかスケールの大きい話だ。シラハは気の利いた返事が出来なかった。


――そりゃあ、想像くらいはしたけどよ……


 ファス達は『十騎聖』を含む敵達に追われているのだ。半端な者を味方につけた所でどうしようもない。彼女たちがひとまず安全を確保しようと思うなら、権力のある人間に匿って貰う必要がある。

 豪商か、どこかのギルドか、教会、あるいは貴族。訪ねるならそのどれかだろうと当たりはつけていたのだが、まさか伯爵だとは。


 伯爵など平民からすれば雲の上の存在だ。平民が接する機会のある「お上」はせいぜい執政官や騎士、男爵くらいのものである。


「伯爵か……そのミュライユ伯爵に話は通してあるのか? よく分かんねぇけど、急に訪ねてって大丈夫なもんなのか」


 シラハがそう聞くと、レゼーレは曖昧な顔をした。


「王都を去る際、一応は文を送りました。しかし時間がなく短文になってしまいましたし、文が無事届いているという保証もありません」

「そうか……ん?」


 シラハは雰囲気が妙なことに気付いた。

 レゼーレが落ち着かない様子だ……と言ってもほんの少しだけ、指を所在なさげに動かしただけなのだが。常に流麗な振る舞いを崩さない彼女にしては珍しい。

 そしてファスの方はと言うと、「あちゃあ」とでも言いたげな表情で瞑目している。これも珍しい。


――ちょっと無神経だったか?


 彼女たちにとってはミュライユ伯爵が最後の希望であるのに、その希望を陰らせるようなことを言ってしまっただろうか。だがそれにしてもこの反応は解せない。

 その少し気まずい空気を打ち消すかのようにファスが、


「文が届いていようがなかろうと、気にすることはない。ミュライユの城門はきっと私達のために開かれる。何せレゼーレはミ……ごほん、えーと、そう。『十騎聖』だからな。『十騎聖』は王国では一代限りの伯爵として扱われる習わし。ミュライユ伯爵も同格の貴族の訪問を無碍には出来まい。それが急な訪問であろうとな」


 ファスは途中で言葉を途切れさせたものの、説明自体は納得がいくものだった。


「まぁ、そういうことならいい」

「むぅ、すまぬな。この期に及んで隠し事などしたくはないのだが……」

「分かってる。ミュライユの城に着くまで「俺は何も知らない」。それでいいさ」

「感謝する」


◆


「……うーん」


 シラハは地図を指でなぞり、ミュライユまでの距離を測る。


「やっぱりキツいな。ここから無補給でミュライユ伯爵領は厳しい。無理を避けたいならどっかで一度、買い物が必要だな」

「むぅ。だが、その地図に載っているような街に寄るのは……」


 大きな街ほど人混みに紛れやすいが、敵もまた然り。刺客たちを多数潜伏させることが出来る。またクネヒトの時のような罠が張ってあるかも知れない。


「……正直な所、アシェノールと同じような事態が起きる可能性は低いと考えます。クネヒト卿と『色有り(ファルプシュトフ)』は「敵」が私達に割ける最大規模の戦力だったはずです。クネヒト卿と『色有り(ファルプシュトフ)』は『格(レベル)』が高く、機動力があった。だからあのような先回りと待ち伏せが出来たのです。そしておそらく彼らはまだ回復していない。だから街に寄ることも不可能ではありません。が……」

「リスキーではあるよな。かといって小さい村はこの地図に載ってねぇし、どうしたもんか……」


 そうやって三人で地図をのぞき込んでいた、その時。


「――?」


 シラハとレゼーレは林の遠方から人の足音がするのを聞いた。

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