第三十九話「信用の結果(三)」
アシェノールの街には石造りの家屋が何棟も立ち並んでいる。
それはアシェノールの活気を示すものではあるが、その一方で光の差さない仄暗い路地裏も多数生み出している。
その男がいたのもそんな路地裏の一つだ。
日が少しずつ傾き始めていて、影の濃さは一瞬毎に増していく。男はそれを眺めるように足下に視線を落としていた。
「そろそろか?」
頭巾を目深に被っているが、見るものが見れば男の目つきの鋭さに気付いただろう。
彼は傭兵だ。染槍傭兵団の『色有り』、識別名は『灰』。如才ない男であり、それ故にクネヒトの副官として扱われていた。
彼は今回の作戦において戦闘には加わらなかったが、より重要な役割を帯びていた。簡単に言えば裏方仕事である。
物資の手配や周囲の人払いに情報の伝達など、彼が行った仕事は多岐にわたる。個々の仕事を見ればただの雑用だが、戦場ではそのような雑用が無数に発生する。『灰』はその雑用の優先順位を正確に見極め、適切に処理する能力を持っていた。副官たるゆえんである。
つい先ほどまでも負傷者の撤退支援を行っていた所だ。他の『色有り』達は皆『雷拳』にやられてしまった。皆生きてはいるが、中には四肢を失って歩くことの出来ない者もいる。
『灰』はまず負傷が比較的浅い者を叩き起こして人手を確保すると、彼らに指示を飛ばし重傷者への対処に当たらせた。
それが一段落したので『灰』は次の仕事をするべくここで待っていた。
背後からどさり、と何かが落ちるような音がした。『灰』は、
「なんだボス、振られたんですかい」
と言いながら振り返った。
「かわいいお姫様連れて帰ってくるんじゃなかったんですか」
「うるせぇよぉ」
『灰』の背後に座り込んでいたのは『極彩色』のクネヒト、染槍傭兵団の団長だ。
「見りゃ分かんだろうがよぉ」
「みたいですね。標的を連れて帰ってくるどころか忘れ物いっぱいしちまってまぁ……槍と剣を落っことしてくるのは百歩譲ってまだいいですが、手足まで落としてくるとは一体何があったんですかい」
クネヒトの姿はそこらの乞食のようだ。色鮮やかな衣服は血にまみれてボロ同然、四肢や指を欠損して座り込んでいる様子はとても栄えある『十騎聖』とは思えなかった。まだ止まりきらぬ出血が失禁のように地面に広がっていた。
「それなりにいい流れでボスに繋げたと俺達は思ってたんですがね」
「言わせる気かよぉ? その「いい流れ」でフツーに負けたんだよぉ。おちょくんのも大概にしろや」
「これは失礼……しかし」
『灰』は改めてクネヒトの負傷を見る。生きていることが不思議なくらいの重傷だ。クネヒトの圧倒的な『格』の高さ、生命力の強さが窺える。
「その怪我で、フツー、なんですかい」
「あぁ……多分な。オレも初めて知ったが……『十騎聖』クラスがガチで戦り合うってのはどうもこういうことらしいぜ」
「それは……なんつうか、凄まじい、ですね」
『灰』を始めとして『色有り』達も相当な手練れだ。各々得意不得意があるため一概には言えないものの、例えば『灰』はクネヒトと三合までは斬り結ぶことが出来る。が、それ以上は余程運が良くなければ続かないし、ましてや一本取ることなど不可能だ。『灰』はなまじクネヒトと斬り結べるからこそ、その実力の隔絶を心底思い知っていた。
そのクネヒトがこうも手酷い傷を負わされるとは。
「やっぱり俺達がボスの戦いに混ざらなくて正解でした。ついてける気がしねぇ」
「ったりめぇだろ。『雷拳』相手に『橙』共がそれなりにやれてたのは、『雷拳』が力と思考力を温存してたからだ。ヤツがまだ腹を括ってなかったからだ。そうでなきゃテメェ等全員手足千切られて終いだよぉ」
「知ってます。見ましたから……ともかく、作戦は失敗って事で。プラン『拍車』に移行……まぁ、要はケツまくって逃げるって事ですが、それでいいですね」
「そうするしかねぇだろうがよぉ。クソッ、酒と酔い薬持ってねぇか? 染槍傭兵団の歴史的大敗だ。飲まなきゃやってらんねぇよぉ」
「無茶苦茶言いますね……ボスが酔っ払えるほどは持ってねぇですよ。酒も酔い薬も、治療で大分使っちまいました」
「チッ、だったらとっとと帰るぞ」
クネヒトは片足で立ち上がり『灰』に背を向けた。
その背を見て『灰』はふと、
――今なら殺れるか?
などと考えてみる。もしクネヒトが死ねば、『灰』が次期団長になる可能性は高い。十分一考に値する選択だ。
だが、
「『灰』」
首に何かが巻き付いている。
クネヒトの腕だ。『灰』に背を向けていたはずのクネヒトが、いつの間にか『灰』の真横にいた。そして『灰』と肩を組むようにもたれかかってきていた。
「やっぱり肩貸せや。流石にケンケンで帰るのは面倒だからよぉ」
クネヒトが普段とまるで変わらぬ表情で笑いながら言う。敵わない、と『灰』は思った。
もしクネヒトにその気があれば、『灰』は首を絞められて死んでいる。
――分かってますよ。ちょっと思っただけですって。
『灰』は心の中でそう呟いた。
だが改めて、クネヒトの強さを再認識した。
武器、右手の指三本、左腕、右足、これらを全て失った上に、その他諸々の重傷を負ってなお、クネヒトは自分を殺せる。
そのクネヒトを、毒を負った状態で叩きのめした『雷拳』とは、
――いったいどれだけのバケモンなんだろうな。
◆
一方、また別の路地裏ではシラハ達が体勢を整えていた。
「調律・開始」
壁にもたれかかった状態で座り込むシラハに向けてレゼーレが手を翳している。その手は僅かに発光していた。魔力の光だ。
「一と二・完全四度……違う……やはり他人の体を調整するのは勝手が異なりますね……まず定常状態の基準を探らないと……一・調整……」
レゼーレが詠唱する毎にシラハの体内が蠢く。血管が拡縮したり、脈拍が変化したり、発汗が激しくなったり、それらが不自然に生じていた。もちろんシラハが意図的に行っている訳でもない。
レゼーレの魔術は「生理現象の制御」だというが、確かにその通りのようだった。
体の中を弄り回されているような感覚で、正直毒がもたらす痺れや眩暈と同じくらい不快であったが、徐々に体が楽になっていくのも分かったので黙って身を任せる。
――集中してるな。
レゼーレの顔がちらりと見えた。頬を紅い花の刺青が彩る白皙のかんばせからは表情が抜け落ちている。それだけ魔術に集中しているのだ。もちろん周囲への警戒は呼吸の如く行っているのだろうが、少なくともシラハに対しては無防備だった。彼女がここまでシラハに隙を見せたのは今まで一度きりだ。『雷勁』を受けて気絶していたあの時ぐらいのものである。
シラハが衰弱しているからだろうか。あるいは魔術でシラハの体の制御権を握っているからだろうか。どちらも違うと思う。
おそらく今の状態のシラハでもやろうと思えば拳を打てる。今の無防備なレゼーレがそれを防げる確率は五分といったところか。レゼーレはおそらくそれを分かっている。その上で、シラハを治療している。
――ま、隙だらけなのは俺もか。
出会って半月の相手の治癒魔術を受け入れているシラハも相当であった。
「……私にできるのはここまでです」
レゼーレの手から魔力の光が消える。
「一時的に代謝を促進させて免疫力を高めました。多少は毒の分解が進んだはずです。体調はどうですか、シラハ」
「あぁ、ずいぶんマシになった。ちょっとだけ調子を整えさせてくれ」
シラハはそう言って目を閉じ、体内の感覚を調整する。
その間にぼそりと呟くように、
「レゼーレ、悪かったな。あんたの切り札使わせちまった」
「……まさかとは思いますが、あの男の言うことを真に受けているのでしたら無用と言っておきます。彼にとって言の葉など道具の一つでしかない」
「けど、全部が全部嘘でもなかったろ」
「あの抜刀術に関しては致し方ありませんでした。確かに不用意に見せることは禁じられていますが、さりとて必要な時に死蔵しておくべきものでもありません。むしろ、クネヒト卿にあそこまで追い込まれていながら、あの技一つで窮地を脱しえたのは安いものと言えるでしょう」
レゼーレはそう言うが、そもそも彼女にはシラハを助けないという選択肢もあったのだ。
追い詰められたシラハがクネヒトを退けられる可能性は、客観的にはかなり薄かった。であれば次善の策としてシラハを捨て置き、その間にファスとともに少しでも遠くへ逃げるという策もあった。
あるいはシラハを犠牲にしてクネヒトに隙を作り、そこをレゼーレが隠し玉の抜刀術で仕留める、という手もあっただろう。
そうした選択肢もあった中で、彼女はシラハを助けることを選んだ。
「心外ですね。私よりあの男の言葉のほうを信じるのですか?」
レゼーレがくすりと笑うように吐息を漏らした。
「正直に言いましょう。確かに私はファス様を守るために手段は選びません。だから私があなたを助けたのは、あれがあの場の最善だと信じていただけのこと。そうですね、少し露悪的な言い方をしましょうか。いいこと? 私にとって、あなたはクネヒト卿ごときに使いつぶしていい駒ではないのですよ」
レゼーレが指先で何かを抓む仕草をする。駒遊びの手振りだろうか。実際には空を抓んでいるだけなのだが、レゼーレは何かしらの駒を手に取っているつもりなのかも知れなかった。
余人には見えないその駒は果たして歩兵か、それとも大駒か。
「ただ強いだけの駒なら、確かにクネヒト卿と相討たせるという選択肢もあったでしょう。結局どのリスクを許容し、どのリターンを得るかという話ではありますが。けれど分かっていまして? あなたの価値は強さにだけあるのではない」
彼女は続ける。
「強者は皆、何かしらの傲慢を持っているものです。そしてその傲慢はほとんどの場合独善として現れる。クネヒト卿や……私も、そうなのでしょう」
独善、利己主義、エゴイズム。
力を得て弱者を踏みにじれるように……他者に「助けてもらう」のではなく、他者を「支配できる」ようになったから利己的になるのか。あるいは他者を蔑ろにして省みない気質がなければ強くなれないのか。
どちらが原因で結果かは分からない。が、強さとそれらには因果関係があるとレゼーレは言う。
「あなたにもそれはきっとある。ただ、あなたの傲慢はどちらかと言えば独善ではなく……慈悲として現れるのだと思います」
「慈悲?」
「あなたは強い。あなたが戦いにおいて敵を殺すことだけを考えるのなら、たとえ『十騎聖』でも六席以下では相手にならないでしょう。ですがあなたは常に誰かの事を考えて、そのために戦っている。本来なら一息で殺せる相手に死にかけてまで」
「んなこたぁ……」
ない、とシラハは言おうとして躊躇った。確かにレゼーレから見ればそうなのか。師匠の遺言を否定するために人を殺さない。その師から受け継いだ拳法の価値を探している。状況が許せば武術修行者達に胸を貸してやることもあった。そして有事には味方を守るために不利な状況に自ら飛び込んでいく。
いつも他人のために戦っている、そんな風に見えなくもないのかも知れない。もちろんシラハに言わせればとんだ誤解だ。
「んなこたぁ、ないと思うぜ。俺はやりたいようにやってるだけだ」
「そうなのかもしれませんね。私もあなたのことはこの半月でしか知りませんから。ただあなたに他者を思いやる能力があるというのは事実です。それは戦いを離れてもそう」
そこでレゼーレは声を潜めた。ただシラハとレゼーレの間だけで聞こえるように。
「ファス様のことを気遣って下さっているでしょう? 一般的には「護衛」の仕事は護衛対象の身体の安全を確保するもの。ですがあなたはファス様の心も気に掛けて下さいました」
そう言われてもシラハには何の事かよく分からなかったのだが、
「会話です。あなたが雑談に付き合って下さるおかげで、ずいぶんと雰囲気が和らぎました。最初に私はあなたを謂われのない理由で殺そうとしたのに、そんなわだかまりなどないかのように穏やかな旅になりました」
「性分……らしいぜ。俺の冒険者仲間が言うには、俺は話し好きらしい」
「そうでしょうね。そしてそれがあなたの価値の一つでもある。「話が通じる」、それがどれほど価値のあることか。雑談だけではありません。あなたは仕事における意思疎通の重要性を理解している。それ程に強くありながら、社会性の欠落がない。また露悪的な言い方をしましょう……あなたはあまりにも上等な拾い物です。たかだか第九席相手の捨て駒になんて使える訳がありません。何としてでも目的地まで付き合っていただきますよ、シラハ」
「そりゃありがたい」
シラハは口元を緩めながら立ち上がる。
「俺だって途中で仕事を投げ出したくねぇからな。生きて依頼達成といきたいもんだ。そんときは約束通り報酬をもらうぜ」
「当然です。私達だって、信用には信用で返したいのですから」
その台詞はファスにも聞こえる大きさだったため、レゼーレの隣でファスも頷いていた。
「もちろんだ、シラハ。そなたとの約定は果たす。察しの通り、私達はいま厄介事の渦中におってな、ミュライユで全てをすぐに支払えるかは分からぬが……必ず果たす。だからどうか、これからも力を貸してくれ」
「ああ、分かった」
シラハは頷いた。彼女たちの言葉が嘘である可能性、それも考慮した上で、無根拠に頷いた。
「信じるぜ」
アシェノール。この街の名は「かつての北部」を意味する。二百年ほど前まではこのアシェノールがロカマドゥール王国の北端だった。だがその後に領土の拡大があり、今では北部辺境最南の自由都市として知られている。
ここを抜ければロカマドゥール王国の中部に入る。ミュライユ伯爵領もそう遠くはないはずだ。
シラハ達は連れだって移動し、アシェノールの街を後にした。




