第四十話「非常食」
グローブリザードはロカマドゥール王国に広く生息する魔物だ。
いわゆる「トカゲ系」の魔物である。大きさで分類するなら中型になるだろうか。その体長は人間大になることもある。
主な生息地は木立や森林、廃村など。落ち葉色の体色で姿を滲ませつつ、静かに木々を伝って獲物に食らいつく。
特殊な能力は持っていないものの、隠密能力や鋭い爪牙、一分の隙間もない鱗など、シンプルかつ強力な武器を有している。危険性は決して低くない。
魔物慣れしていない人間はもちろん、対魔物の専門家である冒険者でさえ時には後れを取る。状況によっては二級冒険者さえ食い殺す程度には、グローブリザードは強い。
そして今、一匹のグローブリザードが獲物を追跡している。
木々立ち並ぶ薄暗い林の中、ひたひたとかすかな足音だけを発しながら獲物に忍び寄っている。
獲物は人間だ。数は三。
むろんグローブリザードも三対一を好んで行うほど愚かではない。
だからグローブリザードは獲物である人間のうち、最も小さく柔らかそうな個体に目をつけた。人間の子供だ。狙うのはこの一体のみ。
影から忍び寄って、この子供を一呑み……は厳しいかも知れないので、一口で食える範囲で食べる。そしてすぐさま逃げる。獲物が大勢の時、グローブリザードはそうやって狩りをする。
「……」
遂にグローブリザードは獲物を間合いに収めた。人間達のすぐ側の樹上にまで来たのだ。
あとは飛び降りると同時に子供を囓るだけ。
グローブリザードは躊躇わなかった。
「……!」
四本の足がバネのように動いた。しがみついていた木の幹を蹴って、ご馳走に向かって一直線に……
「『昇陽槌』」
グローブリザードの意識はそこで消滅した。
◆
シラハは突如として振り向いて鉄槌を振り上げた。
「『昇陽槌』」
直後、ずしんと大きな何かが地面に落ちる音がした。
「む!?」
ファスがびくりと肩を震わせた。無理もない。彼女にとっては完全な不意打ちだった。
「何が起こっ……お、おぉ……」
ファスが振り返った先には、人間大のトカゲのような生き物が横たわっていた。その四肢は力なく投げ出され、頭も地面にぐったりとへばりついている……死んでいるのだ。
「魔物が来ておったのか」
この「トカゲ」は、彼らがこの林に入ってから初めて遭遇した魔物だった。
「こやつがいつ来たのかも、そなたらがどうやってこやつを倒したのかも、まるで分からなかったぞ」
「倒したのはシラハです」
ファスの呟きに答えたのはレゼーレだった。
「この蜥蜴は少し前から私達を追ってきていました。不届きにもファス様を狙っていたのでしょう。樹上からの奇襲でファス様へと飛びかかってきていたのですが、そこをシラハが鉄槌打ちで倒しました」
「一撃か」
「一撃です。最初は落下攻撃の軌道をずらすための打撃だと思ったのですが……どうやらそれだけではなかったようですね」
「ああ」
シラハは頷いた。
確かに『昇陽槌』は魔物の落下の軌道をずらすようにして打ち込んだ。ファスが魔物に囓られたり、押しつぶされたりしないようにするためだ。
だが、それだけではなかった。
「『雷勁』を込めといた。こいつの体を押し退けると同時に衝撃波を徹して脳みそを潰した……おっと、一応警戒しとけよ。脳が潰れたとはいえ、ちょっとは動くかも知れねぇからな」
魔物の姿を観察していたファスが慌てたように一歩下がった。
入れ替わるようにしてシラハが魔物の死体を検分する。
「あ、こいつグローブリザードか。しまったな……尻尾取っとけば良かったぜ」
「尻尾?」
ファスが首を傾げている。シラハはグローブリザードの尻尾……人間の手足ほどもある太さ……を指さした。
「こいつの尻尾、食えるんだよ」
「ほう。食せるのか……え? トカゲを? ……まことか? 爬虫類系だぞ?」
「爬虫類だって食えるんだぜ。蛇も食えるし、カエル……は爬虫類でよかったか? いずれにせよゲテモノってのは否定しねぇが、とにかく毒さえなきゃ食える。したがって、「トカゲ系」の魔物だって食える」
「そ、そうか……そういえば以前もそなた、そんなことを言っておったな……」
ファスは若干顔を引きつらせている。トカゲ自体は苦手ではなさそうだが、食べると聞くとまた違うのだろう。
一方、違った反応を見せたのはレゼーレだ。
「そうか、思い出しました。以前読んだ……書物に書かれていました。食料に窮した場合の対処法についてのものですが、確かに「トカゲ系」の尾は良い非常食になると……」
「へぇ。いい本を読んだんだな。トカゲの尻尾の何が良いって、食うのが簡単なんだよ」
とにかく知識がいらないのだ。
例えば毒の有無。野生動物や魔物の中には毒を持つものもおり、不用意に食えば死に至る。そして毒があるか無いかは素人には分からない。キノコと同じだ。
しかしトカゲ系の尻尾には、ごく一部の例外を除き毒はない。トカゲ系も有毒種は存在するが、有毒種でも尻尾に毒素はないのだ。
そして捌く際にも特に注意はいらない。鱗と生皮を剥ぎ、しっかり火を通しさえすれば問題ない。尻尾なら骨も分かりやすい。
「尻尾は食える」。それだけ覚えていれば素人でも食べられるのだ。冒険者の間ではほとんど常識のようなものだった。
「味も、まぁ……悪かねぇしな」
「妙な間がありましたが」
「嘘じゃねぇ。悪くはねぇんだ。悪くは……けど困ったな」
シラハはグローブリザードの死体を見下ろした。
「尻尾取る前に殺しちまった。自切させるのが一番楽なんだが」
シラハは徒手の武人、拳法家だ。刃は使わない。彼が尻尾を取ろうと思うなら「トカゲの尻尾切り」をさせるのが一番早いのだった。しかし死んだトカゲに尻尾切りはさせられない。
「しょうがねぇ」
そう言ってシラハは背嚢に手を突っ込んだ。戦闘用の刃物はないが、サバイバル用のナイフは持っている。刃物の扱いは人並みのシラハだが、膂力があるのでグローブリザードの尻尾を切り落とすくらいは出来るはずだった。
そんなシラハをレゼーレは無言で見つめている。
――また悪食だの何だの言うつもりか……?
と内心で身構えたシラハだったが、そうではなかった。
レゼーレは左手で、左腰に差した片手剣の柄を握った。そのまま大きく身を捻って、腕を目一杯伸ばして剣を抜ききる。レゼーレの右手は今なお負傷中。彼女が片手剣を抜こうとするなら普通はこのような動作になるのだった。
それを見てシラハは思わずクネヒトとの戦いのことを思い出す。
――こうして見ると左手で左腰の長剣を抜くのってやっぱり無理があんだな。だからあの技が奇襲になったわけか。
『瑞龍掴玉剣・夕月』と言ったか。左手で左腰の剣を瞬時に抜いて斬る技。本来は不可能に思える恐ろしい技だが、種が割れてしまえばその脅威は半減する。知ってさえいれば、『十騎聖』クラスなら十分に躱せるのだろう。
――やっぱり隠し芸だったんだよな。悪いことしちまったな……。
などとシラハは内省に埋没しかけたが、目の前で走った銀光一閃をみて現実に引き戻された。
「これでよろしいかしら」
レゼーレの言葉と同時に、グローブリザードの尻尾が「ズレた」。
「なんだ。斬ってくれたのか」
レゼーレはあの一瞬の内にグローブリザードの尻尾を切断していたのだ。だが、その太刀筋があまりにも精密で、その斬撃があまりにも速かったために、一度斬れた尻尾が切断面でくっついてしまったのだった。
しかしそうは言っても体液の粘着力でくっついていただけのこと。一拍もあれば尻尾は切断されていたことを思い出す。それが今だった。ずるりと切断面がずれ、尻尾が死体から離れていく。
「ありがとよ」
シラハはそう言って尻尾を拾い上げる。見事な切断面だ。グローブリザードは比較的「柔らかい」魔物だが、それでも鱗や尾骨はそれなりの硬度がある。それを死体の据え物斬りとはいえ一刀両断である。本来レゼーレは片手剣を右手で握る。左手で片手剣を振るうのは不慣れなはずだが、背筋が寒くなるほどに鮮やかな一太刀だった。傷を負ってもロカマドゥール最強の武人、『十騎聖』の一人。この程度は手すさびのようなものなのだろう。
――とはいえ……
以前のレゼーレなら尻尾を斬ってはくれなかっただろう。「左手でも片手剣が使える」という事実をレゼーレはシラハに明かしてはいなかったからだ。
だが今は隠していない。これを信用の証とみるのは楽観だろうか。
「これで夕飯の足しになる。あんたにも食わせてやるよ」
「ふふっ、せっかくのお誘いですがこの後用事がありまして」
もちろんファスの護衛以外の用事などあるはずも無い。シラハの言葉を冗談と受け取り、諧謔混じりに返答したといった所だろう。
だが、シラハは少し声を低くして、
「何、そんなに時間は取らせねぇよ。言い換えようか……あんたも食え。レゼーレ。これは冗談じゃない」
レゼーレがシラハを見てくる。その銀灰色の目が「何言ってんだこいつ」と語っている。シラハも負けじと見返す。視線に「二度言わせる気か?」というメッセージを込める。
しばらくの間、奇妙な沈黙が続いたが、
「……食料はまだ残っているはずですが」
「けど余裕もねぇはずだ。何のためにアシェノールに寄ったか忘れたわけじゃねぇだろ」
アシェノール。本来あの街には補給のために立ち寄ったのだ。だが街に入って早々クネヒト達の襲撃を受けたため、物資の補充は出来なかった。
そして今に至る。クネヒトに毒を受けたシラハはレゼーレの解毒を受けたが、それは応急処置だ。そこから完全に回復するまで二日かかった。その間あまり無茶な移動は出来ず、現時点でもまだ他の街に立ち寄れていないのだ。だからこんな林の中にいるのであった。
「そりゃ次の街までは持つだろうが、そこでまた襲撃される可能性もあるだろ。食料に余裕を持たせといて損はないはずだ」
それ故の「尻尾」だった。
「何、一度食えばこんなもんか、ってなると思うぜ。花孔雀が食えるんならいけるだろ」
「前にも言いましたが、ロカマドゥールでは花孔雀は広く食されています。蜥蜴と一緒にしないでくれるかしら」
「ほんとか? だとしても他の鳥の方が美味いんだろ。本当に花孔雀が美味いんならミナツールでも食うはずだ。やっぱり観賞用の意味合いの方が……」
「そなたら」
唐突にファスが口を開いた。
「プリュノールの宿屋で出された朝食を覚えているか?」
「はい。パンと豆のスープでしたね」
「そうだ。私の苦手な豆のスープだ。だが、あの時だけは美味に感じた。空腹だったからであろうな。空腹と言っても一食を抜いたに過ぎないが、それでも体が食事を欲しているのが分かった。匙が進んだものよ……おぉ、そうだ。レゼーレ、そなたの台詞も思い出したぞ。「好き嫌いをするならどんな手を使ってでも食べさせる」と言っていたな。全く忠義者よ、栄養は健康の源であるからな。栄養があるものを好き嫌いしてはならない。私も王都を出てようやく分かったのだ……」
「……ファス様?」
「シラハよ、この尻尾には栄養があるのか?」
「パンや干し肉より多いかは分からねぇが、これだけデカい尻尾だ。ちまちま保存食食うよりよっぽど元気が出るだろうよ」
「そうか! それは何よりだ。そなたらは武人だ。厳しい戦いを何度も繰り返して私を守ってくれている。本来なら雇い主である私はそなたらを腹一杯に食わせてやらねばならぬが、状況が状況ゆえ、それが出来ぬ。それを心苦しく感じていた。……しかし、今宵ばかりは心配なさそうだな。ふむ、改めて見ると、なかなか肉厚で悪くない尻尾ではないか」
もはやレゼーレに選択肢はなかった。否。元々そんなものはなかった。
「有事に備え食料を温存するため」という極めて合理的な理由。そして、主君であるファスの言葉と、さらに過去に自分自身が発した言葉。レゼーレは最初から詰んでいたのだ。
レゼーレは微笑んだ。美しく、僅かの綻びもない笑みだった。その内心がどうあれ。
「……そうですね。やはりいただきましょうか」




