挿話「四と九」
しばしばロカマドゥール王国の国土は「欠けたパイ」に例えられる。本来は円形のパイだが、四分の一切れ分程度が欠けている。この欠けた部分は『晦冥の森』である。
ともあれ、この欠けた部分とその延長線をおおよその境界として、ロカマドゥール王国は北部と南部に二分されている。南部には王都がある。逆に北部は「北部辺境」と呼ばれている。歪な国土ではあるのだが、封鎖領域と隣接する特殊な地理条件ゆえにロカマドゥールは領土を維持し続けていた。
そして、この北部と南部のちょうど境目辺りを「中部」と呼ぶこともあった。
その王国中部のとある街で、『十騎聖』、『極彩色』のクネヒトは静養していた。アシェノールでの戦いから五日が経っていた。
貸し切った宿屋の一番上等な部屋、天蓋付きの寝台の上にクネヒトは寝そべっている。
失った手足の端部には包帯が幾重にも巻かれ、裸の上半身は痣だらけ。半分死体のような有様だ。
じゅう、と布巾を絞る音がした。寝台の脇に水桶が置かれている。それと女が一人。女は桶の中の水で布巾を濡らし、それでクネヒトの体を清めようとしている。
だが、クネヒトは
「ロティ、それはもういい。さっきやったばかりだろうがよぉ。それより……」
クネヒトは女の尻をつねった。残っている指を器用に使った。つねったのは服の上からではあるが、女の丸く張りのある尻が揺れた。女は一瞬硬直したが、すぐにため息をついて、
「傷に響くよ」
「構わねぇよぉ。ロティの薬でもう山場は超えた。あとは魔術じゃなきゃ治らねぇ。大人しく寝てりゃ治るってなら話は別だが……そうじゃないなら多少は楽しんだっていいだろうがよぉ」
「だったら他の娘を呼びなよ。ナディアは上になるの好きらしいし……っていないのか。でもあの娘は着いてきてるでしょ。あんたがご執心の。体重軽そうだし、あんたの負担も軽」
「知らねぇなぁ。今、オレの目の前にいるのはロティだろぉ」
クネヒトと女の視線が絡み合う。
「……っとに最悪」
女は吐き捨てた。
「さっさと済ませるから。他の人達も診なきゃいけないんだから」
◆
クネヒトは楽しんだ後の余韻に浸っていたが、不意に
「……マジかぁ」
と呟いた。
「どうしたの、クネヒト」
「客だ。悪ぃが二回目は無しだなぁ……最低限でいい。身支度しろ」
女にそう指示すると、クネヒトは寝台から身を起こした。女が慌てて、
「あ、バカ。ちゃんと寝てないと……」
「そういうわけにはいかねぇんだよぉ。一応はセイイ見せなきゃいけねぇからなぁ……ほら、さっさとしろ。お前のケツが旦那の目に止まったらどうすんだよぉ」
それから程なくして、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。足音は二つ。いずれも聞き覚えがあった。ゆえにクネヒトは扉がノックされるのを待たずに、
「通せ」
と言った。動けないクネヒトに代わって、女が扉を開ける。
扉の向こうには二人の人物がいた。一人はクネヒトの部下だ。客人をここまで案内してきたのだろう。
客人はもう一人の方だ。その客人は寝台のクネヒトに向けて一礼した。
「これはクネヒト卿」
慇懃で、非の打ち所の無い礼であった。
その所作に加えて、服装もまた同様であった。灰色に僅かな差し色が入ったダブレットに、薄紅色の無地のマント。洗練された着こなしでありながら、武人の礼服として適切に武を弁えている。これもやはり非の打ち所がない、と評するべきだろう。
このように振る舞いや服装は上品を絵に描いたような男だったが、
「命のあるようで何よりだ」
その声には暴力的なまでの生命力を漲らせていた。
声を大きく張っている訳でも、荒らげている訳では無い。通りやすい声質という訳でも無い。むしろ男の低く落ち着いた口調は聞き取りづらい部類に入るだろう。
にもかかわらず、この場の誰も男の言葉を聞き逃すことは無かった。何か強い力を帯びた言葉だった。
その力を呼び表す言葉はいくつもあるだろう。「覇気」、「生気」、「活力」……しかし結局どれも意味する所は同じだ。生物としての強さ、力、すなわち生命力。その生命力を男は漲らせていた。
男は外見や声から察するに四十はとうに超えている。初老、とさえ言えるかも知れない。だが老いというものが男からは一切感じられなかった。四十年以上の歳月を、余すこと無く力に変えてきた。そんな気配のする男だった。
その男に、クネヒトは軽く頭を下げた。
「まさかお越しいただけるたぁ思っていなかったですよぉ……デシデリウスの旦那」
客人の名はデシデリウス。デシデリウス・バルドー。『十騎聖』第四席だった。
「寝台の上からで申し訳ねぇです。ご覧の通りの有様なもんで」
「構わんよ。詫びるのはこちらの方だ。怪我人を急に訪う非礼を許してくれたまえ」
「さて、それは手土産次第ってとこですかねぇ。まさか旦那ともあろうお人が手ぶらで見舞いには来ねぇでしょうよぉ」
クネヒトはそこで言葉を切ると、視線を他の二人に向ける。
「ロティ、コルツ、お前等は下がってろ。用があれば呼ぶ」
そうして人払いを済ませたクネヒトは指で椅子を示す。
「では失礼しようか」
デシデリウスがその椅子に掛ける。その所作も洗練されていて、まるでどこかの王族のようだった。
「手土産だが、卿の部下に預けた。クラーヴのブレンドだ。彼のワイナリーは挑戦的を通り過ぎて奇抜に走りすぎる嫌いがあったが、近年ではなかなか悪くないものを出すようになった。傷が癒えたら試してみるといい」
「そりゃあありがてぇ。……そこまで気ぃ遣ってもらってるのに心苦しいんですが、残念な報告をしなきゃならねぇんすよぉ」
クネヒトは顔から笑みを消すと、
「すみません。しくじりました。標的、両方とも仕損じました」
「『使用人』から報告は受けている」
クネヒトの報告を受けるデシデリウスの表情は穏やかだ。クネヒトの失敗をまるで気にしていないかのように。
だが、クネヒトはデシデリウスの表情を一切信用していない。『十騎聖』の中でも最も政治に、つまり腹芸に長けているのがこの男だと知っているからだ。
そのため、いかにクネヒトといえど言葉は選ばざるを得ない。
「確保した標的の引き渡しも出来ねぇのに、わざわざ旦那にご足労頂いて……旦那に王都を空けさせちまった」
「ふむ。実のところ、今の私は卿が想像しているほど忙しい訳では無いのだよ。王都よりレゼーレ卿を追放した時点で、私の仕事は一つの区切りを迎えている」
「とはいっても、王都からここまで三日はかかるでしょうよぉ」
「以前、第八席より乗騎の一頭を譲り受けてな。それに乗れば半分で済む」
「旦那、あのバケモンに乗れるんですか? ははぁ、それでこんなに早くいらした訳だ」
「そうだ。往復で三日。その程度王都を留守にした所で問題は無い。それに見合うだけの成果が得られれば、な。卿の報告はその価値のあるものだと期待しているよ。それがたとえ敗北の報告であっても。やはり伝書鳩や魔導共振器では要領を得ない部分も多い」
伝書鳩は古くから使われてきた情報伝達の手段だ。鳩、とは限らないが訓練した鳥に書面を託す。書面を送る、と言う方法の中では最速に近い手段である。だが送った書面が本当に届いているかは分からない。人間が書面を輸送する場合はトラブルへの対処も可能だが、鳩にそこまでは望めない。
一方魔導共振器は近年発達してきた手段だ。まず、ある鉱石を魔術で加工して対にする。そうして対になった鉱石のうち一方が振動すると、もう一方もそれに合わせて振動する。この振動によって情報を伝達するのだ。
振動の規則性で情報を伝える信号式、鉱石に文字や図形を描かせる振り子式など方式は複数あるが、いずれも共通するのは情報を双方向に、ほぼタイムラグ無くやりとりできるという点だ。これは伝書鳩と比較して大きな利点といえる。
だが、利点があれば欠点もある。魔導共振器では一度に送れる情報量が少ない。複雑なやりとりには向かないのだ。また、通信距離にも制限がある。遠方に情報を送る場合、魔導共振器が複数台用意して中継しなければならない。そして魔導共振器は高価だ。
つまるところ、伝書鳩も魔導共振器も万能ではない。
より確実性の高い情報伝達、意志決定を行うにはやはり人間が面と向かって話すしか無い。そのためにデシデリウスはわざわざクネヒトの元を訪ねてきたのだ。
クネヒトが任務を失敗したことをデシデリウスは既に知っている。彼が知りたいのは「なぜ」失敗したのかだ。それを一刻も早く確認せんがために、この忙しい男は三日を使うと決めたのだ。
ならばクネヒトはそれに相応しいだけの情報を語らねばならない。
「分かりましたよぉ。旦那の『使用人』の報告と重なるかも知れねぇですが、まずは概要から……」
クネヒトはアシェノールでの戦いの顛末をデシデリウスに語った。目的を達するためにクネヒトがどんな作戦を立てたか。それがどのように実行され、どのように失敗したか。
「……ってな感じです。で、何が聞きたいんです?」
「そうか」
デシデリウスは優雅に顎髭を撫でると、
「やはり孤王殺しは手強いか」
「やっぱりガチなんですかい? 『雷拳』のパーティに『明けぬ夜』のヤツが殺られたってのは」
「事実のようだ。情勢にも関わる重大な情報ゆえ、冒険者ギルドも公表せず加盟国の上層部に知らせるのみに留めているが……孤王殺し達が拠点としていたミナツールではもはや公然の秘密と化しているらしい」
「孤王が死んだって事は、その内『晦冥の森』の封鎖領域認定も解かれる訳ですからねぇ。まだ完全に公表って訳にはいかないんでしょう」
「だが知っている者は知っている。そうだな。おそらくレゼーレ卿は家の伝手で我々より早くその情報を得ていたのだろう。だから『晦冥の森』の踏破を選べた。裏を掻かれたとまでは言わないが、手薄な所を突かれたな」
「手薄、ねぇ……『流星群箭』を配置しといて、手薄もねぇでしょうよぉ。恐ろしいお人だ」
「確かにあの男は優秀な猟犬だが、あの男が猟犬に、狩人に徹することは少ない。彼を動かすためにレゼーレ卿を餌としたが、それがゆえに彼は狩人では無く武人として『雷拳』と戦い、敗れた。もし彼がただ冷酷な狩人だったのなら、私の目的は達せられていたかも知れないがね。現実はそうではない……要するに、カブートは扱いづらい駒だと言うことだ。手薄というのはそういう意味だ。しかし、彼は大きな成果を上げた」
カブートはデシデリウス達が見失った標的の居場所を特定した。しかも彼らが『雷拳』シラハと言う協力者を得ていることと、その『雷拳』の実力まで測ってきたのだ。これを成果と言わずして何と言おう。
クネヒトはカブートが得たこの値千金の情報を元に、アシェノールでの作戦を立案した。にもかかわらずクネヒトは敗れたのだ。
デシデリウスが首を捻って見せた。彼はクネヒトとカブートの双方を高く評価している。ゆえに今回の結果は青天の霹靂であったのだ。
「カブートが『雷拳』を過小評価したか?」
「いや……多分違いますよぉ。『雷拳』が力を隠していた……っつうか、あいつ自身、自分の全力を上手く引き出せねぇんじゃないですかね」
「詳しく」
「んーと、結局あいつは冒険者な訳です。人間と戦ったり、人間の刺客から対象を護衛するとかは全然慣れてねぇ。だから何ていうのかな、勝負勘か? 人間相手の勝負勘がまだまだなんだ。いつ踏み込むべきかが分かってねぇんですよ」
「ほう」
「なんてったってあいつは孤王殺しだ。本来ならオレやカブートをもっと楽に畳めるんでしょうよぉ。けど、勝負勘が……対人『技能』の未熟さのせいで勝機を掴みきれない。だからボロボロになるまで追い詰められる。そうやって追い詰められてようやくあいつは本気を出すんですよぉ。勝負に出るべきか、じゃなくて、出るしかない、って所にならないと思いっきり踏み込めない。百パーセントの本気を出せない」
「成る程。まだ「機」を読むのが不得手だから、彼は常に余力を残している訳か。何があっても対応出来るように。そしてその余力は本当に追い詰められた時にしか出さない。だから実力が測りづらいという事かな」
「それがオレの敗因の一つですね。しかも『雷拳』の本当の全力は分からずじまいです。オレはその「全力」を封じることに全力だったもんで」
「では、卿の想像でいい。君は『雷拳』の真の全力をどの程度と見積もる? いや、迂遠な言い方は止そう」
デシデリウスは腰の剣の鞘に触れた。
「私は『雷拳』を斬れると思うかね」
「斬れるでしょうよぉ」
クネヒトは即答した。
「あいつが最後に出した技……あれが毒で弱まってなけりゃ、確かに孤王もぶっ倒せたかも知れねぇ。あんなやつが本当に全力出しちまったら、勝てるのは首席ぐらいのもんだと思います。けど、あいつは人間相手に最初から全力は出せない。様子見の姿勢を捨てきれない。その様子見を一手で上回れば十分殺せる」
『十騎聖』の第四席とはそれが出来る武人だ。クネヒトでは毒を打ち込む程度に留まったが、デシデリウスはより致命的な手段を持っている。
「旦那の『天賦』はそういうの得意でしょう?」
「さて、どうかな。私の『天賦』は単純だ。種が知られていては厳しいかも知れない」
「謙遜を。『天賦』なしでもオレより強いお人が」
「追従を……と返させてもらおう。ともあれ、『雷拳』についてはおおよそは分かった。詳細はまた聞かせてもらうとして、他は……」
その後、デシデリウスはいくつかの質問をクネヒトに投げかけた。レゼーレの負傷の程度や、クネヒト及び染槍傭兵団の被害など。報告で知ってはいるのだろうが、当事者であるクネヒトの所感を求めているのだ。クネヒトはそれらに答えていく。
「さて、差し当たってはこの程度か。感謝する、クネヒト卿。有意義な時間だった」
「もういいんですかい?」
「残りは卿が癒えた後に王都で聞かせてもらおう。治癒師はもう手配済みだ。この街で今しばらく静養して待て。全員の治療には多少の時間を要するだろうが、卿や卿の部下の四肢が手遅れになることはなかろう」
「ありがてぇです。オレもあいつらも、まだまだ稼がねぇといけねぇんで」
高位の使い手による治癒魔術は四肢の欠損すら復元するが、失ってからあまりにも時間が経っていると治せない。それより前に治す必要があるのだ。デシデリウスもそれを考慮した上で治癒師を手配しているということである。
デシデリウスにとってクネヒトはそれだけの価値のある駒だと言うことだろう――今のところはまだ。
「しかし、やっぱり申し訳ねぇっすわ。あいつら、多分ミュライユ伯爵んとこに向かってますよね。だったらもうじき着いてもおかしくない」
クネヒトはアシェノールでの作戦が失敗した場合は、ミュライユ付近で再度行動を起こすつもりだった。今クネヒトの静養する宿もそれを見越して確保しておいたものだ。この場所はアシェノールからもミュライユからもそれ程離れていない。拠点としてはちょうど良い場所にあるのだ。
もっとも、今のクネヒト達は戦える状態にないので大人しくしている他ないのだが。
「あいつらがミュライユに逃げ込んだら面倒でしょうよぉ」
「構わんよ」
デシデリウスは鷹揚に頷いた。
「確かに卿が成功していれば我々の勝利はより盤石なものとなっただろう。だが、彼らを取り逃した所でそれ程支障はない。言っただろう。レゼーレ卿を王都より追放した時点で一区切りついていると。あの御方も、レゼーレ卿も、リシュー殿も……彼らはもう敗北したも同然。彼らはただ、その敗北を先延ばしにしようと足掻いているだけなのだ。無理をしてまで始末をつける必要はない」
「では、もう放置するおつもりで?」
クネヒトの問いに、デシデリウスは「ふむ」と悩むような様子を見せたが、
「そうだな。あと一度だけ仕掛けてみようか。本来なら捨て置くべきだが、今回に限っては手を出してみて損はない。なぜなら――」
「――『雷拳』は人間を殺さねぇ。戦力を失うリスクが低い。ま、オレ達みてぇな有様になるかも知れませんが、死にはしない。やり得って事ですね」
「そういうことだ。……彼らを捨て置いても問題はない。が、目障りであることに違いはないからな」
デシデリウスは椅子から立ち上がった。
「『雷拳』が盤面に紛れ込もうとも、我々は成すべき事を成すのみだ。卿は卿の、私は私の望みのために」
そうして『十騎聖』第四席と第九席の密談は終わった。
ロカマドゥール王国を揺るがす謀の、ほんの一端であった。
第一章「武人の国、ロカマドゥール王国」完




